在日朝鮮人文学
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在日朝鮮人文学(ざいにちちょうせんじんぶんがく)は日本へ渡った朝鮮人によって書かれた文学作品の総称であり、主に明治以降の文学に対して用いられる。
目次 |
歴史
在日朝鮮人文学のはじまり
近代日本における朝鮮人の文学活動は1883年に李樹延によって始められ、それは漢文を中心にしていた。李樹延は朝鮮政府使節団の一随員として渡日し、4年間の滞在中に聖書を朝鮮語へ翻訳し出版を行った。また李樹延は明治字典(1885年)の編集者の一人として韓音訓の表記の担当も行った。その後の1905年前後から1930年にかけては、留学生たちが主となって朝鮮語による文学活動を行った。『親睦会会報』(1896年)から『学之光』(1914年 - 1930年)まで6種・100冊あまりが出版され、李光洙、崔南善、田栄沢ら留学生たちは国権回復・旧習打破などを目的とした朝鮮語の小説、詩、エッセイなどを発表し、同胞の啓蒙と朝鮮近代文学の創造に力を尽くした。朝鮮に自然主義の文学思潮を導入しようとした金東仁、朱耀翰らによる文芸誌『創造』(1919年)、『海外文学』(1927年)などの刊行も留学生の手によるものであった。金素雲は『朝鮮民謡集』をはじめ朝鮮童謡、現代詩紹介に活躍した。
朝鮮人が日本語による創作活動を行うようになったのは、1920年代に日本のプロレタリア文学運動が活発になりだした時期からである。日本のプロレタリア文学雑誌に作品を発表した作家に鄭然圭、韓植、金煕明、詩人に金竜済、白鉄、姜文錫らがいる。その運動が解体し始めた頃に張赫宙は『餓鬼道』(1932年)で日本文壇に登場、植民地下の朝鮮農民の現実を骨太な筆致で描いたが、後に皇民化運動に加担した。1934年秋に新たな文学的抵抗者として金史良が『光の中に』で登場し、李殷直の『ながれ』とともに1939年に第10回芥川賞候補となった。金史良が特に注目されて多くの優れた作品を書き、それらは2冊の作品集(『光の中に』『故郷』)となった(太平洋戦争開始時に検挙され釈放後ただちに帰国し、のち延安に亡命した。戦後は北朝鮮で作家生活をつづけたが、朝鮮戦争時に行方不明となった)。この頃、洪鐘羽の長編『月隠山』、韓植の詩集『高麗村』などが刊行された。1940年から1942年に『芸術科』(日本大学芸術科発行)に拠った金達寿、李殷直ら若い世代が登場し、強いられた日本語を用いて反日本帝国主義の文学的営みを可能にするという、在日朝鮮人文学者の多様な闘いの下地を意識的に切り開いた。日本の植民地支配によって形成された在日朝鮮人の手による文学としての在日朝鮮人文学は、この時期に始まった。
第二次世界大戦終戦後
日本の植民地支配によって形成された在日朝鮮人の手による文学としての在日朝鮮人文学の開花は、第二次世界大戦が終戦した1945年8月15日以後に実現した。終戦直後に『民主朝鮮』『朝鮮文芸』などの雑誌が刊行され、金達寿、李殷直、朴元俊、張斗植、尹紫遠、詩人の姜舜、許南麒らがめざましい活動を始めた。金達寿は『玄海灘』(1954年)で解放前の朝鮮人インテリの民族的自覚を描いて日本の植民地統治の非人間性を剔出した。また張斗植の『ある在日朝鮮人の記録』(1966年)が示すように、在日朝鮮人の苦難に満ちたとされる生活史を自らの手で記録として綴り始めた。1960年代にかけて李殷直の『濁流』、金石範の『鴉の死』(このテーマは『火山島』に引き継がれた)、金達寿の『太白山脈』など、民族分断の根源への追究が目立った。1960年代末から1970年代初頭にかけて李恢成、金鶴泳、高史明、金泰生、鄭承博、鄭貴文、劉光石、李春穆、梁石日、詩人の金時鐘、申有人、評論家の安宇植、尹学準らが登場した。李恢成は1972年に『砧をうつ女』で第66回芥川賞を受賞し、在日朝鮮人2世の民族的主体の確立と祖国統一運動への参与をテーマに活動を続け、それらは長編『見果てぬ夢』(1979年)として結実した。1980年代に入って李丞玉、金秉斗らは、民族分断の傷跡や民主化闘争を取り上げた韓国文学の翻訳・紹介を精力的に行った。新たに登場した李良枝(1988年に『由煕』で第100回芥川賞を受賞)、李起昇(1985年に『ゼロハン』で群像新人文学賞を受賞)らは、日本においてだけではなく祖国と思っていた韓国においてさえもよそ者意識から自由であり得なかったと感じた若い在日朝鮮人2世の二重の疎外感を描いた。詩人の崔華国は1985年に『猫談義』で第35回H氏賞を受賞した。
在日朝鮮人文学の多様化
1980年代から1990年代にかけては、在日朝鮮人文学の世界にさまざまな意味で大きな変化が見られた時代であった。一つには政治的な関わりがある。1980年5月の韓国での軍事クーデターは在日朝鮮人社会にも影響を及ぼさずにはいなかった。1982年、金達寿ら文学者3名が故郷に墓参する目的で日本から韓国へ渡ったが、この行動は全斗煥政権を容認するものと議論を呼んだ。しかし1987年の盧泰愚の六・二九民主化宣言で韓国社会が民主化へ大きく進み、翌1988年のソウルオリンピック開催によって国際的な地位も高まるにつれて韓国との対し方も変わってゆき、金石範は巨編『火山島』の完成のため済州島を訪ね、1998年に全7巻を完結させた(この作品は1984年に第11回大佛次郎賞、1998年に毎日芸術賞を受賞)。また李恢成は金大中政権が誕生した後、国籍を韓国籍に変え話題になったが、作品では、生まれ故郷の樺太(サハリン)を訪ね旧ソビエト連邦在住の朝鮮民族の歴史を描いた『流域へ』(1992年)や長編『百年の旅人たち』(1994年)で健在ぶりを示した。こうした第1世代、第2世代の作家たちの故国との関わり方がある一方で、下の世代はそれらとはまた異なる祖国との葛藤を繰り広げた。『ナビ・タリョン』(1982年)によって文壇にデビューし将来を嘱望された李良枝は、ソウルに留学してその体験から『由煕』(1988年)を書き、祖国が自分の国たりえなかった在日留学生の葛藤を描いた。彼女はこれにより1988年度下半期芥川賞を受賞、更なる未来が期待されたが、長編『石の声』を執筆中に37歳で死去。またその次の世代の鷺沢萠も祖母の故郷であった韓国に語学留学し、その体験をエッセイ集『ケナリも花、サクラも花』(1994年)にまとめたが、ここには多少の居場所を見出した姿がうかがえる。ただし、彼女の場合は自分自身が朝鮮人の血を引くことを知ったのが、文壇で成功をおさめた後に、自らの作品執筆のための取材の途上であったという事情も考慮する必要がある。
もう1つの変化は世代交代である。寡作な作家であった金鶴泳は『郷愁は終り、そしてわれらは―』(1983年)を書いた後の1985年に自殺し、翌1986年には在日一世の作家であった金泰生が亡くなり、1988年には許南麒が、また1997年には金達寿が死去した。その一方で、上記の李良枝や鷺沢萠、それに李起昇、元秀一、金重明、柳美里、玄月といった新しい世代が登場してきた。中でも柳美里は、1992年に最年少で岸田国士戯曲賞を受賞、1994年には『石に泳ぐ魚』で小説家としてもデビュー、『フルハウス』で泉鏡花文学賞・野間文芸新人賞を、そして『家族シネマ』で1996年度下半期芥川賞を受賞するなどひときわ活躍が目立ち、韓国でも大きな注目を浴びた。また玄月も『蔭の棲みか』で1999年度下半期芥川賞を受賞し、嘱望を集めた。世代は違うが『タクシードライバー日誌』(1984年)で注目された梁石日は『族譜の果て』(1989年)、『血と骨』(1996年)などで凄まじい家族史(在日の歴史)を描いている。また詩人の宗秋月、歌人の李正子、評論家の竹田青嗣らが登壇し、任展慧は長年の研究成果を博士論文『日本における朝鮮人の文学の歴史―1945年まで』(1994年)にまとめた。
在日朝鮮人社会あるいはそれを捉える目がそうであるように、在日朝鮮人文学も世代を重ねるにつれて多様化してきている。作家の中で、「在日」ということが個人的に重要なアイデンティティとは限らなくなってきているのである。それは1980年代、1990年代とますます顕著になってきている。例えば姜信子の『ごく普通の在日韓国人』(1987年)は既存の在日論と違う思考を示して在日朝鮮人社会に小さな波紋を引き起こしたが、2000年代の文学世代、『GO』で2000年度上半期直木賞を受賞した金城一紀の場合、自分自身を「在日」ではなく「コリアン・ジャパニーズ」と紹介し、韓国と日本のどちらにも属さない自由を求めた。また、立原正秋(金胤奎)や、つかこうへい(金峰雄)らをどう捉えるかについては意見が分かれている。この世代の台頭により、もはやかつての在日朝鮮人文学のように、ある1つのアイデンティティのもとに定義づけたり、属文主義や属国主義といった二分法で分類することは困難であるという意見が主流となった。
在日朝鮮人文学の位置づけ
日本語による在日朝鮮人の文学は、自民族の言葉ではないという理由のために、朝鮮文学か日本文学かという問題が、とりもなおさず在日朝鮮人自身の中から提起されずにはいなかった。ここには民族と文学、言語と文学をめぐる多くの問題が内在しているが、1945年以後に日本語による朝鮮人作家の作品は「朝鮮民族の文学であると同時にまた日本文学の1つ」であるという広い視点からの評価が、日本の文学界の一般的な了解になっている。日本語による在日朝鮮人の文学活動は、文学の国籍はその言語に帰属するという考え方に拘束されることもなく、民族的かつ国際的な広がりの下で新たな画期と自信とに支えられて、作者それぞれの視点から在日朝鮮人として生きる姿勢と意味、祖国や同胞組織とのかかわりなどが問題にされつつ、多くの優れた達成を示しながら今日に至っている。




