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天城 (雲龍型空母)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(天城 (空母) から転送)
ファイル:Japanese aircraft carrier Amagi.jpg
艦歴
起工1942年10月1日三菱長崎
進水1943年10月15日
竣工1944年8月10日
喪失1945年7月28日
除籍1945年11月30日
性能諸元 (竣工時)
排水量基準:17,480t 公試:20,450t
全長227.35m
全幅水線幅:22.00m
吃水7.86m
飛行甲板216.9m x 27.0m
エレベーター2基
主缶ロ号艦本式専焼缶8基
機関艦本式タービン4基4軸 152,000hp
最大速力34.0kt
航続距離8,000nm / 18kt
乗員1,556名
兵装40口径12.7cm連装高角砲6基
25mm3連装機銃21基
25mm単装機銃30挺
搭載機
(常用+補用)
一七試艦戦(烈風):18+2機
一七試艦偵(彩雲):6+0機
一六試艦爆(流星):27+0機
合計:51+2機

天城(あまぎ)は、日本海軍航空母艦雲龍型の二番艦。艦名は静岡県伊豆半島の中央にある天城山に因む。その名を持つ艦としては3隻目。遠藤昭によると候補艦名として那須があったという[1]

目次

概要

竣工時に日本海軍は燃料や航空機不足となっていたために、作戦行動には従事せず、出撃機会のないまま呉港に対空砲台として停泊していた。その後、アメリカ軍機の攻撃を受け横転着底し、戦後引き上げられ解体された。

艦歴

歴代艦長

艤装員長

  1. 山森亀之助 大佐:1944年6月27日 -

艦長

  1. 山森亀之助 大佐:1944年8月10日 -
  2. 宮崎俊男 大佐:1944年10月23日 -
  3. 平塚四郎 大佐:1945年4月20日 -
ファイル:IJN carrier Amagi capsized off Kure in 1946.jpg
空襲により横転した天城(戦後に撮影)

その他

  • 先代の天城と異なり完成にまで至ったが、活躍はほとんどなかった。
  • 戦後、この艦を函館港青函連絡船修理用のポンツーンとして使用する案が出て、実際に函館港まで曳航されたが、到着する頃には青函連絡船の修理は函館船渠が請け負うことが決定していたため、結局解体処分されることになった。
  • 同艦が横転している写真は終戦後進駐軍によって撮影されたもので、動画としても残っている。この映像はしばしば呉軍港の被害状況を伝える際に用いられることもある。

参考文献

  • 長谷川藤一、軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦、グランプリ出版、1997年
  • 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第3巻 空母Ⅰ、光人社、1989年

脚注

  1. ^ 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9、p78。

関連項目

  • 天城 [I](スループ)
  • 天城 [II](巡洋戦艦→空母、未成)