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安倍源基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ファイル:Genki Abe.JPG
警視総監在任中の安倍源基

安倍 源基(あべ げんき、1894年明治27年)2月14日 - 1989年平成元年)10月6日)は、日本内務官僚弁護士警視庁特別高等警察部長、警視総監内務大臣を歴任した。

目次

略歴

生涯

1894年山口県熊毛郡曾根村(現平生町)に士族安倍半次郎の長男として生まれた[1]。山口中学、徳山中学(現山口県立徳山高校)、第六高等学校を経て、1920年東京帝国大学法学部を卒業し、内務省に入省。

1932年警視庁において初代特別高等警察部長となり、赤色ギャング事件日本共産党査問リンチ事件を通じて「赤狩り安倍」の名を轟かせた。安倍が特高部長であった1933年には、19人が特高警察の過酷な取調べで死亡しており(19人は戦前で最多、「しんぶん赤旗」2005年2月17日)、その中にはプロレタリア文学作家の小林多喜二も含まれている。1936年の二・二六事件に際しては、特高部長として戒厳会議の構成メンバーであった。その後、内務省保安課長、同警保局長、警視総監を歴任した[2]

太平洋戦争末期の1945年、鈴木貫太郎内閣内務大臣及び企画院総裁(心得)に就任。ポツダム宣言受諾には豊田副武などと共に反対意見だったと伝えられている。

戦後、A級戦犯容疑者の一人として起訴された。しかし、東條英機らの死刑執行が終わると、占領政策の転換で不起訴となり釈放された。その後、岸信介木村篤太郎らと共に新日本協議会を結成、代表理事に就任した。のちに全国警友会連合会会長、東京都警友会会長を歴任した。従三位勲一等を受賞。

1956年第4回参議院議員通常選挙自由民主党公認で山口地方区から立候補したが、落選している。なお、自民党が参院選山口地方区(山口選挙区)で敗れたのは、この時と1989年(日本社会党の山田健一が当選)、1998年(無所属の松岡満寿男が当選)の3回しかない。

家族・親族

系譜

安倍家 安倍家は江戸時代毛利家陪臣だった。半次郎の実家・是非家は大野毛利では筆頭家老の地位にあった。[3]

      ┏安倍清見
      ┃
      ┣安倍三郎
安倍勝馬━━┫
      ┣安倍直人
      ┃
      ┗美津子
        ┃
        ┣━━━安倍源基
        ┃     ┃
        ┃     ┃
        ┃     ┃
     ┏是非半次郎   ┃
     ┃        ┃
     ┗是非鹿之助   ┣━━安倍基雄
        ┃     ┃
 財満氏━━━━娘     ┃
              ┃
      秋山雅之介   ┃
         ┃    ┃
         ┣━━━━藤子
         ┃
粟屋和平━━━━アサ

著作

伝記

関連テレビ番組

  • NHK特集『戒厳指令…「交信ヲ傍受セヨ」~ 二・二六事件秘録』(NHK、1979年2月26日放送)

脚注

  1. ^ 猪野三郎監修『大衆人事録』に「山口縣士族半次郎長男」と記載されている。
  2. ^ 宮崎学の『不逞者』によると、1937年12月、右翼団体風雲倶楽部主宰の千々波敬太郎に社会大衆党党首・安部磯雄襲撃を依頼したとある。(安部磯雄襲撃事件を参照)。ただし、安倍源基が安部磯雄襲撃を依頼したという記述は、他の歴史的文献にはなく、宮崎学の『不逞者』においてのみである。宮崎学作品には、独自のフィクションも多く、この事件に関しての信憑性は乏しい。 【引用元宮崎学『不逞者』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>1999年、ISBN 4-87728-734-5)】
  3. ^家老といっても、数ヶ町村を有する小名の家老であるから、侍大将といった程度のものだった。(『歴史の流れの中に : 最後の内務大臣安倍源基』上、38頁)

関連項目

外部リンク


官職
先代:
大達茂雄
ファイル:Flag of Japan.svg 内務大臣
第68代:1945
次代:
山崎巌
先代:
斎藤樹
池田清
ファイル:Flag of Japan.svg 警視総監
第44代:1937 - 1939
第47代:1940
次代:
萱場軍蔵
山崎巌
先代:
大村清一
ファイル:Flag of Japan.svg 警保局長
1937
次代:
富田健治