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宮本幸信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮本 幸信
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
出身地 兵庫県神戸市
生年月日 1945年6月3日(66歳)
身長
体重
182cm
86kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1967年 ドラフト2位
初出場 1968年
最終出場 1980年
経歴(括弧内は在籍年)

宮本 幸信(みやもと ゆきのぶ、1945年6月3日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手投手)。

目次

来歴・人物

市立神港高校では、1963年にチームの主戦として選抜高校野球大会(第35回)に出場し、準決勝(1-4下関商業高校)まで勝ち進んだ。

高校卒業後は、中央大学に進学。東都大学リーグでは4年間で通算55試合に登板し、14勝19敗・152奪三振を記録した。同リーグでの防御率は、2.27。1967年春のリーグ戦では7勝3敗の好成績で、最優秀投手とベストナインに選ばれている。

1967年秋、ドラフト2位指名で阪急ブレーブスへ入団。切れの良い速球と縦の変化球を武器に活躍した。1969年のシーズン最終盤、ゲーム差なしで優勝を争っていた近鉄バファローズとの4連戦の初戦(西宮球場)にリリーフとして登板、同点で迎えた11回裏2死3塁の場面で清俊彦からサヨナラ本塁打を放ち、優勝を引き寄せた。このとき、ベンチは代打を送ろうとしたが後続の投手が仕上がっていなかったため打席に入り、殊勲をあげることになった。同年の日本シリーズ(対読売ジャイアンツ)では第4戦に先発したが、4回裏に捕手の岡村浩二が本塁クロスプレーの判定に激怒し、退場処分を受けた。それまで岡村のリードに引っ張られていた宮本は動揺し、その回に逆転を許してしまい、結果的に敗戦投手となった。

入団3年で18勝を挙げるが、4年目以降は伸び悩んだ。

1974年オフ、白石静生大石弥太郎との交換トレードで、渡辺弘基児玉好弘と共に広島東洋カープへ移籍。移籍当時、「がんばって5位になろう」との重松良典球団代表の言葉に、「常勝」と呼ばれた阪急ブレーブスとのギャップを感じてショックを受けた。その後、覇気のないナインの意識改革にと、「明るくやろう会」を結成した。移籍後は抑えの切り札として起用される。1975年4月11日中日ドラゴンズ戦では判定に激怒し、原田孝一球審を跳び蹴りし、退場処分になっている。それから間もなく、ジョー・ルーツ監督から全選手に「暴力は許されないがガッツは見習え」と訓辞があり、跳び蹴りしている写真が監督室に飾られた。これ以降、宮本は『キックの鬼』にちなんで「キックの宮」と呼ばれ、ファンに親しまれた。このシーズンは10勝2敗10セーブ・防御率1.70という好成績を残し、チームのリーグ初優勝に貢献した。当時既に肘をかなり痛めていたが、意気に感じて投げ続け、抑え役を全うした。古巣の阪急との対戦となった日本シリーズでは4試合に登板。このうち第3戦では同点の9回に決勝点を許して敗戦投手となっている。

その後、1977年新美敏皆川康夫鵜飼克雄内田順三との交換トレードで佐伯和司久保俊巳と共に日本ハムファイターズへ移ったが、ここではあまり活躍できなかった。

1979年シーズン終了後、日本ハムを戦力外となり、横浜大洋ホエールズに移籍。大洋ではカープ戦に勝てば史上初の「全球団勝利」達成となったが、その機会を生かせなかった。1点リードの場面でリリーフ登板した4月8日の試合が唯一の記録達成のチャンスであったが、不甲斐ない投球により、逆転を許してしまっている(但し、敗戦投手にはならなかった)。このシーズンは1勝を挙げるに留まった。1980年オフ、現役引退。

現在は地元・神戸市に戻り、飲食店を経営している。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1968 阪急 38800034----.42934280.26844342531032283.111.38
1969 291431073----.700445105.185124537540038342.911.23
1970 451740089----.471669155.2153137636745072663.811.47
1971 341020143----.571442103.1102153842581154484.191.35
1972 22811012----.33322752.156101701330031254.331.39
1973 171111044----.50027061.05153803371028243.541.46
1974 3512210573--.417441103.292124315754049423.631.30
1975 広島 44000010210--.83336589.25854019741020171.701.09
1976 340000437--.57119945.14871433321023234.601.37
1977 日本ハム 410000637--.66728672.15482355532021162.001.06
1978 210000121--.33321945.24893413241030265.091.80
1979 171000002------10320.23081532710252510.712.18
1980 大洋 60000100--1.000306.0105400500769.002.33
通算:13年 383811341544230--.5634038941.285511343028485791814303803.631.36
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

  • イニング最多与死球 3 (1977年5月19日 対近鉄バファローズ戦) 

 ※日本記録・パ・リーグ記録

背番号

  • 14(1968年 - 1974年)
  • 19(1975年 - 1976年)
  • 16(1977年 - 1979年)
  • 13(1980年)

関連項目