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尋ね人の時間

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

尋ね人の時間(たずねびとのじかん)は1946年(昭和21年)7月1日 - 1962年(昭和37年)3月31日)に放送されたNHKラジオの番組。

第二次世界大戦太平洋戦争)による人との離別やそれに基づく悲惨な状況を晒し、それらを思い起こさせたり、忘れさせない内容を伝えた番組。終戦から間もない1945年(昭和20年)からテレビが一般に普及する時期までの番組であり、当時の人々の多くが一度は聞いたことがあるとされる番組の一つ。

なお、番組の名称は「尋ね人」であったが[1][2]、『尋ね人の時間です』とのアナウンサーの声から始まったため、上記呼称で親しまれた。

目次

概要

聴取者からの依頼に基づく伝言番組であり、その依頼人からの手紙の内容をNHKがラジオ放送し、尋ね人すなわち対象者やその対象者の消息を知る人からの連絡を待つ内容であった。依頼人は、戦中戦後の混乱の中で行方が判らなくなった対象者を探し出したい・再び会いたい・連絡を取りたいなどと考える人々であった。

尋ね人として多かったのは、復員兵引揚者シベリア抑留者、戦中時に知り合った兵隊仲間など様々な人があり、尋ねる依頼者も同様の立場や境遇にあった人、対象者の帰郷を待つ人など様々であった。依頼人と対象者との関係でみると、対象者は依頼人にとっての肉親親戚、友人、戦友、知り合いなどであった。なかには、戦後日本に復員したにもかかわらず本人の意思で故郷に戻らない傷痍軍人や、復員していない残留日本兵と思われる者を尋ねる内容も少なからずあった。

放送の内容は、依頼人の手紙の内容が端的にまとめられ、番組の題に即した要旨がアナウンサーによって淡々と抑揚なく読み上げられるものであり、独特の音調の番組であった。具体的には、次のような読み上げが行われた。

  • 昭和20年春、○○部隊に所属のxxさんの消息をご存じの方は日本放送協会の「尋ね人」の係へご連絡下さい
  • シベリア抑留中に○○収容所で一緒だった○山○夫と名乗った方をご存じの方は日本放送協会の「尋ね人」の係へご連絡下さい
  • 満州国竜江省チチハル市の○○通りで鍛冶屋をされ、「△△おじさん」と呼ばれていた方。上の名前(苗字)は判りません・・・
  • ラバウル航空隊に昭和19年3月まで居たと伝え聞く○○さん、xx県の△△さんがお捜しです・・・
  • 昭和○○年○月に舞鶴港に入港した引揚船「雲仙丸」で「△△県の出身と仰りお世話になった丸顔の○○さん・・・
  • これらの方々をご存じの方は日本放送協会まで手紙でお知らせ下さい。手紙の宛先は東京都港区内幸町、内外(うちそと)の内、幸いと書いて「うちさいわいちょう」です

定時番組であったため、放送内容に関係する人以外にも、多くの人が掛けっぱなしのラジオから耳にした番組であった。上記各例のように人物を特定するための情報ができる限り詳細に放送された。対象者本人やその知人であればどの人物のことを尋ねているかが判別できるような内容であったといえ、個人情報保護などが広く認識されていない時代であったことを伺わせる。一般の依頼人が尋ね人を求めて開示する手探りの情報が広く世間に伝達される当時としては唯一の手段でもあった。なお、聴取率調査など無かった時代であるものの、民間のラジオ放送開局後も聴取率は90%であったとされる[3]

放送期間中に読み上げられた依頼の総数は19,515件であり、その約1/3にあたる6,797件が尋ね人を探し出せたと言われている[1][2]。 なお、GHQに所属する駐留軍人の日系二世らからもこの番組を通じて親戚にあたる日本人を探したいと依頼があった。しかし、GHQ民間情報教育局員であった日系二世のフランク・正三・馬場が、米国国籍である二世からの依頼であるため対応すべきでないと判断したとされる[4]

当時の世間の人々は思いもつかなかったが、 井上ひさし創作劇「私はだれでしょう」[5] [3] [6] によれば、GHQによる番組内容の検閲もあったとされ、そのため、広島長崎の依頼人からの手紙は読み上げられなかったとされている。

なお、この番組に先立ち、下記番組が放送された[1]

  • 番組「復員だより」:Template:Safesubst:1月から、南方からの復員が一段落したTemplate:Safesubst:2月まで
  • 番組「引揚者の時間」:Template:Safesubst:7月から、シベリアや中国大陸からの帰還者の情報や消息について

その他

新井満1988年(昭和63年)に発表した第99回芥川賞受賞作「尋ね人の時間」は同名であるが関連はない。またテレビ朝日系列でも1995年に「戦後50年企画-尋ね人の時間-」が放送された[7]

脚注

  1. ^ a b c 『放送の五十年 昭和とともに』 NHK, ASIN: B000J8VU5C、日本放送出版協会(原著1977-03-20)、133頁。
  2. ^ a b 『「放送文化」誌にみる昭和放送史』 日本放送出版協会(原著1990-03-20)、75頁。ISBN 14-007160-5。
  3. ^ a b new 時の扉2007年02月05日付け「私はだれでしょう」” (2007-02-05). 2009-04-27閲覧。
  4. ^ 石井清司 『日本の放送をつくった男 フランク馬場物語』 毎日新聞社(原著1998-10-30)、168頁。ISBN 4-620-31247-9
  5. ^ 2007年1月22日- 2月25日、紀伊國屋サザンシアターにてこまつ座公演。私はだれでしょう”. こまつ座. 2009-04-27閲覧。
  6. ^ 並木徹 (2007-02-10). “花ある風景(265)、銀座一丁目新聞”. 一ツ橋アーツ. 2009-12-12閲覧。
  7. ^ 1994.4、テレビ朝日系、「戦後50年企画~尋ね人の時間~」”. インタースコープ、中嶋昇のプロフィール (2006-05-17). 2009-12-10閲覧。

関連項目

外部リンク