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尾崎行雄 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

尾崎 行雄
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
出身地 大阪府泉大津市
生年月日 1944年9月11日(67歳)
身長
体重
176cm
83kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1962年
初出場 1962年4月8日
最終出場 1973年
経歴(括弧内は在籍年)

尾崎 行雄(おざき ゆきお、1944年9月11日 - )は、1960年代に活躍したプロ野球選手投手)。大阪府泉大津市出身。

同姓の政治家尾崎行雄にあやかって同じ名を付けられた。

目次

来歴・人物

1961年浪商高校(現・大阪体育大学浪商高)2年時の夏の甲子園で優勝投手となり、怪童と呼ばれた。前年夏の甲子園から三度にわたる法政大学第二高等学校柴田勲との対決は名勝負として知られる。1年後輩に高田繁がいる。

2年で高校を中退し、当時としては破格の契約金6000万円で東映フライヤーズに入団。1年目の1962年には17歳で開幕を迎えながら20勝9敗、防御率2.42の成績で新人王を獲得した。1964年から1966年まで3年連続で20勝を記録し、1965年には27勝を挙げて最多勝を獲得。以降は酷使されたことが影響し、肩を痛めて不振に陥った。1973年に29歳で現役を引退。それでもプロで通算107勝を挙げ、夏の甲子園の優勝投手としては戦後初のプロ通算100勝投手となった(他には桑田真澄野村弘樹松坂大輔。戦前を含めても野口二郎真田重男が加わるのみ)。

引退後はレストランを経営した後、スポーツ関係の会社に勤務。少年野球の指導を行っているほか、マスターズリーグの東京ドリームスに参加している。非常に球の速かった投手で(当時のビデオ映像で計った速度は159Km/h)、球種のほとんどがストレートであった。プロ野球史上における速球投手の話題では、必ずと言ってよいほど名前が挙がる選手である。

東京ドリームスの試合がある時にはほぼ毎試合に参加し、試合前のファンのサインや記念撮影にも快く応じている。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1962 東映
日拓
4919941209----.690851207.21701063491965072562.421.12
1963 171343075----.58338093.083132901600134302.901.20
1964 553311412018----.5261167286.02332390291971093812.551.13
1965 613726652712----.6921444378.026123634112591091791.880.86
1966 652915262417----.5851162292.026823404212241100852.621.05
1967 2821721614----.300531126.2132162533670058433.051.24
1968 14400000--------8819.027550240015136.161.68
1969 7110102----.0007517.122520060014115.821.38
1970 24200002----.00019343.056111100410030285.861.56
1971 24200003----.00017040.14661201261122204.501.44
1972 17200031----.75015139.2274712290012102.250.86
1973 3000000--------326.01242003019913.502.33
通算:12年 36416373211510783----.56332441548.21337143349184010101245504652.701.09
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 東映(東映フライヤーズ)は、1973年に日拓(日拓ホームフライヤーズ)に球団名を変更

タイトル

  • 最多勝:1回 (1965年)
  • 最多奪三振(当時連盟表彰なし):2回 (1964年、1965年) ※パシフィック・リーグでは、1989年より表彰

表彰

記録

背番号

  • 19 (1962年 - 1973年)

関連項目