1. TOP
  2. Kiraku辞典
  3. メインページ

山本泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山本 泰 (鶴岡 泰)
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
出身地 東京都
生年月日 1945年7月7日(66歳)
選手情報
ポジション 外野手
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
監督歴

山本 泰(やまもと やすし、1945年7月7日 - )は、東京都出身のアマチュア野球選手、学生野球指導者、プロ野球スカウト。現在はシアトル・マリナーズスカウト。

父は南海ホークス監督の鶴岡一人

目次

経歴

法政二高から法政大学に進学。法大では外野手としてプレー、1967年度には主将を務め主に3番を打ち、秋季リーグ戦で優勝した。1学年下に田淵幸一山本浩二富田勝の「法政三羽烏」がいた。

同1967年11月のドラフト会議で南海ホークスから12位指名されるが、これは南海監督であり父である鶴岡一人がプロ入りを断念させるためにあえて指名したもの。

その後、日本楽器→日拓観光でプレーし、1974年PL学園高校野球部監督に就任。1976年選手権大会で準優勝、1978年の選手権大会は逆転のPLで初優勝。常勝チームを築いた。このころまで鶴岡姓だったが、のちに母親の姓である山本姓に代えている[1]

PL学園退任後は大阪産大付高大阪桐蔭高の野球部監督を経て1990年から1993年まで法政大学野球部監督を務めた[2]東京六大学リーグ戦の優勝は果たせなかったが、1990年秋季リーグは立教大学と優勝決定戦まで縺れ込む熱戦を繰り広げたほか、1992年春季リーグ戦では明治大学と「勝ち点を挙げた方が完全優勝」という展開まで持ち込んだ(この時は先勝し王手をかけた後、2連敗して勝ち点を落とした)。1993年秋季リーグ戦終了後、任期満了で退任した(後任は山中正竹)。なお、最後のシーズンに東京大学に勝ち点を落としたため解任されたとの俗説も一部で流れたが、前述のとおり任期満了による退任である[3]

退任後、大阪近鉄バファローズのスカウトとして、選手時代には果たせなかったプロ球界に活動の場を移し、岩隈久志などの獲得に尽力した。2004年暮れの同球団解散後、マリナーズに移籍して現在に至る。

甲子園での成績

全てPL学園。

  • :出場2回・5勝2敗
  • :出場3回・9勝2敗・優勝1回(1978年)、準優勝1回(1976年
  • 通算:出場5回・14勝4敗・優勝1回、準優勝1回

東京六大学リーグ戦での成績

  • 8シーズン中、2位2回、3位4回、4位2回
  • なお、山本は在任8シーズンで優勝が無かったため、1990年4月入学生は1956年入学生以来の「優勝経験ゼロで卒業」となった。

関連項目

脚注

  1. ^ 週刊ベースボール増刊『大学野球』1990年春季リーグ戦展望号によると、実生活では先に変えていたとのことで、子供が戸惑わないよう野球関係でも山本姓で統一したとのこと。
  2. ^ 竹内昭文(退任後、たくぎん監督を経てシダックス監督)が会社の指示で急遽辞任した後を受けての就任だった。
  3. ^ ちなみに、リーグ戦で優勝を経験せずに退任したのは、1950年から1956年まで監督を務めた長谷川晴雄以来である。