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山谷親平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山谷 親平(やまたに しんぺい、1922年 - 1984年11月28日)は、日本の評論家ラジオパーソナリティ福井県出身。日本において実質的な意味で初のラジオパーソナリティであったと言われている。

ジャーナリスト政治家山谷えり子は娘。

目次

略歴

生まれは実母の実家のあるあわら市芦原温泉。その後東京で育ち、戦時中には学徒動員を経て志願兵として加藤隼戦闘隊に配属されたが無事生還(但し、このエピソードは山谷の年齢等から疑問視する声もある)。

戦後は産経新聞政治部記者、地元・福井県の福井新聞政経部長を経て、Template:Safesubst:に福井放送に入社し放送部長(現代で言うところの編成部長的役職であったといわれる)に就任。Template:Safesubst:6月1日より同局で、当時としては画期的だった朝の生番組『お早う皆さん』を開始し人気を博した。後に同局の常務取締役編成局長に昇進した後もTemplate:Safesubst:まで番組を継続するが、同年11月に行われた第30回衆議院議員総選挙福井県全県区より立候補するため同局を退社、それに伴い番組も終了。総選挙では落選し、無職となった山谷は家族を連れて東京に移り、やはり地元・福井県に本社がある福井ビニール(現・フクビ化学工業)に入社し東京営業所長となった。

Template:Safesubst:にはニッポン放送で『テレフォン人生相談』のパーソナリティとなり、「絶望は愚か者の結論なりと申します」の名言などで人気を博す。翌Template:Safesubst:からは朝のワイド番組『トゥデイ』のパーソナリティに就任。同番組はその後紆余曲折を経て、Template:Safesubst:には『山谷親平のお早ようニッポン』となり、結局山谷は亡くなるまで同番組のパーソナリティを務め、ニッポン放送の朝の顔ともいえる存在となった。

メディア出演

ラジオ

  • お早う皆さん(福井放送)
  • テレフォン人生相談(ニッポン放送)
  • トゥディ(ニッポン放送)
  • 山谷親平のお早ようニッポン(ニッポン放送)

テレビ

  • リビング4(フジテレビ)
  • 直言苦言(テレビ神奈川)
  • 2時の家庭百科(テレビ東京)
  • ミセス&ミセス(日本テレビ)
  • ルックルックこんにちは(日本テレビ)
    • 人生相談コーナーを担当

著書

  • 愛してふと迷ったときに―あなたの愛と性の悩みにこたえます (海潮社)
  • 大人の情景(永立出版)
  • 朝からいいたい放題―お早ようニッポン傑作選 (サンケイ出版)
  • 女性心理に強くなる法―女ごころのウソ・ホント100のポイント (ダイヤモンド社)
  • 山谷親平の人生相談―いっしょに悩み,いっしょに考える本(産経新聞社)

参考資料