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山谷親平のお早ようニッポン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山谷親平のお早ようニッポン(やまたにしんぺいのおはよう - )は、ニッポン放送の平日の朝の時間帯で放送されていた朝の情報番組。メインパーソナリティは、評論家山谷親平

1980年代前半まで、長くニッポン放送の朝の顔となっていた番組だった。

目次

放送時間

  • 毎週月曜~金曜日 7:00~9:00 (1974年8月まで)
  • 毎週月曜~金曜日 7:00~8:00 (1974年9月から)

アシスタント

タイムテーブル(1980年4月)

  • 7:00  ニュース
  • 7:07  おでかけ情報
  • 7:10  今朝の焦点
  • 7:25  朝の発言
  • 7:30  山谷えり子のむすめ八目
  • 7:35  天気・交通情報
  • 7:38  フラッシュジャーナル・ホームスタジオ

タイムテーブル(1981年4月)

概要

パーソナリティ・山谷親平が、ニッポン放送の平日朝に登場したのは1965年頃。当時は『ラジオ朝刊』などの番組に出演していた。翌1966年4月からは、毎週月曜日から土曜日の7:30から、約1時間の朝のワイド番組『トゥデイ』(新聞のラジオ欄には『ツデイ』と表記)のメインパーソナリティを務める。その後、1968年からは、ヘリコプターからの目視による交通情報(当時は日本道路交通情報センターの設立前だったため、この様な方式)など各種情報を扱っていた『空からおはよう』(月 - 金7:30 - 9:00)を経て、土曜編成実施後の1972年4月から、月曜日~金曜日までの7:00 - 8:00の1時間番組となり『山谷親平ショー』に、1973年10月からは『山谷親平のお早ようニッポン』のタイトルとなった。当初は7:00から9:00まで、『朝はおまかせアンコーです!』がスタートした1974年9月からは、7:00から8:00までに。評論家らしい、歯に衣着せないトークが好評を博していた。

1984年11月2日の放送をもって、山谷が病気療養のため、番組を休む事になり、その間横堀洋一、ケント・ギルバート野末陳平らが代役を務めて、復帰を待った。しかし、山谷は同年11月28日に逝去。12月3日から12月7日までの一週間は、この番組の中で追悼特集が組まれた。

その後は

後番組として、このすぐ後の午前8時台に放送されていた『高嶋ひでたけの今日も快調!朝8時』が、枠拡大となる形で『高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団』がスタートしている。

関連書籍

関連項目