山谷親平のお早ようニッポン
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山谷親平のお早ようニッポン(やまたにしんぺいのおはよう - )は、ニッポン放送の平日の朝の時間帯で放送されていた朝の情報番組。メインパーソナリティは、評論家の山谷親平。
1980年代前半まで、長くニッポン放送の朝の顔となっていた番組だった。
目次 |
放送時間
- 毎週月曜~金曜日 7:00~9:00 (1974年8月まで)
- 毎週月曜~金曜日 7:00~8:00 (1974年9月から)
アシスタント
タイムテーブル(1980年4月)
- 7:00 ニュース
- 7:07 おでかけ情報
- 7:10 今朝の焦点
- 7:25 朝の発言
- 7:30 山谷えり子のむすめ八目
- 7:35 天気・交通情報
- 7:38 フラッシュジャーナル・ホームスタジオ
タイムテーブル(1981年4月)
- 7:00 ニュース
- 7:07 おでかけ情報
- 7:10 今朝の焦点
- 7:25 朝の発言
- 7:30 SUZUKIハッピーモーニング・十朱幸代のいってらっしゃい
- 7:35 天気・交通情報
- 7:38 フラッシュジャーナル・ホームスタジオ
概要
パーソナリティ・山谷親平が、ニッポン放送の平日朝に登場したのは1965年頃。当時は『ラジオ朝刊』などの番組に出演していた。翌1966年4月からは、毎週月曜日から土曜日の7:30から、約1時間の朝のワイド番組『トゥデイ』(新聞のラジオ欄には『ツデイ』と表記)のメインパーソナリティを務める。その後、1968年からは、ヘリコプターからの目視による交通情報(当時は日本道路交通情報センターの設立前だったため、この様な方式)など各種情報を扱っていた『空からおはよう』(月 - 金7:30 - 9:00)を経て、土曜編成実施後の1972年4月から、月曜日~金曜日までの7:00 - 8:00の1時間番組となり『山谷親平ショー』に、1973年10月からは『山谷親平のお早ようニッポン』のタイトルとなった。当初は7:00から9:00まで、『朝はおまかせアンコーです!』がスタートした1974年9月からは、7:00から8:00までに。評論家らしい、歯に衣着せないトークが好評を博していた。
1984年11月2日の放送をもって、山谷が病気療養のため、番組を休む事になり、その間横堀洋一、ケント・ギルバート、野末陳平らが代役を務めて、復帰を待った。しかし、山谷は同年11月28日に逝去。12月3日から12月7日までの一週間は、この番組の中で追悼特集が組まれた。
その後は
- 1984年12月中:ケント・ギルバート(月 - 火)、今井久夫(評論家、水 - 金)
- 1985年1月中:今井久夫(月 - 水)、若宮清(ジャーナリスト、木 - 金)
- 1985年2月から:若宮清(月 - 水)、馬場雅夫(元テレビ朝日アナウンサー、木 - 金)というパーソナリティで放送され、1985年4月5日に終了した。
後番組として、このすぐ後の午前8時台に放送されていた『高嶋ひでたけの今日も快調!朝8時』が、枠拡大となる形で『高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団』がスタートしている。
関連書籍
関連項目
- 那須恵理子(アシスタントを務めていた)
- 塚越孝(この番組最後の日=1984年11月2日のニュースを担当していたという事で、娘・山谷えり子とも長い付き合いになった。 出展[1])
- 八代英太のお早ようニッポン (この番組の土曜日版として放送されていた番組)
- SUZUKIハッピーモーニング・十朱幸代のいってらっしゃい(1981年以降の内包番組)
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