岡野雅行 (サッカー選手)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||
| 愛称 | 野人、オカ | |||
| カタカナ | オカノ マサユキ | |||
| ラテン文字 | OKANO Masayuki | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ファイル:Flag of Japan.svg 日本 | |||
| 生年月日 | 1972年7月25日(39歳) | |||
| 出身地 | 神奈川県横浜市 | |||
| 身長 | 175cm | |||
| 体重 | 71kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 在籍チーム | ガイナーレ鳥取 | |||
| ポジション | MF、FW | |||
| 背番号 | 30 | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 | ||||
| ||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||
| ノートでこのテンプレートの色について意見を募集しています。 | ||||
岡野 雅行(おかの まさゆき、1972年7月25日 - )は、神奈川県出身で元日本代表のサッカー選手。Jリーグ ディビジョン2(J2)・ガイナーレ鳥取所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。ニックネームは「野人」。祖父は、書家で文化功労者の手島右卿、叔父は崇教真光総裁の岡田晃弥。
目次 |
来歴
横浜市立駒林小学校、横浜市立日吉台西中学校卒業後、ブラジルへのサッカー留学を熱望していたが、家族に反対され親戚の勧めにより、島根県松江市の松江日本大学高等学校(現:立正大学淞南高等学校)へ進学。部員2人の状態から結成されたサッカー部[1]ではキャプテン兼監督となり、高校からサッカーを始めた部員たちを指導し、最高で島根県3位になるまでのチームに育てた。現在同校は島根県屈指のサッカー名門校になっており、岡野はその礎を築いたと言ってよい。
その後一般入試により日本大学へ進学し、当時2部であったサッカー部に入部。当初はメンバー入りできずにいたが、1年時の天皇杯予選でコーチの長島裕明により抜擢されたことをきっかけに頭角を現す[2]。夜は居酒屋でアルバイトしながら練習し、1993年の天皇杯関東大会の対筑波大学戦では「試合があるのを忘れて朝まで飲んでいた」岡野だったが、大岩剛、望月重良、藤田俊哉を擁した強豪相手に五人抜きのゴールを含む2得点を挙げて各Jリーグチームから注目を浴び、「レッズのスカウト陣が一番熱心だったし、大学を辞めてでも来てくれという熱意に動かされた」ため、日大を中退して浦和レッドダイヤモンズ入りした。同期入団の選手に山田暢久がいる。
1997年、後に「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれるようになるフランスW杯アジア第3代表決定戦(対イラン代表)に延長前半から出場。GKと1対1など決定機を数度逃すも決勝ゴールを決め、日本をワールドカップ初出場に導いた。なお、そのときのユニフォームをKYO(当時ソロ、現D'ERLANGER)のライブに貸し出している。
1998年、フランスW杯の日本代表に選出。グループリーグ第2戦・クロアチア戦の後半16分から途中出場した。
2001年のシーズン途中から2003年までヴィッセル神戸に移籍してチームを離れたものの、浦和レッズの浮沈を身をもって体験してきた数少ないベテランの1人。それ故に、試合出場数は減っても、陰で選手たちを盛り立てる役にもなり、精神的支柱になっていた。
2007年元日の天皇杯決勝では、途中交代で出場し、終了間際にスピードを活かしパスを受け、ゴール前に勝負強くラストパス、永井雄一郎の決勝点をアシストし、スーパーサブとしての本領を発揮。浦和レッズの天皇杯連覇に貢献した。
2008年、10月26日のアルビレックス新潟戦で後半ロスタイムから出場し、史上34人目のJ1通算300試合を達成。しかしクラブが若返りの方針を打ち出したことから、共に長年浦和を支えてきた内舘秀樹と同じく11月26日に戦力外通告を受ける。その際に現役続行の意志が固かったことから、長年在籍した浦和を離れることとなった。
2009年2月、香港リーグ1部のTSWペガサスに移籍。2月7日の香港リーグデビュー戦で初ゴールを挙げた。同年6月にリーグのシーズン終了をもってTSWペガサスを退団[3]。同年7月31日、ガイナーレ鳥取に移籍することが同クラブから発表された[4]。
エピソード
- 野人の名はレッズ加入年のオーストラリアキャンプに向かう時、成田空港で他のメンバーがスーツ姿で待っている中、長髪に短パン・タンクトップ・リュックサックという出で立ちで現れた岡野を見た土田尚史が「何だそれ。お前。野人だな。」と何気なく言った一言に由来する。なお、長い髪は当時のアルゼンチン代表で「俊足とキープ力のあるドリブル」を武器として岡野の目標となったクラウディオ・カニージャに憧れて伸ばしたとされている。「野犬と競走して勝った」「自分から自分にスルーパス」という逸話を持つ快足の持ち主で、キャンプ時のオーストラリアのメディアはその速さからF1とも評した。また「ジョホールバルの歓喜」後、メディアに注目された際、実家の前が異様に急な階段になっているため、それが快足を生んだ秘訣かと笑い話として語られた。
- 大学時代、練習後チームメイトらといた時にグランドに凶暴そうな野良犬が乱入してきたので皆と一斉に逃げたが、何故か野良犬は岡野だけに襲い掛かってきた。必死に逃げた岡野はついに野良犬を振り切る快足を見せ、「野犬よりも速いから“野人”」呼ばれるようになったというものである。競走馬のサクラバクシンオーのような快足が由来で「浦和のバクシンオー」と呼ばれた時代があった。
- 1997年フランスW杯アジア第3代表決定戦(ジョホールバルの歓喜)に途中出場する際、岡田武史監督からの指示は「(ゴールを)入れてこい」だけだった、と語っている。「(最終予選で1回も出場していない自分を)こんなどうしようもない時に出すの!?初めて出る選手に "入れてこい" だけってどういうことなの!?」と感じたとも述懐している[5]。
- 2008年以前は、普通のストレートな長髪(ジョホールバルの試合では、髪を結んでいた)だったが、同年からパイナップルのような奇抜な髪型に変わった。さらに、9月にはトレードマークの長髪をバッサリ切って坊主頭となった。その後、浦和を退団してからは、その坊主頭が伸びて、ソフトモヒカンのような髪形になっている。
- 2009年12月18日に新潮社から自叙伝『野人伝』を発表。今まで封印していた高校時代の話やプロになってからの裏話などドラマチックな過去を岡野らしいひょうきんで前向きな言葉で綴っている。
- 2010年から岡野が所属するガイナーレ鳥取では岡野を中心に「野人続々!プロジェクト」が発足し、その目玉企画として米子市に「YAJINスタジアム」なるサッカー専用球技場を建設する計画を発表している(詳細はガイナーレ鳥取#スタジアムを参照)。
- ガイナーレ鳥取でホームゲーム終了後に行われる交流タイム「ガイナーレ劇場」の音頭取りを、退団したシュナイダー潤之介から引き継いで行っている。
- 現在はボランティア活動にも参加しNPOスポーツオフィス・ワンのスーパーバイザーで児童養護施設などに通っている。
所属クラブ
ユース経歴
- 1988年 - 1990年 松江日本大学高等学校 (現:立正大学淞南高等学校)
- 1991年 - 1993年 日本大学 (3年次中退)
プロ経歴
- 1994年 - 2001年8月 ファイル:Flag of Japan.svg 浦和レッドダイヤモンズ
- 2001年9月 - 2003年 ファイル:Flag of Japan.svg ヴィッセル神戸
- 2004年 - 2008年 ファイル:Flag of Japan.svg 浦和レッドダイヤモンズ
- 2009年2月 - 同年6月 ファイル:Flag of Hong Kong.svg TSWペガサス
- 2009年8月 - ファイル:Flag of Japan.svg ガイナーレ鳥取
個人成績
利用者:Bcjp/t/fbp国内表 top 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |1994||浦和||-||J||35||3||2||0||3||0||40||3 |- |1995||浦和||-||J||44||5||colspan="2"|-||3||0||47||5 |- |1996||浦和||-||J||30||11||13||2||3||2||46||15 |- |1997||浦和||7||J||23||4||0||0||2||1||25||5 |- |1998||浦和||7||J||34||7||0||0||2||1||36||8 |- |1999||浦和||7||J1||11||0||4||0||0||0||15||0 |- |2000||浦和||7||J2||26||6||2||0||4||1||32||7 |- |rowspan="2"|2001||浦和||7||J1||8||0||1||0||colspan="2"|-||9||0 |- |神戸||29||J1||11||3||colspan="2"|-||2||0||13||3 |- |2002||神戸||8||J1||24||1||5||0||1||0||30||1 |- |2003||神戸||8||J1||23||0||6||1||2||0||31||1 |- |2004||浦和||30||J1||15||1||8||2||2||0||25||3 |- |2005||浦和||30||J1||20||1||7||0||4||0||31||1 |- |2006||浦和||30||J1||8||0||6||0||2||0||16||0 |- |2007||浦和||30||J1||11||0||1||0||1||0||13||0 |- |2008||浦和||30||J1||4||0||3||0||0||0||7||0 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2008-09||ペガサス||8||香港1部||9||1||1||0||4||0||14||1 |- 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |2009||鳥取||30||JFL||7||1||colspan="2"|-||1||0||8||1 |- |2010||鳥取||30||JFL||16||0||colspan="2"|-||0||0||16||0 |- |2011||鳥取||30||J2||13||0||colspan="2"|-||1||0||14||0 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始301||36||56||5||27||4||384||45 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行39||6||2||0||5||1||46||7 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行23||1||colspan="2"|-||1||0||24||1 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行9||1||1||0||4||0||14||1 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終372||44||59||5||37||5||468||54 |} その他の公式戦
- 2004年
- Jリーグチャンピオンシップ 1試合0得点
- 2007年
- スーパーカップ 1試合0得点
利用者:Bcjp/t/fbp国際表 top 利用者:Bcjp/t/fbp国際表 th |2007||浦和||30||6||0||1||0 |- !通算!!colspan="2"|AFC |6||0||1||0 |} その他の国際公式戦
- 2007年
- A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
経歴
タイトル
- 1996年 Jリーグベストイレブン、フェアプレー個人賞
代表歴
出場大会
- 1996年 AFCアジアカップ UAE大会 (ベスト8)
- 1998年 FIFAワールドカップ フランス大会 (グループリーグ敗退)
- 1999年 コパ・アメリカ パラグアイ大会 (グループリーグ敗退)
試合数
- 国際Aマッチ 25試合 2得点 (1995-1999)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1995 | 3 | 0 |
| 1996 | 11 | 1 |
| 1997 | 5 | 1 |
| 1998 | 5 | 0 |
| 1999 | 1 | 0 |
| 通算 | 25 | 2 |
ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 1996年8月25日 | 日本、大阪市 | ファイル:Flag of Uruguay.svg ウルグアイ | ○ 5-3 | 親善試合 |
| 2. | 1997年11月16日 | マレーシア、ジョホールバル | ファイル:Flag of Iran.svg イラン | ○ 3-2 | 1998 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
関連情報
著書
- 野人伝(2009年、新潮社)ISBN 9784103213215
CM出演
関連項目
- 神奈川県出身の人物一覧
- 日本大学の人物一覧
- 浦和レッドダイヤモンズの選手一覧
- ヴィッセル神戸の選手一覧
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧
- ガイナーレ鳥取の選手一覧
- サッカー日本代表出場選手
- ジョホールバルの歓喜(1997年 ワールドカップフランス大会アジア地区最終予選・プレーオフ)
- 1998 FIFAワールドカップ日本代表
参考文献
- 浦和レッズ10年史 (2002年、ベースボール・マガジン社発行)
外部リンク
- 岡野雅行オフィシャルサイト - 野人.NET
- 野人続々!プロジェクト - ガイナーレ鳥取
- 野人は死なない!! - オフィシャルブログ
- 野人伝 - 新潮社「野人伝」の紹介
- GAINARE×Peeba Player's focus / No.30 FW 岡野雅行(第1回、第2回、第3回)(2009年インタビュー記事)
参照
- ^ 2010年放送のNHK『スポーツ大陸』での岡野へのインタビューによれば「部員は自分以外は先輩の1人だけ」だったという
- ^ (2009年12月18日) 野人伝. 新潮社, 70頁. ISBN 978-4-10-321321-5.
- ^ 日刊スポーツ 「岡野が香港退団でJFL鳥取入り濃厚」 2009年7月29日掲載
- ^ 岡野雅行選手(TSWペガサス)移籍加入のお知らせ ガイナーレ鳥取オフィシャルホームページ 2009年7月31日付
- ^ NHK『証言ドキュメント』「日本サッカーの50年」
| |||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||




