1. TOP
  2. Kiraku辞典
  3. メインページ

島崎和歌子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

しまざき わかこ
島崎 和歌子
プロフィール
愛称 和歌ちゃん
ワッコさん
和歌子
生年月日 1973年3月2日
現年齢 39歳
出身地 ファイル:Flag of Japan.svg 日本 高知県南国市
血液型 O
毛髪の色 茶色
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 156 cm / 50 kg
BMI 20.5
スリーサイズ 90 - 60 - 90 cm
靴のサイズ 23.5 cm
活動
ジャンル タレント
他の活動 歌手、女優
モデル: テンプレート - カテゴリ

島崎 和歌子(しまざき わかこ、1973年3月2日 - )は、日本タレント女優司会者歌手である。高知県南国市出身。血液型O型。所属芸能事務所は、ゴールデンミュージックプロモーション愛称は、「和歌ちゃん」「ワッコさん」「和歌子」。和歌子は父親が酒井和歌子にちなんで名づけた。本名は「しまき わかこ」と読む。明治大学付属中野高校定時制中退。

目次

略歴

人物・エピソード

  • 好物は豚足で、3時のおやつとして日常的に食べている。本人曰く「コリコリした食感がいい」とのこと。子供の頃、豚足がなく、チョコレートがおやつであったりすると「何だチョコかぁ〜」「豚足じゃないの〜?」と、がっかりしていた。豚足でコラーゲンを多量に摂取していることから、年齢は女子高生並の美肌であるという。
  • デビュー前の写真、特に中学生時代の本人の写真は、スレンダーかつ美少女であった。
  • 恋愛に関しては、中学で級友が「放課後に彼氏とキスした」と言う話を聞いて「子供なのにそんなふしだらな事をするのはいけない。まだ早い。許せない」と、真面目・堅物な考えであった。
  • 小・中学生時期は大人しく、むしろ人見知りをする性格で、担任の先生が心配するくらいであった。
  • 上記の事情もあり、本人も「このままの人生でいいのかな?」と自覚。「記念になるから」とも思い立ち、ロッテのオーディションに応募。中山美穂50/50を歌い、グランプリは逃したものの、事務所の社長にスカウトされ、芸能界への門戸を開いた。
  • オーディション合格後、初めて上京した時に一番驚いたのが高層ビルの高さと数の多さ。「実家にいた時は、街まで自転車で1時間以上かかってようやく着き、建物も5階か6階建てのビルがある位。よじ登れそうな高さだった」と語る。
  • ファーストキスは、デビュー後に出演したドラマ『いつも誰かに恋してるッ』で大沢健と(以上、中京テレビろみひー』にて)。
  • 大の酒豪下戸黒柳徹子に羨ましがられるほど(『徹子の部屋』より)であるが、酒癖は悪く、朝になっても飲み続ける、飲む相手を帰さないなどのエピソードからアッコさん(和田アキ子)になぞらえて「ワッコさん」と呼ばれる(命名は松本人志。『ダウンタウンDX』にて)。
  • 親の猛反対を押し切って上京したにもかかわらず、雑誌などでデビューのきっかけを聞かれると「友達に誘われたら自分だけ受かった」「思い出が欲しかった」「オーディションの景品のラジカセが欲しかった」「百恵ちゃんみたいになりたかった」等々、毎回違うことを答えている。
  • 週刊女性2003年11月25日号」で、島崎とクラブDJのトシユキゴトウ (Toshiyuki Goto) がクラブディープキスをしていたことを報じている。記事によると2人は明け方まで抱擁やキスを繰り返していた。この事について本人は11月13日に「三井住友VISA太平洋マスターズ プロ・アマトーナメント」で事実をあっさり認め「ただの挨拶ですよ、アハハ」と集まった報道陣を煙に巻いた。
  • 20歳に到達した1993年以降になると、ゲスト出演時の各番組内等で「オマエ、この世界ここまでのし上がるのに、一体何人の男にヤラセたと思ってんだよっ!」「あとでヤラセてやるからこのバッグ(番組内で紹介されたバッグを手に取って)私に頂戴〜!」等々の発言を連発している。
  • 自称“幽霊が見える人”。某特番にて憑依現象などに否定的な精神科医小田教授を数名の霊能者と一緒に風貌を貶したり何の根拠もなく霊に憑かれているなどの罵声を浴びせていた。
  • デビューから数年間はずっとショートヘアであったが、1994年春頃にいったんロングヘアーにした後(1994年春の「オールスター感謝祭」にて確認。この時は髪を結んで束ねている)、再びショートヘアーに戻り(1994年秋の「オールスター感謝祭」にて確認。この時は帽子をかぶっていたがショートに戻しているのが確認できる)、1998年春頃に約4年ぶりにロングに戻して(1998年春の「オールスター感謝祭」にて確認)以降は10年以上ずっとロングヘアーにしていたが、2010年夏頃からは約12年ぶりに髪をきり(2010年秋の「オールスター感謝祭」にて確認)、セミロングヘアーにしている。
  • 中学時代の写真だけではなく、オーディション合格といった実績がある事などから、ファウンデーションは整っているのだが普段の会話口調が『踊る踊る踊る!さんま御殿SP』で明石家さんまが指摘していたように『お笑い』傾向に走ってしまうのが、今昔の和歌子の差異を語る上での1つのエピソードであろう。因みに、和歌子がデビューして間もない頃に共演した斉藤暁志垣太郎も、『さんま御殿SP』で久々に会った和歌子の言動等について「暫く会わなかった間に、何かあったのかな?」と、心配していた様子であった。
  • 20代後半まで処女説がながれていた。その真偽はともかく、本人も番組でネタとして話していた。
  • 布袋寅泰のファンだということを番組で何度も言い、それが布袋の耳に入って会ってくれることを望んでいた。しかし、「いくら言っても何のリアクションもなくて切なくなってきた」ということを『踊る踊る踊る!さんま御殿SP』で語った頃からファンだということを言わなくなった。
  • 島崎が出演した映画『ふたり』の主題歌「草の想い」は、主演であった石田ひかり中島朋子、そして大林宣彦が歌ったもの以外に、劇中で島崎和歌子が歌っている。これは、現在までどのアルバムにも入っていない。
  • 「ピンポン」で共演していたマツコ・デラックスも「たくさんの芸能人を見てるけど、島崎さんはその中でもトップクラス」と美貌を絶賛している。でも「意味の無い美人」とも言われた。(「はなまるマーケット」より)
  • 2009年の「Happy Life」のレコーディングにあたりボイストレーニングに通った事で、それまでの楽曲で吹き込んできた歌声(地声に近い)とは異なる。C/W世界で一番熱い夏」は、プリンセス・プリンセスカバー曲で、音程(キー)の関係からディスコグラフィー上、稀に見るハイトーンボイスとなっている。

オールスター感謝祭

事の始めは、若手アイドルだった売り出し時代。1990年 - 1991年に放送されていたTBSテレビでの深夜バラエティ番組「青春!島田学校」にレギュラー出演したことであり、これが和歌子にとってTBS初レギュラー、島田紳助との初対面、初共演であった。この番組は後に”感謝祭”の初代プロデューサーとなる加藤嘉一プロデューサーが担当していたこともあり、18歳で番組での進行力が評価され、加藤プロデューサー・共演者の紳助の意向により1991年秋、「オールスター感謝祭」の第1回が立ち上がり、共演したその島田紳助と共に司会に大抜擢された。

第1回放送後、好評のため翌年1992年以降も「感謝祭」は継続され、毎年春・秋の番組改編期に放送されることが定着。開始当初から紳助とともにずっと司会を務め、和歌子は問題の読み上げを担当している。番組開始当時はアイドルであり、こうした長時間番組の司会を担当するのは初めてであった。司会に抜擢されたとはいえ、当初はアシスタントの意味合いが強く、またアナウンス能力も一部聞き取りづらい部分もあるなどもあったが、回を追うごとにアナウンス能力も向上し、また掛け声を飛ばすときがある紳助に注意するなど、現在では事実上番組の進行役も兼ねており、字幕上でも紳助と供に「総合司会」との肩書きが付けられている[3]。現在では開始当時18歳だった和歌子も30代中堅芸能人になり、回答者の芸能人200人の中には和歌子よりも一回り若い芸能人も多くなった。

  • 1999年3月27日放送のTBS系列の『オールスター感謝祭'99 超豪華!クイズ決定版 この春お待たせ特大号』の放送時間内にRisky(リスキー)名義でシングルCDMy life is......」を発売する。
  • 2006年9月30日放送のTBS系列の『オールスター感謝祭'06 超豪華!クイズ決定版』でのローション相撲のコーナーで、自らの笑いのツボにはまったのか、声が嗄れてしまうほどのおばさん風笑いをしてしまった。
  • 2007年春放送のTBS系列の『オールスター感謝祭'07 超豪華!クイズ決定版』のローション相撲で優勝者が決定しコーナーの終了間際に、司会の島田紳助にローションだらけの土俵に体を倒され、衣装もろとも体がローションだらけになり、替えの衣装が無かったため、その後スタッフから普段着を借りて出演していた。尚この時、現場の空気に堪えかねた回りの出演者が、張本人である紳助を土俵に押し込んでいる。
  • 2009年4月4日放送のTBS系列の『オールスター感謝祭'09 超豪華!クイズ決定版』では、デビュー20周年を記念して発売された『島崎和歌子 20th anniversary BOX』を企画「ミニブタレース」の参加者に参加賞として配った。この際、紳助から「(自身が『感謝祭'99春』にRisky計画を発案していながら)このCDには知っている曲が1曲も収録されていない」と言われ(和歌子は否定したが)、さらに、「実際このCDあんまり売れてないんです」と言われた(この件については「そうなんです」と認めている)。

Risky

1999年春の『オールスター感謝祭』において、番組16回目記念と称して紳助の発案、主導の元(紳助本人が番組内で発言)本人には何の意思確認や承諾もなしに、『24時間テレビ』の「サライ」にならって、番組主題歌のCDを番組放送中に50000枚完成させるという企画が強行された。番組進行中に前触れもなく突然紳助から「お前です!」と騙され[4]、わけも解らぬままエイベックスへと向かい、ジャケット撮影やレコーディングなどを行って番組終了前に有無を言わさずCDを完成させられた。制作にかかった時間、4時間28分はギネスブックにも載った。また、番組放送日の翌日からRiskyに関するイベントで、約1か月の島崎のスケジュールが埋められていた。そのイベントで、CDを購入すると和歌子本人の携帯電話の番号が書かれたコースターが、CD購入者全員にプレゼントされるという、前代未聞の企画が行なわれた。翌日から本人の携帯には仕事、プライベートと問わずひっきりなしに電話がかかり、仕事にならなかった(本人談)。この携帯番号がいつまで有効であったかは本人、及びCD購入者にも全く知らされていなかった。本放送終了後の約2ヵ月後の1999年6月に3時間半の「感謝祭」の再編集版が再放送され、再放送の際に、最後の30分間は和歌子のRisky企画を追跡する企画が放送された。このため、最初の3時間は春の「感謝祭」の再放送、最後の30分間がそれとなった。

翌2000年の『感謝祭』の冒頭で、レコードは5万枚少々売れたものの、多くは事務所が買い取ったと思われる発言を、紳助と本人が語っている。

歌手名の由来は、作詞担当の秋元康の発言によれば「この企画自体あまりにもリスキーだから」であり、キーパッドによるアンケートで即時芸名を決めた。因みにもう1つの候補は「Thanksgiving Day」(感謝祭)であった。

出演

現在のレギュラー番組

過去のレギュラー番組

テレビドラマ

ビデオ

トーク・バラエティ番組

他多数

CM

映画

ディスコグラフィー

シングル

1989年

1990年

  • 南南西
    高田みづえ・秋川淳子のカバー。
    C/W「赤道直下型の誘惑」
  • J・Jがいた夏(作詞:阿久悠 作曲:井上大輔)
    C/W「知らない誰かに愛されている」

1991年

1993年

1999年

2005年

2009年

アルバム

  • マシュマロ・キッス(1989年11月21日)
  • ブルージィ・バケーション(1994年9月24日)

その他

  • アフリカのクリスマス(アルバム「ホワイト・アルバム'90」収録 プロデュース:平沢進)
  • 島崎和歌子 20th anniversary BOX
    (2008年発売。仮初小学校までの全楽曲を収録した2枚組CD+DVD映像を納めたコレクターズボックス)

写真集

外部リンク

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』の打ち切りは、全くの不測の事態であった。
  2. ^ 尚『オールスター感謝祭』の参加賞として登場したときの出演者からの写真集の評判は悪く、島田紳助も「処分する場合は、スタジオの半径2キロ以内に捨てないようにお願いします。」とネタにした。
  3. ^ 字幕上に「総合司会」との肩書きが付けられたのは2008年春からであり、2007年秋までは普通に名前が出るだけとなっていた。
  4. ^ 和歌子本人が持っていた台本には「織田無道が歌う」と書いてあって、和歌子以外のスタッフなどは打ち合わせや本番前リハーサルは”和歌子の前では”それに合わせていた。