庄司大介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ファイル:Flag of Japan.svg 日本 |
| 出身地 | 静岡県焼津市 |
| 生年月日 | 1974年6月18日(37歳) |
| 身長 体重 |
180cm 83kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 2000年 ドラフト9位 |
| 初出場 | 2001年9月29日 |
| 最終出場 | 2002年7月6日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
選手歴 | |
| |
|
コーチ歴 | |
| |
この表について
| |
庄司 大介(しょうじ だいすけ、1974年6月18日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。
目次 |
来歴・人物
静清工業高校では投手を務め、エースとして1992年の夏の静岡県予選でチームを準優勝に導いた[1]。東都大学野球連盟の国士舘大学に進学後、2年次からは外野手に転向[1]。
卒業後、河合楽器では主に4番として都市対抗野球大会に2度出場した。1999年には6月13日の都市対抗静岡代表決定戦で顎に死球を受け、意識を失い複雑骨折する重傷を負ったが医者を説得して早期復帰し、本大会にも出場している[2]。年齢的に最後のチャンスだと考えて4年目の2000年8月に退社し[1]、国士舘大臨時コーチを務めながら同年11月にオリックス・ブルーウェーブの入団テストを受験し、合格[3]。同年のドラフト会議で9位指名を受け、契約金はなく年俸480万円、道具購入などの支度金100万円という条件で契約を結んだ[1]。
2001年は一軍キャンプに帯同し[4]、シーズン終盤に一軍初出場を果たす。プロ2年目の2002年は7月4日に一軍に昇格すると2日後にスタメンで起用されたが、第1打席でバントを失敗して走者が牽制球でアウトになった事に動揺してノーヒットに終わり、7月8日に再び二軍に戻っている[5]。2年間でのプロ野球生活で一軍出場は2試合に留まり、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。打撃に手ごたえを感じ始めており、同年で退団した弓岡敬二郎コーチからもプロで通用すると言われて[5]12球団合同トライアウトを受けたが、獲得に至る球団は現れなかった。
その後2006年にABC東京野球クラブに加入し[6]、2009年はコーチ兼任となった[7]。同年限りでクラブが廃部となっている。
特技は河合楽器時代に覚えたピアノの調律。不動産会社で働いた後、現在は生命保険の営業をしている。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001 | オリックス | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1.000 | ---- | ---- |
| 2002 | 1 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .250 | .000 | .250 | |
| 通算:2年 | 2 | 5 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .400 | .000 | .400 | |
記録
- 初出場:2001年9月29日、対西武戦(グリーンスタジアム神戸)、三輪隆の代打として
- 初先発出場:2002年7月6日、対日本ハム戦(グリーンスタジアム神戸)、9番・右翼手として出場、3打数無安打
背番号
- 64 (2001年 - 2002年)
脚注
関連項目
| |||||




