後原富
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ファイル:Flag of Japan.svg 日本 |
| 出身地 | 広島県安芸郡海田町 |
| 生年月日 | 1945年11月9日(66歳) |
| 身長 体重 |
170cm 63kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 1967年 ドラフト7位 |
| 初出場 | 1968年 |
| 最終出場 | 1970年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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後原 富(せどはら ひさし、1945年11月7日 - )は、日本広島県出身の元プロ野球選手、高校野球指導者。
目次 |
来歴・人物
駒澤大学時代は俊足強肩の外野手として活躍した。東都大学リーグ通算66試合出場、182打数43安打、打率.236、2本塁打、9打点。1967年にドラフト7位で東映フライヤーズに入団。3年在籍し引退。
その後、広島県瀬戸内高等学校野球部の監督に就任。プロアマ断絶(柳川事件)後、初めて元プロ野球選手の高校野球監督就任で、1991年、瀬戸内高校が甲子園に出場した第63回選抜大会では大きな話題を呼んだ。当時は元プロ野球選手が高校野球の監督になるためには、教員免許を取得した上で教諭として10年在籍が要件とされ非常に厳しかった。その後は緩和され、教諭として2年在籍まで短縮されている。元プロに指導者の道が開かれたのは1984年。これまで(2010年6月現在)計25人が認定されているが、監督として甲子園出場を果たしたのは後原と佐野心(常葉菊川)しかいない[1]。
現在、中国瀋陽体育大学客員教授。中国でイチローを探すのが夢だという。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1968 | 東映 | 41 | 21 | 20 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | .200 | .238 | .200 | .438 |
| 1969 | 21 | 57 | 54 | 10 | 20 | 4 | 0 | 2 | 30 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 6 | 0 | .370 | .404 | .556 | .959 | |
| 1970 | 59 | 85 | 73 | 7 | 11 | 0 | 0 | 0 | 11 | 3 | 3 | 1 | 1 | 0 | 9 | 0 | 2 | 20 | 0 | .151 | .262 | .151 | .413 | |
| 通算:3年 | 121 | 163 | 147 | 21 | 35 | 4 | 0 | 2 | 45 | 9 | 3 | 3 | 1 | 0 | 13 | 0 | 2 | 31 | 0 | .238 | .309 | .306 | .615 | |
背番号
- 27(1968年 - 1970年)
甲子園での成績
- 出場2回・3勝2敗
脚注
関連項目
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