敦賀市
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| つるがし 敦賀市 | |
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敦賀市旗敦賀市章 1952年3月28日制定 | |
| 国 | ファイル:Flag of Japan.svg 日本 |
| 地方 | 中部地方、北陸地方 |
| 都道府県 | 福井県 |
| 団体コード | 18202-8 |
| 面積 |
251.20km² |
| 総人口 |
67,988人 (推計人口、2011年11月1日) |
| 人口密度 | 271人/km² |
| 隣接自治体 |
福井県:南越前町、美浜町 滋賀県:高島市、長浜市 |
| 市の木 | マツ |
| 市の花 | ハギ |
| 市の鳥 | ユリカモメ |
| 敦賀市役所 | |
| 所在地 |
〒914-8501 福井県敦賀市中央町二丁目1番1号 ファイル:Tsuruga city-office.jpg |
| 外部リンク | 敦賀市ホームページ |
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■ ― 市 / ■ ― 町
| |
| 特記事項 | 府省や企業・団体によっては、近畿地方に入る場合がある。 |
| ウィキプロジェクト | |
敦賀市(つるがし)は、福井県南西部(嶺南)の、敦賀湾に面する都市である。古代より港湾を中心に栄え、北陸道と畿内を結ぶ位置から近代以降は鉄道や道路の要地ともなっている。原子力発電所でも知られる。昆布が特産物でもある。
目次 |
概要
気候は季節風の強まる冬でも、日本海沿岸地域では比較的穏やかとされる。古代より畿内と北陸道を結ぶ北陸街道が通り、また畿内や瀬戸内海に繋がる水運を利用できる琵琶湖からは愛発関を越えてすぐ北側に位置するため交通の要衝とされ、街道沿いには氣比神宮が鎮座して門前町が形成されて、敦賀港とともに発展した。
近代には、欧亜国際連絡列車の日本側入口として、外国製の地球儀には、3~4都市しか記載されない日本の都市の1つとして、敦賀を含めた物が多く見られた(戦後も1970年代辺りまでこうした地球儀が国内でも販売されていた)。現在も鉄道や高速道路(予定)の接合地であり、3本の直轄国道(8号、27号、161号)が走り、重要港湾敦賀港には北海道向けのフェリー定期航路や韓国向けのコンテナ船航路が開設されているなど、日本海側の交通の要衝である。
明治期に短期間(現在の福井県の領域を統轄したのは3年半)県庁所在地だったこともあり、第二次世界大戦前に市制を敷いた点や、市街地の規模から、福井県嶺南の代表都市とされる。2007年(平成19年)に、市制施行70周年を迎えた。1960年代以降、原子力発電所や関連施設を誘致し、歴代の敦賀市長は全国原子力発電所所在市町村協議会(1968年発足)の会長をつとめるのが慣例となっている。
地理
現在の市域は、令制国での越前国敦賀郡と区域が一致しているが、観光などでは、若狭、若狭・敦賀などの地域区分を使用されることも多い。これは敦賀郡が木の芽峠で他の越前地域と交通遮断されていること、江戸時代に若狭藩(小浜藩)領であったことから敦賀以北の越前よりも風俗が若狭あるいは近江に近いことが理由とされている。[1] 福井県内の地域区分で言う嶺南と一致する。[2]
位置
敦賀市は、木ノ芽峠のすぐ南側で、若狭湾の最も奥に位置する。更に、日本海側と太平洋側が最も接近する地域(分水嶺)が、敦賀(若狭湾の最も奥)と名古屋(伊勢湾の最も奥)を結ぶ線である。琵琶湖の北端から市街地まで20kmも離れていないため、過去には何度も琵琶湖と日本海を結ぶ水路建設の話が持ち上がった。
地形
典型的な扇状地地形であり周囲三方を山に囲まれている。またリアス式海岸である若狭湾の東端に位置する。湾は海に入ると急激に水深が下がることから、昔から良質な天然漁港で有名だった。上記の理由により平地が少なく、市の大部分は山林で占められている。
歴史
平安時代まで
- 氣比神宮創建
- 「古事記」「日本書紀」に「角鹿」[3]が記される。
- 大宝律令(701年完成)において「敦賀」に改称される。
- 804年 渤海使が訪れ、交易が行われた。松原客館が置かれる(10世紀初期まで)。
- 10世紀から13世紀 日宋貿易の拠点となった。
鎌倉時代から戦国時代
- 1336年 新田義貞が恒良親王と尊良親王を奉じて金ヶ崎城に入城、しかし、足利方の越前国守護である斯波高経らの軍勢に包囲され落城した。
- 朝倉氏が越前国を掌握した後は、朝倉氏一族の敦賀郡司が置かれる。
- 朝倉氏の勢力が若狭にもおよぶ。
- 1575年 越前国平定のため柴田勝家を総大将とした織田信長軍が敦賀に入る(総勢10万5,000ともいわれる)。
- 1589年 大谷吉継が越前国敦賀城主となり、5万7,000石(敦賀郡、今立郡、丹生郡)を領有した。
江戸時代
- 1600年 結城秀康が越前一国を領し、京極高次が若狭一国を領する。
- 1623年 結城家が越後へ国替えとなる。
- 1624年 京極忠高が若狭に加え越前敦賀郡を与えられ、小浜藩の知行地が確定する。
- 1634年 京極家が国替えとなり、酒井忠勝が小浜藩主(若狭および越前敦賀郡)となった。
- 江戸時代には北前船の寄港地として栄えた。
- 1642年 大凶作が敦賀を襲う。同年敦賀大火
- 1682年 若狭国小浜藩第2代藩主酒井忠直の次男酒井忠稠が、父の死去により同藩領のうちから越前国敦賀郡および近江国高島郡の内で1万石を分与されて敦賀藩を樹立。しかし敦賀藩とはいっても、敦賀郡の大部分は小浜藩が領していた。
- 1864年 京都を目指していた水戸藩尊攘過激派が、敦賀郡新保で藩主直系徳川慶喜率いる討伐隊が来ると聞いて投降した。翌1865年、敦賀にて武田耕雲斎ら352人が粛清された(天狗党の乱)。
明治維新から第二次世界大戦まで
- 1869年8月1日(旧暦6月24日) 版籍奉還後、敦賀藩主酒井忠経が知藩事(敦賀藩知事)に任命される。
- 1870年4月21日(旧暦3月23日) 敦賀藩が鞠山藩と改称される。
- 1870年10月12日(旧暦9月17日) 鞠山藩が廃止されて、小浜藩に編入される。
- 1871年8月29日(旧暦7月14日) 廃藩置県により小浜藩が廃止され、敦賀は小浜県の所属となる。
- 1871年12月31日(旧暦11月20日) 府県の再編により敦賀県が設置され、県庁所在地となる。
- 1876年8月21日 敦賀県が分割され、滋賀県に編入される。
- 1881年2月7日 滋賀県から分離され、福井県に編入される。
- 1881年2月13日 滋賀県への復県運動が起こる。[4]
- 1882年3月10日 敦賀駅開業。
- 1889年4月1日 津内、泉、三島の三村が合併し、敦賀郡敦賀町として町制を施行する。
- 1889年7月 東海道本線の支線として米原~金ヶ崎(現敦賀港駅:つるがみなと)間開通。
- 1892年 大和田荘七が大和田銀行を設立(建物は現在みなとつるが山車会館別館にあたる)
- 1896年7月 北陸本線敦賀~森田間開業。
- 1896年 敦賀港が対外貿易港に指定。
- 1899年 敦賀港が国際港として開港する。
- 1905年 石油貯蔵庫として「赤レンガ倉庫」が建てられる。
- 1907年 初めて電灯が灯る。
- 1909年 市内電話を開設。
- 1910年 敦賀駅が現在地に移転。
- 1912年 ウラジオストク航路(ロシア)に接続する欧亜国際連絡列車が新橋(1914年からは東京駅)~金ヶ崎(後に敦賀港に改称)で運行される。
- 1917年 小浜線敦賀~十村間開業。
- 1918年 ロシアの作曲家プロコフィエフがアメリカ合衆国への亡命途上、敦賀にて日本上陸。
- 1920年~1921年 日本赤十字社が祖国を失いシベリアに取り残されたポーランド孤児を救出。敦賀にて日本上陸。
- 1927年 大和田銀行新本店竣工(昭和初期の代表的建物で現在の敦賀市立博物館)。
- 1933年大和田荘七が町庁舎を寄贈。
- 1937年4月1日市制施行。敦賀郡敦賀町と松原村が合併し、敦賀市が発足。
- 1940年迫害を逃れてきたユダヤ人が敦賀に上陸。(命のビザ)
- 1945年敦賀空襲により被災。
第二次世界大戦後
- 1947年 市内バス営業開始。
- 1955年1月15日 敦賀郡愛発村・粟野村・東郷村・中郷村・東浦村の近隣5村を編入合併。これにより市制施行以前の敦賀郡全域が敦賀市域となる。
- 1957年 北陸本線敦賀~米原間、現在の経路で交流電化開業。
- 1962年 北陸トンネル完成。
- 1963年1月 三八(サンパチ)豪雪、154cmの積雪を記録。
- 1970年3月 日本原子力発電の敦賀発電所1号機(沸騰水型原子炉)運転開始。大阪府吹田市で開催中の日本万国博覧会に関西電力原子力事業本部美浜発電所1号機(加圧水型原子炉)と共に送電。
- 1970年8月 新日本海フェリー、舞鶴~敦賀~小樽航路就航。
- 1972年 北陸トンネル列車火災事故発生。
- 1974年 現在の敦賀市本庁舎完成。
- 1974年8月 新日本海フェリー、敦賀~新潟~小樽航路就航。
- 1977年 北陸自動車道武生~敦賀間開通。
- 1980年 北陸自動車道敦賀~米原間開通、名神高速道路に接続。
- 1981年1月 五六豪雪、198cmの積雪を記録。
- 1981年 大韓民国東海市と姉妹都市盟約締結。
- 1981年 国道27号金山バイパス、岡山~野神間開通。
- 1985年 白木トンネル開通。
- 1985年 氣比神宮で昭和の大造営。
- 1986年 「えびす大黒綱引き」(敦賀市西町:現-相生町)が「敦賀西町の綱引き」の名称で国の重要無形民俗文化財に指定。
- 1986年 学校法人敦賀学園敦賀女子短期大学開学。(現学校法人敦賀学園敦賀短期大学)
- 1986年 学校法人嶺南学園敦賀気比高等学校開校。
- 1986年 敦賀セメント・北陸電力共同岸壁が完成。
- 1986年 福井厚生年金健康福祉センター「サンピア敦賀」(現ウェルサンピア敦賀)(呉羽町)が開所。
- 1987年2月 日本原子力発電敦賀発電所2号機(加圧水型軽水炉)運転開始。
- 1988年 国道8号敦賀バイパス余座~坂ノ下間開通。
- 1988年 中郷古墳群が国の史跡に指定。
- 1988年 敦賀港鞠山北A岸壁供用開始。
- 1989年 嶺南ケーブルネットワークがケーブルテレビ放送開始。
- 1990年 大韓民国釜山~敦賀間定期コンテナ船就航。
- 1990年 敦賀港鞠山北C岸壁供用開始。
- 1990年 敦賀市プラザ萬象(ばんしょう)(東洋町)が開館。
- 1991年 敦賀港鞠山北B岸壁供用開始。
- 1991年 敦賀市立図書館(東洋町)が移転開館。
- 1991年 北陸電力敦賀火力発電所営業運転開始。
- 1992年 敦賀市清掃センター(櫛川)が完成。
- 1993年 国道27号金山バイパス野神~木崎開通。
- 1994年 「日本海さかな街」(若葉町一丁目)が開業。
- 1994年 旧動力炉・核燃料開発事業団の高速増殖炉「もんじゅ」初臨界(1995年初送電)。
- 1996年3月 国道8号敦賀バイパス田結~余座開通。これと同時に敦賀新港(鞠山埠頭)に接続。
- 1996年 東海市との姉妹都市提携15周年を記念して、敦賀港と大韓民国を往復する「敦賀市民の船」を運航。
- 1997年5月 敦賀市みなとつるが山車(やま)会館開館。
- 1999年7月敦賀港開港100周年記念事業「つるが・きらめきみなと博21」開催。
- 1999年7月 新日本海フェリー、敦賀~新潟~秋田~苫小牧航路就航。
- 2001年 姉妹都市提携20周年を記念して敦賀港と大韓民国を往復する「敦賀市民の船」を運航。
- 2001年 中華人民共和国台州市と姉妹都市盟約締結。
- 2003年 JR西日本小浜線直流電化開業。
- 2003年国道476号木ノ芽峠トンネルが完成。
- 2004年3月 金ヶ崎緑地が臨港トンネル(金ヶ崎トンネル)とともに供用開始。
- 2004年3月 国道27号金山バイパス全通。
- 2005年 「男女共同参画宣言都市」となる。
- 2006年9月24日 JR西日本北陸本線長浜~敦賀間、及び湖西線永原~近江塩津間を交流電化から直流電化へ切替。
- 2006年10月21日 敦賀駅までの直流電化に伴い、新快速電車を中心に直流専用電車が乗り入れ開始(直流電化開業)。
- 2008年11月15日 国道8号敦賀バイパス坂ノ下~小河口開通。これにより敦賀バイパス全通。
人口
| ファイル:Demography18202.svg | ||||||||||||||||||||||||||||
| 敦賀市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 敦賀市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 敦賀市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||
敦賀市(に該当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 / 国勢調査 | ||||||||||||||||||||||||||||
行政
市の機関
高浜町や旧大飯町と共に、地方交付税(普通交付税)の不交付団体であるが、税収の落ち込みなどのため平成22年度より22年ぶりに地方交付税の交付を受ける見通しとなった。[5]
- 敦賀市本庁 - 敦賀市中央町二丁目1番1号
- 敦賀市長:河瀬一治 (1995年から)
- 敦賀市議会議員:26人(2007年統一地方選挙より)
福井県・国の機関
- 嶺南振興局
- 二州県民サービス室
- 二州健康福祉センター
- 敦賀土木事務所
- 敦賀港湾事務所
- 国の機関
産業
- 産業人口(2005年国勢調査)
- 第一次産業: 869人
- 第二次産業: 9,816人
- 第三次産業: 23,379人
工業
- 東洋紡績 - 敦賀市最大の民間事業所で、所在地は東洋町及び呉羽町(のち同社に合併した呉羽紡績が由来)と地名化されている。
- JX金属敦賀リサイクル(JXグループ )
- 栗田工業 - JX金属敦賀リサイクルの敷地内にあるが資本関係等は存在しない
- 敦賀セメント(太平洋セメントグループ)
- 永大産業 - 所在地は永大町と地名化されている。
運送業
漁業
- 浦底漁港
- 立石漁港
- 白木漁港
加工業
製菓業
- 求肥こんぶ
- 水仙まんじゅう(くずまんじゅう)
- 豆落雁
電力業
- 日本原子力発電
- 日本原子力研究開発機構
- 北陸電力
- 敦賀火力発電所
- 水力発電所
建設業
- 塩浜工業(本社は福井県敦賀市観音町。総合建設業。福井県でトップクラス。)
地域
健康
- 平均年齢 43.5歳(2005年国勢調査)
市街地
市街地は主に、市街地(アーケード商店街を中心とした笙の川以東)と、新市街地(通称新木崎通り若葉交差点から昭和町交差点までの通りを中心とした笙の川以西)の二つに分けられる。敦賀空襲の後、区画整理されたため市街地でも戦前の面影がある町並みは一部にとどまる。
港町として栄えてきた市街地には各所に史跡・旧跡が立地し、農地は殆ど無く殆どが住宅地か商業地である。敦賀駅前から敦賀港付近にかけてのアーケード街は全長2km以上という大規模なものだが、全体として活気に乏しく、半ばシャッター通りと化しているが更にその加速化を危惧する声もある。一方、2006年秋に敦賀駅までの直流電化(新快速電車乗り入れ)により、敦賀駅が京阪神から身近となったことから、同様に直流電化による新快速電車乗り入れでやや活気づいた長浜市の例を鑑みて、状況が好転する希望的観測をする向きもある。
国道8号に指定されているアーケード街の一部は、かつて北陸の幹線としてトラックや観光バスが行き交ったことから夜間にラーメン屋台が出るようになり、現在でも、市内外から屋台の「敦賀ラーメン」を目当てに客が訪れる。毎年9月2、3、4日の敦賀まつり期間中は、アーケード街一帯から氣比神宮にかけて数多くの露天商が出店し大変混雑する。
敦賀都市計画マスタープランによると、北陸新幹線敦賀駅駅舎整備事業と平行して東口を新設、現在の敦賀駅前通りを東へ延長し国道8号敦賀バイパスに接続、その周囲に「中高年齢層の利用も考慮した」商業施設や住宅施設を整備する計画となっている。国道8号敦賀バイパスの全通により、中心部の混雑緩和には貢献しているものの、観光客や運送業等が敦賀を素通りする空洞化の加速が危惧されている。そこで、バイパス全通による交通量の減少を見越して、車道・歩道周辺の整備が計画されている。
新市街地は以前は水田・畑しかなかったが、二本の通りを中心として商業地や住宅地(分譲マンション・賃貸アパート・戸建住宅)が広がっており、市の人口が横ばいのなか増加傾向にある。特に片道2車線の福井県道142号松島若葉線(通称新木崎通り)周囲には広い敷地を生かしたロードサイドショップが多く立地するようになった。高等学校や短期大学、専修学校が近くに立地しているため若者が集まりやすいといえる。敦賀市本庁舎や敦賀警察署といった役所関係も、もとは市街地に立地していたのがこの付近に移転した経緯がある。新木崎通りの南端に日本海さかな街ができてからは、休日になると観光客が訪れるようになった。ただ、新市街地は敦賀駅から離れるうえ、二次交通が未熟なのが現状である。
姉妹都市・提携都市
- 日本国内
- ファイル:Flag of Japan.svg水戸市(茨城県):1964年10月10日姉妹都市提携
- ファイル:Flag of Japan.svg各務原市(岐阜県):1989年10月2日友好都市提携
- その他の国
- ファイル:Flag of South Korea.svg大韓民国東海市姉妹都市提携
- ファイル:Flag of the People's Republic of China.svg中華人民共和国台州市姉妹都市提携
- ファイル:Flag of Russia.svgロシア連邦ナホトカ市姉妹都市提携
公共機関
警察
消防
- 敦賀美方消防組合
- 敦賀消防署
- 気比分署
医療機関
学校
幼稚園
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小学校
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中学校
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高等学校
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短期大学
- 学校法人敦賀学園
- 敦賀短期大学(木崎)
専修学校
- 敦賀市立看護専門学校(木崎)
交通
陸上交通では、福井・舞鶴・京都・米原の四方との、海上交通では北海道への結節点となっている。
鉄道
現在
- 中央駅:敦賀駅
過去
- 中央駅:敦賀駅
主な道路
有料道路
国道
福井県道
路線バス
港湾
- 航路
マスメディア
新聞
放送
- NHK福井放送局嶺南報道室[6]
- FBC敦賀支社
- 福井テレビ敦賀支社
- HARBOR STATION(コミュニティ放送)
- 嶺南ケーブルネットワーク(ケーブルテレビ)
名所・旧跡・観光スポット・祭事
景勝地
社寺・日本庭園
敦賀港、周辺の博物館
旧跡
- 木の芽古道、深坂古道
- 中郷古墳群
- 疋田城跡
- 玄蕃尾城跡
- 金ヶ崎城跡、手筒山城跡
- 敦賀城跡
- 愛発関跡 - 古代三関の一つ。
- 旧陸軍第十九歩兵連隊場跡(歩哨など)
- 幸臨寺跡 三重塔を含む9棟の伽藍は敦賀空襲で焼失した。
その他
原子力発電広報施設
- 日本原子力研究開発機構 - アクアトム(神楽町二丁目)、アトムプラザ(木崎)、エムシースクエア(白木一丁目)
- 日本原子力発電 - 敦賀原子力館(明神町)、げんでんふれあいギャラリー(本町二丁目)
- 福井県 - 福井原子力センターあっとほうむ(吉河)
祭事
- 1月に漁師が夷子方、百姓が大黒方に分かれ、その年の大漁と五穀豊穣を願って競われる綱引きの伝統は、400年にわたり受け継がれている。
- 氣比神宮例大祭と敦賀まつり(9月上旬)
- 花換まつり[1] - 金崎宮、4月上旬
- とうろう流しと大花火大会:気比の松原において行われる。(8月16日)
- 晴明の朝市(相生町):晴明神社の門前(博物館通り)で行われる。
- 敦賀西町の綱引き(相生町):国の重要無形民俗文化財
- きらめきサマーフェスティバル(敦賀港)(7月海の日前後の週末)
- 敦賀港カッターレース(敦賀港)(7月海の日もしくは次の日曜)敦賀海洋少年団が1996年から実施。
関連人物
出身有名人
- 大和田荘七(明治期~昭和初期の実業家)
- 大和田伸也、大和田獏(俳優の兄弟、大和田荘七の子孫)
- 桑原隲蔵(東洋史学者。京都帝国大学教授歴任)
- 桑原武夫(フランス文学者。評論家。文化勲章受章。京都大学人文科学研究所所長として広く活躍。実際は母の里帰り出産なので京都出身と記すのが本来だが、本人が敦賀の地を愛し終生敦賀出身と称し続けた)
- 橋本進吉(国語学者。東京帝国大学教授歴任)
- 稲垣達郎(国文学者。早稲田大学教授歴任)
- 松木謙治郎(元プロ野球選手、元阪神タイガース監督)
- 辻佳紀(元プロ野球選手、テレビタレント)
- 高橋里志(元プロ野球選手)
- 川崎泰央(元プロ野球選手)
- 峰さを理(女優、元宝塚歌劇団所属)
- 風見梢太郎(作家、2008年に執筆した長編小説「浜風受くる日々に」には敦賀の風物が多出)
- 高木毅(衆議院議員)
- 伊東一刀斎(敦賀出身とする書物がある)
- 大道安次郎(社会学者。関西学院大学名誉教授。『日本社会学の形成』(ミネルヴァ書房)などの著作の他に、『変貌する地方都市 港まち敦賀市の歴史的研究』(恒星社)を刊行している。
- 山登義明(元NHKプロデューサー)
ゆかりのある人物
- 恒良親王:後醍醐天皇の皇子。金ヶ崎城にて捕われ、後に殺害された。金崎宮祭神。
- 尊良親王:後醍醐天皇の皇子。金ヶ崎城にて自害。金崎宮祭神。
- 大谷吉継:敦賀城主。関ヶ原の戦いで西軍につき自害。
- 武田耕雲斎:水戸藩士。天狗党首領。敦賀郡新保にて幕府側に投降。一党は敦賀で幕府側により虐待され、武田をはじめその多くが処刑されたものの、彼らに同情的であった敦賀側と水戸側には後日姉妹都市関係が誕生した。敦賀の歴史をまとめた本には、天狗党を手厚く待遇したという。
- セルゲイ・プロコフィエフ:ロシアの作曲家。敦賀港にて日本上陸。
- 杉原千畝:外交官。命のビザで知られる。
- 古関裕而:「大敦賀行進曲」を作曲。市の盆踊り曲の一つとして市民に知られる。
- 安部公房:作家。小説『箱男』の舞台は敦賀市である。同書の中に収録されている洋館の写真は、敦賀の歴史的建造物である旧・大和田別荘(現在は解体されている)である。
- ブルーノ・タウト:建築家。来日の際に敦賀港に上陸。その模様は著書『ニッポン』にも記されている。
- 泉鏡花:作家。『高野聖』の冒頭に敦賀の駅前旅館でのシーンが登場する。
- 志賀直哉:作家。『暗夜行路』の中に敦賀が登場する。
- 芥川龍之介:作家。『芋粥』の中に敦賀が登場する。
- 田山花袋:作家。紀行文の中で敦賀の風光を愛でている。
- アムンゼン:冒険家。敦賀港に寄港。
- かんべむさし:作家。関西学院大学在学中、広告研究会サマーストア出店のため毎夏を敦賀で過ごす。エッセイでしばしば回顧するほか、連作中篇「遠い街・恋の街」の最終話の舞台を敦賀に設定。
- 小泉武夫:発酵学者、食物エッセイスト。敦賀の魚介を愛ししばしばエッセイで取り上げる。
- 実相寺昭雄:映画監督。長編映画第2作『曼陀羅』の舞台を敦賀に取る。京都と日本海に挟まれた北近畿地方の風土に強い関心を持つ。
- 瀬戸内寂聴:作家。敦賀短期大学第二代学長を歴任。
- 海野弘:評論家・文化史家。日本のモダン建築を探訪した『光の街 影の街』の中で敦賀の旧・大和田銀行や大和田別荘などを取り上げている。
- 池内紀:ドイツ文学者・エッセイスト。『日本風景論』(角川選書)の中で「幻の防壁――松島」と題して、敦賀を取り上げている。
- 五木寛之:作家。『五木寛之全紀行』(東京書籍)第五巻の中で、「陰のなかの陽・敦賀」と題して、敦賀を取り上げている。
- 林芙美子:作家。代表作『浮雲』は、主人公が敦賀港に降り立つ場面から始まる。
その他
市外局番
敦賀市の市外局番は、料金単位区域(敦賀MA)と同一の範囲を持つ0770(市内局番は20~49)で統一されており、以下の区域への通話は市外局番不要かつ市内通話料金が適用される。なお、小浜MAも同じ市外局番(市内局番は50~79)であるが、MAが異なるため、市外局番が必要である。
なお、西日本電信電話による級局区分は、2級局である。
脚注・出典
- ^ http://www.pref.shiga.jp/b/kemmin-j/kenseishiryoshitsu/oupunkinen.pdf
- ^ 越前敦賀和菓子処 紅屋と言う店もある。(寛政5年創業)
- ^ 敦賀の由来となった角鹿(つぬが)のこと、敦賀市立角鹿中学校のホームページ
- ^ http://www.pref.shiga.jp/b/kemmin-j/kenseishiryoshitsu/oupunkinen.pdf
- ^ 産経新聞、2009年12月5日付
- ^ かつて第1放送敦賀中継局は大阪放送局管轄の放送局で呼出符号はJOBK7であった。
関連項目
外部リンク
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