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文藝春秋 (雑誌)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

文藝春秋
刊行頻度 月刊
発売国 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
言語 日本語
出版社 文藝春秋
刊行期間 1923年1月 - 現在
ウェブサイト http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/

文藝春秋』(ぶんげいしゅんじゅう)は、株式会社文藝春秋が発行する月刊雑誌(総合誌)である。

目次

概要

1923年大正12年)1月、菊池寛が私財を投じて創刊した[1]。実際の発売は前年の暮れである。

価格は1部10銭、部数は3000部、発売元は春陽堂であった。誌名の由来は菊池が『新潮』で連載していた文芸時評のタイトルから来ている。その後、関東大震災の影響で印刷済みの同年9月号が焼失したため休刊となったものの、順調に部数を伸ばした。また、「座談会」という言葉を初めて使用した。

敗戦占領期には、菊池が戦争責任を問われ(公職追放)、一時廃刊の危機にあったが、池島信平鷲尾洋三が編集長となり文藝春秋新社を興し再発足。

海外にも在外邦人や知日派外国人などを中心に相当数の定期購読者を持ち、読書家の知的アクセサリーとしての性格も持っている。毎月10日発売(発行日は1日)。判型はA5判、ページ数は通常は約450ページ。目次は折り畳み式。カバージャンルは政治経済経営社会歴史芸能軍事皇室教育医療スポーツと多岐に及んでいる。政治家研究者実業家ジャーナリストノンフィクション作家評論家による論文や記事が、毎号三十本ほど掲載される。

創刊時は倉田百三島田清次郎などの女学生に人気のあった作家のゴシップを掲載する記事も多く見られた。70年代前半までは菊池寛時代の名残から作家の人物批評やゴシップ記事が何度も取り上げられた事があったが、80年代に入ると出版社の肥大化によって商業主義的色彩を強めざるをえなくなりこうした記事は一切見られなくなった。近頃は読者層の高齢化に合わせてか、団塊の世代が好む昭和ネタを組む事が多い。

傾向としては保守論調。日本共産党社会民主党など左派政党には批判的で、非時事コラムでも、これらの政党の政治家の文章はあまり掲載はされない(2005年9月号では、社会民主党元党首土井たか子戦争体験談や、ソビエト共産党崩壊時に、共産党の不破哲三の意見が掲載されたりするなど例外はある)。公明党創価学会に対しては、より批判的なので、関係者(幹部)の掲載はまず無い。ただし瀬戸内晴美井上ひさし坂本龍一など左派、進歩的文化人の寄稿が掲載される事は珍しくない。

複数の文学賞を主催・運営しており、2月号で文藝春秋読者賞、3月号と9月号で芥川賞、6月号で大宅壮一ノンフィクション賞、7月号で松本清張賞、12月号で菊池寛賞の受賞者が発表される。特に芥川賞等の時は販売部数が大きく増大する。20代になったばかりの金原ひとみ綿矢りさの受賞作掲載号は記録的な販売部数となったこともあり、受賞者選定自体が販売増を念頭に置いた話題作りではないかという声も指摘された。

社の看板出版物であることから、社内では「本誌」と通称されている。

編集長

※歴代ではなく、一部である。

  • 菊池寛
  • 菊池武憲
  • 花房満三郎(1939年 - 1942年)
  • 藤澤閑二(1942年 - 1943年)
  • 花房満三郎(1943年 - 1944年)
  • 藤澤閑二(1944年 - 1945年)
  • 永井龍男(1945年 - 1946年)
  • 鷲尾洋三(1946年 - 1951年)
  • 池島信平(1948年 - 1950年)
  • 車谷弘(1951年 - 1954年)
  • 上林吾郎(1954年 - 1956年)
  • 池島信平(1956年 - 1957年、二度目の就任)
  • 田川博一(1957年 - 1961年)
  • 安藤正直(1961年 - 1963年)
  • 小林米紀(1963年 - 1967年)
  • 樫原雅春(1967年 - 1968年)
  • 杉村友一(1968年 - 1972年)
  • 田中健五(1972年 - 1977年)
  • 半藤一利(1977年 - 1979年)
  • 安藤満(1979年 - 1982年)
  • 岡崎満義(1982年 - 1984年)
  • 堤堯(1984年 - 1988年)
  • 白石勝(1988年-1991年)
  • 白川浩司(1991年 - 1994年)
  • 中井勝(1994年 - 1996年)
  • 笹本弘一(1996年 - 1997年)
  • 平尾隆弘(1997年 - 2000年)
  • 松井清人(2000年 - 2003年)
  • 飯窪成幸(2003年 - 2009年)
  • 鈴木洋嗣(2009年 - 2010年)
  • 木俣正剛(2010年 - )

内容

常時連載

  • 日本の顔 - モノクログラビアで、その時々の話題の人物を紹介する。
  • 小さな大物 - 各界の著名人の子供・若年期の写真を掲載。
  • 同級生交歓 - 同じ学校出身の有名人が面会して、昔を懐かしむ。連載の一部が2006年に文春新書で刊行。
  • 巻頭随筆 - 10人の著名人による、四段組の短いエッセイ。同時に短歌俳句も掲載される。戦前から掲載。
  • 丸の内コンフィデンシャル - 経済金融実業家の情報。無記名。
  • 霞が関コンフィデンシャル - 官僚政治家の情報。無記名。
  • 文春LOUNGE - カラー写真で様々な最新の流行、賞品を紹介。アンケート小説家写真を使用した、非売品の特製図書カード3000円分が贈呈される。もある。官製はがきにその回答を書いて編集部に郵送すると抽選で30名に、出版社にゆかりのある
  • 新聞エンマ帖 - 無記名の新聞批評。「朝日新聞」、「読売新聞」、「毎日新聞」、「産経新聞」、「東京新聞」、「日本経済新聞」を、厳しく批評する。
  • オヤジとおふくろ - 各界の著名人が自分の親への思いを語る。
  • 赤坂太郎:政局ドキュメント - 複数の記者が持ち回りで書いている匿名コラムである。
  • BOOK倶楽部 - 書評。現在評者は麻木久仁子猪木武徳佐倉統佐藤優本郷和人で4者が書く。
  • 新書一点賭け - 日垣隆、次に水木楊が話題の新書1冊を論じる。
  • 本屋探訪 - 全国各地の個性的な書店の紹介。
  • 今月買った本 - 2009年は池上彰角田光代野口悠紀雄平松洋子の4人が1ヶ月間に購入した本の内訳を語る。
  • 三人の卓子 - 読者の投稿。
  • 蓋棺録 - 最近亡くなった著名人4~5名を追悼文集。1984年から始まった。
  • 社中日記 - 無記名の日記。編集部での失敗談、笑える話、エピソードを、面白おかしく紹介。

連載中

連載終了

話題となった記事

  • 1974年11月特別号で、田中健五編集長は「田中政権を問い直す」という特集を組み、立花隆田中角栄研究-その金脈と人脈」と児玉隆也「淋しき越山会の女王」の2つのレポートを掲載する。これが田中角栄内閣を退陣へと追い遣るきっかけになった。掲載号はしばらくプレミアがついた。
  • 1986年10月号で、文部大臣だった藤尾正行日韓関係ほかの歴史認識について自説を述べた。刊行直前から話題になり、与党の一部からも辞職を求められたが拒絶、本人の意思により「罷免」となった。この号も追加増刷された。11月号に続篇を掲載した。翌年文藝春秋読者賞を受賞した。
  • 1990年12月号に「昭和天皇の独白8時間 太平洋戦争の全貌を語る」を掲載。話題を呼び、発行部数は105万部を記録。翌年に『昭和天皇独白録.付寺崎英成・御用掛日記』を、のちに文春文庫(昭和天皇独白録のみ)でも刊行した。
  • 2004年3月号に、第130回芥川賞の受賞作が掲載され、金原ひとみ綿矢りさという同賞史上最年少者が受賞したことが話題を呼び、初回刷数が80万部、最終的には過去最高の118万5000部を発行した。この時期前後から話題作りの傾向が、芥川賞選定ではより強まったとも言われる。

批判を浴びた記事・スキャンダル

  • 1999年12月号に掲載された「『第一勧銀巨額不良債権を暴く』」の記事において、第一勧業銀行(当時)に巨額の不良債権が存在するとの記事を掲載した。しかし、記事中に60数箇所もの間違いがあることや情報源を検証せずにずさんな取材を行っていたことが、週刊新潮・週刊ポストなど他メディアの報道で発覚。また、この記事を執筆した朝日新聞記者が朝日新聞の名刺で取材をしながら文藝春秋に記事を執筆したことが明らかになり、この記者は後にデータベースセクションに異動させられる事態となった。

関連項目

脚注・出典

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  1. ^ 文藝春秋創刊の辞
  2. ^ 古沢由紀子「『バターン死の行進』記事、ユダヤ人団体が文春に抗議」(『読売新聞』2006年1月14日付掲載)

外部リンク