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東田正義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東田 正義
基本情報
出身地 ファイル:Flag of Japan.svg 日本 奈良県
生年月日 1945年8月1日(66歳)
身長
体重
183cm
88kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1967年 ドラフト2位
初出場 1968年
最終出場 1977年
経歴(括弧内は在籍年)

東田 正義(ひがしだ まさよし、1945年8月1日 - )は奈良県出身の元プロ野球選手

目次

来歴・人物

御所工業高校で、1963年選抜高等学校野球大会に出場しベスト8の成績を残す。卒業後は、三重交通に勤務し、1967年ドラフト2位で西鉄に入団。1年目から59試合に出場し、8本塁打を記録した。翌年から外野手のレギュラーになり、17本塁打を記録した。その後、1973年まで外野手のレギュラーを守った。特に、1971年は23本塁打を含む自己最高の成績を挙げ、弱体化するライオンズの中で、中西太豊田泰光を中心とした野武士野球の後継者として期待された。特に竹之内雅史とのコンビは「トンタケコンビ」と呼ばれ、ファンに親しまれた。1974年オフに、白仁天とのトレードで、日本ハムに移籍。移籍後も84試合に出場するものの村上雅則後藤和昭とトレードされ、1年で阪神に移籍。移籍後は、6番バッターとして12本塁打を放った。1977年も今までと同程度の成績を残すものの、当時の吉田監督と合わず、また腰痛の悪化もあってオフに引退した。

打率は最高でも2割8分程度であったが、毎年コンスタントに最低10本塁打程度を記録した。

現在は郷里で保険代理業を営む。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1968 西鉄
太平洋
591571391927308541842011601433.194.282.388.671
1969 9029026134661101712837101222244410.253.321.490.811
1970 124494450431051721316548621336047512.233.296.367.663
1971 12548544453126161232135855023840537.284.340.480.820
1972 11442837744103163915242340641045714.273.351.403.754
1973 11442738741101151161665144023543486.261.327.429.756
1974 652041781533308601712002511399.185.289.337.626
1975 日本ハム 84294259356512181032931032824368.251.333.398.731
1976 阪神 12138535231871511214034150227135213.247.306.398.704
1977 571961832050539881701001300275.273.321.481.802
通算:10年 953336030303357631131212312693512826221281142447487.252.320.419.739
  • 西鉄(西鉄ライオンズ)は、1973年に太平洋(太平洋クラブライオンズ)に球団名を変更

記録

1971年の第1戦(阪急西宮球場)ではスタメン出場したが、そこで江夏豊阪神)の“オールスター9連続奪三振”に6番目の打者として遭遇してしまう。しかし東田自身は四半世紀以上後に朝日放送スポーツドキュメンタリー番組キラリ」(ナビゲーター:中村雅俊)で同記録を取り上げた回に証言者として出演し、「僕は一流選手ではなかったので、江夏の大記録が僕にとっては不名誉でも、三振した面々の一人として僕の名が球史に残ることだけ嬉しい」と語っていた。

背番号

  • 22(1968年 - 1974年)
  • 29(1975年)
  • 2(1976年 - 1977年)

関連項目