林健太郎 (サッカー選手)
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| 名前 | |||||||
| 愛称 | ヤシケン | ||||||
| カタカナ | ハヤシ ケンタロウ | ||||||
| ラテン文字 | HAYASHI Kentaro | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | ファイル:Flag of Japan.svg 日本 | ||||||
| 生年月日 | 1972年8月29日(39歳) | ||||||
| 出身地 | 東京都町田市 | ||||||
| 身長 | 182cm | ||||||
| 体重 | 75kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | MF | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月7日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | |||||||
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林 健太郎(はやし けんたろう、1972年8月29日 - )は、東京都町田市出身の元サッカー選手。ボジションはDF/MF。
目次 |
プロフィール
非常にキック(パス)が正確な選手として評価される事が多いが、反面、運動量が少なく守備で力を抜く場面も見られ、悪い意味で典型的な「ヴェルディタイプ」と評されることもある。182cmと長身であり空中戦にも強い。
大学卒業後、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に入団。当初はセンターバック、後にゲームメーカータイプのボランチとして長年ヴェルディを支え続けたが、2005年にヴェルディのJ2降格が決定すると、米山篤志らと共にクラブから戦力外通告を受ける。
その後、ヴェルディと入れ替わるかたちでJ1へ昇格したヴァンフォーレ甲府の大木武監督からのラブコールを受け移籍。豊富な運動量を求められる甲府において、林も「動く選手」に変身しつつあるが、どっしりと中盤の底に位置し、多彩な攻撃を操る様はまさに甲府のコンダクターである。移籍後も何度か古巣・ヴェルディのホームゲームに足を運び、様子をチェックしていた。
プロになってから一度もPKを外したことがないPK職人だが、2005年のゼロックス・スーパーカップ(東京V vs 横浜FM)以降PKを蹴っていなかった。しかし、4年後の2009年10月11日に行なわれた天皇杯全日本サッカー選手権大会での2回戦の関西大学との試合でのPK戦の5番手として得意の「コロコロPK」で成功している。甲府でのPKはこれが唯一で、かつプロ生活最後のPKとなった。なお、「コロコロPK」は遠藤保仁の代名詞となっているが、遠藤よりも先に披露している。
年齢の衰えとチームの若返りにより2009年を最後に現役を引退。2010年6月27日に引退試合として「ヴァンフォーレ甲府 vs 林健太郎とゆかいな仲間達」が開催され、前半はゆかいな仲間達側で出場し1アシスト、後半はヴァンフォーレ甲府側で出場し1ゴールを決めた。
2011年から東京大学運動会ア式蹴球部(サッカー部)のコーチに就任した。
人物
真摯な姿勢から後輩に非常に慕われており、ヴェルディ、甲府共に林を尊敬する選手も多く、将来的にコーチとしても解説者としても期待されていた。そのエピソードとしてヴェルディから戦力外通告を受けたとき、クラブの対応に不信感を抱いた高校・大学時代からの後輩山田卓也をはじめ、小林大悟ら主力もヴェルディを離れる決断をするきっかけの出来事となった。
一方で非常に熱くなる一面もあり、審判への抗議も多い。2007年には家本政明主審のジャッジに対し「相変わらずヘタクソだな」とスタンドから野次を飛ばし出場停止処分を受けている。また、フィリップ・トルシエが日本代表監督時の代表合宿に招集され、練習時にトルシエに「カカッテコイ!」と体当たりを促されて本気の体当たりを食らわし、トルシエの肋骨にひびを入れたという事もあった(当時のコーチ山本昌邦の著書より)。
このほか、『週刊サッカーダイジェスト』誌にて「MAESTROの独り言」と題したコラムを担当した。
所属クラブ
ユース経歴
プロ経歴
- 1995年 - 1998年 ヴェルディ川崎
- 1998年 ヴィッセル神戸
- 1999年 - 2005年 ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969
- 2006年 - 2009年 ヴァンフォーレ甲府
個人成績
利用者:Bcjp/t/fbp国内表 top 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 th |- |1994||駒澤大||5||-||colspan="2"|-||colspan="2"|-||1||0||1||0 |- |1995||V川崎||-||J||43||0||colspan="2"|-||3||0||46||0 |- |1996||V川崎||-||J||14||1||0||0||5||0||19||1 |- |1997||V川崎||4||J||9||0||5||1||2||0||16||1 |- |rowspan="2"|1998||V川崎||4||J||3||0||2||0||colspan="2"|-||5||0 |- |神戸||34||J||7||0||0||0||2||0||9||0 |- |1999||V川崎||4||J1||29||7||4||0||4||0||37||7 |- |2000||V川崎||4||J1||27||6||6||0||2||0||35||6 |- |2001||東京V||4||J1||17||2||2||0||2||0||21||2 |- |2002||東京V||4||J1||20||0||4||0||1||0||25||0 |- |2003||東京V||4||J1||29||1||3||0||3||0||35||1 |- |2004||東京V||4||J1||29||1||7||1||5||1||41||3 |- |2005||東京V||4||J1||30||0||6||0||1||0||37||0 |- |2006||甲府||31||J1||30||0||3||1||3||0||36||1 |- |2007||甲府||31||J1||24||1||5||0||1||0||30||1 |- |2008||甲府||31||J2||31||4||colspan="2"|-||2||0||33||4 |- |2009||甲府||31||J2||27||0||colspan="2"|-||2||0||29||0 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始311||19||47||3||34||1||392||23 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行58||4||colspan="2"|-||4||0||62||4 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行colspan="2"|-||colspan="2"|-||1||0||1||0 利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終369||23||47||3||39||1||455||27 |} その他の公式戦
- 1995年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1996年
- サントリーカップ 1試合0得点
- 1998年
- J1参入決定戦 2試合0得点
- 2005年
- スーパーカップ 1試合0得点
代表歴
試合数
- ファイル:Flag of Japan.svg 国際Aマッチ 2試合 0得点(1995)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1995 | 2 | 0 |
| 通算 | 2 | 0 |
関連項目




