柏原竜二
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柏原 竜二(かしわばら りゅうじ、1989年7月13日 - )は日本の陸上競技選手である。専門は長距離走。福島県いわき市出身。福島県立いわき総合高等学校卒業、東洋大学経済学部在学。身長173cm、体重54kg。
世界ジュニア陸上競技選手権大会10000m7位、ユニバーシアード10000m8位など日本代表として国際大会で活躍する学生長距離選手である。箱根駅伝往路5区の山上りにて驚異的なスピードを誇る選手として知られている。
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来歴・人物
2002年本格的に陸上競技を始め、3年では全国中学校選手権に3000mで出場する。
2005年、福島県立いわき総合高等学校に進学。インターハイ、国体、全国高校駅伝のいずれにも出場経験がなかった。
貧血体質が原因で競技途中に失速することが多かったが薬の服用と食生活の改善によりこれを克服しており、高校3年生の夏以降競技成績が躍進し始めた。7月の福島県総体5000mで2位、東北総体5000mでは3位に入賞。12月1日の日体大長距離記録会5000mでは、かつて今井正人が記録した福島県記録の14分07秒44を塗り替える14分01秒50をマークした。2008年の全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(ひろしま男子駅伝)では1区区間賞を獲得した。
高校卒業後は就職する予定であったが、高校2年時から注目していたという東洋大学のスカウト佐藤尚の誘いで、2008年に東洋大学に進学した。1年生ながら同年の関東インカレ10000mではメクボ・ジョブ・モグス、ギタウ・ダニエルについで日本人トップとなる3位入賞を果たした[1]。5000mでも5位入賞となった。その後アジアジュニア陸上競技選手権大会では5000m2位、世界ジュニア陸上競技選手権大会では10000m7位の成績を残した。
同2008年秋には東洋大学・鉄紺のタスキを掛け大学駅伝デビューを飾り、第20回出雲駅伝では1区(8.0km)を走り区間2位。第40回全日本大学駅伝では大西智也から先頭でタスキを受けると、2区(13.2km)を2007年竹澤健介が刻んだ区間記録に2秒差と迫るタイムで走り、木原真佐人と区間賞を分け合った。12月、入学以来指導を受けていた川嶋伸次が監督を辞任した。
2009年1月2日、第85回箱根駅伝では5区(23.4km)山登り区間の選手として箱根路を走った。2007年今井正人が残した同5区区間記録を47秒更新する走りで8校を抜き、東洋大学の往路逆転優勝そして初の総合優勝に貢献し、この年の「金栗四三杯」を受賞した[2][3]。
2009年3月、最後の開催となった京都シティハーフマラソンでは男子招待選手としてハーフマラソンに初出走、男子の部で優勝を果たした。大学2年に進級した後、5月の関東インカレでは10000m・5000mともダニエルに次ぐ2位入賞を果たした。この結果を受けてセルビア・ベオグラードで開催されるユニバーシアード10000m代表に選出された。体調不良があり、6月の第93回日本選手権を回避しユニバーシアードに専念。7月8日、宇賀地強と共に出場したユニバーシアード10000mでは8位の成績を残した。
同2009年10月、第21回出雲駅伝でも前年に続いて1区を走り、2007年に上野裕一郎が刻んだ区間記録タイのタイムで区間2位の成績を残した。11月1日の第41回全日本大学駅伝では1区(14.6km)を走り、出雲に続いてキラグ・ジュグナ(第一工業大学)に次ぐ区間2位となった。11月23日、第21回国際千葉駅伝には日本学生選抜として出場、ここでも1区(5.0km)にエントリー。2005年世界陸上選手権5000m銅メダリストクレイグ・モットラム(オーストラリア代表)や上野らと走り、スタートから果敢に飛ばして区間5位。日本学生選抜のスターターとして結果を残し、2位準優勝の一員となった。
2010年1月2日、第86回箱根駅伝では前年に続いて、山登りの5区を出走。柏原は7位で襷を受け取るがスタートから6人抜きの快走、13Km付近で一気に首位に立つ。結果昨年自身の打ちたてた区間記録を10秒更新、東洋大学の2年連続往路優勝に貢献する。翌日の1月3日も東洋大学は2年連続での箱根駅伝総合優勝を果たし、柏原も前年に続いて2回目の「金栗四三杯」を受賞した。
しかし2010年春先に右膝を痛めて以降不調に苦しみ、同年10月の第22回出雲駅伝では出走メンバーから外れ、11月の第42回全日本大学駅伝では2区で区間4位となった。
2011年1月2日、総合三連覇を懸けた第87回箱根駅伝では三度目の5区に出走。トップ早稲田大と2分54秒差の3位で襷を受け取り、前年自らが記録した区間記録に45秒及ばずも、16kmすぎに首位に立ちそのままゴール、3年連続往路優勝を達成した。東洋大学は復路で逆転を許して総合2位となった。
主な戦績
- 2008年 全国都道府県対抗男子駅伝競走大会 1区区間賞 20分00秒
- 2008年 関東インカレ1部 10000m 3位 28分44秒42(日本人トップ)
- 2008年 関東インカレ1部 5000m 5位 13分58秒28
- 2008年 アジアジュニア選手権 5000m 2位 14分52秒05
- 2008年 世界ジュニア陸上競技選手権大会 10000m 7位 29分31秒52[4]
- 2008年 第20回出雲駅伝 1区区間2位 23分09秒(日本人トップ)
- 2008年 第40回全日本大学駅伝 2区区間賞 37分44秒 中央学院大学・木原真佐人と同タイム
- 2008年 第20回国際千葉駅伝 1区区間7位 13分50秒[5]
- 2009年 第85回箱根駅伝 5区区間賞 1時間17分18秒(区間新記録)
- 2009年 全国都道府県対抗男子駅伝競走大会 3区(8.5km)区間2位 23分56秒
- 2009年 第16回京都シティハーフマラソン 優勝 1時間03分16秒
- 2009年 関東インカレ1部 10000m 2位 28分44秒97(日本人トップ)
- 2009年 関東インカレ1部 5000m 2位 13分48秒54(日本人トップ)
- 2009年 ユニバーシアード 10000m 8位 28分38秒48
- 2009年 第21回出雲駅伝 1区区間2位 22分50秒(日本人トップ)
- 2009年 第41回全日本大学駅伝 1区(14.6km)区間2位 43分08秒
- 2010年 第86回箱根駅伝 5区区間賞 1時間17分08秒(区間新記録)
- 2010年 全国都道府県対抗男子駅伝競走大会 3区(8.5km)区間3位 24分18秒
- 2011年 第87回箱根駅伝 5区区間賞 1時間17分53秒[6]
- 2011年 第43回全日本大学駅伝 8区(19.7km)区間賞 57分48秒
自己記録
- 5000m - 13分48秒54 (2009年5月 関東インカレ2位)
- 10000m - 28分20秒99 (2009年4月 兵庫リレーカーニバル2位)
- ハーフマラソン - 1時間03分16秒 (2009年3月 京都シティハーフ優勝)
受賞
- 第85回箱根駅伝 金栗四三杯受賞
- 第86回箱根駅伝 金栗四三杯受賞
エピソード
- 兄に野球経験者が多く、また自身も小学校までソフトボールをしていたため周囲からは野球部に入部するだろうと思われていたが当人はそれを嫌い、敢えて陸上競技の道を選択。小学校時代も持久走は得意で、校内では負けなしだった。
- 第85回箱根駅伝・5区では4分58秒差を逆転し、8人をごぼう抜きした。
- 第86回箱根駅伝・5区でも6人をごぼう抜き。トップの明治大学から4分26秒差で受け取ったタスキを1位に押し上げ、なおかつ2位の山梨学院大学には3分36秒の大差をつけた。
- 大学1年の関東インカレ5000m以後、大学2年の全国都道府県対抗男子駅伝までは国内の同一レースで日本人大学生相手には負けなしだった
- 同じ中学校で陸上をやっていた双子の兄がいる。
- 大学1年・2年時の夏合宿では新潟県長岡市の旧・山古志村の起伏を走り込み、脚力に磨きをかけた。
- 趣味はマンガ、アニメ、ゲームを挙げる。特に声優の花澤香菜のファン[7]で、文化放送のラジオ番組への出演依頼を「同局の花澤のラジオ番組収録の見学」を条件に受けたほどである[8]。
脚注・参考文献
- ^ 佐藤尚監督代行は、3年生までに使える選手として育成する予定だった旨の発言をしている。
- ^ 前区間記録保持者今井正人も、同じ福島県浜通り出身である。尊敬する今井から同区は「やりがいのある区間」と言われ、自ら同区の選手を志願した。
- ^ 日本テレビによる箱根駅伝の当日の中継番組には、今井がゲスト出演していた。同区区間記録を更新した際、芦ノ湖の実況を担当した平川健太郎アナウンサーは今井に対して「山の神」とコメントしたが、柏原に対しては「新・山の神」「山の神童」と表現していた。
- ^ 日本陸連 (PDF)
- ^ 国際千葉駅伝成績 (PDF)
- ^ 2011年01月02日 第87回箱根駅伝 5区公式記録 (PDF)
- ^ 『陸上競技マガジン増刊 2011箱根駅伝ガイド』(ベースボール・マガジン社 2010年刊行)p57
- ^ 2011年2月21日文化放送『くにまるジャパン』内『スポーツ情熱列島』にゲスト出演した際に本人が語った くにまるジャパン: 2011年2月アーカイブ
関連項目
外部リンク
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