欽ドン!
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欽ドン!(きんドン)とは、1970年代にニッポン放送で放送されたラジオ番組『欽ちゃんのドンといってみよう!』、1970年代にフジテレビ系列で放送された萩本欽一司会のバラエティ番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の略称および、1980年代に放送されたその続編シリーズの総称である。
本項では2000年代にニッポン放送で放送されたラジオ番組『欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤』『欽ちゃんのドンといってGO!GO!』についても述べる。
目次 |
ラジオ
| 欽ちゃんのドンといってみよう! | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ |
| 放送期間 | 1972年10月9日 - 1979年4月6日 |
| 放送時間 | 10分 |
| 放送局 | ニッポン放送 |
| ネットワーク | NRN |
| パーソナリティ | 萩本欽一 |
| 企画 | 萩本欽一 |
| 欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤 | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ、トーク |
| 放送期間 | 2007年10月4日 - 2008年3月20日 |
| 放送時間 | 木曜日20:30 - 20:50(20分) |
| 放送回数 | 24 |
| 放送局 | ニッポン放送 |
| ネットワーク | 栃木放送、茨城放送、西日本放送 |
| パーソナリティ | 萩本欽一 |
| 提供 | ガリバーインターナショナル |
| 欽ちゃんのドンといってGO!GO! | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ、トーク |
| 放送期間 | 2008年10月4日 - 2009年3月21日 |
| 放送時間 | 土曜日21:00-21:30(30分) |
| 放送局 | ニッポン放送 |
| パーソナリティ | 萩本欽一 |
欽ちゃんのドンといってみよう!
『欽ちゃんのドンといってみよう!』(きんちゃんのドンといってみよう)は、1972年10月9日から1979年4月6日までニッポン放送などで放送されたラジオ番組。
コント55号での活動に限界を感じつつあった萩本が、新たな笑いの可能性を探ろうと始めたリスナー参加型のラジオ番組である。専門作家や芸人ではない一般のリスナーからテーマに沿ったコントを投稿させ、それをラジオで流してよいものを選ぶというスタイルだった。元は、この直前まで同じニッポン放送の土曜日24:00 - 25:00で、1972年4月から同年9月の6か月間放送されていた『どちら様も欽ちゃんです』の中で、聴取者の投稿からコントを募るコーナーとしてスタートし、好評だったことから単独の番組となった。
一般聴取者の投稿によるコントという方式は、後の『天才・秀才・バカ』シリーズ(谷村新司)などや『ビートたけしのオールナイトニッポン』における「ハガキ職人」の誕生など、後世にまで大きな影響を与えており、画期的な番組制作手法として評価されている。
スポンサーは集英社で萩本により番組冒頭「キミの心をつかむ、集英社がお送りする『欽ドン』」と紹介された。
放送は平日夜の帯枠で、1975年4月以降は『大入りダイヤルまだ宵の口』内のコーナーとして概ね21:40 - 22:00頃の間に10分間放送、曜日ごとにテーマが決まっていた。以下は代表的なものである。
- レコード大作戦 - 歌謡曲などのレコード音声の一部分を、本来とは違うシチュエーションで会話にコラージュ的に組み込む。
- ああカン違い - 会話形式のシチュエーションコント。バリエーションとして「夫婦の会話」「母と子の会話」「ワーイシリーズ」「あーらシリーズ」
- 痛烈ヤジ将軍 - スポーツなどの実況中という想定で、内容のずれたヤジを飛ばす。
- 突然の質問 - その名のとおり、ある人に質問するというもの。
- ドジシリーズ- ドジなやつとはどういうやつか。
- 根回し上手 - 上司の取引先への依頼を前に、部下が先走って行動したことを告げる。
- 欽ドンスクープ
- あのこの書いた置き手紙
- 商売上手
毎回オープニングには「キャッチフレーズ」と称するジングル、エンディングには「今日の一言」という教訓のパロディ(五七五のもの)が、やはりリスナー投稿から選ばれて読まれていた(エンディングには、没ハガキのリスナー名を読み上げるコーナーもあった)。
コントにはおもしろさによって、スポンサーである集英社の雑誌名にちなんだ賞が贈られた。
コントのうち、笑いをとったネタには上記の賞が用意されていたが、そこそこ良くできてはいるが面白くないハガキは、萩本が「キレイだね!」と言って「キレイ箱」なる箱に突っ込んでいた時期もあった。
パーソナリティは萩本と女性のアシスタントである(番組後期には、クロベエこと黒部幸英も加わった)。ただし、収録に来ていたパジャマ党のメンバーの声が入ることもあった。パジャマ党の存在はリスナーにも知られるようになり、コントのネタとしても(内輪ネタ的に)使われたりした。ラジオやテレビの裏側には制作スタッフがいることを視聴者に隠さず示し、それまで邪道とされていた楽屋落ちまでも積極的に使用したことも、以後の番組制作やタレントの言動に大きな影響を与えており、画期的なことだったと評価されている。
萩本が企図した「既成の作家や芸人とは違った笑いの発掘」という狙いは当たり、それをもとに萩本はこれをテレビ企画とすることを構想するに至る。
テレビの『欽ちゃんのドンとやってみよう!』がヒットした後もラジオの欽ドンは続いたが、1978年12月に行われた「最高のコントに10万円を出す」という「欽ドングランプリ」の企画を花道として、1979年4月6日(欽(金)曜日)に7年間の放送を終了した。なお、これより6か月後の1979年10月からは、ナイターオフ期間限定の番組として、同じくニッポン放送で『欽ちゃんのここからトコトン』(毎週土曜日18:00 - 19:00、1979年度のみ18:30 - 19:30)がスタート、1984年3月まで5期間続けて放送されていた。その中で一度「帰ってきた欽ドン」なる企画もあった。また1987年10月からのナイターオフ期間にも、『ニュースワイド 欽ちゃんのもっぱらの評判』(毎週金曜日18:00 - 20:00、19:00 - 19:30のコーナー「ニッサン オールニッポン・シリトリグランプリ」のみ全国ネット)が放送された。
- 放送ネット局(時差ネット含)
欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤
『欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤』(きんちゃんのドンといってみよう やきゅうばん)は、ニッポン放送で2007年10月4日から2008年3月20日まで、日本標準時毎週木曜20:30 - 20:50に放送された番組。ガリバーインターナショナルの一社提供であるため、提供クレジット上のタイトルは『ガリバープレゼンツ 欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤』となる。萩本にとっては『ニュースワイド 欽ちゃんのもっぱらの評判』以来、19年ぶりのラジオレギュラー。タイトル通り、野球関連のネタコーナーに加え、野球選手などをゲストに招いたトーク展開。構成は鶴間政行が担当。
- 放送ネット局(いずれも同時ネット)
欽ちゃんのドンといってGO!GO!
『欽ちゃんのドンといってGO!GO!』(きんちゃんのドンといってゴーゴー)は、2008年10月4日から2009年3月21日までニッポン放送で放送された番組。
前番組「欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤」に引き続き、ニッポン放送ナイターオフシーズンの欽ドン!シリーズとして、毎週土曜21:00-21:30(日本標準時)に放送された。
テレビ
| 欽ドン! | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ番組 |
| 放送国 | ファイル:Flag of Japan.svg 日本 |
| 制作局 | フジテレビジョン |
| 原作 | 萩本欽一 |
| プロデューサー | 常田久仁子 |
| 出演者 | 萩本欽一ほか |
| 音声 | モノラル放送(全番組) |
| 欽ちゃんのドンとやってみよう! | |
| 放送時間 | 毎週土曜日19:30 - 20:55→19:30 - 20:54(85→84分) |
| 放送期間 |
1975年4月 - 1977年3月 1977年9月 - 1978年3月 1978年9月 - 1979年3月 1979年9月 - 1980年3月 |
| 欽ドン!良い子悪い子普通の子 | |
| 放送時間 | 毎週月曜日21:00 - 21:54(54分) |
| 放送期間 | 1981年4月 - 1983年9月 |
| 欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子 | |
| 放送時間 | 毎週月曜日21:00 - 21:54(54分) |
| 放送期間 | 1983年9月 - 1985年5月 |
| マイルド欽ドン! | |
| 放送時間 | 毎週月曜日21:00 - 21:54(54分) |
| 放送期間 | 1985年10月 - 1986年4月 |
| 欽ドン!お友達テレビ | |
| 放送時間 | 毎週月曜日21:00 - 21:54(54分) |
| 放送期間 | 1986年5月 - 10月 |
| 欽ドン!ハッケヨーイ笑った! | |
| 放送時間 | 毎週月曜日21:00 - 21:54(54分) |
| 放送期間 | 1986年11月 - 1987年2月 |
| 欽ドン!スペシャル | |
| 放送時間 | 毎週月曜日21:00 - 21:54(54分) |
| 放送期間 | 1987年2月 - 3月(6回) |
| 新春オールスター 欽ドン! 同窓会スペシャル | |
| 放送時間 | 21:00 - 22:54(114分) |
| 放送期間 | 1994年1月4日(1回) |
第1次シリーズ(土曜20時枠・欽ちゃんのドンとやってみよう!時代)
欽ちゃんのドンとやってみよう!
『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(きんちゃんのドンとやってみよう)は、1975年4月5日から1980年3月までフジテレビ系列で放送された萩本欽一のバラエティ番組。毎週土曜19:30 - 20:54(1975年9月までは20:55まで)に放送された。
1970年代中期、視聴率で劣勢続きだったフジテレビが、高視聴率を誇るザ・ドリフターズのお化け番組『8時だョ!全員集合』(TBS)に対抗し、欽ちゃんこと萩本欽一を起用した番組で土曜夜8時枠で挑戦。
- 番組立ち上げから最初の中断まで
もともとは上記ラジオ番組のヒットから企画を起こし、1974年9月21日の20:00 - 20:55(後のレギュラー放送と一部が同じ)にテレビ化トライアル番組『欽ちゃんのドンと行ってみよう!ドバドバ60分!』を放送。この番組は『全員集合』のために視聴率が一桁と振るわず、惨憺たる結果を生んだが、意外にも業界内での好評を得たことによって、翌1975年の春よりレギュラー化された。当初、初期の正式タイトルは『萩本欽一ショー・欽ちゃんのドンとやってみよう!』だった。
フジテレビ土曜夜8時枠は元々、1968年より坂上二郎とのコンビで主演した『コント55号の世界は笑う』が放送されていた枠である。55号としてはもちろん、同時に芸人(チーム名)を冠にした初のゴールデンタイムにおけるカラー放送のバラエティ番組で、体力の限りを尽くした縦横無尽のステージコントは55号人気の絶頂を決定付けることとなり、視聴率30%以上の高視聴率を誇った。しかし1969年にスタートした後発の『8時だョ! - 』の激しい追い上げによって、1970年4月に『コント55号のやるぞみてくれ!』にリニューアルするも失敗、放送期間1年11ヵ月(『 - 世界は笑う』は1年9ヶ月。『 - やるぞみてくれ!』はわずか2ヶ月)をもって番組は終了してしまう。以後、ドリフ天下のバラエティ界のなか、同時間帯におけるレギュラー版『欽ドン!』のスタートは、周囲からは「55号の弔い合戦」とも称され、また萩本個人としても初の企画・主演番組であることもあり、相当の気合を込めて制作された。アシスタントとして当時新人の香坂みゆきが出演している。
なお、1977年4月 - 8月と1978年4月 - 8月、1979年4月 - 8月までは、萩本の企画構想期間として同番組は一旦中断。1977年4月 - 8月は、伊東四朗らをメインキャストとした同じく常田久仁子プロデューサー・三宅恵介ディレクターの『がんばれ!ピンチヒッターショー』を、1978年4月 - 8月は『土曜グランドスペシャル(第1期)』もしくは『ニューヤンキース』を、1979年4月 - 8月は『土曜グランドスペシャル(第2期)』をそれぞれ穴埋め番組として放送していた。『土曜グランドスペシャル』では『欽ドン!』ファンのために、月1回の割合で『欽ドン!スペシャル』を放送した。これは、視聴率へのこだわりが強い萩本が、自身の冠番組をナイター中継の裏では絶対にやらないという強い意向を持っていたからである。そのため、以後の萩本のプライムタイムでの冠番組は、すべて21・22時台に放送されており、19・20時台に放送されたものはいずれもプロ野球シーズンオフのみである(1988年4月 - 6月に放送された「欽ちゃんの気楽にリン」(日本テレビ、水曜夜20時 - 20時54分を除く)。
- 番組のスタイル
綿密に計算されたコント中心の『8時だョ!』と異なり、『欽ドン!』は視聴者からのハガキ投稿を中心に、萩本が得意とするアドリブを主体にした番組構成である。NGでも面白がって放送してしまう手法は、三宅恵介ディレクターをはじめ欽ドンを担当したスタッフや作家陣が多数参加し後の土8枠を彩る『オレたちひょうきん族』への礎となり、以降同枠に続く『めちゃ×2イケてるッ!』をはじめとするフジのバラエティ番組の伝統的手法となる。『欽ドン!』番組中、萩本が股旅姿で観光地などに現れ、市井の一般人を模造刀で斬るふりをして一般人が「ウワー」などと叫んで倒れるという場面が度々登場する。この手法は後に、『ひょうきん族』の「タケちゃんマン」コーナー冒頭の、一般人が空を指さして「あっ、タケちゃんマンだ!」と叫ぶ場面に受け継がれている。
第1期のオープニングはかなりの異色で、萩本では無く、外国の女性が出て来るフィルムが映し出され、「アレッ?」と視聴者が思った所で、女性が「キンド〜ン、キンド〜ン…」と呟く演出になっていた。
第1回放送後、スタッフの電話によって「17.1%」という、初回にしてはいきなり高視聴率の結果を知った萩本は、受話器を握り締め涙したというエピソードがある。
番組で採用されたハガキには、面白かった順にバカウケ/ややウケ/ドッチラケのランク付けをされていた。なかでも「バカウケ」は当時の流行語にもなった。これは芸人の隠語を一般向けに使用したものと言われ、『欽ドン!』の代名詞「良い・普通・悪い」へとつながったと見る者もいる。
本番組の放送期間中の1977年1月 - 1979年1月に同じフジテレビ系で同じ土曜日に放送されていた『ヤッターマン』に登場するコックピットメカ「ちんちろりんのドッチラケ」は、本番組に由来している。
この番組で、萩本欽一は前川清とコント54号としてコンビを組んだ。それまでの前川は「お笑い」に縁がないクールな二枚目イメージで売っていたが、萩本にコメディアンとしての才能を引き出され、大成功を収めている。
- 第1次欽ドン!の終焉
開始当時は『8時だョ!全員集合』が荒井注のドリフターズ脱退などで低迷期にあったため、そこそこの視聴率を稼いでいた。しかし、その後荒井の後任で加入した志村けんの「東村山音頭」の大ヒットにより『8時だョ!全員集合』が人気を盛り返し、さらに7時半からの30分枠でも『クイズダービー』(TBS)が力をつけており、さらに末期には『あばれはっちゃく』シリーズ(テレビ朝日)も登場したことから視聴率が下がり、1980年3月に終了。 後番組の『土曜ナナハン学園危機一髪』は90分番組で、その後は夜7時半に音楽番組・クイズ番組・アニメ枠を、夜8時に1時間のドラマ・バラエティ枠となった。
以降、フジテレビの土曜夜7時半は長い冬の時代に入り、『クイズダービー』と『あばれはっちゃく』の両番組が高視聴率を出していた谷間で低迷。1985年10月に始まった『ハイスクール!奇面組』までの5年半は、どの番組も半年以内で打ち切られている。
土曜夜8時枠も『ピーマン白書』→『小さな追跡者』の1年間は低迷し、土曜8時戦争は一旦休戦することとなるが後の『オレたちひょうきん族』が土曜8時戦争を制した。
- 出演者
ほか
第2次シリーズ(月曜21時枠・欽ドン!良い子悪い子普通の子時代)
欽ドン!良い子悪い子普通の子
『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(きんドン よいこわるいこふつうのこ)は、1981年4月6日から1983年9月12日まで、フジテレビ系列にて毎週月曜21:00 - 21:54に放送されたバラエティ番組。
よくある家庭をベースにしたセットで前番組の人気コーナーの「母ちゃんと子供の会話」と「三段落ち」を組み合わせたような内容。父親役の欽ちゃんに息子の「フツオ」「ヨシオ」「ワルオ」との会話で笑いをとった。会話は視聴者からの投稿がベース。
- 番組の歴史
前身となった『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が一応の成果を収めて終了し、次の段階を伺うべく、再びラジオの世界に戻った萩本がニッポン放送で開始した『欽ちゃんのここからトコトン!』内で、再び聴取者からのハガキ投稿コーナーを開始。ある日の放送で、ラジオのスタッフにいた若手作家によって放送台本の片隅に、その週のテーマとして何気なく書かれた「良い子悪い子普通の子」という文字を見て、萩本は「コレだ!」と次への構想をひらめく。これが人気番組、最初の第一歩となった。
早速企画書にまとめあげた萩本は、フジテレビ以外の各局を駆け巡った。しかし「放送枠がない」「次の改編に間に合わない」という理由で却下されてしまい、フジテレビに最後にかけあった。
当時、萩本はフジで『欽ちゃんの9時テレビ』(1980年10月13日 - 1981年3月23日、月曜夜9時放送)というバラエティ番組の司会を担当していた。「どか〜ん!のど自慢」のコーナーに多少の人気が集まっていたものの、視聴率的には振るわなかったことから、番組の降板を申し出ていた。しかし、局の編成担当者は「元々、フジの月曜夜9時は、開局以来20年間不振の枠なので数字のことは気にせずに。それよりも月9枠は、向こう10年は欽ちゃんに任せたから」と、萩本にとっては何物にも変え難い信頼の言葉を得ていたこともあって、一瞬のひらめきから「スグにでも番組化できる」と自信を持った萩本と、1981年の春改編にも間に合うかというフジの具体的思惑が一致したことから、番組は開始された。
後に、最高視聴率30%以上を誇る人気番組に成長した『欽ドン!』を見て、以前に企画書を提出されていたフジ以外の放送局は、そのチャンスを逸した意味で苦虫を噛み潰しながら、その人気ぶりを注目したといわれている。
この当時の萩本は、『欽ドン!』とテレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの!?』、TBS『欽ちゃんの週刊欽曜日』『ぴったし カン・カン』、さらにはフジテレビ『オールスター家族対抗歌合戦』とヒット番組を抱え、その合計数字から「視聴率100%男」の異名を取る程の勢いだった。
- 良い子・悪い子・普通の子
- フツオ(普通の子) … 長江健次 キャラクターは、どこにでもいる普通の高校生。
- ヨシオ(良い子) … 山口良一 キャラクターは、メガネに青の学ラン。
- ワルオ(悪い子) … 西山浩司 キャラクターは、リーゼント頭の不良少年。
西山はすでに初代『欽ドン!』(「欽ドン劇団」)に出演していたが、長江、山口にとっては「出世作」となった。3人の息子役は一般オーディションで選出された。オーディションが終了した時点では普通の子に山口、良い子に西山が選ばれており、悪い子は該当者無しで、長江はオーディションに落選していた。悪い子の配役が決まらず困っていたスタッフが、オーディション会場に居残っている長江を見つけて配役を変えて試したところ、しっくりきたため、上記の配役に決定したというエピソードがある。
フツオ、ヨシオ、ワルオの3人がイモ欽トリオを結成、『ハイスクールララバイ』(フォーライフ・レコード)でレコードデビュー、大ヒットする。当時、レコードの歌詞カードに記載されていたプロフィールで山口の生年月日が、他の2人より年上だったことから『不明』とされていた。
フツオ役は、長江が翌年に大学受験を控えていたために1982年3月で降板。その後、2代目フツオとして後藤正に交代される。しかし、1983年1月にシングル『ティーンエイジ・イーグルス』がリリースされたのを最後に、イモ欽トリオとしての活動は自然消滅となり、後藤も1983年5月2日に降板、そのまま芸能界引退。1983年5月9日からは、一般公募により最終選考まで残った沢村雅彦、大野哲也、境田晃一の3人がそれぞれフッくん(沢村)、ツッくん(大野)、オッくん(境田)として3代目フツオを演じた。3人のフツオ役を競わせ、最終的に境田が次番組の『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』でフツオ役を演じることになった。
- 良い妻・悪い妻・普通の妻
良い妻、悪い妻、普通の妻では「よし子」「わる子」「ふつ子」の三役を中原理恵が演じた。
- よし子(良い妻)髪を後ろでおだんごにまとめ、黒ぶちメガネをかけた、お金持ちの奥さま風キャラ。
- わる子(悪い妻)チリチリパーマの爆発ヘアで、凶悪スケバン風キャラ。
- ふつ子(普通の妻) 素の中原理恵。
中原は、ニッポン放送『欽ちゃんのここからトコトン』やテレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの』などにゲスト出演した際、そのトークの面白さを萩本に買われ、レギュラーに起用されることとなった。それまでお笑いとは程遠い「都会的でクールな美女」というシリアスイメージだった中原が、そのイメージを打ち破る見事なコメディエンヌぶりで三役を演じ分け、「おーみーごーとー」(よし子)などのギャグとともに人気大爆発。 歌手として1978年にデビュー、「東京ららばい」「ディスコ・レディー」などが大ヒットとなり『NHK紅白歌合戦』にも出場したが、1979年以降はヒット曲には恵まれずやや地味な存在になっていた中原が、この番組で人気が再ブレイク。以後、映画・ドラマ・バラエティ・CM等、各方面で大活躍することとなる。しかし中原が不倫騒動を起こし、萩本が激怒したため途中降板した。
中原降板後、島倉千代子が良い妻、悪い妻、普通の妻を演じたこともあった。
- 良いOL・悪いOL・普通のOL
更に新キャラクターとして良いOL、悪いOL、普通のOLが登場。このOL3人組は、よせなべトリオとして1982年8月5日『大きな恋の物語』でレコードデビューも果たし、オリコン最高位8位、売上16.8万枚を記録するヒットを飛ばす。歌番組に出演することもあったが松居抜きのときが多かった。これは松居はデビュー当時中学生で、18歳未満の者の21時以降の就業を禁じた、労働基準法の従来規定に抵触していたため。松居にとっては「出世作」となった。
- 番組後半のコーナー
番組の後半は萩本が白衣姿の博士、レギュラーメンバーが門下生に扮して、テーマ自由の「良い、悪い、普通」を発表する「萩本博士の研究レポート発表会」のコーナー、「日記」のコーナーが放送された。また、萩本と車だん吉が名作映画の一場面を再現して笑いをとるコントが、随時挿入された。
- 投稿の募集について
番組での各コーナーで披露されるネタは一般からハガキで募集し、採用された人には番組からオリジナルトレーナーがプレゼントされた。オリジナルトレーナーは基本的に改編期ごとにデザインが変わり、また、欽ドン賞獲得者には2枚贈られるというルールの存在もあり、最多採用数を誇った視聴者が、それらをツギハギしてクッションカバーを作ったとのエピソードが番組で紹介されたこともある。
欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子
『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』(きんドン よいこわるいこふつうのこおまけのこ)は、1983年9月19日から1985年5月6日まで、フジテレビ系列にて毎週月曜21:00 - 21:54に放送された番組で、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』のリニューアル版。
- 新キャラクターを投入
『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の放送末期に3人いたフツオは、オッくん役だった境田晃一が演じる。また、これまでのメンバーに遠藤由美子演じる『おまけの子』ゆみこが新たに加わる。『欽ドン!』シリーズで一番長いタイトルになっている。
- フツオ(普通の子) …境田晃一
- ヨシオ(良い子) … 山口良一
- ワルオ(悪い子) … 西山浩司
- ゆみこ(おまけの子) … 遠藤由美子
なお「おまけの子」役となった遠藤には「おまけの子」のオーディション当日にトイレを我慢しながらオーディション会場へ駆け込んだ際、こともあろうに審査委員長の萩本に向かっていきなり「トイレはどこですか?」と尋ね、その度胸を萩本が気に入ったため、採用されたというエピソードがある。
新キャラクターとして、先生3人組が登場。後に『おまけの教頭』も登場( - 1984年12月10日)。
- 普川先生(普通の先生) … 宮田恭男
- 良川先生(良い先生) … 柳葉敏郎 トレンディ俳優として活躍する彼の初期の代表作。
- 悪川先生(悪い先生) … 武野功雄
- ジェームス山口(おまけの教頭)… 山口良一
後に先生に代わり刑事となる。(1984年12月17日 - )
- ふつた(普通の刑事) … 柳葉敏郎
- よした(良い刑事) … 関根勤
- わるた(悪い刑事) … 武野功雄
- チャーリー・チャン(おまけの刑事) … 山口良一
良いお婆ちゃん 悪いお婆ちゃん 普通のお婆ちゃんでは、山口良一がお婆ちゃん三役を演じ、萩本の妻を志穂美悦子、おまけのお爺ちゃんを西山浩司が演じた。
下宿人( - 1984年12月10日)
娘(1984年12月17日)
- その他
番組エンディングとして「翼よ!」(作詞:石原信一、作曲:あかのたちお、歌:松本新吾)をバックに、山口と西山が出演する青春ドラマ風の映像が流れていた。
1984年5月21日の放送では、通常の放送内容を変更してナイター中継『大洋×巨人』戦を中継し、36.7%という高視聴率を獲得している(→BASEBALL SPECIAL〜野球道〜の項を参照)。
- 第2次欽ドン!の終焉
1985年に萩本の休養により、その年の3月25日で本編が打ち切られ、残りの回はコントの内容などを一部ダイジェスト用に編集した総集編を埋めた。
また、萩本の休養の間の月曜夜9時枠は宇崎竜童、所ジョージ出演のバラエティ番組『夜はタマたマ男だけ!!』(1985年5月13日 - 9月23日)を埋めた。
『〜おまけの子』終了から23年半後の2008年10月15日に、フジテレビ開局50周年記念DVDとして、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』のDVD-BOXが発売された。
第3次シリーズ(月曜21時枠・マイルド欽ドン!〜シリーズの完全終焉まで)
マイルド欽ドン!
『マイルド欽ドン!』(マイルドきんドン)は、1985年10月7日から1986年4月28日まで、フジテレビ系列にて毎週月曜21:00 - 21:54に放送された番組。前シリーズ『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』から半年のブランクを得て、欽ドン!シリーズが再開された。
基本コンセプトは同じで、旅館編(宮川大助・花子、角野卓造が出演)などが放送された。角野の他にもレギュラー出演者に黒沢年男、水野久美など俳優が名を連ねコントを繰り広げた。番組の後半は「わかんない奴」のコーナーで「○○する奴」という風に視聴者からの投稿で発表するものだった。投稿ハガキの宛名の間違えを紹介するコーナーが1回だけ紹介され、「マイルド鉄ドン!」や「マイルド鈴ドン!」など「欽」の文字の間違えがあったが、極めつけは「ソフト欽ドン!」「マイルドドンドン!」などの大掛かりな間違えのはがきも紹介された。
欽ドン!お友達テレビ
『欽ドン!お友達テレビ』(きんドン おともだちテレビ)は、1986年5月5日から10月27日まで、フジテレビ系列にて毎週月曜21:00 - 21:54に放送された番組。
シブがき隊がレギュラーに参加。ステージ上でのコントに加え、観客を入れずに収録する形式のコント(教師編など)が加えられた。
欽ドン!ハッケヨーイ笑った!
『欽ドン!ハッケヨーイ笑った!』(きんドン ハッケヨーイわらった)は、1986年11月3日から1987年2月9日まで、フジテレビ系列にて毎週月曜21:00 - 21:54に放送された番組。
前半は電話による視聴者参加ネタコーナー、後半は視聴者からの投稿ハガキやゲストが紙相撲を持参し、それを元にデザインした着ぐるみを関根勤、ジミー大西、当時まだ大阪でも大ブレイクする前のダウンタウンが着て、等身大の紙相撲となって対戦する、という構成で放送された。審判部長をジミーの師匠のぼんちおさむが務めた。また、放送開始3カ月前の『第6回全国高等学校クイズ選手権』(日本テレビ)においてボケ解答を連発して、一躍有名になった相馬高校の生徒がレギュラー出演者となったが、ほとんど発言の機会はなかった。
『欽ドン!』史上最も大幅なリニューアルとなったが、視聴率は不振を極め、わずか3ヶ月で終了した。後に島田紳助がダウンタウンに向かって「ハッケヨーイ終わった」と揶揄する発言があったほどである。
この番組は、開始当初は生放送だったが、開始数週経過後から、後半の相撲コーナーのみ前週に事前収録したものを放送する部分収録スタイルへ変更した。さらに前半パートがテコ入れのために相撲コーナーに変更されると、前半部分も収録となり、最終的には一般的な事前収録番組となった。
「マイルド欽ドン!」と同様、投稿ハガキの宛名の間違えを紹介するコーナーが1回だけあり、「黄ドン!ハッケヨーイ怒った」という大掛かりな宛名の間違えも紹介された。
なお、エンディングでスタッフ紹介のクレジットタイトルが流れる時は、縦書きで画面下に、左から右へ流れ、スタッフの名前も本名に「 - 山」や「 - 富士」などが付け加えられるなど、四股名風のものになっている。オープニングとエンディングでのスポンサー紹介の時には、そのスポンサーの名称が入った大相撲の懸賞幕のような幕を掲げて、土俵のセットの周りを回り、テレビ画面ではそのスポンサー名のアップになる、というものになっていた。
欽ドン!スペシャル
『欽ドン!スペシャル』(きんドン スペシャル)は、1987年2月16日から3月23日までの間、フジテレビ系列にて毎週月曜21:00 - 21:54に放送された番組。『欽ドン!』シリーズ最末期に放送された。
前述の「ハッケヨーイ笑った!」が早々に打ち切りとなり、この年の春の改編で連続ドラマ枠が6年半ぶりに放送再開することが決まり、その残り期間に『欽ドン!』スペシャルとして放送された。
テレビシリーズの終焉後
新春オールスター 欽ドン! 同窓会スペシャル
『新春オールスター 欽ドン! 同窓会スペシャル』(しんしゅんオールスター きんドン どうそうかいスペシャル)は、1994年1月4日(火曜日)21:00 - 22:54にフジテレビ系列にて放送された特別番組。
欽ドン!のテレビシリーズ放送終了から7年後の1994年1月4日、新春特番として欽ドン!のスペシャル番組を放送。ちなみにこの回は『欽ドン!』の歴史上唯一のステレオ放送を実施。
萩本の進行により、当時のメンバーとゲストが過去の傑作VTRを見ながらトークを展開した。
なお、ゲスト席は上段より「良い席」(貴賓用ソファー)、「普通の席」(普通の椅子)、「悪い席」(茣蓙と座布団)というように分けられていた。
その他
- 『欽ドン!』、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』、『欽ちゃんの週刊欽曜日』が放送されていた1983年にはフジテレビ、テレビ朝日、TBS各局が垣根を越えて、春・秋・年末の改編期に持ち回りで、3番組が合体した欽ちゃんファミリー総出演の特番が放送された。なお春を担当したフジテレビは『春の欽ちゃん祭り・欽ドン!欽どこ!欽曜日!3つまとめてドン!』のタイトルで放送した。
- 第3次シリーズ(月曜21時枠時代)の提供スポンサーのうち、P&GとTOYOTA[1]とメナード化粧品は、現在の月9に変更された後も提供スポンサーを継続し、現在に至る。
- 1997年4月5日放送の特番『ザッツお台場エンターテイメント! 第6夜・お笑いの38年』にて『欽ドン!』を再現した企画が行われた。
- 2010年4月2日、NHKBSハイビジョンの「ザ☆スター」第1回・萩本欽一編にて、真矢みきと三谷幸喜による『欽ドン!』の再現が放送された。
- フジテレビの開局に携わり、欽ドン!のプロデューサーを長く務めた常田久仁子は2010年11月3日、82歳で逝去。萩本は常田を母のように慕っており、同年11月26日に行われたお別れ会において萩本は「浅草から出てきた小汚いタレントを、萩本欽一という別の人間にしてくれた」と、号泣しながら感謝の言葉を述べた[2]。
スタッフ
- 構成:大岩賞介、詩村博史、永井準、鈴木しゅんじ、岩城未知男、大倉利晴、鶴間政行、益子一男、村松利史、高橋等、高橋秀樹、石崎収、笠博勝、佐藤宗示、浦沢義雄、三谷幸喜(おまけの子時代)
- 音楽:あかのたちお
- 演奏:新音楽協会
- コーラス:EVE
- 技術協力:ニユーテレス
- ディレクター:竹島達修、三宅恵介、小林豊
- 竹島と三宅は、1994年放送の『欽ドン!』特番ではプロデューサーを担当した。
- プロデューサー:常田久仁子
- 制作著作:フジテレビ
放映ネット局(時差ネット局含)
- ※1 『新春オールスター 欽ドン! 同窓会スペシャル』は岩手めんこいテレビで放送された。
- ※2 山形テレビは1993年4月にテレビ朝日系列へネットチェンジしたため『新春オールスター 欽ドン! 同窓会スペシャル』は放送されなかった。
関連商品
書籍
最初のテレビ『欽ちゃんのドンとやってみよう!』のヒットを受け、ラジオの『欽ちゃんのドンといってみよう!』のものも合わせたコント集『欽ドン! いってみようやってみよう』が集英社から刊行され、これもベストセラーとなった。続編がNo.6まで出版された。2010年現在は絶版。
ゲーム
1982年、エポック社からボードゲーム「欽ドン!良い子悪い子普通の子ゲーム」が発売された。プレーヤー全員が投稿者となって葉書をたくさん出し、どのくらい採用されるか、そして採用されたらどのくらいウケるのかを争っていき、最後に欽ドン賞を取った人が勝ち、というルールだった。
DVD
脚注・出典
- ^ 1992年3月にキッコーマンの交換により一時降板したが、1995年4月にサントリーの一時降板により復帰。
- ^ 萩本欽一“母”に感謝の涙「別の人間にしてくれた」 - スポーツニッポン、2010年11月27日
| フジテレビ系 土曜19:30 - 20:54 | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
欽ちゃんのドンとやってみよう!
(第1期) |
||
| フジテレビ系 土曜20:54 - 20:55 | ||
オールスター90分
(19:30 - 20:55) |
欽ちゃんのドンとやってみよう
(第1期) 【1分縮小して継続】 |
|
| フジテレビ系 土曜19:30 - 20:54 | ||
がんばれ!ピンチヒッターショー
|
欽ちゃんのドンとやってみよう!
(第2期) |
|
| フジテレビ系 土曜19:30 - 20:54 | ||
土曜グランドスペシャル(第1期)
または ニューヤンキース |
欽ちゃんのドンとやってみよう!
(第3期) |
土曜グランドスペシャル(第2期)
【厳密には正式タイトル無し】 |
| フジテレビ系 土曜19:30 - 20:54 | ||
土曜グランドスペシャル(第2期)
【厳密には正式タイトル無し】 |
欽ちゃんのドンとやってみよう!
(第4期) |
|
| フジテレビ系 月曜21:00 - 21:54 | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
欽ちゃんの9時テレビ
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欽ドン!良い子悪い子普通の子
↓ 欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子 |
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| フジテレビ系 月曜21:00 - 21:54 | ||
夜はタマたマ男だけ!!
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マイルド欽ドン!
↓ 欽ドン!お友達テレビ ↓ 欽ドン!ハッケヨーイ笑った! ↓ 欽ドン!スペシャル |
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