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武田博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

武田博
ファイル:Hiroshi-Takeda20110507.jpg
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
出身地 京都府
生年月日 1945年8月22日(66歳)
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 京都→栗東・武田文吾(1964 - 引退)
初免許年 1964年
免許区分 平地・障害
騎手引退日 1976年
重賞勝利 7勝
通算勝利 962戦120勝
調教師情報
初免許年 1976年(1978年開業)
経歴
所属 栗東T.C.(1976年 -)
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武田 博(たけだ ひろし、1945年8月22日 - )は日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属している調教師で、元騎手

目次

エピソード

名伯楽として知られた武田文吾調教師の長男として生まれた。出生地が宮崎県なのは、武田の家族の疎開先だった為である。

武田は、息子を厳しく躾けた。叱る時には、博に競馬用のを持って来させて、それで叩く事もあったという。また小学校に入学した頃には、毎日「調教日誌」を書かせるなど、早くから競馬社会に触れさせていたが、失敗したり手を抜くと直ぐに見破られて叱りつけられるので、本人は、親子の関係と言うよりも師弟関係で、それが嫌で堪らなかったという。しかし、中学校に入学した日に「調教師の仕事は馬をスタートラインにつけるまでで、あとは騎手任せだ。俺はお前(博)をスタートラインにつけたので、あとは自分で考えて行け。」と言われてからは、逆に何も言われなくなった。

やがて武田に弟子入りして騎手見習となり、1964年には騎手免許を取得して晴れて騎手になったが、武田はもっぱら障害競走へ騎乗させた。それを見た競馬記者が「なぜ息子を危険な障害に乗せるのか?」と聞いたところ、「自分の息子をネコかわいがりして、どうして他人から預かった大切な子供を預かれるか。」と応えたと言う[1]

但し、武田厩舎に有力馬が数多く在籍しており、減量騎手の恩恵もあって、シンザンを始め、兄弟子の山本正司騎手のお手馬だったキーストンに騎乗し、勝利を挙げている。

1976年に調教師免許を取得して1978年に厩舎を開業。中々重賞競走を勝てなかったが、1993年に初めて重賞制覇し、現在もコンスタントに勝ち鞍を挙げている。

来歴

騎手成績

通算成績1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地 766666665.114.214
障害 445952298.148.346
120125118963.125.254
日付競走名馬名頭数人気着順
初騎乗・初勝利1964年3月28日-リユウタロー--1着
重賞初騎乗1965年6月20日アラブ大障害(春)ギヤルソンヌ6頭24着
重賞初勝利1969年10月5日阪神障害S(秋)ハードオンワード5頭11着
GI級初騎乗1970年4月29日天皇賞(春)ハードリボー13頭1112着

主な騎乗馬

調教師成績

日付競走名馬名頭数人気着順
初出走・初勝利1978年3月4日-オンワードカツラ--1着
重賞初出走1978年10月21日デイリー杯3歳Sヒカリペガサス11頭43着
重賞初勝利1993年7月4日ラジオたんぱ賞エーピーグランプリ9頭51着
GI初出走1978年11月12日菊花賞ホクザンシャトー20頭1813着

主な管理馬

主な厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

親族

  • 父:武田文吾(元調教師)
  • 義兄:鶴留明雄(調教師)、栗田勝(元調教師)
  • 義弟:菅谷禎高(元調教師)
  • 甥:菅谷正巳(元騎手)、栗田伸一(元騎手、元調教助手

関連項目

参考文献

  • 中央競馬ピーアール・センター(編)『日本の騎手』 日本中央競馬会 1981年

脚注

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  1. ^ 「日本の騎手」(中央競馬ピーアール・センター編、1981年)p201 - p203より。