永山則夫連続射殺事件
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| 最高裁判所判例 | |
|---|---|
| 事件名 | 窃盗、殺人、強盗殺人、同未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反被告事件 |
| 事件番号 | 昭和56年(あ)第1505号 |
| 1983年(昭和58年)7月8日 | |
| 判例集 | 刑集37巻6号609頁 |
| 裁判要旨 | |
| |
| 第二小法廷 | |
| 裁判長 | 大橋進 |
| 陪席裁判官 | 木下忠良 塩野宜慶 宮崎梧一 牧圭次 |
| 意見 | |
| 多数意見 | 全員一致 |
| 意見 | なし |
| 反対意見 | なし |
| 参照法条 | |
| 刑法9条、199条、240条 | |
永山則夫連続射殺事件(ながやまのりおれんぞくしゃさつじけん)とは、1968年10月から11月にかけて、東京都区部・京都市・函館市・名古屋市において発生した、拳銃による連続射殺事件である。警察庁による名称は「警察庁広域重要指定108号事件」である。
目次 |
事件の概要
警察は、一連の事件を警察庁広域重要指定108号事件と命名している。
横須賀のアメリカ海軍基地から盗んだ拳銃[1]により、社会への復讐のために短期間のうちに4人を射殺した。
身柄拘束
1969年4月7日に一連の犯行に使用した拳銃を持って予備校に金銭目的で侵入した所を、機械警備の警報で駆けつけた日本警備保障(現セコム)の警備員に発見されるが、発砲してガードマンがひるんだ隙に逃走。しかし、警視庁が緊急配備を発令。数時間後、警戒中の代々木署のパトカーに発見され逮捕された[2]。
逮捕後の流れ
裁判
永山則夫は、犯行当時19歳の少年だったが、犯行累積の抑止と逮捕のために指名手配されたこともあり、当初から実名報道がなされる[3]。
10年を費やした1審の審議では、1979年に東京地方裁判所で死刑判決を受けたが、2審の東京高等裁判所では、心境の変化(下記参照)家庭環境・生育状況が劣悪であった事、配偶者を得たことを酌量による減刑の理由として、犯行時未成年であったことからその更生を期して1981年に無期懲役に減刑された。
しかし検察側は上告し、最高裁は1983年に東京高裁の判決を破棄して東京高裁に審理を差し戻し、1987年の東京高裁(第二次)と1990年の最高裁(第二次)は「永山則夫が極貧の家庭で出生・成育し、両親から育児を放棄され、両親の愛情を受けられず、自尊感情を形成できず、人生の希望を持てず、学校教育を受けず、識字能力を獲得できていなかったなどの、家庭環境の劣悪性は確かに同情・考慮に値するが、永山則夫の兄弟姉妹たち7人は犯罪者にならず真面目に生活していることから、生育環境の劣悪性は永山則夫が4人連続殺人を犯した決定的な原因とは認定できない」と判断して、死刑判決が確定した。
獄中での心境の変化
一審頃まで
永山は生育時に両親から育児を放棄され(ネグレクト)、両親の愛情を受けられなかった。裁判が始まった当初は、逮捕時は自尊感情や人生に対する希望や他者を思いやる気持ちも持てず、犯行の動機を国家権力に対する挑戦と発言するなど、精神的に荒廃していた。
二審頃まで
その後、獄中結婚した妻やその他の多くの人の働きかけと、裁判での審理の経験を通じて、自己が犯した罪と与えた被害の修復不可能性に関して、自己に対しても他者に対しても社会に対しても客観的に認識・考察する考え方が次第に深まった。その結果、反省・謝罪・贖罪の考えが深まり、最終的には真摯な反省・謝罪・贖罪の境地に至った。また5人分の命(被害者と自分)を背負って贖罪に生きることが償いになるのではないかといったやり取りが残されている。二審のやり取りの中でもし社会復帰をしたらの問いに対し「テストで1番の子がビリの子を助けるような塾をやりたい」といった趣旨の発言をしている。
差し戻しから死刑確定頃
差し戻し審で無期懲役が難しくなると一転して1審のような国家権力に対する発言に変わったが関係者の話では1審のような迫力はなかった。また拘置所で面会に訪れた人に対して社会に出た時の話をしなくなった。弁護士に対して「生きる希望の無かった人に生きる希望を与えておきながら結局殺す。こういうやり方をするんですね」といった趣旨の発言をしたとされている。
死刑執行
永山則夫は、1997年8月1日に東京拘置所において刑が執行された。享年48。
死刑の執行の署名をした法務大臣は松浦功。親族は遺骨の引取りを拒否し、弁護人の遠藤誠が引き取った。遺骨は本人の遺志でオホーツク海に散骨された[4]。
文筆活動
書籍
永山は父親から育児を放棄され、貧しい中荒れた生活を送り学校教育を受けず、逮捕時は読み書きも困難な状態だった。しかし獄中での独学によって識字能力を獲得し、執筆活動を開始した。1971年に手記「無知の涙」をはじめ多くの文学作品を発表している。後にこれらは「日本」という書籍にまとめられる。
1983年には小説「木橋」で第19回新日本文学賞を受賞するなど創作活動を通して自己の行動を振り返るという、死刑囚としては稀有な存在であった。また、それらの印税を4人の被害者遺族へ支援者を通して渡している(受け取りを拒否した遺族もいる)。
手紙
永山は獄中からたくさんの手紙を書いている。内容は獄中結婚した妻や支援者とのやり取りから本の読者からの悩み相談まで多岐に渡る。また永山は返信する文面を写していたため遺品の中には受け取った手紙と返信した手紙が対になって保管されている。
永山基準
この事件以降殺人事件において死刑判決を宣告する際は、永山判決の傍論である死刑適用基準を判例と同等に参考にしている場合が多く、永山基準と呼ばれその影響力も大きい。1983年に第1次上告審判決では基準として以下の9項目を提示、そのそれぞれを総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合に許されるとした。
- 犯罪の性質
- 犯行の動機
- 犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性
- 結果の重大性、特に殺害された被害者の数
- 遺族の被害感情
- 社会的影響
- 犯人の年齢
- 前科
- 犯行後の情状
と具体的に基準が示され、傍論の効果や是非について議論される時には、永山基準が参考にされる事が多い。しかし光市母子殺人事件の最高裁の判断では、「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」とし、事件発生時に被告が少年であったとしても、特別な情状酌量の余地が無い場合。『原則・死刑適用、例外・死刑回避』という新たな判断の枠組みが示され、永山基準の基準も変化しつつある。
殺害された被害者の数
この判例以降、4人以上殺害した殺人犯に対しては、裁判所が被告人の犯行時の心神耗弱・自首・従犯・未必の故意などを認定して無期懲役に減刑して判決をした事例(1980年の新宿西口バス放火事件(6人殺害)や1981年の深川通り魔殺人事件(4人殺害)、1982年の西成区麻薬中毒者殺人事件(4人殺害)、1995年の地下鉄サリン事件の林郁夫、2000年のテレホンクラブ放火殺人事件(4人殺害)、2002年の北九州監禁殺人事件(6人殺害、1人傷害致死)等の例)を除けば、裁判所は原則としては死刑判決を適用している。尚、1989年の熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件は、殺人の前科があったものの、共犯者が無期懲役が確定していたため、刑の均衡を失するとして、無期懲役が確定している。
また、1人だけを殺害した殺人犯に対しては身代金目的誘拐ではなく、殺人の前科がない場合は死刑判決を回避する傾向が長らく続いてきたが、近年は厳罰化の世論の影響で、身代金目的誘拐以外で殺人の前科がなく被害者が1人であっても死刑判決が確定されるケースが見られるようになった(三島女子短大生焼殺事件、奈良小1女児殺害事件、闇サイト殺人事件、横浜中華街料理店主射殺事件)。また、地下鉄サリン事件の横山真人は自身が散布した車両では一人の死者も出さなかったが、サリン散布計画の内容全体を熟知し関与したことを裁判所は重視して、地下鉄サリン事件全体の関与者の一人として殺人罪が適用されて死刑が確定している。
参考文献
- 永山則夫『捨て子ごっこ』河出書房新社
- 永山則夫『人民をわすれたカナリアたち』河出書房新社
- 永山則夫『無知の涙』河出書房新社
- 永山則夫『なぜか、海』河出書房新社
- 永山則夫『異水』河出書房新社
- 永山則夫『華(1)』河出書房新社
- 永山則夫『華(2)』河出書房新社
- 永山則夫『華(3)』河出書房新社
- 永山則夫『華(4)』河出書房新社
- 永山則夫『木橋』立風書房
- 永山則夫『文章学ノート』朝日新聞社
- 永山則夫『死刑確定直前獄中日記』河出書房新社
- 永山則夫『永山則夫の獄中読書日記 死刑確定前後』朝日新聞社
- 池上正樹『連続殺人事件』同朋舎出版
- 佐木隆三『死刑囚 永山則夫』講談社
関連項目
- 永山則夫
- アンラッキーヤングメン(漫画 大塚英志原作、藤原カムイ作画)特定している訳ではないが、Nとして登場。
脚注
- ^ 永山は自殺願望があり、米軍基地に乗り込み暴れれば射殺されるだろうと思い忍び込んだところ、偶然に宿舎内に置いてあった婦人護身用の22口径の小型拳銃を入手したので、社会への復讐心から計画を変更したと供述している。
- ^ この様子は、番組内では直接犯人の名には触れなかったが、NHKのプロジェクトXの中で、この再現シーンが放送されたことがある。
- ^ 1965年の少年ライフル魔事件でも同様である。
- ^ 遠藤誠弁護士の談によると、遠藤弁護士を通じて花柳幻舟に身元引受人を要請したが、断られている。また、自分が死刑になれば「著作を通して自分を支持してくれている人達が一斉蜂起し、内乱になるぞ!」とも語ったという。




