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海上護衛隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大日本帝国海軍
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海上護衛隊(かいじょうごえいたい)は、旧日本海軍の部隊編制の一つ。太平洋戦争序盤に南方資源地帯占領に成功したため、占領地の資源を輸送するシーレーン防衛を目的とした船団護衛部隊として発足した。しかし老朽艦艇特設艦艇が主力で対潜・対空装備が充実した専用艦艇が配備されず、兵力も少なかったため、連合軍による通商破壊が本格化すると対応できず、輸送船団に甚大な被害が続出した。その後、海防艦の大量建造がすすむと各海上護衛隊に配備されたほか、航空部隊も編入されるなど戦力の増強が図られた。本稿では、4個の海上護衛隊とともに、第一海上護衛隊を発展解消した第一護衛艦隊を合わせて述べる。

目次

第一海上護衛隊

1942年4月10日、攻略が完了した東南アジアと日本本土を結ぶシーレーンの船団護衛を実施するため、南西方面艦隊直率部隊として編成された。大規模な部隊であるため、「艦隊」ではないにもかかわらず参謀部があり、参謀長が在籍する。守備範囲は、西航路・東航路・横断航路の3航路とされた。各航路は日本本土-上海・台湾航路までを共有し、そこからマニラミンダナオ島を経てボルネオ島経由でジャワ島を終点とする東航路と、香港海南島サイゴンを経由してシンガポールを終点とする西航路、サイゴンとマニラを直結する横断航路に分かれていた。

南シナ海は1943年頃までは散発的な潜水艦攻撃を受ける程度であり、もともとの所属艦艇のうち老朽艦の割合が高かったこともあって、新鋭海防艦への更新はなかなか進捗しなかった。[1]1943年11月15日に海上護衛総司令部が設置されると、その主力部隊に迎えられた。1944年に入ると、南シナ海航路でも通商破壊が本格化し、それに対応すべく編制・制度が頻繁に変化した。ヒ船団やミ船団などの重要な資源船団の護衛を担当することになった。同年10月にフィリピンの地上戦が始まると東航路は途絶。西航路の死守を目的に「第一護衛艦隊」へと改編された。

  1. ^ 南西方面艦隊は侵攻作戦が終わって占領統治部隊に切り替わったため、当初から特設艦艇・老朽艦艇を主力としていた。

編制

(新編時の編制)

  • 特設巡洋艦浮島丸
  • 特設砲艦…華山丸・唐山丸・北京丸・長寿山丸・でりい丸
  • 水雷艇…鷺・隼
  • 駆逐艦…第十三駆逐隊(若竹・呉竹・早苗)、第二十二駆逐隊(皐月・水無月・文月・長月)、第三十二駆逐隊(朝顔・芙蓉・刈萱)

歴代司令官

  • 井上保雄少将(1942年4月10日-)
  • 中島寅彦少将(1943年1月14日-)
  • 岸福治少将(1944年11月4日-1944年12月10日第一護衛艦隊に改編後も留任)

歴代参謀長

  • 山口次平大佐(1942年4月10日-)
  • 堀江義一郎大佐(1943年1月21日-)
  • 堀内茂忠大佐(1944年5月18日-1944年12月10日第一護衛艦隊に改編後も留任)

第一護衛艦隊

1944年12月10日、第一海上護衛隊を発展解消した組織で、当初はヒ船団に代表されるシンガポールを終点とする南方航路の死守を目指した。しかし、1945年1月12日にアメリカ機動部隊が仏印沿岸に進出し、第101戦隊で護衛中のヒ86船団が壊滅させられた。その後、南号作戦が発動されて第一護衛艦隊は主力として参加したが、3月下旬に海上護衛総司令部は南シナ海航路を断念した。代わって、台湾・上海を終点とする東シナ海航路の死守を画策したが、これも、沖縄戦に備えたアメリカ機動部隊の事前空襲のために不可能となった。以後は東シナ海横断航路ではなく、上海-青島-木浦・馬山・済州島下関の迂回ルートを取らざるを得なくなった。

1945年4月からはB-29による日本本土港湾への機雷投下(飢餓作戦)が始まり、下関港をはじめ全国の港湾が封鎖された。4月14日には第一護衛艦隊主力が駐留する済州島泊地への潜水艦攻撃が実施され、第一海防戦隊が壊滅している。6月末から日号作戦に従事し、最終的には、舞鶴新潟酒田秋田函館小樽を結ぶ日本海沿岸航路と、舞鶴・新潟-元山羅津・雄基(現先鋒)間を結ぶ日本海横断航路を確保しつつ終戦を迎えた。なお、ソ連対日参戦に際し、隷下海防艦の一部が終戦による停戦命令に反して朝鮮・樺太に入港し、邦人救出を敢行している。

編制

(改編時の編制)

  • 第101戦隊…巡洋艦香椎、海防艦大東・鵜来・第23号海防艦・第27号海防艦・第51号海防艦
  • 第5・第7・第8護衛船団司令部(固有の部隊を保有せず、船団編制時に隷下部隊を指揮する司令部)
  • 航空母艦海鷹
  • 駆逐艦汐風・春風・呉竹
  • 第1海防隊(千振・第13号・第19号)
  • 第11海防隊(第1号・第3号・第13号・第130号・第134号)
  • 第12海防隊(第14号・第16号・第46号)
  • 第31海防隊(沖縄・第63号・第207号)
  • 第九三一海軍航空隊


歴代司令長官

歴代参謀長

  • 堀内茂忠大佐(第一海上護衛隊参謀長より留任-)
  • 杉浦矩郎大佐(1945年1月1日-)
  • 後藤光太郎少将(1945年4月1日-)※第七艦隊参謀長を兼任。
  • 鳥越新一少将(1945年7月10日-戦後解隊)※本務は舞鶴鎮守府参謀長

第二海上護衛隊

1942年4月10日に、横須賀トラック環礁パラオ諸島間の東西2航路の防衛を任務として第四艦隊隷下に編成された。担当する航路は小笠原諸島を経由してマリアナ諸島で東西に分岐し、東航路はトラックを終点とし、西航路はパラオを終点としていた。なお東航路の延長線にはカロリン諸島マーシャル諸島ギルバート諸島ビスマーク諸島ソロモン諸島があり、西航路の延長線上には西ニューギニアスンダ列島ミンダナオ島が存在し、それぞれ特務艦艇・特設艦艇による輸送が行われていた。分岐があり、長大なシーレーンを担当するにもかかわらず、当初は特設艦艇3隻からなる1個戦隊しか充当されなかった。しかも創設からわずか1週間後の4月17日、トラック入港目前の特設巡洋艦金城山丸が撃沈され、さっそく護衛隊は破局の危機に直面した。そこで7月10日、内南洋平定を終えて遊兵化していた第六水雷戦隊を併合し、ようやく対潜能力を備えた船団護衛部隊として一応完成した。

ソロモン諸島の消耗戦が長期化して前線の駆逐艦が不足すると、第二護衛隊所属の老朽駆逐艦もソロモンに引き抜かれ、順次、水雷艇や海防艦に置き換えられた。1944年2月17日にトラック環礁は大空襲を受けて基地機能が失われたため、航路の終点はサイパン島まで後退した。サイパン島航路は絶対国防圏強化のための重要航路とされ、第二護衛隊だけではなく連合艦隊の増援を得て松輸送の名の下で護衛が行われたが、アメリカ潜水艦の徹底的な攻撃により、輸送船団の損害を食い止めることはできなかった。6月にはサイパン島上陸に向けたアメリカ機動部隊による航空攻撃も加わり、担当航路は途絶した。司令官の辻村武久少将はサイパン島の地上戦で戦死し、同島が陥落した7月18日付で第二海上護衛隊も解散された。

編制

(1942年7月改編時の編制)

  • 巡洋艦夕張(旧第六水雷戦隊旗艦。まもなく実施部隊に復帰)
  • 第二九駆逐隊…追風朝凪夕凪(旧第六水雷戦隊。まもなく水雷艇と交代し実施部隊に復帰)
  • 特設砲艦長運丸(新編当初から在籍)
  • 特設巡洋艦能代丸(新編当初から在籍、まもなく特設運送船に降格)

(1944年7月、解隊直前の編制)

  • 駆逐艦朝凪
  • 特設砲艦長運丸
  • 海防艦…隠岐・福江・平戸・御蔵・天草・能美
  • 水雷艇…鵯・鴻

歴代司令官

  • 茂泉慎一少将(1942年4月10日-)※本務は第四根拠地隊(カロリン諸島防衛)司令官
  • 武田盛治少将(1942年6月15日-)※本務は第四根拠地隊(カロリン諸島防衛)司令官
  • 若林清作少将(1943年7月15日-)
  • 有馬馨少将(1944年2月19日-)※本務は第四根拠地隊(カロリン諸島防衛)司令官
  • 辻村武久少将(1944年3月1日-1944年7月8日サイパン島で戦死)※本務は第五根拠地隊(マリアナ諸島防衛)司令官
  • 1944年7月18日解隊

第三海上護衛隊

1944年5月20日、東京湾大阪湾航路の船団護衛を担当するために、海上護衛総司令部直率の部隊として編成された。海上輸送の大動脈であり、大戦序盤の頃から散発的に潜水艦被害が出ていた航路で、従来は横須賀鎮守府と大阪警備府が管轄していたが、相互連絡の不備などの不都合が続出した。これを解消するために海上護衛隊が設置された。しかし護衛艦艇が極端に少なく、串本海軍航空隊の編入も見送られたため航空支援も得られなかった。大規模に対潜機雷が敷設されていた三陸沖航路のような厳重な防御も困難であった。満足な成果のないまま、本土決戦に向けて伊勢湾の水際防御を担当する第四特攻戦隊に改編された。

編制

(新編時の編制)

  • 測量艦駒橋(特攻戦隊に転籍後、1945年7月28日戦没)
  • 敷設艇成生(1945年2月16日戦没)
  • 第14号駆潜艇(特攻戦隊に転籍後、1945年7月28日戦没)
  • 第46号哨戒艇(1944年11月10日戦没)
  • 第26掃海隊、伊勢防備隊

歴代司令官

  • 中邑元司少将(1944年5月20日-1945年4月15日第四特攻戦隊に改編後も留任)

第四海上護衛隊

1944年4月10日、佐世保鹿児島沖縄間航路の船団護衛を担当する目的で、海上護衛総司令部隷下の部隊として編成された。当時、沖縄が戦場となる恐れが極めて高まってきていたが、既存の第二海上護衛隊が担当する南方航路は沖縄を通らず台湾を経由していたため、沖縄への新たな輸送ルートを設置する必要があったためである。第四海上護衛隊の司令部は、沖縄を防衛する「沖縄方面根拠地隊」司令部が兼任し、沖縄への物資輸送と住民の本土疎開を推進した。戦力は微々たるもので、対馬丸をはじめとする商船の喪失は防げなかった。1945年2月に、沖縄方面根拠地隊を地上戦に専念させるために司令部の兼任は解除され、海上護衛総司令部の直率部隊に変更された。

連合軍が、沖縄上陸に向けて3月下旬から九州地区へ空襲を開始すると、沖縄航路も途絶した。このため船団護衛が不可能となった第四海上護衛隊は、本土決戦に備えて南九州防衛を任務とする第五特攻戦隊へ編入されることになり、5月10日付で改編消滅した。しかし、すでに所属艦艇の大半が失われており、特攻戦隊に委譲できたのは駆潜艇2隻に過ぎなかった。

編制

(新編時の編制)

  • 沖縄海軍航空隊(1944年12月15日、第九五一海軍航空隊に編入)
  • 水雷艇友鶴(1945年3月24日戦没)
  • 第15号掃海艇(1945年3月5日戦没)
  • 第49号駆潜艇(特攻戦隊に転籍後、終戦時まで残存)、第58号駆潜艇(特攻戦隊に転籍後、1945年5月22日戦没)
  • 特設砲艦富津丸(1944年10月22日戦没)

歴代司令官

  • 新葉亭造少将(1944年4月10日-)※本務は沖縄方面根拠地隊司令官
  • 大田実少将(1945年9月30日-)※本務は沖縄方面根拠地隊司令官
  • 駒沢克己少将(1945年2月25日-1945年5月10日第五特攻戦隊に改編後も留任)