渡邉孝男
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ファイル:Flag of Japan.svg 日本 |
| 出身地 | 北海道美唄市 |
| 生年月日 | 1974年2月28日(38歳) |
| 身長 体重 |
181cm 88kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手 |
| プロ入り | 1991年 ドラフト7位 |
| 初出場 | 1993年10月17日 |
| 最終出場 | 1996年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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渡邉 孝男(わたなべ たかお、1974年2月28日 - )は、北海道美唄市出身の元プロ野球選手(捕手)。
目次 |
来歴・人物
美唄市立東小学校で野球を始め、札幌篠路高校では投手もつとめる。卒業後、西武にドラフト7位指名されて入団、強肩捕手として期待される。入団2年目に2軍の正捕手となり、1軍選手登録も度々されるものの、伊東勤・植田幸弘らの壁は厚く、その後9年間在籍するも出場試合は4試合にとどまり、2000年に戦力外通告を受ける。
2001年シーズンから地元札幌の社会人野球チーム、サンワード貿易に入団、ホームを守り、主軸を任される。2002年の都市対抗野球では4番を打ち、チーム初のベスト8入りに大きく貢献した。
2002年オフ、日本ハムへの入団が決まる。同年、プロアマ間の取り決めにより、社会人野球で2年以上プレーした元プロ野球選手は自由契約選手同様の扱いでプロ野球に復帰できることとされており、渡邉がその第1号となった(参照:柳川事件)。しかし日本ハムでの2シーズンで、1試合も一軍の試合には出場できず、2004年オフに2度目の戦力外通告を受けた。2005年からは沖縄電力に所属したが、平良幸一監督の退任と時を同じくして、2007年シーズン半ばで現役を退いた。
2007年4月1日、日本ハム-西武戦において、日本ハム稲田直人がプロ一軍初のファーストスタメンとして出場した際、過去に渡邉に貰ったファーストミットを用いて出場した。幸い、守備も無事にこなし、ヒットも打ったデビューをアシストした形となった。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1993 | 西武 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
| 1994 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
| 1996 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
| 通算:3年 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
背番号
- 62 (1992年 - 2000年)
- 33 (2003年 - 2004年)
参考資料
- 「道新スポーツ」2003年6月12日
関連項目
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