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王明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

王明
ファイル:CCP-WangMing.jpg
1930年代撮影
プロフィール
出生: 1904年4月9日
光緒30年2月24日)
死去: 1974年3月27日
ファイル:Flag of the Soviet Union.svg ソビエト連邦ロシア・ソビエト社会主義連邦共和国モスクワ
出身地: ファイル:China Qing Dynasty Flag 1889.svg 清国安徽省六安州
職業: 政治家
各種表記
繁体字 王明
簡体字 王明
ピン音 Wáng Míng
和名表記: おう メイ
発音転記: ワン ミン
ラテン字 Wang Ming
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王 明(おう めい)は中華民国政治家。一時期中国共産党の最高指導権を掌握したが、中華人民共和国成立後はモスクワに事実上亡命した。本名は陳 紹禹(ちん しょうう)。

武昌大学在学中に青年共産同盟に加入し、1925年に中国共産党に入党した。モスクワ中山大学に留学し、中国共産党モスクワ支部を指導し1930年に帰国。当時の最高指導者であった李立三を批判し、党の最高指導権を握った。

1931年ソ連からコミンテルン中国代表に指名されたが、毛沢東との権力闘争に敗れ、遵義会議で完全に党内の影響力を失った。

1943年春、権力奪還を計画。コミンテルンを通して毛沢東を押さえ込む目的で、密かにソ連行きを画策したが、5月にコミンテルンが解散したため計画は失敗した。

中華人民共和国建国後は政務院政治法律委員会主任としてさまざまな法律の制定に貢献したが、1956年に「病気治療」の名目でソ連に事実上亡命、死ぬまでソ連にとどまった。


 ファイル:Flag of the Chinese Communist Party.svg 中国共産党
先代:
向忠発
中央委員会総書記
代行: 1931年 - 1932年
次代:
博古