秋田焼山
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| 秋田焼山 | |
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ファイル:秋田焼山.JPG 栂森 (八幡平)から見た秋田焼山(2010年8月 | |
| 標高 | 1,366 m |
| 所在地 | 秋田県鹿角市・仙北市 |
| 位置 |
北緯39度57分50.0秒 東経140度45分25.4秒 |
秋田焼山(あきたやけやま)は、秋田県の北東部に位置し、鹿角市と仙北市との境界にある活火山である。
概要
直径約7kmの成層火山である。熊沢山、硫黄山とも言われている。
直径600mの外輪山があり、焼山の山頂は外輪山の南西の縁にある。デイサイトの溶岩円頂丘が、火口底の中央火口丘鬼ヶ城と火口南東縁にある。主山体東側に側火山栂森がある。また、中央火口丘である国見台から東に溶岩が流出している。山体南側には側火山黒石森がある。
山頂部には直径700mほどの山頂火口である空沼がある。空沼は白濁しており、盛んに水蒸気を噴出し、周囲には硫黄臭が立ち込めている。
写真の山頂右下にあるのが、中央火山丘である溶岩ドームの鬼ヶ城である。その下に見える建物が、焼山避難小屋である。鬼ヶ城上方の外輪山のへりに、名残峠がある。名残峠周辺は歩きづらくなっているが、空沼や鬼ヶ城の奇岩を眺めることができる。
焼山山頂付近は硫気変質が著しく、山頂火口や山麓に多くの温泉がある。東側には後生掛温泉、西側には玉川温泉があり、焼山登山への出発点・終着点となっている。後生掛温泉と玉川温泉の間にはバスが運行されており、縦走登山の際に利用をすることができる。火山性ガスによる登山者の事故が起きており、登山道以外の立ち入りは禁止されている。山頂部への立ち入りもできない。
伝説
奥州征伐に来た坂上田村麻呂は、蝦夷の大将である大猛丸を八幡平で討ち取った。しかし、登鬼盛という武将は難を逃れ、鬼ヶ城に立てこもり、決戦を迎えた。カルデラの中に突き出た溶岩ドームは、周囲を急斜面で囲われ、その頂きに立てばどんな方向から攻められても優位に立てる。しかし力及ばず、登鬼盛も討ち取られてしまったと言われている。史実では、坂上田村麻呂はこの地には到達していない。
火山活動
- 50万年前 古焼山溶岩流の流出で、秋田焼山の形成が始まる。
- 7.3万 - 3.4万年前 溶岩や火山灰を繰り返し噴出し、主要な火山帯が形成される。
- 5000 - 1600年前 溶岩ドームを形成する噴火が3回発生する。
- 807年(大同2年) 噴火?
- 1678年(延宝6年)2月21日 噴火、降灰。
- 1867年(慶応3年) 噴火?
- 1887年(明治20年) 噴火?
- 1890年(明治23年)9月23日 噴火?降灰?
- 1929年(昭和4年)9月 噴火?降灰?
- 1948年(昭和23年) 噴火。泥粒が5 - 7kmにわたり、飛散。
盛んに噴煙を上げている




