筑紫駅列車空襲事件
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ファイル:Former Chikushi Station waiting room.jpg
事件当時の筑紫駅の待合室。屋根に機銃掃射による穴が2か所開いているのがわかる
筑紫駅列車空襲事件(ちくしえきれっしゃくうしゅうじけん)は、第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)8月8日午前に、福岡県筑紫郡筑紫村(現、筑紫野市)内の西日本鉄道(西鉄)大牟田線筑紫駅付近で発生した空襲事件である。非武装の列車数本に対してアメリカ軍の戦闘機複数が機銃掃射を加え、多数の死傷者が発生した。
事件の概略
8月8日、西鉄福岡9時40分発の大牟田行き下り普通列車(100形を使用)は途中、入営者を中心に200人近い客を載せ、ほぼ満員状態であった。途中、空襲警報発令のために1時間停車、筑紫駅には午前11時頃に差し掛かった。ほぼ同じ頃、久留米方面から福岡方面へ向かう上り列車(200形を使用)も筑紫駅に差し掛かっていた。
この2列車が、米軍のP-51戦闘機による機銃掃射を受けた。筑紫駅周辺は田園地帯であり、航空機による攻撃に対して無防備であった。両列車、合わせて、死者の数は64名(これより多いとする証言もあり)、負傷者数は100余名という甚大な被害を受けた。
なお、この日、宮の陣駅でも列車が機銃掃射を受け、数名が負傷している。
1981年に、空襲時に筑紫駅のプラットホーム上にあった待合室が、筑紫野市役所筑紫出張所敷地内に移築された。現在も、保存されている。




