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花田清輝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

花田 清輝(はなだ きよてる、1909年明治42年)3月29日 - 1974年昭和49年)9月23日)は、作家文芸評論家新聞記者東北大学金属材料研究所教授であった花田黎門は息子。アニメ脚本家花田十輝は孫。

来歴・人物

福岡県生まれ。旧制福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)から第七高等学校に入学するも退学する。その後京都帝国大学文学部に選科生として入学するも、父親の事業の失敗により学費が払えず、1931年(昭和6年)11月、京大文学部英文科を除籍される。しかし滝川事件が起こると、古谷綱正高木養根らとともに文部省による大学自治への干渉に反対する文学部の運動を指導した。その後上京し『軍事工業新聞』(現・日刊工業新聞)記者などを経験する。この時期には、中野正剛と関係を持ちながらも、時流に距離を置いた発言をし、第二次世界大戦後に『復興期の精神』としてまとめられる一連の文章を発表していた(しかし、中野と関わりを持ったことは、戦後吉本隆明との論争(後出)において、吉本に「東方会の下郎」と誹謗される根拠となった)。また1943年(昭和18年)に右翼の三浦義一尾崎士郎の対談を批判した「虚実いりみだれて」を発表し、右翼団体「大東塾」関係者に暴行を受け、謝罪文を書かされる。

戦後、新日本文学会に入会。また、出版社・真善美社(中野正剛の息子の中野達彦・泰雄兄弟が経営)にかかわり、第一次戦後派作家の作品を出版する。1950年代前半には雑誌『新日本文学』の編集長となるも、日本共産党と対立し編集長を罷免される。1956年(昭和31年)には吉本隆明と戦争責任論をめぐって論争を繰り広げた。1961年(昭和36年)の日本共産党の第8回党大会にあたって、党の規律にそむいて、党運営を批判する声明書を所属のことなるものたちとの連名で公表、党を除名される。以後、共産党とは距離を置きながら左翼的な立場で評論活動を行う。中華人民共和国文化大革命を支持したことでも知られる。

映画や演劇の評論も多く手がけ、総合芸術・共同制作の実現を目標とした。日本のアヴァンギャルド芸術論のさきがけ的存在であり、岡本太郎安部公房など影響を与えた芸術家も多い。

著書に『復興期の精神』『鳥獣戯話』(毎日出版文化賞)など。ガロア群論について、よく言及したことでも知られる。

未來社より『花田清輝著作集』(全7巻、生前の出版)、講談社より『花田清輝全集』(全15巻)がそれぞれ刊行されている。

川本三郎からは、エッセイの文中においてランティエ(高等遊民)ではないが「魅力のある悪家老」と評されている。

作品

  • 復興期の精神
  • アヴァンギャルド芸術
  • 近代の超克
  • もう一つの修羅
  • 鳥獣戯話
  • 小説平家
  • 随筆三国志
  • 日本のルネッサンス人

外部リンク