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苑田聡彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

苑田 聡彦
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
出身地 福岡県
生年月日 1945年2月23日(67歳)
身長
体重
173cm
73kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手内野手
プロ入り 1964年
初出場 1964年
最終出場 1977年
経歴(括弧内は在籍年)

苑田 聡彦(そのだ としひこ、1945年2月23日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手外野手内野手)。

目次

来歴・人物

三池工高時代は九州一のスラッガーとして名をはせており「中西二世」とも呼ばれ期待されていた。1964年にプロ入りし、地元の西鉄ライオンズなどが獲得にのり出したが、苑田が選んだのは一番条件の低かった広島カープだった。広島入団の決め手となったのは担当だった久野久夫スカウトの人柄であり、「久野さんの熱心さにひかれた。お金はどうでもよかった」と語っている。

173センチという小柄な体でプレーし、技術面では問題なかったが精神面で弱く、1軍では結果を残せなかった。4年目となる1967年オープン戦で好調も開幕2軍を命じられ、悔しさを味わった。だが、その悔しさが苑田を変え、2ヵ月後には1軍へ戻った。6月に山本一義の負傷欠場でチャンスを掴み、今までにないほどよく打った。この年は109試合に出場し、打率.266と最高の成績を残した。ようやく定位置も確保できると思われた時に1969年山本浩二の入団で外野から内野へコンバートされた。当初は外野で山本と競い合いたい気持ちが強く、山本が入団してきた年の契約で内野コンバート前提の契約が盛り込まれていたので春のキャンプに入ってもなかなかサインをしなかった。これ以降は打席にもあまり立てず、守備固めの出場が多くなった。

再びチャンスが訪れたのは1975年、5月に大下剛史が負傷欠場し、代わりに1番を打ち10試合で40打数17安打と大当たりする。5月17日大洋ホエールズ戦では先頭打者本塁打を放ち、チームを首位へと浮上させた。その後も三村敏之シェーンの代役として出場し、スーパーサブとしてこの年の球団の初優勝に貢献し、自身も忘れられないシーズンとなった。

1977年に現役引退し、スカウトとして球団に残り、東日本を中心に活動。スカウトとしてのスタートは球団から唐突に「東京でマンション一部屋探しとけ」の指令からだった。ほとんど知らなかった東日本での活動に当初はかなり苦労したらしい。江藤智金本知憲嶋重宣黒田博樹大竹寛永川勝浩らを入団させた。2006年からスカウト部長に就任。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1964 広島 1110000000000000000.000.000.000.000
1965 1312110100010000010060.091.167.091.258
1966 2820192200151000010040.105.150.263.413
1967 1094254025510718681613587611303656.266.294.400.695
1968 7515615116311134375300500271.205.231.285.516
1969 391161066201002142331600201.189.232.198.430
1970 4165583112011652030400100.190.242.276.518
1971 486058911111174000010193.190.217.293.510
1972 871921751539322521544501200204.223.273.297.570
1973 98166141103061038102901610273.213.293.270.562
1974 942602373171623902123911201352.300.336.380.716
1975 6114914215355014362111500134.246.272.303.575
1976 80174163133553252151233401203.215.238.319.557
1977 4048473101011411010000100.213.213.298.511
通算:14年 814184417111784034916235531152725407801626627.236.272.323.595

背番号

  • 34 (1964年 - 1974年)
  • 2 (1975年 - 1977年)

関連項目

参考文献