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薮田安彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

薮田 安彦 (藪田 安彦)
千葉ロッテマリーンズ #49
ファイル:Yabuta yasuhiko.jpg
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
出身地 大阪府岸和田市
生年月日 1973年6月19日(38歳)
身長
体重
183cm
85kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 ドラフト2位
初出場 NPB / 1996年5月31日
MLB / 2008年4月5日
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム ファイル:Flag of Japan.svg 日本
WBC 2006年

薮田 安彦(やぶた やすひこ、本名:藪田 安彦(読み同じ)、1973年6月19日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手投手)。

目次

経歴

上宮高校時代は主に控え投手で、一つ後輩の西浦克拓などの影に隠れて目立つ存在ではなかった。 新日鐵広畑に進み、球速、変化球に磨きをかけ、この時点で投手としての原形は完成したと言える。

日本時代

1995年ドラフト千葉ロッテマリーンズに2位で指名され入団。入団当初は先発として起用され、1年目には完封勝利も達成。2年目には規定投球回に到達したが、その後は最高でも4勝と伸び悩む。

ボビー・バレンタイン監督が就任した2004年に中継ぎへ転向。シコースキーの退団で右のリリーフが手薄になっていたこともあり、この年リーグ最多の66試合に登板。中継ぎ転向後、先発時代は140km/hそこそこだった球速が150km/h近くを表示するようになった。

2005年、中継ぎ投手部門のファン投票1位により、プロ10年目でオールスターに初出場。チーム最多の51試合に登板し、31年振りの日本一に貢献。藤田宗一小林雅英とのロッテの勝利の方程式YFKと称された[1]

2006年ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出。中継ぎとして4試合に登板し(4回1/3を投げて自責点1)日本チームの優勝に貢献。アメリカ戦では窮地の場面でアレックス・ロドリゲスを三振に取ると、ボブ・デービッドソンによるタッチアップの誤審があった次の回という苦しい場面でデレク・リージョニー・デイモンから三振を奪うなど完璧な投球を披露した。

2007年、58試合に登板し、4勝6敗4S、防御率2.73。38ホールドで自身初のタイトル「最優秀中継ぎ投手」を獲得した。小林雅不在の終盤戦には守護神としても活躍した[2]

オフには海外FA権を行使。団野村を代理人とし、11月28日カンザスシティ・ロイヤルズと総額600万ドルの2年契約を交わした(2008年250万ドル+2009年300万ドル、オプションとして3年目 延長が破棄された場合には違約金50万ドル)。

メジャー時代

2008年、26試合に登板して防御率5.46、マイナーでも12試合で防御率5.40と結果が残せず、8月2日に戦力外となり40人枠から外されたが、1か月で再昇格。しかし11月4日に再度降格となった。オフにはFAで他球団移籍も可能だったがマイナー行きを受け入れた。

2009年スプリングトレーニングに招待選手として参加。しかしオープン戦7試合に登板するも12安打8失点と結果を残せず、3月22日にマイナー行きを通告された。AAA級オマハで26試合に登板し2勝1敗、防御率3.55。8月24日、この年初のメジャー昇格を果たした。

ロッテ復帰

ロイヤルズが選択権を行使せず自由契約状態だったが、11月23日に千葉ロッテマリーンズへ復帰し、11月28日に入団会見が行われ背番号は49に決まった。翌年3月9日には登録名の姓を本名の「藪田」から略字を使った「薮田」に変更している。

2010年は復帰前の役割を継続し、主にセットアッパーとして活躍。特にクライマックスシリーズから日本シリーズでは7試合に登板して防御率0.00と際立った活躍を見せた。2005年以来のクライマックスシリーズでの優勝、および日本シリーズ優勝・日本一に貢献した。

2011年は、小林宏之の移籍に伴い自身初のシーズンを通してのクローザーの役目を任される。防御率WHIPは高水準を記録し、ブラウンセーブは2回、31セーブを記録するなど自身の役割を充分に全うしたシーズンとなった。

プレースタイル

ファイル:Yasuhiko Yabuta 2010.jpg
藪田の投球フォーム(2010年)

球種は140km/h後半のストレートスライダーフォークチェンジアップなど。球威のある直球を主体に変化球を織り交ぜる強気な投球スタイルが持ち味。メジャーでは2009年に95mph(約153km/h)を計測し、2010年5月24日の阪神戦では2球連続で151km/hをマークするなど、30歳後半でも球威を保っている。

人物

父親は、尾崎行雄を擁した浪商高校1961年夏の甲子園優勝時のメンバーである。上宮高校時代は同級生であった中村豊(現阪神コーチ)の家に居候していた。

オリックスに在籍していたイチロー(現・マリナーズ)に死球を当ててしまい謝りに行ったが「顔が笑っている」と言われて取り合ってもらえなかった。後に薮田は「僕は笑ってなくても笑っているように見えるから。」と明かした。

登板時のテーマ曲はguns n' rosesの『welcome to the jungle』である。かつては AC/DCの『T.N.T』が使われていた。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1996 ロッテ 1811111460--.40037692.07982903585039373.621.17
1997 2524400590--.357621146.1144164822747269643.941.31
1998 1716200290--.182448100.1123154011458661544.841.62
1999 1210000540--.55626057.06893002333133314.891.72
2000 22000010--.000316.293200300101013.501.65
2001 2713000460--.40041497.194154013704046423.881.38
2002 33000120--.3335211.116440080011118.741.76
2003 1713000560--.45530468.274122712443045455.901.47
2004 661000342--.42932877.16243443712126242.791.24
2005 51000074219.63622055.24271312541020193.070.99
2006 47000042118.66723255.04332640480019162.621.25
2007 58000046434.40026462.26451022451021192.731.18
2008 KC 3100001300.25016837.24161700251021204.781.54
2009 1200002100.6677714.0293700940212113.502.57
2010 ロッテ 63000025128.28627765.25992203572026233.151.23
2011 53000012315.33321756.23841310571011111.750.90
NPB:14年 45993711476641104.4164044952.2915114338172366737104374063.841.32
MLB:2年 4300003400.42924551.27092400345042417.141.82
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

背番号

  • 20 (1996年 - 2007年)
  • 27 (2008年)
  • 57 (2009年)
  • 49 (2010年 - )

登録名

  • 藪田 安彦(やぶた やすひこ)(1996年 - 2007年)
  • 薮田 安彦(やぶた やすひこ)(2010年 - )

脚注

  1. ^ 2007年に薮田がロイヤルズへ、小林雅はインディアンズへ、藤田は戦力外通告を受けて巨人へ移籍したため、YFKの3人が同時にロッテを去った。
  2. ^ 数字では素晴らしい成績だが重要な場面で打ち込まれ、特に延長戦での弱さが目立った。

関連項目

外部リンク