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衆議院議長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ファイル:Flag of Japan.svg 日本
衆議院議長
しゅうぎいんぎちょう
ファイル:Go-shichi no kiri crest.svg
国章
現職者:
横路孝弘
(第73代)
就任日:2009年9月16日
任命者 衆議院(1947年より)
天皇(1947年まで)
(なし)
職務代行者 衛藤征士郎
(衆議院副議長)
初代 中島信行
創設 1890年11月29日
公式サイト 衆議院
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衆議院議長(しゅうぎいんぎちょう)は、衆議院における議事を整理し、衆議院を代表する役職。

目次

概要

衆議院議員の中から1名、議院によって選出される[1]参議院を代表する参議院議長とともに立法府を司る三権の長である。

衆議院議長の職については、国会法昭和22年4月30日法律第79号)(以下、本項において「法」という)により両議院に共通した規定と、衆議院規則(昭和22年6月28日議決)(以下、本項において「規則」という)による衆議院独自の規定とがある。

選出と職務の代行

ファイル:国会議事堂 衆議院議場-2.jpg
衆議院議場・中央が衆議院議長席

衆議院議長の選挙は、議会召集日または議長が不在の場合において、集会した議員が総議員の3分の1に達した後で、事務総長による議長の職務代行のもとで行われる[2](法第6条、規則第3条)。議長選挙は無名投票[3] であり(規則第3条第2項)、半数を得たものを当選人とする(規則第8条)。投票の過半数を得た者がない場合は投票数上位2人について決選投票を行い、2人の得票数が同じ場合はくじで決定する(規則第8条第2項)。

議長・副議長の選挙の流れでは、事務総長の「これより点呼を命じます」の宣告で投票が始まり、参事の氏名点呼で呼ばれた議員から時計回りで壇上に上がり、木札の名刺(白色)を参事に渡した後に票を投じる。壇上には参事が2人おり、1人は木札の名刺を受け取り、目盛の付いたケースに積み上げる。もう1人は投票用紙を渡して票を投じる。投票終了後、事務総長が「投票漏れはありませんか」と投票漏れがないか確認し、なければ事務総長の「投票漏れなしと認めます。投票箱閉鎖・開票。これより名刺および投票の計算ならびに投票の点検を命じます。」の宣告が入る。最初に参事3人で名刺の計算を行い、事務次長に集計を記録。続いて投票箱を閣僚席後のテーブルに持って行き、10名の参事により開票作業が行なわれ、最後に集計を行なう。そして結果が記載された用紙を事務次長から事務総長に手渡され、事務総長から投票総数、名刺の数の符合(投票総数との一致)の有無、本投票の過半数、無効票の有無[4]が報告された後、投票の結果が報告される。事務総長自らの結果報告に続き、「右の結果、衆議院規則第8条により、○○君が議長に当選されました。」[5]と宣言する。

ファイル:Imprint of the Speaker of the House of Representatives of Japan.png
帝国議会時の衆議院議長の公印。貴族院議長の公印やその他行政で使用されていた公印とは違い、陰刻となっている。

帝国議会時代は衆議院本会議で議長選挙で候補を上位3人に絞り、3人の候補の中から勅任していた[6]

慣例として議長は第一党、副議長は第二党の長老議員から選出される。また、1973年5月29日以降、慣例として正副議長は会派を離脱し無所属となる。ただし議長・副議長の職を離れた後は出身党派に復帰することが通例。

議長に事故がある場合(議事が長時間となり議長が休息をとる場合を含む。交代は概ね2時間を経過したところでおこなわれる)又は議長が欠けた場合は、議長の職務は副議長が行う(法第21条)。副議長も事故がある場合は、仮議長を選挙又は議院の委任により議長において選任して議長の職務を行わせることになっており(法第22条第1項・第3項)、最年長議員を仮議長に指名する慣例となっている。副議長又は仮議長が議長の職務を行う場合、自称(例:「議長は○○委員長に○○君を指名します」)・他称(例:議事進行係の「議長において○○されることを望みまーす」)は単に「議長」となり、「副議長は」「副議長において」のような呼び方はしないのが慣例である。

本会議場の壇上中央には議長席があり、議長席から見て右脇(議席から見て左)には事務総長席があるが、副議長席といったものはなく、議長に事故等がない限り副議長は自らの議席で審議に参加する。この場合、慣例・先例により議長が投票(賛否表明)をしない案件であっても、議席の副議長は他の議員と同様採決に参加する。

任期・待遇

正副議長の任期は衆議院議員の任期と同じである(法第18条)。解散によってすべての衆議院議員が地位を失うと、議員のひとりである議長も当然にその地位を失う。衆議院議員総選挙が行われたときは、直後に召集された国会の最初の本会議で議長の選挙が行われる(#選出と職務の代行の手続きによる)。

日本国憲法による衆議院の優越とは別に、立法府の長としての衆議院議長は参議院議長と同等の資格であり、歳費などの具体的な待遇もすべて同一である。また、議長・副議長はそれぞれ公邸へ入居することができる。

位置付け

衆議院議長及び参議院議長は立法機関の長として内閣総理大臣(行政)、最高裁判所長官(司法)と並ぶ三権の長の一角である。総理及び最高裁長官の就任には天皇からの任命が必要であるのに対し、議長はこれを必要としない。

栄典に関しては慣例上議長経験者は従二位桐花大綬章(旧・勲一等旭日桐花大綬章)に叙されるが、これは正二位大勲位菊花大綬章に叙される総理経験者より一段格下の扱いとなっている。一方法律上の報酬額に関しては議長は月額218万2000円であり、月額207万1000円の総理及び最高裁長官を上回っている。

議長はその重大な職権にも関わらず、慣例上自己の判断により権限を行使する機会の少ないポストであることから政界においては事実上の名誉職とみられている。

戦後間もない1948年には衆議院議長職経験を持つ山崎猛が首班候補とする山崎首班構想があったり[7]、戦後日本政治の過渡期には衆議院議長経験者がさらなる権力意欲を目指して政権要職に就任する例は珍しくなかった[8]

しかし、戦後日本政治の過渡期が過ぎてからは、衆議院議長は長老格の政治家が最後に就任する上がりのポストとされてきた。また前尾繁三郎坂田道太は衆議院議長退任後に首相就任の声がかかった際に、「議長経験者が首相になるのは国会の権威の上からよくない」として辞退してこともあり、衆議院議長経験者がさらなる権力欲を目指すことは慎むべきとする風潮が浸透していった。衆議院議長候補にあげられた二階堂進小渕恵三は首相に意欲を示していたために議長就任を断っている。自民党では衆議院議長経験者を首相経験者とともに最高顧問として遇するなど、公的な席や政界において三権の長の経験者として高い格式が与えられている。

一方で前述のように戦後日本政治の過渡期時代には議長経験者山崎猛が首相候補に擬せられたり、過渡期が過ぎた後も土井たか子綿貫民輔が衆議院議長職経験後に小政党の党首に就任し、首班指名選挙で票を得た例があった。

なお、衆議院議長を経験後に内閣総理大臣になった者は存在しない(内閣総理大臣経験後に衆議院議長に就任した人物として幣原喜重郎がいる)。

なお、日本社会党民主党出身の副議長のうち、副議長経験後に党首になった者は存在しないが、国会対策委員長や国務大臣に就任した例がある。自民党で正副議長を独占していた時代における副議長はキャリアパスであり、その後に党幹部や閣僚に就任した例も多い(ただし首相になった者はいない)。

天皇臨席の下開催される国会開会式は参議院本会議場で開催されるが、式の主宰者は衆議院議長である。かつて開会式の際、天皇が詔書を読み上げられたあと、衆議院議長は詔書を受け取って天皇に背中を向けぬよう、後ろ向きに階段を降りなければならなかった。1985年福永健司衆議院議長は体力の衰えから後ろ向きに階段を降りることができないため辞任。これをきっかけに本会議場の玉座付近が改修され、階段はスロープに替えられた。

衆議院議長は人事官弾劾の訴追については国会を代表する。

権限

  • 国会閉会中における議員辞職の許可(法第107条ただし書)
  • 議員の議席の指定(規則第14条)
  • 参議院議長と協議して開会式の日時及び場所の指定(規則第19条)
    慣例として、開会式は参議院の議場で行われる。
  • 委員の選任及び辞任の許可(規則第37条)
  • 議院会議中における委員会開催の許可(規則第41条ただし書)
  • 公聴会開催の承認(規則第78条)
  • 会議開始時刻の変更(規則第103条ただし書)
  • 午後6時を過ぎた場合の延会宣告(規則第105条第2項)
  • 自席で発言している者に対する演壇での発言許可(規則第124条)
  • 発言通告をしない者が発言する場合の発言許可(規則第127条)
  • 記名投票における投票時間の制限※(規則第155条の2)
  • 7日を超えない議員請暇の許可(規則第182条)
  • 議事堂内の警察権(法第14章(第114条~118条の2)、規則第16章第1節(第208条~第210条))
  • 議場内の秩序を乱した議員に対する退席命令(規則第233条)
  • 議場に入る者のつえ等携帯の許可(規則第213条ただし書)
  • 演壇登壇の許可(規則第217条)
  • 号鈴を鳴らすことによって全ての者を沈黙させること(規則第218条)
    • 1946年6月21日に号鈴が鳴らされた際、紛糾していた議場がさらに紛糾してしまったことから、それ以後は2000年11月20日に1回使用例があるのみで、号鈴には「鳴らずの鐘」という異名がある。
  • 全ての秩序についての問題の決定(規則第220条)
  • 傍聴人の身体検査(規則第228条)
  • 取締のための傍聴人数の制限(規則第230条)
  • 可否同数時の決裁権(議長決裁権)(憲法第56条第2項、法第92条第2項(両院協議会))

歴代衆議院議長・副議長・仮議長

帝国議会(大日本帝国憲法)

議長

衆議院議長
氏名就任日退任日退任事由所属会派
1 中島信行1890年明治23年)11月26日1891年(明治24年)12月25日解散立憲自由党
2 星亨1892年(明治25年)5月3日1893年(明治26年)12月13日除名自由党
3 楠本正隆1893年(明治26年)12月15日1893年(明治26年)12月30日解散同盟倶楽部
4 楠本正隆1894年(明治27年)5月12日1894年(明治27年)6月2日解散立憲革新党
5 楠本正隆1894年(明治27年)10月15日1896年(明治29年)6月8日議員退職立憲革新党
6 鳩山和夫1896年(明治29年)12月22日1897年(明治30年)12月25日解散進歩党
7 片岡健吉1898年(明治31年)5月15日1898年(明治31年)6月10日解散立憲政友会
8 片岡健吉1898年(明治31年)11月9日1902年(明治35年)12月7日任期満了立憲政友会
9 片岡健吉1902年(明治35年)12月7日1902年(明治35年)12月28日解散立憲政友会
10 片岡健吉1903年(明治36年)5月9日1903年(明治36年)10月31日死去立憲政友会
11 河野広中1903年(明治36年)12月5日1903年(明治36年)12月11日解散憲政党
12 松田正久1904年(明治37年)3月18日1906年(明治39年)1月19日辞職立憲政友会
13 杉田定一1906年(明治39年)1月23日1908年(明治41年)12月23日任期満了立憲政友会
14 長谷場純孝1908年(明治41年)12月23日1911年(明治44年)9月6日辞職立憲政友会
15 大岡育造1911年(明治44年)12月24日1912年大正元年)8月21日任期満了立憲政友会
16 大岡育造1912年(大正元年)8月21日1914年(大正3年)3月6日辞職立憲政友会
17 長谷場純孝1914年(大正3年)3月7日1914年(大正3年)3月15日薨去立憲政友会
18 奥繁三郎1914年(大正3年)3月17日1914年(大正3年)12月25日解散立憲政友会
19 島田三郎1915年(大正4年)5月17日1917年(大正6年)1月25日解散立憲同志会
20 大岡育造1917年(大正6年)6月21日1920年(大正9年)2月26日解散立憲政友会
21 奥繁三郎1920年(大正9年)6月29日1923年(大正12年)2月16日辞職立憲政友会
22 粕谷義三1923年(大正12年)2月17日1924年(大正13年)1月31日解散立憲政友会
23 粕谷義三1924年(大正13年)6月26日1927年昭和2年)3月25日辞職立憲政友会→無所属
24 森田茂1927年(昭和2年)3月26日1928年(昭和3年)1月21日解散憲政会
25 元田肇1928年(昭和3年)4月20日1929年(昭和4年)3月14日辞職元立憲政友会
26 川原茂輔1929年(昭和4年)3月15日1929年(昭和4年)5月19日死去元立憲政友会
27 堀切善兵衛1929年(昭和4年)12月23日1930年(昭和5年)1月21日解散元立憲政友会
28 藤沢幾之輔1930年(昭和5年)4月21日1931年(昭和6年)4月13日辞職立憲民政党
29 中村啓次郎1931年(昭和6年)12月23日1932年(昭和7年)1月21日解散元立憲民政党
30 秋田清1932年(昭和7年)3月18日1934年(昭和9年)12月13日辞職立憲政友会
31 浜田国松1934年(昭和9年)12月24日1936年(昭和11年)1月21日解散立憲政友会
32 冨田幸次郎1936年(昭和11年)5月1日1937年(昭和12年)3月31日解散元立憲民政党
33 小山松寿1937年(昭和12年)7月23日1941年(昭和16年)12月22日辞職元立憲民政党→衆議院議員倶楽部→翼賛議員同盟
34 田子一民1941年(昭和16年)12月24日1942年(昭和17年)5月25日任期満了翼賛議員同盟→翼賛政治会
35 岡田忠彦1942年(昭和17年)5月25日1945年(昭和20年)4月9日辞職翼賛政治会
36 島田俊雄1945年(昭和20年)6月8日1945年(昭和20年)12月18日解散大日本政治会日本進歩党
37 樋貝詮三1946年(昭和21年)5月22日1946年(昭和21年)8月23日辞職日本自由党
38 山崎猛1946年(昭和21年)8月23日1947年(昭和22年)3月31日解散日本自由党→無所属

副議長

衆議院副議長
氏名就任日退任日退任事由所属会派
1 津田真道1890年(明治23年)11月26日1891年(明治24年)12月25日解散
2 曾禰荒助1892年(明治25年)5月3日1893年(明治26年)8月31日議員辞職
3 楠本正隆1893年(明治26年)11月26日1893年(明治26年)12月15日議長就任
4 安部井磐根1893年(明治26年)12月18日1893年(明治26年)12月30日解散
5 片岡健吉1894年(明治27年)5月12日1894年(明治27年)6月2日解散
6 島田三郎1894年(明治27年)10月15日1897年(明治30年)12月25日解散
7 元田肇1898年(明治31年)5月18日1898年(明治31年)6月10日解散
8 元田肇1898年(明治31年)11月9日1902年(明治35年)12月7日任期満了
9 元田肇1902年(明治35年)12月7日1902年(明治35年)12月28日解散
10 杉田定一1903年(明治36年)5月9日1903年(明治36年)12月11日解散
11 箕浦勝人1904年(明治37年)3月18日1908年(明治41年)12月23日任期満了
12 肥塚龍1908年(明治41年)12月23日1912年(大正元年)8月21日解散立憲国民党
13 関直彦1912年(大正元年)8月21日1914年(大正3年)12月25日解散立憲国民党
14 花井卓蔵1915年(大正4年)5月17日1915年(大正4年)12月26日辞職中正会
15 早速整爾1915年(大正4年)12月26日1917年(大正6年)1月25日解散中正会→憲政会
16 浜田国松1917年(大正6年)6月21日1920年(大正9年)2月26日解散立憲国民党
17 粕谷義三1920年(大正9年)6月29日1923年(大正12年)2月17日議長就任立憲政友会
18 松田源治1923年(大正12年)2月17日1924年(大正13年)1月31日解散立憲政友会
19 小泉又次郎1924年(大正13年)6月26日1927年(昭和2年)3月25日辞職憲政会→無所属
20 松浦五兵衛1927年(昭和2年)3月26日1928年(昭和3年)1月21日解散政友本党
21 清瀬一郎1928年(昭和3年)4月20日1930年(昭和5年)1月21日解散新正倶楽部
22 小山松寿1930年(昭和5年)4月21日1931年(昭和6年)12月22日辞職立憲民政党
23 増田義一1931年(昭和6年)12月23日1932年(昭和7年)1月21日解散無所属
24 植原悦二郎1932年(昭和7年)3月18日1936年(昭和11年)1月21日解散立憲政友会
25 岡田忠彦1936年(昭和11年)5月1日1937年(昭和12年)3月21日解散元立憲政友会
26 金光庸夫1937年(昭和12年)7月23日1939年(昭和14年)8月31日辞職元立憲政友会
27 田子一民1939年(昭和14年)12月23日1941年(昭和16年)12月22日辞職元立憲政友会(中島派)→衆議院議員倶楽部→翼賛議員同盟
28 内ヶ崎作三郎1941年(昭和16年)12月24日1942年(昭和17年)5月25日任期満了翼賛議員同盟
29 内ヶ崎作三郎1942年(昭和17年)5月25日1945年(昭和20年)6月7日辞職翼賛政治会
30 勝田永吉1945年(昭和20年)6月8日1945年(昭和20年)12月18日解散大日本政治会日本進歩党
31 木村小左衛門1946年(昭和21年)5月22日1947年(昭和22年)2月15日辞職日本進歩党→無所属
32 井上知治1947年(昭和22年)2月21日1947年(昭和22年)3月31日解散日本進歩党

仮議長

衆議院仮議長
氏名就任日退任日選出理由選出方法
森田茂1927年3月25日
(昭和2年)
議長・副議長事故(欠席)につき
また議長副議長の辞職勅許につき議長副議長候補者の選挙等のため
投票により選出
(355票中236票)
山崎猛1946年8月22日
(昭和21年)
1946年8月23日
(昭和21年)
副議長事故(欠席)につき決議案(議長不信任の件)審議の間
また議長辞職勅許につき議長候補者の選挙等のため
投票により選出
(414票中229票)

※1927年3月25日の仮議長選挙については全院委員長不在のため出席年長議員加藤政之助が議長席に着き議長の職務を行った。
※1946年8月22日の仮議長選挙については全院委員長大久保留次郎が議長席に着き議長の職務を行った。

国会(日本国憲法)

退任事由の凡例
  • 任期満了…議員任期満了による退任
  • 不信任…不信任決議可決を受けての辞任
  • 辞任…その他の理由による辞任
  • 解散…衆議院解散による失職
  • 死去…死去

議長

衆議院議長
氏名就任日退任日退任事由旧所属政党
39 松岡駒吉1947年5月21日1948年12月23日解散日本社会党・右派
40 幣原喜重郎1949年2月11日1951年3月10日死去民主自由党
41 林讓治1951年3月13日1952年8月1日辞任自由党
42 大野伴睦1952年8月26日1952年8月28日解散自由党
43 1952年10月24日1953年3月14日解散自由党
44 堤康次郎1953年5月18日1954年12月10日辞任改進党
45 松永東1954年12月11日1955年1月24日解散日本民主党
46 益谷秀次1955年3月18日1958年4月25日解散自由民主党・池田派
47 星島二郎1958年6月11日1958年12月13日辞任自由民主党・岸派
48 加藤鐐五郎1958年12月13日1960年2月1日辞任自由民主党・石井派
49 清瀬一郎1960年2月1日1960年10月24日解散元自由民主党・三木派
50 1960年12月7日1963年10月23日解散
51 船田中1963年12月7日1965年12月20日辞任自由民主党・大野派
52 山口喜久一郎1965年12月20日1966年12月3日辞任自由民主党・旧河野派
53 綾部健太郎1966年12月3日1966年12月27日解散自由民主党・藤山派
54 石井光次郎1967年2月15日1969年7月16日辞任自由民主党・石井派
55 松田竹千代1969年7月16日1969年12月2日解散自由民主党・旧森派
56 船田中1970年1月14日1972年11月13日解散自由民主党・船田派
57 中村梅吉1972年12月22日1973年5月29日辞任自由民主党・中曽根派
58 前尾繁三郎1973年5月29日1976年12月9日任期満了元自由民主党・大平派
59 保利茂1976年12月24日1979年2月1日辞任元自由民主党・福田派
60 灘尾弘吉1979年2月1日1979年9月7日解散元自由民主党・無派閥
61 1979年10月30日1980年5月19日解散元自由民主党・無派閥
62 福田一1980年7月17日1983年11月28日解散元自由民主党・旧船田派
63 福永健司1983年12月26日1985年1月24日辞任元自由民主党・鈴木派
64 坂田道太1985年1月24日1986年6月2日解散元自由民主党・無派閥
65 原健三郎1986年7月22日1989年6月2日辞任元自由民主党・中曽根派
66 田村元1989年6月2日1990年1月24日解散元自由民主党・竹下派
67 櫻内義雄1990年2月27日1993年6月18日解散元自由民主党・渡辺派
68 土井たか子1993年8月6日1996年9月27日解散元日本社会党
69 伊藤宗一郎1996年11月7日2000年6月2日解散元自由民主党・旧河本派
70 綿貫民輔2000年7月4日2003年10月10日解散元自由民主党・橋本派
71 河野洋平2003年11月19日2005年8月8日解散元自由民主党・河野グループ
72 2005年9月21日2009年7月21日解散
73 横路孝弘2009年9月16日現職 民主党・横路グループ

副議長

衆議院副議長
氏名就任日退任日退任事由旧所属政党
33 田中萬逸1947年5月21日1948年12月23日解散民主党
34 岩本信行1949年2月11日1952年8月28日解散民主自由党
35 1952年10月24日1953年3月14日解散自由党
36 原彪1953年5月18日1954年12月15日辞任日本社会党・左派
37 高津正道1954年12月15日1955年1月24日解散日本社会党・左派
38 杉山元治郎1955年3月18日1958年4月25日解散日本社会党・右派
39 椎熊三郎1958年6月11日1958年12月13日辞任自由民主党
40 正木清1958年12月13日1960年1月30日辞任日本社会党
41 中村高一1960年1月30日1960年10月24日解散日本社会党
42 久保田鶴松1960年12月7日1961年6月8日不信任日本社会党
43 原健三郎1961年6月8日1963年10月23日解散自由民主党
44 田中伊三次1963年12月7日1965年12月20日辞任自由民主党
45 園田直1965年12月20日1966年12月27日解散自由民主党
46 1967年2月15日1967年11月25日辞任
47 小平久雄1967年12月4日1969年7月16日辞任自由民主党
48 藤枝泉介1969年7月16日1969年12月2日解散自由民主党
49 荒舩清十郎1970年1月14日1972年1月29日辞任自由民主党
50 長谷川四郎1972年1月29日1972年11月13日解散自由民主党
51 秋田大助1972年12月22日1976年12月9日任期満了自由民主党
52 三宅正一1976年12月24日1979年9月7日解散元日本社会党
53 岡田春夫1979年10月30日1980年5月19日解散元日本社会党
54 1980年7月17日1983年11月28日解散
55 勝間田清一1983年12月26日1986年6月2日解散元日本社会党
56 多賀谷真稔1986年7月22日1989年6月2日辞任元日本社会党
57 安井吉典1989年6月2日1990年1月24日解散元日本社会党
58 村山喜一1990年2月27日1993年6月18日解散元日本社会党
59 鯨岡兵輔1993年8月6日1996年9月27日解散元自由民主党
60 渡部恒三1996年11月7日2000年6月2日解散新進党
61 2000年7月4日2003年10月10日解散無所属の会
62 中野寛成2003年11月19日2005年8月8日解散元民主党
63 横路孝弘2005年9月21日2009年7月21日解散元民主党
64 衛藤征士郎2009年9月16日現職 元自由民主党・町村派

仮議長

衆議院仮議長
氏名就任日退任日選出理由選出方法
庄司一郎1950年1月23日副議長不在(訪米)につき一日限り議長に指名一任
1950年1月25日1950年3月13日副議長不在(訪米)の間を通じて議長に指名一任
山口喜久一郎1954年6月5日副議長事故(欠席)につき議長堤康次郎不信任決議案審議の間議長に指名一任
清瀬一郎1958年12月13日議長・副議長辞任につき新議長・副議長選出までの間議長(席の事務総長)に指名一任
田中伊三次1961年6月8日副議長事故(欠席)につき議長清瀬一郎不信任決議案審議の間議長に指名一任
原健三郎1965年12月3日議長事故(欠席)につき副議長田中伊三次不信任決議案審議の間議長(席の副議長)に指名一任
福永健司1965年12月20日議長・副議長辞任につき新議長・副議長選出までの間議長(席の事務総長)に指名一任
田中伊三次1969年7月16日議長・副議長辞任につき新議長・副議長選出までの間議長(席の事務総長)に指名一任
久野忠治1989年6月2日議長・副議長辞任につき新議長・副議長選出までの間議長(席の事務総長)に指名一任

その他

議題採決前の散会宣言

衆議院で議長が散会できる時は議場を整理し難い時、議事日程に記載した案件の議事を終った時、散会動議が提出されて賛成された時である。しかし、2002年12月10日綿貫民輔議長が決算採決という議題がまだ残っているにも関わらず散会宣言を行った。これは、議事進行原稿を一気に2枚にめくったことが理由とされる。議長は宣言後に議題が残っていたことに気づいて散会の無効を宣言したが、散会は有効とされた。結局、決算採決は12日に行われたが、その際に本会議冒頭で綿貫議長は10日の議事において不手際があったことを陳謝した。

後に、この事件は2004年6月5日、参議院本会議で議長席に着いた副議長による散会宣言の有効性に関して、議長による散会宣言の例として引用されることがある。これには、散会の取消しの手続が異なる、衆議院の前例は参議院の慣例に縛られない、などの反論がある。

議長選挙

自由民主党の結党以来、常に与党でありかつ比較第1党である自民党出身者が全会一致で議長に選出されてきたが、1993年の与野党逆転の際、連立与党第1党である日本社会党の土井たか子と比較第1党である自民党の奥野誠亮のどちらを議長とするかという調整がつかず、異例の競合投票によって土井が議長に選出された。この際日本共産党は自党議員に投票し、連立与党、自民党のどちらの主張にも与さない形となった。なお副議長は自民党から出され、これについては全会一致が踏襲された。

副議長選挙

副議長選挙は、第二会派から出すことが慣例となっているが、2000年7月の副議長選挙においては、与党側が渡部恒三(無所属の会)を、野党側が石井一(民主党)を推して対立選挙となった。このときの議長選挙において、野党側は綿貫民輔(自民党)に投票せずに、白票を投じている(白票のほかにも投票者本人を記載した無効票、極少数のみ自党議員などに投じた票もある)。

全国戦没者追悼式欠席

1963年以降、毎年8月15日に行われる全国戦没者追悼式には、衆参議長、首相、最高裁長官といった三権の長が出席する。しかし、2005年8月8日に、2009年7月21日にそれぞれ衆議院が解散となったため衆議院議長が空席となり、衆議院議長は追悼式を欠席した。

皇室会議

皇室典範第28条により、衆議院議長及び副議長は皇室会議の議員として指定されている。

脚注

  1. ^ 日本国憲法第58条 "両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。"
  2. ^ 改選後、最初に開かれる国会では事務総長が「これより会議を開きます。国会法第7条により、議長および副議長が選挙されるまで私が議長の職務を行ないます」と発言する。通常は議長とともに議長席後側の扉から入るが、この時に限り、他の国会職員と同様、端の扉から入る。
  3. ^ 投票用紙に被選人の氏名を記載し、木札の名刺(白色)を添えて投票する。副議長の選挙の場合も同様。
  4. ^ 無効票がある場合、「投票中、白票が○○票あります。これは当然無効であります。」と発言し、投票の結果で最後に「他に、無効○○」と発言する。
  5. ^ 副議長の場合は「右の結果、○○君が副議長に当選されました。」
  6. ^ 議院法第3条 "衆議院ノ議長副議長ハ其ノ院ニ於テ各々三名ノ候補者ヲ選挙セシメ其ノ中ヨリ之ヲ勅任スヘシ"
  7. ^ ただし山崎は帝国議会時代最後の議長である。戦前の政治では議長の地位は今よりも低く、貴衆両院議長の宮中席次は第12位で首相や元老はもちろん陸海軍大将や枢密顧問官よりも下であった。
  8. ^ 大野伴睦(1953年3月14日議長退任・1954年1月14日北海道開発庁長官就任・1957年7月自民党副総裁就任・1964年5月29日自民党副総裁退任)、松永東(1955年1月24日議長退任・1957年7月10日文部大臣就任・1958年6月12日文部大臣退任)、益谷秀次(1958年4月25日議長退任・1959年1月自民党総務会長就任・1959年6月総務会長退任・1959年6月18日副総理就任・1960年7月自民党幹事長就任・1961年7月自民党幹事長退任)、中村梅吉(1973年5月29日議長退任・1973年11月25日法務大臣就任・1974年11月11日法務大臣退任)、船田中(1972年11月13日議長退任・1977年11月自民党副総裁就任・1978年12月自民党副総裁退任)。

関連項目