1. TOP
  2. Kiraku辞典
  3. メインページ

西武百貨店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ファイル:Seibu-ikebukuro 0712.jpg
西武百貨店・池袋本店(東京・池袋)
(2007年12月撮影)

西武百貨店(せいぶひゃっかてん)は、セブン&アイ・ホールディングス傘下の株式会社そごう・西武が運営する日本の百貨店

かつては株式会社西武百貨店が運営を行っていたが、2009年8月1日に、株式会社西武百貨店が、株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社そごうと3社合併したことで、現在の運営会社になっている。合併前の株式会社西武百貨店は、かつての総合流通グループセゾングループの中核企業で、以前は旧第一勧銀グループ(現・みずほグループ)の一員でもあった。もともとは西武鉄道と同一のグループであったが、西武鉄道創業者堤康次郎の死後、現在の西武グループとセゾングループに分裂した。

目次

概要

株式会社西武百貨店
The Seibu Department Stores, Limited
種類 株式会社
本社所在地 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
〒171-8569
東京都豊島区南池袋一丁目28番1号
設立 1940年(昭和15年)3月14日
業種 小売業
事業内容 百貨店業
代表者 代表取締役社長:山下國夫
資本金 60億円
売上高 単独:4,761億43百万円(2006年2月期)
連結:5,559億93百万円
従業員数 2,451人(2006年2月28日現在)
決算期 毎年2月末
主要株主 ミレニアムリテイリング100%
関係する人物 堤清二
外部リンク http://www.seibu.co.jp/
特記事項:旧運営法人が、2009年8月1日に合併する前の情報。連結売上はロフトシェルガーデンのみ
テンプレートを表示

ファッションの総合商社

辻井喬のペンネームを持った小説家でもある堤清二は、日本の百貨店で、最初パリにオフィスを構え、エルメスイヴサンローラン1962年にはピエール・カルダンと並ぶコンチネンタル・ルックの旗手としてパリで人気を博していたテッド・ラピドスと提携、1975年1976年にかけての第一次アルマーニブームや欧米の高級ブランドをいち早く取り入れ、時をほぼ同じくしてヨーロッパの高級DCブランドを次々に導入。1984年にはついに、海外や国内の高級ブランドを一手に取り扱う専門商社「大沢商会」を傘下に収めたことで、事実上、国内高級ブランドのホールセールを独占。ファッション総合商社西武』が完成する。こうして西武は、日本一ブランド力のある百貨店の名をほしいままにした。

ソニア・リキエルミッソーニジャンフランコ・フェレルイフェローなどの日本代理店になり、ケンゾーイッセイミヤケタケオキクチメンズビギ)などを最初に導入したのも西武である。シブヤ西武(現・西武渋谷店)には、幻のシュップ『カプセル』を設置し、デビュー間もない川久保玲コム・デ・ギャルソン)、山本寛斎イッセイミヤケタケオキクチら、新手のデザイナーらを後押しした。プライベートブランドの開発でも当時、日本ではまだ無名であったラルフローレンと契約し、メジャーブランドに育てた。また、時代を先取りし過ぎていたために閉館した『SEED館』の試みは、現在では一般的であるセレクト型編集売場の先駆けでもあった。ちなみに、エルメス・ジャポンとラルフローレン・ジャパンの筆頭株主は西武百貨店であった。

また「イメージ戦略」を打ち出し、『おいしい生活』、『不思議大好き』など糸井重里らによる名キャッチコピーでも知られた。更にはパルコロフト無印良品コンラン卿と提携した家具・インテリア専門館「ハビタ館」、世界中のレコードが入手できるといわれた「WAVE」、西武が設立に関わったFMラジオ局「J-WAVE」、大型書店「リブロ」、洋書や近代思想、コンテンポラリーアートの画集などを幅広く手掛け、青山ブックセンターと並び称された「アール・ヴィヴァン」、高級スーパー「ザ・ガーデン自由ヶ丘」、日本初の総合スポーツ専門館「西武スポーツ館」、リボン館PAO館などの異業態を次々に起こし、セゾン美術館銀座セゾン劇場渋谷パルコ劇場パルコ・クアトロ東京テアトル、パルコ出版など、メセナ・ソフト事業も幅広く手掛けた。それは、セゾン文化[1]と呼ばれ一世を風靡し、西武百貨店のブランド力を強固なものにすることに貢献した。

有数の百貨店グループから日本最大の流通グループへ

1992年、和田繁明が会長に就任。堤清二のもと管理機能が不在となり、あらゆる弊害が顕在化している現状を痛烈に批判した『西武百貨店白書』を公表。この中で「百貨店は構造不況」だと指摘している。

バブル崩壊に伴う過去の不動産への過剰投資が重荷となり、パルコ等セゾン文化の中で養われた独自ブランドを手放し、更に最大の収益力を誇る池袋本店を不動産投資信託化して一千億以上の資金を調達するなどして再建に取り組んだ。この手腕が買われ、2000年民事再生法の適用を申請し経営破綻したそごうの社長に和田が抜擢された。和田は、西武百貨店の経営手法を多く取り入れる手法で(しかし、西武百貨店とそごうとの資本提携は行わずに)そごうの経営再建を進めた。このことが、図らずも、のちに西武百貨店とそごうが経営統合するにいたる大きなきっかけとなった。

西武百貨店の再建に明るい兆しが見えて来た所で、西洋環境開発の不良債権処理をめぐりセゾングループの経営危機が表面化。傘下にあった西武百貨店にも経営不安がささやかれた。このとき、西武百貨店を救済したのが、西武百貨店の経営手法を取り入れて経営再建したばかりのそごうを傘下に収めていた「株式会社十合」であった。2003年から2004年にかけ後藤高志らの支援で十合が西武百貨店の第三者割当増資を段階的に引き受け、さらに株式交換を行う形で西武百貨店を完全子会社化し、株式会社十合がミレニアムリテイリングに商号変更したことで、そごうと西武百貨店の経営統合が実現。高島屋に次ぐ国内2位の巨大百貨店グループが誕生することになった。この事業持株会社方式の経営統合が、双方ののれん(屋号)を維持しながら経営の合理化を実現した点で、のちに行われた大手百貨店どうしの経営統合に少なからず影響を与えている。

なお、関西地区(東海=愛三岐も含む)の西武百貨店は1976年(昭和51年)に開店した大津店を皮切りに西武百貨店関西によって運営されていたが、業績不振により西武百貨店(本社)へと統合された。しかし、その後も関西地区での業績は伸びず、関西の西武百貨店のシンボル的存在でイトマン事件の舞台になった「つかしん(塚新)店」(現グンゼタウンセンター つかしん尼崎市1985年開店)が2004年5月9日に閉鎖される遠因ともなった。

その後、再建を確かなものとするためにミレニアムリテイリングは野村プリンシパル・ファイナンスなどを引受先とする増資を行い、事業持株会社として株式上場を目指していたが、野村プリンシパル・ファイナンスと西武百貨店の間で上場時期を巡る意見の対立が顕在化したことに加え、敵対的買収防衛策の観点から、2005年12月にミレニアムリテイリングの代表であった和田はセブン&アイ・ホールディングスの傘下入りを決めた。その結果、かつてのセゾングループに匹敵する、国内最大の流通グループが誕生した。

セブン&アイ・ホールディングス傘下へ

2006年6月にセブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリングを買収、完全子会社(百貨店事業の中間持株会社化)となり、西武百貨店とそごうはセブン&アイグループの一員となっている。

セブン&アイグループ入り後しばらくは、そごうとともに独立色が保たれていたが、2009年2月には、百貨店では極めて珍しいイトーヨーカ堂セブン-イレブン)で扱われているプライベートブランド(PB商品)「セブンプレミアム」が池袋本店の食品売り場(デパ地下)に導入された。最終的に両社の全店舗に導入される予定である[2]。日経によると、百貨店の売上不振の原因が高額商品に偏りすぎているため、日常的なアイテムであるPB商品を導入して品揃えを増やして、売り上げを高めるためと報じている。同年8月1日、そごうがミレニアムリテイリングと西武百貨店を吸収し、「そごう西武」が発足。そごうとの提携開始から9年目で一社化となった。

2006年2月期の西武百貨店全店における、国内百貨店事業単体の営業利益率は、4.18%で百貨店業界2位。ちなみに1位が大丸の4.4%、3位が阪急百貨店の4.06%である。西武百貨店池袋本店の年間来店客数[いつ?]東京ディズニーリゾート(約2.6千万人)を上回る7千万人で日本第1位

沿革

  • 1933年日本橋の呉服店系老舗百貨店の白木屋1662年創業)と京浜電気鉄道が共同で設立した京浜百貨店が、1935年に「京浜デパート池袋分店」として、「菊屋デパート」の名称で池袋駅東口に出店したデパートが始まり。
  • 1940年西武鉄道の前身・武蔵野鉄道が「菊屋デパート池袋分店」を買収。武蔵野デパートと改称。
  • 1947年、帝都百貨店の吸収を行い、武蔵野百貨店と改称[3]
  • 1949年西武百貨店と改称。
  • 1950年代前半、順次増改築が進み、大規模なターミナル型デパートとなる。
  • 1955年堤清二が取締役店長に就任。
  • 1956年、西武百貨店軽井沢店開業。
  • 1957年、西武百貨店沼津店開業。
  • 1963年8月22日、この日定休日だった池袋店で火災、7人死亡。原因は消毒作業員(未成年)の隠れタバコの不始末。2日後の8月24日に、冠水商品の大安売りを告知したところ、約5万人が殺到したため中止となった。
  • 1968年4月19日、渋谷に西武百貨店が進出。
  • 1971年、父・堤康次郎は政治家になって実業を離れていたが、鉄道・流通一体となった「西武企業グループ」の全国展開を目指し、いまだ手腕を振るっていた。しかし、父の死後は相続問題により「西武鉄道グループ」と「西武流通グループ」に分裂。安定基盤である鉄道や不動産を失ったことで、流通グループは<西武>を名乗りながらも、単独の道を歩みはじめる。
  • 1970年代以降、増田通二が開発したパルコの成功にヒントを得た「文化戦略」を打ち出す。
  • 1973年9月25日、開業を4日後に控えた高槻店で火災、6人死亡。原因は警備員による放火。建物の損壊が激しく、開業は1974年11月15日に延期された。
  • 1975年9月、池袋店が全面改装し西武美術館開館。
  • 1983年、池袋西武が売上高日本一へ(他店舗の売上高などを含む[4])。
  • 1984年10月6日有楽町マリオンに西武百貨店が進出。なお、二期ビル(有楽町西武地下2 - 4階など)が完成したのは1987年。
  • 1985年3月、西武流通グループから「西武セゾングループ」と改称してからは急成長を遂げ、地方百貨店との提携や、西友運営の西武店(LIVINの項目参照)などで店舗網を増やし、西武鉄道沿線やコクド(現・プリンスホテル)の拠点を抜け出し、全国制覇が実現した。1989年10月には、<西武>を廃しセゾングループと改称、独立色はより鮮明となった。
  • 1996年6月、クラブ・オンメンバーズシステム導入。8月、株式会社ロフト設立、分社化。
  • 1997年10月、情報化促進貢献企業として「通産大臣賞」受賞。
  • 1997年12月25日、浜松店が閉店。
  • 1998年10月、ロイヤルスカンジナビア社(デンマーク)との間で業務提携。
  • 1999年4月、イルムス池袋を池袋西武にオープン(1号店)
  • 1999年アメリカ最大の高級百貨店「ノードストローム」社と国内販売権契約。
  • 2000年伊藤忠商事株式会社と事業協力で業務提携。「株式会社有楽町西武」を吸収合併。
  • 2001年、株式会社西洋環境開発株式会社を清算し、「セゾングループ」が実質的に崩壊する。
十合と包括的業務提携を締結。株式会社イルムスジャパン設立、分社化。
  • 2002年2月、十合・西武統合商品部 (SSMG) 発足。
  • 2003年2月、私的整理に関するガイドラインに基づく再建計画成立。5月、株式会社十合が筆頭株主となる。6月、ミレニアムリテイリンググループ発足。
  • 2004年、「株式会社本金西武」を吸収合併。
  • 2004年9月、ミレニアムリテイリングの完全子会社となる。
  • 2005年9月、池袋西武を「西武池袋本店」に名称変更。
  • 2006年、有楽町西武構造改善。「ビューティー館」と「ファッション館」。
  • 2007年、シブヤ西武を約80億をかけて改装。日本最大のブランド数のラグジュアリーゾーンやビューティーゾーンを設け、食料品を扱うデパ地下を再開。
  • 2007年9月14日、所沢西武リニューアルオープン。自主編集売場やビューティーゾーン、食のゾーンを展開。
  • 2008年から2010年には、“ファッションの西武”の復権を賭け、総額400億を掛けて池袋西武構造改善。東京メトロ副都心線開業に伴い、池袋本店と渋谷店を連動させてブランドイメージの復権を狙う。
  • 2009年8月1日 - 株式会社そごうが、株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店を吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更(店名は、「そごう」「西武百貨店」を維持)。株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店は、法人としては解散。同時に店舗表記もこれまでの「○○西武」から「西武○○店」に全店舗統一された。
  • 2010年12月25日 - 有楽町店が閉店。

店舗

東京地区

池袋本店

ファイル:SEIBU-ikebukuro.JPG
リニューアル前の西武池袋本店(正面グリーン大通りより)
ファイル:NewIkebukuroSeibu.JPG
2010年リニューアル後の西武池袋本店(正面グリーン大通りより)

旗艦店の池袋本店(東京都豊島区)の営業利益率は10%に達する。年間来店客数が約7千万人に達し、集客数は国内有数。店頭売上高もトップレベルにある。ちなみに東武百貨店池袋本店は5千万人、小田急百貨店新宿本店は4.4千万人、阪急百貨店梅田本店は4.1千万人、伊勢丹新宿本店は3千万人である。売場面積81,623㎡

ファッションに関心が高い顧客層に根強い人気があり、前述のように“ファッションの西武”と呼ばれ、MDや売場編集能力も高い。1999年にはデンマークのインテリアショップのイルムスと提携して、『イルムス館』(現・別館)をオープンさせ、スカンジナビアモダンの流行のさきがけをつくった。また、池袋本店のデパ地下は、ザ・ガーデン自由ヶ丘を出店させるなど、昔から他を圧倒する品揃えと人気があり、デパ地下ブームの火付け役になった。

日経MJ2002年の調査や、インターワイヤードの2005年の調査では、首都圏人気デパ地下ナンバーワンにも選ばれている。豊島園庭の湯ラクーアなどが近いことから水着の売上枚数も国内有数である。

また、数多くの文化施設から次々に新鮮な企画が打ち出された。新進作家の小物を展示即売する「クリエイターズスペース」、ビデオ舞踏落語などのイベントが行われた「スタジオ200」、ソフトが豊富だった「ビデオポート」、ビデオ制作の「スタジオテック」、出張撮影が依頼できる「キネテック」、貴重盤の多い「ディスクポート」、演劇ショップの「ワイズフール」など、メセナ・ソフト事業も幅広く手掛けた。

2008年6月に東京地下鉄(東京メトロ)副都心線が開業した際には、池袋利用の顧客が新宿・渋谷の百貨店などに流出するのを防ぐため、長年ライバル関係にあった東武百貨店と協力して様々な取り組みを行った。

2008年から2010年には、“ファッションの西武”の復権を賭け、総額400億を掛けて構造改善・耐震化工事を実施。副都心線開業に伴い、池袋本店と渋谷店を連動させてブランドイメージの復権を狙った。 この大改装の仕上げとして、地下1階の旧ルノートルカフェ部分には、新たに「光の時計口」を新設し、JR南口方面や地下鉄有楽町線方面から西武池袋線への乗り換え客をデパ地下へと誘導しやすい作りへ変更した。また、地下・地上すべてのエントランスにおいてリニューアル工事を行い、白を基調とした明るい感じへと刷新された。 旧セゾングループの象徴的なものでもあった、東池袋方面からも確認できる大看板からはLoft・PARCOの文字が消え、西武東口を出た箇所の壁面にある袖看板も新しいものに変更。また懸垂幕広告も以前は大看板のすぐ真下・8階部分まで掲示していたが、レストラン街リニューアルに伴い、8階部分の展望可能な窓を増やし、懸垂幕については7階の高さまでの掲示へと変更した。 長らく「イルムス館」として営業していた別館には、無印良品の旗艦店が新たに入居し、すべてのフロアの床面をリニューアルし、インテリアフロアとこども服フロアを入れ替えたりと、都内百貨店としては近年稀にみる大掛かりな改装となった。 最後に改装の締め括りとして、三越池袋店の閉鎖に伴い地下1階にて期間限定ショップとして仮入店していたLouis Vuittonが、旧第一勧銀池袋支店跡である、1階PARCO寄りに約14年ぶりに復活入店した。

渋谷店

元は映画館跡地で、1968年4月19日松竹映画劇場松竹との資本関係は無し)経営の「渋谷松竹映画劇場」跡に「A館」、東急系の「渋谷国際」跡に「B館」を開店させた。不動産は両社が所有し、全棟借りで入居している。 そのため、開店時には当時の東急グループ総帥である五島昇も出席している。 A館とB館の間にある井の頭通りの地下には暗渠化された宇田川が流れているため、通常の百貨店にあるような地下連絡通路はなく、3階、5階、屋上階に設けられた空中連絡路で繋がれており売場面積の合計は40,033㎡。 開店当日は200羽、風船3000個、を空へ放つなど大規模なセレモニーを行ったがあいにく雨天だった。

その後も、関連企業のパルコによる渋谷公園通りスペイン坂の開発などでセゾン文化の流れを上手く活用するのみならず、隣接地への増床に踏み切り、現在の西武の屋台骨というべきロフトを別館でオープンさせ、流行と文化の発信地になった。こうした戦略は地元であり東急百貨店2店舗を出店する東急グループを刺激し、ファッションコミュニティ109(現・SHIBUYA 109)やBunkamuraなどをオープンさせることに繋がり、一時期は「渋谷東西戦争」などと呼ばれた。

1990年代前半、小田急百貨店母と子の原宿カリヨン館の成功に刺激を受け、同様のコンセプトの「シブヤPAO」をオープンさせたが、数年で閉鎖し売却する。建物はタワーレコード渋谷店となり現在に至る。

2007年3月には大規模改装を行い、日本有数の高級品に特化した店舗として、高感度なファッションを独自に提案する「自主編集売場」を更に追求。国内最大級の54のブランドを誇る「ラグジュアリーゾーン」や、高質エステを始め総合的な「ビューティーゾーン」を設けるなど、渋谷店ならではの特徴を出すことで成功している。また、食品売場もこだわりの食材を集めた「グルメマルシェ」として再開した。

2008年4月、開店40周年を迎え、デザイナーズブランドを一堂に集めて販売する「クリエーターズ・ウィーク」を開催。デザイナーズブランドのコレクション展示やトークショーなど、さまざまなイベントが行われた。

なお、「○○西武」を店舗表記としていた時期は、地名を片仮名表記の「シブヤ西武」と表記していた。

近年は売上減少に悩んでおり、従来の月額約3.5億の家賃を減額して支払っていたため、松竹映画劇場・渋谷国際の2社から立ち退きを求める訴訟を起こされている[いつ?]

ほかの日本国内店舗

北海道・東北地区

  • 旭川(A館は旧旭川緑屋ショッピングセンターams旭川店、B館は旧西友百貨店事業部旭川西武店として開業)日本最北の百貨店。売場面積30,043㎡

セブン&アイ・ホールディングスは旭川店・札幌店の撤退を発表したが、北海道地場百貨店である丸井今井の経営破綻で旭川地区から丸井今井の撤退が決まり、隣接している旭川店は一転して存続が決定した。札幌店閉店後は旭川店が北海道唯一の西武百貨店店舗となった。なお、丸井今井が撤退した上川郡東神楽町旭川空港内にお土産物店を出店している。

かつてはA館に「西武ホール」(ams時代は「amsホール」)、B館には「Studio9」「旭川コミュニティ・カレッジ」を擁し道北地区でのセゾン文化発信の場でもあった。2011年4月にB館地下1階に道北の地場産品を扱う「北の恵み食べマルシェ in 西武旭川店」や5階に地元の有名帽子店「アトリエどら猫」ができるなど、道北唯一の百貨店として地域に密着した店づくりをおこなっている。また、バスの待合所や09年1月にはB館1階に住民票などの自動交付機ができるなど市民の利便性の向上にも役立っている。さらに、道新文化センターがA館8階にオープン、2010年10月にはB館10階に旭川市民ギャラリーがオープンするなど、地元の文化の発信にも一役買っている。

また、近年丸井今井から引き継いだ催事や、西武独自の物産展など催し物にも力を入れている。2010年2月にはコンサドーレ札幌のクラブスポンサーになるにあたって、B館8階にグッズショップがオープン、さらに2011年には9階三省堂内にHTBショップがオープンするなど新たなテナントも入居している。

  • 秋田秋田中央ビルディングのキーテナント、旧・ほんきん西武):地元百貨店『本金』が西友傘下に入った後、西武百貨店に経営移管。百貨店→量販店→百貨店となった珍しい例。売場面積10,739㎡

秋田店は、当時の親会社であったミレニアムリテイリングが、セブン&アイ・ホールディングスの傘下に入る以前から、イトーヨーカドー秋田店(2010年10月11日閉店)と隣接しており、両店が地下連絡通路で繋がっていた。子会社化以降は、結びつきが強くなり、西武秋田店とイトーヨーカドー秋田店が合同でセール等を実施したこともあった。余談ではあるが、イトーヨーカドー秋田店撤退後、同店地階食品フロアにはそごう・西武傘下のザ・ガーデン自由が丘SEIBUが進出し、「SEIBU」の名が付く通り、西武秋田店が同店の営業をバックアップしている。

なおイトーヨーカドー秋田店が閉店したことで、そごう・西武が運営する各百貨店の店舗と、セブン&アイ・ホールディングスの店舗が近接しているのは、関東地区の船橋(西武百貨店とイトーヨーカドー)、柏と川口(そごうとイトーヨーカドー(川口はザ・プライスアリオ川口))、春日部と小田原(ロビンソン百貨店とイトーヨーカドー)、および関西地区の八尾(西武百貨店とイトーヨーカドー(アリオ八尾))の各都市となった。

関東地区

  • 所沢:所沢駅西口の再開発により誕生した商業ビル『ワルツ所沢』のキーテナントとして1986年開店。西武鉄道のお膝元に所在する店舗。ただし西武グループ本社機能のあるくすのき台(東口)とは反対の西口に立地している。埼玉西武ライオンズ優勝時の優勝記念セール時は、大々的に鏡開きが実施される。2007年に改装を実施した。都心店でしか手に入らなかった高感度なファッションを独自に提案する「自主編集売場」や、旬・鮮度・品質・価格にこだわった食材を提案する「食のゾーン」を新たに展開し、県内有数規模の「ビューティー&ケアゾーン」を設置するなど、地域に根ざした百貨店モデル店舗として新生した。売場面積23,667㎡
  • 船橋:渋谷店と並んで、本格的な多店舗展開のスタートになった店舗。現在は本館とロフト館からなる。売場面積34,649㎡。JR・京成船橋駅の南口に位置する。なお、駅をはさんだ北口には、東武百貨店船橋店とイトーヨーカドー船橋店がある。
  • 筑波茨城県つくば市つくばクレオスクエア):茨城県内では、京成以外の唯一の百貨店協会加盟店舗。1985年のつくば万博開催に合わせてオープン。当時の科学技術を駆使した「ロボット・インフォメーション係」「自動倉庫」などが当時話題に。現在は、イオン(旧・ジャスコ)やロフトとともに、つくばクレオスクエアのテナントの1つとして営業中。売場面積25,258㎡
  • 東戸塚(横浜市戸塚区):21世紀モータリゼーションにおける百貨店業態の郊外進出を睨み、アメリカなどに代表される「2核1モール」型店舗展開のため、本格的SC開発ディベロッパーとして立ち上げた「ミレニアム企画」による開発店舗第1号。もう一つの核テナントであるダイエー東戸塚店とともに、西武百貨店東戸塚店+オーロラモールで本格的SC「オーロラシティ」を構成する。「ミレニアム企画」は西武百貨店を中心に、イオンイトーヨーカ堂も出資し、百貨店とGMSの共同出店を目指した。売場面積35,367㎡

中部・関西地区

  • 福井店(旧だるまや西武):福井県唯一の日本百貨店協会加盟店舗。売場面積25,691㎡
  • 大津:西武大津ショッピングセンターとして専門店部分を同時展開。後にパルコも進出し、一時は琵琶湖のほとりにセゾングループとしてのシナジー効果を追求していた(近江地域は、堤家発祥の地としても有名)。売場面積28,364㎡
  • 高槻:開店時の新聞広告はビートルズ風に撮影された大村崑一家の写真が一面に使用された。西武高槻ショッピングセンターから、「オーロラシティ」へ転換し、専門店導入部分が強化。売場面積38,964㎡。JR高槻駅北口に位置する。
  • 八尾:東戸塚・高槻・大津の各店とともに、「百貨店+専門店」の出店形態を取っている(一時は「オーロラモール」の名称が付けられていた)。売場面積38,169㎡。近鉄八尾駅前に位置する。開店時のイメージキャラクターは、漫才コンビのB&Bであった。
    • セブン&アイ・ホールディングスアリオ八尾と接続しており、グループシナジーを実現させている。前述のとおり、関西地区で唯一、そごう・西武運営の百貨店の店舗と、セブン&アイ・ホールディングスの店舗が隣接しているケースとなっている。

日本国外店舗

1990年、香港進出1号店として、金鐘のPacific Placeに出店した。現地法人としての「香港西武」は、1996年に香港のブランド王と称される香港の潘迪生の率いる「迪生創建」(ディクソン・コンセプツ・インターナショナル)へ譲渡・売却した。1997年には、2号店として銅鑼灣のWindsor House店を出店(2006年閉店)する。迪生創建のWebサイトによると、2011年1月現在「西武」ブランドで、香港エリアに3店舗(金鐘:Pacific Place、尖沙咀、旺角:Langham Place)と中国本土の深圳:Citic City Plazaの計4店舗を構えている。

現状これらの店舗については、日本の西武百貨店とは商標使用契約のみに留まっており資本関係はない。ロゴも、漢字表記の「西武」ならびにローマ字表記の「SEIBU」は日本の西武百貨店で使用されているものと同様のものが使用されている(ただし、ローマ字ロゴはかつての有楽町西武などで使用されていたシンプルフォントタイプ)。シンボルマークは、ディクソン傘下店舗は独自のものを使用している。

業態変更した西武百貨店の店舗

  • ams西武仙台店 → 仙台ロフト
  • 大宮店 → 大宮ロフト
  • 西武スポーツ吉祥寺(池袋店として売り上げ計上していた) → 吉祥寺ロフト

過去の西武百貨店の店舗と現在

以下は、西武百貨店が運営していたことのある店舗である(△は現在建物が解体された店舗)。

北海道・東北地区

ファイル:SapporoSEIBU.JPG
閉店セール中の札幌西武(旧五番舘西武)

関東地区

  • 有楽町1984年に開店。2010年12月25日午後8時をもって閉店し、26年の歴史に幕を下ろした。当初は朝日新聞社東宝松竹なども巻き込んで有楽町マリオン全体を活用した百貨店の開設を目指したが、阪急百貨店と共にハーフスペースで入居する形となった。都心部の百貨店としては店舗面積が小さいことから開店当初は「セゾングループのショーケース」との位置づけがなされていた。その後1995年にフルラインでの展開から、レディースファッションに特化した戦略に転換して成功している。なお、開業から20年近く、株式会社有楽町西武という別会社での運営だった。売場面積は14,931㎡。開業時より1990年代終盤までは通路を挟んで有楽町阪急ともに地下食料品売り場が存在した[2]。後継テナントとしてルミネが、2011年10月28日に開店した。

中部・関西・四国地区

国外

出店を断念した店舗

  • 福山店(広島県福山市): 現在の福山市役所を入船町に移転させ跡地に西武百貨店を誘致する計画もあったが、これは市幹部と西武側の汚職で頓挫した。また、後に再び福山駅北口に西武百貨店を誘致する計画が持ち上がるが、これも頓挫した。
  • イオン浜北ショッピングセンター(浜松市浜北区): イオンとの連携で郊外型ショッピングセンター店舗の連続出店を行うため設立したミレニアム企画の第2弾として、イオン浜北ショッピングセンターの核テナントとして内定していた。しかし経営が悪化し、岡崎西武の当初の業績不振や地元におけるイオン出店に絡む当時の浜北市長汚職事件などで立ち消え。
  • 西鹿児島駅前《現:鹿児島中央駅》(鹿児島市中央町): 1980年代の一時期に中央町一帯(アーケード商店街)の街区をまるごと潰した大規模再開発へ参加を模索していたとの地元関係者の証言が最近明らかになった。当時は福岡市天神地区進出に失敗後、初の九州での百貨店計画とのことでかなり意欲的であったようだったが、条件面での折り合いがつかずその後は そごうとの交渉になった。そのそごうとの交渉も経済情勢の変化により1993年以降に自然消滅となった。
  • 仙台店【再出店計画店舗】(宮城県仙台市): JR仙台駅西口で商業ビルなどを建設する「駅前中央南地区再開発構想」で、西武百貨店が地権者6法人でつくる「中央南地区まちづくり協議会」から脱退し、計画していた商業ビルへの百貨店の出店を見送る。再開発予定地の面積は約1万5600平方メートル。協議会は、西武百貨店の出店を前提として12階の商業ビルと、35階のオフィスビル建設を計画。早ければ2009年1月にも、準備組合を発足させる予定だった。西武百貨店も地権者の一人で、その所有面積は約1800平方メートル。
  • 天神地区(福岡県福岡市中央区): 1970年代の市街地再開発による再開発ビル「天神第1名店ビル」のキーテナントに内定していた[3]がオイルショックによる建築コスト上昇・それに伴う負担増もあり出店を断念した[4]。なお出店予定地にはニチイが出店しており、その後の業態転換によって現在は天神ビブレが営業している[5]

POSシステム

  • POSシステムは、NEC製を使用。

広告

コマーシャルソング

  • 「おいしい生活」(1982年)
  • 「オカイモノ」のうた(1993年 - )
    • 作詞:岩崎俊一、草間和夫、作曲:櫻井順、歌:森瑛美、後藤玲子、大久保映見、他
    • CMキャラクター「おかいものクマ」のテーマソング。
    • 2002年CD化。西武百貨店全店で1万枚限定で発売された。

出身著名人

セゾングループ含む

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 旧西武札幌店、ヨドバシに売却=09年閉店、来月引き渡し - 時事通信、2011年1月6日
  2. ^ 1998、9年に双方とも揃って廃止された、有楽町そごうほど深刻ではなかったが銀座のデパートに比べ客入りが芳しくなかった
  3. ^ 西武百貨店以外にはニチイ長崎屋ジャスコユニードなどが出店に意欲を見せていた
  4. ^ 代替として西友の出店も検討されてたがそれも断念している。
  5. ^ 参考資料:『因幡町商店街35年史』 天神ビブレ商店会、1984年。

関連項目

外部リンク