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角淳一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本来の表記は「淳一」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
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すみ じゅんいち
角淳一
プロフィール
本名 同じ
愛称 角さん、おじいちゃん
出身地 ファイル:Flag of Japan.svg大阪府四條畷市
生年月日 1944年12月30日(67歳)(戸籍上は1945年1月1日
血液型 A型
最終学歴 関西学院大学商学部
職歴 毎日放送元アナウンサー・アナウンサー室次長・役員待遇ラジオテレビ副本部長。
フリーアナウンサー
活動期間 1968年 - 現在
ジャンル 情報番組
出演番組・活動
現在 おとなの駄菓子屋
過去 夜はクネクネ
イカにもスミにも
板東英二のわがままミッドナイト
すみからすみまで角淳一です
ちちんぷいぷい
など

角 淳一[1](すみ じゅんいち、1944年12月30日(戸籍上は1945年1月1日) - )は、大阪府出身のフリーアナウンサーで、毎日放送の元アナウンサー。2004年4月1日から2011年9月30日までは、同局の専属パーソナリティでもあった。愛称は『角さん』、『おじいちゃん』。

目次

来歴・人物

大阪府四條畷市出身で、血液型はA型。メルボルンオリンピックの実況を聞いたことがきっかけで、アナウンサーを目指すようになった。進学した大阪府立四條畷高等学校では、自ら放送部を設立したうえで部長に就任。関西学院大学商学部の在学中は、生田教室でアナウンスの修業を積んでいた。

関西学院大学卒業後の1968年に、アナウンサーとして毎日放送に入社。同期入社のアナウンサーに、青木和雄板倉俊彦などがいた。その後は、アナウンサーとしての活動を続けながら、アナウンス第三部長、アナウンサー室次長、主幹・役員待遇ラジオテレビ副本部長職を歴任した。MBSテレビで『ちちんぷいぷい』(平日昼間のローカルワイド番組)のメインパーソナリティ(総合司会)を務めていた2004年3月31日に、同局の社内規定より9ヶ月早く定年で退職した。前述のように、同年4月1日から2011年9月30日までは、パーソナリティとして同局と専属契約。契約満了を機にフリーアナウンサーへ転身するとともに、同局の社友になった[2]

生年月日を「1月1日」と公表しているが、『ちちんぷいぷい』の出演中に「実際は(1944年)12月30日が誕生日なんです」と語ったことがあった。角によれば、出生当時は世間でもこのように誕生日を変更することがあったという。

ラジオパーソナリティ時代

テレビ・ラジオで様々な番組を担当し、昭和40年代後半にラジオ『MBSヤングタウン』で笑福亭鶴光佐々木美絵とのトリオで一躍人気者となる。バラエティー色の強いアナウンサーとして活躍。最初のDJ番組から大阪弁でしゃべり、先輩アナウンサーから注意を受けるも自分の考えを押し通した。そのキャラクターから、アナウンサー時代のニュース・報道番組への出演は職歴を通じて少ない。

しかし、彼の求めるアナウンサー像は“ジャーナリスト”であり、大阪弁そのものが彼のパーソナリティだともいえる。阪神・淡路大震災のラジオ報道時、災害報道であることから影響を考え標準語での放送に徹したことを述懐し、「今こそ大阪弁やったのに…」と、自らの言葉で被災者に語りかけられなかったことを、記録集[3]の中で悔いている。

1984年にラジオの午後ワイド『すみからすみまで角淳一です』(月曜 - 木曜午後2時から)を担当。MBSラジオが毎年2月11日に実施している特別番組『毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク』には、1982年の第1回から、2011年の第30回から通算23回出演している。[4]

彼のパーソナリティを生かしたテレビ番組も誕生する。1983年の深夜番組『夜はクネクネ』では、『ヤングタウン』時代からの旧知の仲である原田伸郎と共演。トークバラエティ『イカにもスミにも』や、板東英二が総合司会をした『板東英二のわがままミッドナイト』、MBSが地域貢献を目指した「近畿は美しく」キャンペーン活動のメイン番組『おスミつき新発見伝』などに出演する。また、1990年代前半ごろまでは、テレビの特番でも顔を出していた。

1994年からラジオの午後ワイド番組は『すみからすみまで愛なのね』となり、放送時間も正午からの2時間番組になる。『愛なのね』出演時は『角淳一です』時と違い、サブ的な役割に終始する。1996年脳梗塞に倒れる。前日のラジオの生本番中に咳が止まらなくなるなど、兆候が見られた。緊急入院と休養の後、復活を遂げ、1997年には『すみからすみまで角淳一です』がかつてと同じ時間帯で復活した。

2006年6月18日(深夜)に『松山千春and角淳一 今、DJとして…』と題して録音ながら数年ぶりにラジオに復帰[5]

2008年12月9日には、『上泉雄一のFANFANレディオ』にゲスト出演。これを機に、MBSラジオ聴取率調査週間に設定する「MBSラジオスペシャルウィーク」期間中のみ、『ちちんぷいぷい』へ出演しない木・金曜日に放送される生ワイド番組(『上泉雄一のええなぁ!』『ノムラでノムラだ♪ EXトラ!』など)へ“スペシャルゲスト”扱いで登場している。2010年9月1日(水曜日)には、『ちちんぷいぷい』の本番前に、開局60周年記念特別番組『31.5時間ラジオ MBS史上最大のラジオ祭り 歌でつなげる60年 目指せ1179曲てアンタ!?』にもゲストで出演した。

テレビへ本格転身

1999年10月11日から2011年9月30日まで、角は『ちちんぷいぷい』で3時間[6]メインパーソナリティを担当。本編のオープニングでは、挨拶代わりに「こんにちは、私は角淳一です。あなたはどなたですか?」という言葉を必ず口にしていた。

『ちちんぷいぷい』放送開始

MBSがライバル局よりも1時間早い、午後3時からの番組開始[7]。そして角の起用である。彼の起用にあたっては、毎日放送の“社運・全社的見地”から、テレビのワイド番組に登場させることとなった。そのため、番組も彼のパーソナリティをより濃くしたものとなった。

番組タイトルの『ちちんぷいぷい』は、「世の中、癒されたいと思っている人は多い。そういった人の気持ちに応えた番組にしたい」と考える角の命名による。[8]

ラジオ時代からアナウンサーでありながらも、自らの言葉である大阪弁を貫き、穏やかな語り口で視聴者に語りかけるそのスタイルは、多くの人の支持を集める。この番組では、プロジェクターを読みながら番組の進行をするにも関わらず、言葉につっかえることが多い。これは、番組の前に原稿の下読みを行わない角の長年の癖のためである。

なお、角は近年、その癖を逆手に取る格好で「読み間違えの天才」と自称。また、長年応援している阪神タイガース(阪神)の話題を扱う際には、「プロの阪神ファン」と称して独自の見解を披露していた。その一方で、阪神の本拠地・阪神甲子園球場の年間指定席を、「角シート」として確保。さらに、『すみからすみまで角淳一です』時代からの企画で、プロ野球シーズン中に阪神が甲子園でホームゲームを予定している場合には視聴者・聴取者を「角シート」へ随時招待している。

2000年頃には『ニュースステーション』にヒゲを生やして出演する久米宏の影響でヒゲを蓄えて出演しつづけるが、どちらかといえば批判的な意見が多く、毎日放送の深夜番組『たかじんONE MAN』の企画で「角淳一の髭を剃れ」と題し、やしきたかじん北野誠仲田幸司が『ぷいぷい』出演中の角を拉致し、縛り上げてヒゲを剃ってやろうという関西ならではの企画もあった。

前倒しの定年退職・専属パーソナリティーへ

2004年3月にMBSを定年退職[9]。その後も嘱託社員とほぼ同じ「毎日放送専属パーソナリティー」という形で局に残るが、MBS以外の番組への出演機会もこれをきっかけに増えている。

2005年1月17日には、なるみ陣内智則が総合司会を務める、読売テレビ(ytv)の朝のワイドショーなるトモ!』に出演。MBS以外の在阪テレビ局への出演となった。この『なるトモ!』に出演したときの様子は、当日夕方の「ちちんぷいぷい」内コーナー「角の芸能☆印」でも取り上げ、ytvで放送された映像が放映された。

また、同年3月13日には、ニッポン放送の『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』にゲスト出演。さらに、2005年9月9日には関西テレビの朝のワイドショー『痛快!エブリデイ』に生出演。同日、『エブリデイ』の司会を務める桂南光が『ぷいぷい』にゲスト出演した。
このほか、2005年12月2日にはやしきたかじんが司会を務める関西テレビ『ムハハnoたかじん』に出演した。

2005年5月10日、『ちちんぷいぷい』本番中に前半「いっぺんだけ」(角淳一がどうしても食べたいものを賞味するコーナー)開始前に番組を一時降板した。同日、MBS局内で行われた健康診断で不整脈が見つかり、『ぷいぷい』に前半のみ出演したあと、大阪府内の病院に検査入院した。入院中の『ぷいぷい』は西靖が担当した。なお、5月12日に「リハビリを兼ねて」との理由で復帰した。

10月ころから、脳梗塞予防と共にエクササイズで1日2リットルの水を飲む生活を始めたため、飲料水の入ったペットボトルを『ちちんぷいぷい』本番中に手放さず持っている。

2006年6月12日の『ちちんぷいぷい』本番内で「胆石を患っていて、薬を飲んで治療しています。今は立って仕事をするのがつらい」と告白した。また、番組の最後で6月29日に手術をすることを明かした。

マスコミ関係で初めて蛯原友里を「エビちゃん」という愛称で呼んだのは、角である。ただし、番組内での最初の表記方法は平仮名で「えびちゃん」であった(雑誌“CanCam”より2ヶ月早い)[10]

2006年7月10日放送の『ぷいぷい』では、胆石の手術が成功したことを、角自ら病床で撮影されたVTRで報告した。それと同時に前立腺肥大の手術をすることも報告した。7月17日に放送された『ぷいぷい増刊号』内にて、7月14日に退院したこともあわせて報告されている。その後、7月20日に復帰した。

教育問題や、そこから派生して格差社会問題にも関心が強い。特に、教育格差と地方格差の話題になると自身の少年時代の話をするなど多弁になる。

2006年8月15日放送で小泉純一郎内閣総理大臣靖国神社参拝を自らの戦争遺児体験などを通じて厳しく批判している。前日の2006年8月14日放送では、「特攻隊とイギリスのテロリストは同じ」と発言した[11]

2009年9月下旬には、『ちちんぷいぷい』の放送10周年記念企画の一環として、人生で初めて東京に5日間滞在。東京在住の同番組レギュラーや、かつて同番組に出演していた芸人を招きながら、神田神保町などに出没した。その模様は、同年10月12日に、関西ローカルで『ちちんぷいぷい10周年 角の東京物語~ちょっと新世界へ~』として放送されている。

2009年11月1日から、POMPYエンタメランドで「声ブログ」(音声によるブログ)を始める。プライベートで所有している音楽用のスタジオを舞台に、テレビでは聞けないようなトークや、好きなジャンルの音楽を掘り下げたトークなどを配信。配信回によっては、角と縁の深いアーティストが演奏を披露するなど、さまざまなジャンルのゲストも登場している。

2010年1月13日には、『ちちんぷいぷい』初のCD「すごくおいしいうた」のPRの一環として、同番組の本番前にFM802の番組へ初出演。同局朝の生放送番組『HIRO T'S MORNING JAM』に、コーナーゲストとして登場した。この模様は、当日の『ちちんぷいぷい』でも放送されている。

2010年3月1日の『ちちんぷいぷい』の生放送中に断髪。「自身50年ぶり」という丸坊主姿になった。同番組で公言した「『すごくおいしいうた』は同月末日までに3万枚を売り上げられない」との予想が外れたことによる罰ゲームで、しばらくの間、帽子をかぶりながら同番組に出演していた。

『ちちんぷいぷい』からの卒業

2011年8月15日放送の『ちちんぷいぷい』エンディングで、後進へ道を譲ることを理由に、同年9月末をもって番組を卒業することを自ら発表[12]。9月30日(金曜日)の放送が、最後の出演になった。同年10月以降は、水 - 金曜日の総合司会であった西靖が、角の担当(月・火曜日の総合司会)も引き継ぐ。これによりMBSとの専属アナウンサーとしての契約も終了となった。

フリーアナウンサーへの転身・「おとなの駄菓子屋」プロジェクト

角は『ちちんぷいぷい』卒業後の活動のテーマに、「おとなの駄菓子屋」を挙げている。卒業翌日(2011年10月1日)に開設した同名の公式サイトなどによれば、「駄菓子屋」とは、「子供の頃に友達と入った駄菓子屋のように、楽しいことがいっぱい並んでいる居心地のいいお店みたいな」活動を指すとのこと。趣味の音楽・上方演芸を中心に、エンタテイメント全般を「お菓子」になぞらえながら、「大通りの大店にはまだ並んでいないお菓子」や「新しいのに懐かしい味のお菓子」の紹介にも携わるという。

フリーアナウンサーへの転身後は、月2回更新の「声ブログ」を続ける一方で、落語会・イベント・(『ちちんぷいぷい』以外の)番組などにゲストなどで出演。2011年11月18日には、道上洋三久野愛との共演による特別番組『パーソナリティ秋の交流戦セカンドステージ 角からすみまで道上洋三です』で、ABCラジオの番組に初めて登場した。

その一方で、2011年10月29日からは、「毎日新聞」大阪版で隔週土曜日に「おとなの駄菓子屋」という連載コラムを始めた。さらに、同月30日からは、MBSラジオにおいて同名の新番組でパーソナリティを担当[13]。『すみからすみまで愛なのね』の終了以来12年振りに、ラジオ番組へレギュラーで出演している。

出演番組

現在

過去

毎日放送アナウンサー→専属パーソナリティ時代

テレビ

ラジオ

フリーアナウンサーへの転身後

レコード

  • ええかええかのテーマ(MBSヤングタウン・木曜日の歌)」(CBSソニー/福武書店)(1983年)※笑福亭鶴光と共演

関連人物(MBSアナウンサー以外)

脚注・参考文献

  1. ^ 本来の名字表記は、真ん中の棒が下に少し突き抜ける、「ファイル:Kado-itaiji.PNG」である。
  2. ^ 2011年9月6日・30日放送の『ちちんぷいぷい』より。角は、契約期間が残り1ヶ月にもかかわらず、毎日放送のステーションロゴの変更に合わせて新たに名刺を作成。そのうち10枚を同番組の視聴者10名に進呈する旨を告知したところ、1,049件の応募があったという(同月14日放送分より)。
  3. ^ 『阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか―「被災していない人への情報はいらない!」と言い続けた報道者たち』毎日放送編
  4. ^ 第22回までは、22年連続で司会を担当していた。第30回では、ゲストとして7年振りに登場。毎日放送では、角の出演パートの一部で、『ちちんぷいぷい』とのサイマル生放送を実施した。
  5. ^ この模様は『ちちんぷいぷい』でも編集されて放送された。
  6. ^ 2006年4月10日から2008年10月6日までは4時間だった。
  7. ^ 開始時間についてはやしきたかじんのアドバイスがあったらしい。
  8. ^ 角は「このタイトル以外では司会を引き受けない」と関係者に語ったという。ただし、タイトルの由来には、いくつかの説がある。角の発言によれば、「平日3時間の帯番組という大仕事を務めるに当たって、『ちちんぷいぷい』とおまじないをかけた気持ちで挑まないとやっていられない」という意味や、「(脳梗塞の)病気や(個人的に良い印象を持っていないワイドショー)番組も良くなれ」という願望も込められているとされる。
  9. ^ 本来の定年退職日は60歳の誕生日の2005年1月1日だが、約9ヶ月前倒しして定年退職。
  10. ^ このことは2006年6月27日放送分の『ちちんぷいぷい』でのエビちゃん独占インタビューにて蛯原友里本人が承認している。
  11. ^ 当時、裏番組にレギュラーで出演していた勝谷誠彦は、角の発言について「英霊を偲ぶ日を前に戦時の身命を賭した義挙と平時の非戦闘員に対する犯罪を同列に論じる非礼。日本人の劣化をここまで白日のもとに晒して下さったことで靖国という装置の存在の意味はまたひとつあったと思うのである」として自身のブログで批判した。
  12. ^ Sponichi Annex大阪版 (2011-08-16). “「ちちんぷいぷい」看板男 角淳一氏9月卒業”. 2011年8月16日閲覧。
  13. ^ Sponichi Annex大阪版 (2011-09-14). “角淳一氏 12年ぶりラジオ “大人の駄菓子屋”司会”. 2011年9月14日閲覧。
  14. ^ 進研ゼミについては、MBSのアナウンサーとして「MBSヤングタウン」に出演していた時期にも、提供コーナーのラジオCMに登場。テレビCMでは、MBSでの放送用に角を正面から映したバージョンと、在阪他局での放送用に角が背中を向けているバージョンが作られたという(2011年1月11日放送の『ちちんぷいぷい』で本人が回顧)。
  15. ^ 前述『ちちんぷいぷい』より。CMは4バージョン制作。猪俣睦彦(MBCラジオパーソナリティ)・大田黒浩一(RKKラジオパーソナリティ)と角が中継で掛け合う設定で、大阪・熊本・鹿児島の名所やグルメを伝える。ちなみに、角が登場するバージョンは、RKK・MBCで1バージョンずつ放送。

外部リンク