貝塚政秀
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ファイル:Flag of Japan.svg 日本 |
| 出身地 | 長崎県諫早市 |
| 生年月日 | 1974年12月25日(37歳) |
| 身長 体重 |
178cm 83kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手、一塁手 |
| プロ入り | 1999年 ドラフト5位 |
| 初出場 | 2000年4月1日 |
| 最終出場 | 2007年9月9日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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貝塚 政秀(かいづか まさひで、1974年12月25日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(外野手)。
目次 |
来歴
長崎日大高時代の甲子園出場はならなかったが、運動能力は当時から高かった。1学年下の後輩に中村隼人がいる。
1993年春に三菱重工長崎に入社し、俊足・強打の攻撃型捕手として頭角を現す。打線では7、8番を打つことが多かったが、中軸を打つ力は充分にあり、「下位打線の要」「恐怖の7番」「曲者」ともいわれた。なお、同期には内薗直樹、大卒の同年に開田博勝がいる。
1999年、貝塚ら若手とベテランの力が噛み合った三菱重工長崎は第70回都市対抗野球大会に出場、決勝で東芝に敗れたが準優勝を果たす。攻守にわたって活躍した貝塚は、東芝・中野順二と共に大会優秀選手に選ばれた。
社会人野球日本選手権大会は九州予選で敗退したが、貝塚は11月のドラフト会議で西武ライオンズにドラフト5位指名を受けた。この時、内薗も読売ジャイアンツにドラフト4位指名を受けている。
プロ入り後
ルーキーイヤーの2000年、外野手や指名打者として70試合に出場するも期待されていた打撃がまったく振るわず、2001年はほとんど出場できなかった。プロ入り後は捕手としてレギュラーをつかむに至らず、おもに左の代打としての起用が続いた。程なく打撃を生かすため外野手にコンバートされた。
2002年は右の犬伏稔昌、左の宮地克彦と「日替わり3番打者」として併用され、規定打席未満ながら3割を記録、初本塁打も放った。 しかし2003年はプロ入り初のノーヒットに終わり、一度つかみかけた信頼を手放したかに思えた。
2004年は代打スタートだったが、驚異的な打率と意外なパンチ力を見せて5番を任されるようになる。アレックス・カブレラの故障離脱を受けて一塁を守り、チームトップの得点圏打率を記録するなど勝負強い打撃でカブレラの穴を埋めた。カブレラの復帰後も主に指名打者で出場し規定打席にも到達、初の打率3割をマークした。本塁打14本に加え、俊足を生かして8盗塁も記録した。
2005年は3番指名打者で初の開幕スタメンの座をつかんだが序盤で失速し、ホセ・フェルナンデスが指名打者に回って出番がなくなってしまった。後半はカブレラの離脱で、プレーオフで3番を任されるなどしたが打撃は振るわなかった。
今まで2年ごとに偶数の年に活躍してきたが、2006年はさらに輪をかけた不振で2軍暮らしが長く続いた。再起をかけた2007年は2軍で.292と高い打率を残し、左の代打としてたびたび一軍に昇格したが、打率1割台と結果を残せずじまいであった。
2008年は一度も一軍選手登録されることはなく、10月1日に戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加。12月2日に自由契約公示された。
ホセ・フェルナンデスが在籍中は、彼の本塁打後に二人でカメラパフォーマンスを行うなど、気さくな性格でムードメーカーとしてもチームに貢献していた選手でもある。
09年から長崎市の小学生硬式野球クラブでコーチを務めている[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000 | 西武 | 70 | 110 | 102 | 5 | 20 | 5 | 0 | 0 | 25 | 15 | 3 | 0 | 0 | 2 | 6 | 1 | 0 | 28 | 3 | .196 | .236 | .245 | .481 |
| 2001 | 8 | 14 | 13 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | .231 | .286 | .308 | .593 | |
| 2002 | 33 | 93 | 86 | 9 | 26 | 4 | 0 | 1 | 33 | 8 | 0 | 0 | 2 | 1 | 3 | 2 | 1 | 15 | 0 | .302 | .330 | .384 | .713 | |
| 2003 | 8 | 12 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2004 | 112 | 420 | 384 | 53 | 118 | 27 | 2 | 14 | 191 | 75 | 8 | 2 | 1 | 2 | 32 | 1 | 1 | 77 | 10 | .307 | .360 | .497 | .858 | |
| 2005 | 70 | 168 | 150 | 15 | 39 | 9 | 0 | 2 | 54 | 14 | 2 | 1 | 0 | 0 | 18 | 0 | 0 | 33 | 0 | .260 | .339 | .360 | .699 | |
| 2006 | 13 | 21 | 20 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 | 2 | .150 | .190 | .150 | .340 | |
| 2007 | 19 | 36 | 33 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 8 | 0 | .152 | .200 | .152 | .352 | |
| 通算:8年 | 333 | 874 | 800 | 82 | 214 | 46 | 2 | 17 | 315 | 117 | 13 | 3 | 4 | 5 | 63 | 4 | 2 | 175 | 16 | .268 | .321 | .394 | .714 | |
年度別守備成績
| 年度 | 一塁 | 外野 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2000 | - | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2001 | - | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2002 | - | 25 | 46 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2003 | 1 | 9 | 2 | 0 | 1 | 1.000 | 4 | 4 | 0 | 1 | 0 | .800 |
| 2004 | 50 | 337 | 24 | 0 | 30 | 1.000 | 15 | 19 | 1 | 0 | 1 | 1.000 |
| 2005 | 9 | 43 | 3 | 2 | 2 | .958 | 14 | 17 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2006 | 4 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2007 | 13 | 78 | 3 | 0 | 5 | 1.000 | - | |||||
| 通算 | 77 | 473 | 35 | 2 | 38 | .996 | 63 | 100 | 3 | 1 | 1 | .990 |
記録
- 初出場:2000年4月1日、対日本ハムファイターズ1回戦(西武ドーム)、10回裏に清水雅治の代打として出場
- 初打席・初打点:同上、10回裏にカルロス・ミラバルから同点押し出し四球
- 初安打:2000年4月11日、対福岡ダイエーホークス1回戦(西武ドーム)、8回裏に長冨浩志から代打適時打
- 初盗塁:2000年6月3日、対日本ハムファイターズ10回戦(東京ドーム)、7回表に二盗(投手:岩本ツトム、捕手:野口寿浩)
- 初本塁打:2002年8月23日、対オリックス・ブルーウェーブ19回戦(グリーンスタジアム神戸)、10回表に萩原淳から右越決勝ソロ
背番号
- 39 (2000年 - 2008年)
脚注
関連項目
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