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近代オリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

近代オリンピック
ファイル:Olympic flag.svg
開始年 1896
主催 国際オリンピック委員会
サイト 国際オリンピック委員会
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近代オリンピック(きんだいオリンピック)とは、4年に1度国際オリンピック委員会 (IOC) が開催する、世界的なスポーツ大会である。

日本では、単にオリンピック(Olympic)と呼称したり、そのシンボルマークから五輪(ごりん)とも呼称される。呼称については五輪を参照。

古代ギリシアオリンピアの祭典をもとに開催する事を19世紀末にソルボンヌ大における会議でフランスクーベルタン男爵によって提唱、決議された。

目次

名称

オリンピックは、ゼウスの神殿のあったオリンポス(オリンピア)の名前を冠しておりこの地で古代オリンピックが開催されたことから命名された。戦前は、オリムピックと言う表記であった。

概要

オリンピックは、夏季と冬季に大会があり、夏季オリンピック第1回は、1896年アテネギリシャ)で開催され、世界大戦による中断を挟みながら継続されている。冬季オリンピックの第1回は、1924年シャモニー・モンブランフランス)で開催された。1994年以降は、西暦が4で割り切れる年に夏季オリンピックが、4で割って2が余る年に冬季オリンピックが開催される(FIFAワールドカップが開催される年と同じ)。1994年のリレハンメル大会より、夏季大会と冬季大会が2年おきに交互開催するようになった。

冬季オリンピックが始まった当初は、夏季オリンピックの開催国の都市に優先的に開催権が与えられてきたが、降雪量の少ない国での開催に無理が生じることから、1940年代前半に規約が改正され、同一開催が原則が廃止された(例えば1928年アムステルダム大会時の際、オランダでは、降雪量不足で雪山が無く、会場の確保困難であったことから、冬季はスイスサンモリッツで開催)。

大会の公用語はフランス語[1]英語であるが、フランス語版と英語版の規定に相違がある場合はフランス語を優先するとして、フランス語を第1公用語とする事を明らかにしている。現在は、フランス語、英語の他、開閉会式等では、開催地の公用語も加える場合がある。

歴史

アマチュアリズムを基本とし、古代の平和の祭典の復興を目指したオリンピックであるが、二度の世界大戦や、ミュンヘン大会におけるテロ事件、冷戦下でのアフガニスタン戦争に伴う東西のボイコット合戦など、時々の国際政治の影響は大きい。特にヒトラー政権下による1936年のベルリン大会は、五輪そのものが利用された色彩が強く、聖火リレーのルートを後日ドイツ軍がそのまま逆進したとされたり、ナチズムに対する批判をかわすために一時的にユダヤ人政策を緩和するなど、政治が大きく陰を落としたものとなっている。なお、夏季大会において、第1回大会から全て参加しているのは、ギリシャイギリスフランススイスオーストラリア[2]の5ヶ国のみである。

ギリシャによる開催は、1896年2004年が正規のものとされている。第1回大会の十年後、1906年アテネ中間大会が唯一、例外的に開催され、開催事実も記録も公式に認めてメダル授与も行っている。しかし、4年に1度のサイクルから外れた開催であったため、正規の開催数に計上されておらず優勝者もメダリスト名簿に加えられていない。

各期毎の概略は、以下を参照。

黎明期

クーベルタンの提唱により、第1回オリンピックが1896年ギリシャ・アテネで開催することになった。資金集めに苦労し、会期も10日間と短かったが大成功に終わった。しかし、1900年、1904年のパリ・セントルイス大会は、同時期に開催された万国博覧会の附属大会に成り下がってしまい、賞金つきの競技(1900年)、キセルマラソンの発覚(1904年)など大会運営にも不手際が目立った。 1908年、1912年のロンドン・ストックホルム大会から本来のオリンピック大会としての体制が整いだした。

発展期

第一次世界大戦で1916年のベルリン大会は、開催中止となったが、1920年のアントワープ大会から再開され、初めてオリンピック旗が会場で披露された。この時期は、選手村マイクロフォン(1924年)、冬季大会の開催(1924年)、約3週間の開催期間(1928年)、聖火リレー(1936年)など、現在の大会の基盤となる施策が採用された時期である。やがて、オリンピックが盛大になり、それを国策に使おうとする指導者なども出てきて1936年のベルリン大会は、ナチス・ドイツの宣伝大会とも言われる。その後、第二次世界大戦でオリンピックは、2度も流会してしまう。

拡大期

第二次世界大戦が終結し、1948年ロンドンでオリンピックが再開されたが、敗戦国のドイツ・日本は、招待されなかった。1952年のヘルシンキ大会よりソビエト連邦が初参加し、オリンピックは、名実と共に「世界の大会」とよばれ、同時に東西冷戦を象徴する場となり、アメリカとソビエトのメダル争いは、話題となった。しかし、2つの中国問題(中国と台湾)、ドイツ問題(東西ドイツ)など新たな問題点も浮かび上がってきた。そして航空機の発達により、欧米のみに限られていたオリンピック開催地を世界に広める結果となり、1956年メルボルン(オーストラリア)、1964年東京(日本)と新たな開催地が仲間入りした。

オリンピック冬の時代

オリンピックが世界的大イベントに成長するに従って政治に左右されるようになる。1968年のメキシコ大会では、黒人差別を訴える場と化し、1972年のミュンヘン大会では、アラブのゲリラによるイスラエル選手に対する殺人事件まで起きた(ミュンヘンオリンピック事件)。1976年のモントリオール大会になると、ニュージーランドのラグビーチームの南アフリカ遠征に反対して、アフリカ諸国22ヶ国がボイコットを行った。そして、1980年のモスクワ大会では、ソビエトのアフガニスタン侵攻に反発し、アメリカ・西ドイツ・日本などの西側諸国が相次いでボイコットを行った。1984年ロサンゼルス大会では、東欧諸国が報復ボイコットを行っている。オリンピックが巨大化するに従って、財政負担の増大が大きな問題となり、1976年の夏季大会では、大幅な赤字を出し、その後夏季・冬季とも立候補都市が1~2都市だけという状態が続いた。

商業主義とプロ化

1984年のロサンゼルス大会は、画期的な大会で、オリンピックをショービジネス化した。結果として2億1500万ドルの黒字を計上した。スポンサーを「一業種一社」に絞ることにより、スポンサー料を吊り上げ、聖火リレー走者からも参加費を徴収することなどにより黒字化を達成したのである。その後「オリンピックは儲かる」との認識が広まり立候補都市が激増した。その流れは、プロ選手の参加を促し、1992年のバルセロナ大会では、バスケットボール種目でアメリカのNBA所属の選手による「ドリームチーム」が結成され、大きな話題となった。東西冷戦の終結からオリンピックの政治的な色合いは薄くなったが、その反面ドーピングの問題や過度の招致合戦によるIOC委員に対する賄賂も問題になってきた。21世紀に入ってから、オリンピック開催地は、2008年の北京(中華人民共和国)、2016年リオデジャネイロ(ブラジル)などBRICs各国に広まるなど、新たな展開を見せている。

開催国

開催国は北半球が殆どで、南半球での開催は少ない。南半球では、冬季大会は開催された事がなく、夏季大会も1956年オーストラリアメルボルンで開かれたメルボルンオリンピックと、2000年に同じオーストラリアのシドニーで開催されたシドニーオリンピックの2大会のみである(2016年には、3大会目としてリオデジャネイロで開催される)。

その理由として、主に季節が北半球と逆である事と、北半球に比べ、実際に開催可能な経済力を持つ先進国が少ない事(南北問題)が関係している。特に、冬季大会では、各種目の大会シーズンとの兼ね合い(南半球が冬の時期に北半球では、シーズンオフである事)や、北半球に比べウィンタースポーツの設備が十分でない(そもそも降雪量が少ない)ため実質的に開催不可能であると推測される。

また、開催国の大半が欧州・北米諸国であり、アジアの夏季オリンピックについては、東京・ソウル・北京の3回、中南米についてもメキシコのメキシコシティー(地理上は北米に属するがスペイン語圏であるためここでは中南米として扱う)で開催されたのみ(2016年には、ブラジルのリオデジャネイロでの開催が決定している)で、アフリカに至っては南アフリカが候補に挙がった事があるが未だに開催されていない。これも、アジア・アフリカ・中南米に経済力を持つ国が少ない事が関係している。

開催を行うに際しては、各国・地域で五輪の開催を希望する自治体からの審査・ヒヤリングを各国・地域五輪委員会が行い、まずその国・地域内での五輪開催候補地1箇所を選ぶ。その候補地を国際五輪委員会に推薦し正式に立候補を行い、国際五輪委員会総会において、委員会理事による投票で過半数を得ることが必要である。ただし投票の過半数を満たしていない場合、その回の投票における最下位の候補地を次の投票から除外する仕組みで繰り返し過半数が出るまで投票を繰り返す(最終的に2箇所になったところで決選投票となる)。

一度五輪の開催が決まった場合、その国が属する大陸は規定によりその大会から数えて2回分は五輪への立候補ができない。

開催都市一覧

[3]

開催都市一覧(濃い色の背景は中止になった大会)
開催年 夏季五輪 冬季五輪 脚注
オリンピアード
ホスト オリンピアード
ホスト
1896 I ファイル:Flag of Greece (1828-1978).svg アテネギリシャ
1900 II ファイル:Flag of France.svg パリフランス
1904 III ファイル:US flag 45 stars.svg セントルイスアメリカ [4]
1906 III ファイル:Flag of Greece (1828-1978).svg アテネ(ギリシャ) [5]
1908 IV ファイル:Flag of the United Kingdom.svg ロンドンイギリス
1912 V ファイル:Flag of Sweden.svg ストックホルムスウェーデン
1916 VI ファイル:Flag of the German Empire.svg ベルリンドイツ [6]
1920 VII ファイル:Flag of Belgium (civil).svg アントワープベルギー
1924 VIII ファイル:Flag of France.svg パリ(フランス) I ファイル:Flag of France.svg シャモニー(フランス)
1928 IX ファイル:Flag of the Netherlands.svg アムステルダムオランダ II ファイル:Flag of Switzerland.svg サンモリッツスイス
1932 X ファイル:US flag 48 stars.svg ロサンゼルス(アメリカ) III ファイル:US flag 48 stars.svg レークプラシッド(アメリカ)
1936 XI ファイル:Flag of Germany 1933.svg ベルリン(ドイツ IV ファイル:Flag of Germany 1933.svg ガルミッシュ=パルテンキルヒェン(ドイツ)
1940 XII ファイル:Merchant flag of Japan (1870).svg 東京日本)→
ファイル:Flag of Finland.svg ヘルシンキフィンランド
V ファイル:Flag of Japan.svg 札幌(日本)→
ファイル:Flag of Switzerland.svg サンモリッツ(スイス)→
ファイル:Flag of Germany 1933.svg ガルミッシュ=パルテンキルヒェン(ドイツ)
[7]
1944 XIII ファイル:Flag of the United Kingdom.svgロンドン(イギリス) V ファイル:Flag of Italy (1861-1946).svgコルティーナ・ダンペッツォイタリア [8]
1948 XIV ファイル:Flag of the United Kingdom.svg ロンドン(イギリス) V ファイル:Flag of Switzerland.svg サンモリッツ(スイス)
1952 XV ファイル:Flag of Finland.svg ヘルシンキ(フィンランド) VI ファイル:Flag of Norway.svg オスロノルウェー
1956 XVI ファイル:Flag of Australia.svg メルボルンオーストラリア
ファイル:Flag of Sweden.svg ストックホルム(スウェーデン)
VII ファイル:Flag of Italy.svg コルティーナ・ダンペッツォ(イタリア)[9]
1960 XVII ファイル:Flag of Italy.svg ローマイタリア VIII ファイル:US flag 49 stars.svg スコーバレー(アメリカ)
1964 XVIII ファイル:Flag of Japan.svg 東京(日本 IX ファイル:Flag of Austria.svg インスブルックオーストリア
1968 XIX ファイル:Flag of Mexico.svg メキシコシティメキシコ X ファイル:Flag of France.svg グルノーブル(フランス)
1972 XX ファイル:Flag of Germany.svg ミュンヘン西ドイツ XI ファイル:Flag of Japan.svg 札幌(日本)
1976 XXI ファイル:Flag of Canada.svg モントリオールカナダ XII ファイル:Flag of Austria.svg インスブルック(オーストリア)
1980 XXII ファイル:Flag of the Soviet Union 1955.svg モスクワソビエト連邦 XIII ファイル:Flag of the United States.svg レークプラシッド(アメリカ)
1984 XXIII ファイル:Flag of the United States.svg ロサンゼルス(アメリカ) XIV ファイル:Flag of SFR Yugoslavia.svg サラエヴォユーゴスラビア
1988 XXIV ファイル:Flag of South Korea.svg ソウル韓国 XV ファイル:Flag of Canada.svg カルガリー(カナダ)
1992 XXV ファイル:Flag of Spain.svg バルセロナスペイン XVI ファイル:Flag of France.svg アルベールヴィル(フランス)
1994 XVII ファイル:Flag of Norway.svg リレハンメルノルウェー
1996 XXVI ファイル:Flag of the United States.svg アトランタ(アメリカ)
1998 XVIII ファイル:Flag of Japan.svg 長野(日本)
2000 XXVII ファイル:Flag of Australia.svg シドニー(オーストラリア)
2002 XIX ファイル:Flag of the United States.svg ソルトレイクシティ(アメリカ)
2004 XXVIII ファイル:Flag of Greece.svg アテネ(ギリシャ)
2006 XX ファイル:Flag of Italy.svg トリノ(イタリア)
2008 XXIX ファイル:Flag of the People's Republic of China.svg 北京中国
ファイル:Flag of Hong Kong.svg 香港
[10]
2010 XXI ファイル:Flag of Canada.svg バンクーバー(カナダ)
2012 XXX ファイル:Flag of the United Kingdom.svg ロンドン(イギリス)
2014 XXII ファイル:Flag of Russia.svg ソチロシア
2016 XXXI ファイル:Flag of Brazil.svg リオデジャネイロブラジル
2018 XXIII ファイル:Flag of South Korea.svg 平昌韓国

シンボル

近代オリンピックの象徴でもある五輪のマーク(オリンピックシンボル)は、クーベルタン男爵が考案し、世界5大陸(青:オセアニア、黄:アジア、黒:アフリカ、緑:ヨーロッパ、赤:アメリカ[11]と五つの自然現象(火・水・木の緑・土の黒・砂の黄色)とスポーツの5大鉄則(情熱・水分・体力・技術・栄養)を、原色5色(および単色でも可)と5つの重なり合う輪で表現したものであるとする説が有力である。他にこの五色で世界の国旗全てが表されていたとする説もある。5つの重なり合う輪はまた、平和への発展を願ったものである。なおこの五輪マークは、1914年にIOCの創設20周年記念式典で披露され、1920年アントワープ大会から使用されているが、木綿で作られた五輪旗は一度盗まれ1980年モスクワ大会では閉会式でアメリカに五輪旗が伝達されず次の大会ではレプリカを使用された出来事があり、そして1988年ソウル夏季大会閉会式から合成樹脂の五輪旗が使われている。

開会式

開会式では、オリンピック賛歌を合唱する事と、五輪旗・開催国旗掲揚、開催国の国歌斉唱、最終聖火ランナーによるトーチカ点灯、そして平和の象徴のが飛ばされる事になっている(聖火台で鳩を焼いてしまったソウルオリンピックでの一件や、動物愛護協会の反対もあり、1998年長野大会からはモニター映像による鳩飛ばしが恒例になった)。開会式の入場行進は、五輪発祥地ギリシャの選手団が先導し、最後に開催国の選手団が入場する。ギリシャが開催地となった2004年は、まずギリシャの旗手のみが先導し入場、最後にギリシャの選手団が入場していた。

大会の継続的運営と商業主義

大会の大規模化とともに開催に伴う開催都市と地元政府の経済的負担が問題となったが、ピーター・ユベロスが組織委員長を務めた1984年のロサンゼルス大会では商業活動と民間の寄付を本格的に導入することによって、地元の財政的負担を軽減しオリンピック大会の開催を継続することが可能になった。それを契機とし、アディダス電通などを始めとした企業から一大ビジネスチャンスとして注目されるようになった。

元々、オリンピックは発足当初からアマ選手のみに参加資格を限って来たが、旧共産圏(ソビエト連邦キューバなど)のステートアマ問題などもあり、また観客や視聴者の期待にも応える形で、プロ選手の参加が段階的に解禁されるようになった(当初はテニスなど限られていたが、後にバスケットボールサッカー野球などに拡大)。

1984年ロサンゼルス大会の後、サマランチ会長主導で商業主義が加速したと言われたことがあり、またかつて誘致活動としてIOC委員への賄賂が提供された事などが問題になったことがある。さらには、年々巨大化する大会で開催費用負担が増額する傾向があったが、ロゲ会長の代になり、これまで増え続けていた競技種目を減らし、大会規模を維持することで一定の理解を得るようになった。

なお、現在のIOCの収入構造は、47%が世界各国での放送権料で、また45%TOPスポンサーからの協賛金、5%が入場料収入、3%が五輪マークなどのライセンス収入[12]となっており、このうち90%を大会組織委員会と各国五輪委員会、各競技団体に配布する形で大会の継続的運用を確保している[13]

TOP

TOPとは「ワールドワイドパートナー」(The Olympic Programme)の事である。元々、オリンピックマークの商業使用権は各国のオリンピック委員会(NOC)が各々で管理をしていたが、サマランチ会長がIOCの一括管理にした事から1988年の冬季カルガリー大会と夏季ソウル大会から始まったプログラムで、オリンピックの中でも全世界的に設けられた最高位のスポンサーである。基本的には4年単位の契約で1業種1社に限定されており、毎回計9~11社ほどが契約を結んでいる。[14]なお、TOPにパナソニックゼネラル・エレクトリックサムスンエイサーと同業種の企業が名を連ねているが、これはパナソニックが音響・映像機器、サムスンは無線通信機器、エイサーはコンピューター機器と細分化されており、またゼネラル・エレクトリックはエネルギー関連、インフラ、照明、その他の電気製品などの上記と重ならないカテゴリーのスポンサーとなっているからである。

この他にも、各国のオリンピック委員会とオリンピック組織委員会が国内限定を対象とした「ゴールドスポンサー」(1社数十億円程度)、権利はゴールドスポンサーと同様だがTOPと競合しない事が条件の「オフィシャルサプライヤー/サポーター」(1社数億円程度)、グッズの商品化のみが可能な「オフィシャルライセンシー」がある。

現在、TOPにはコカ・コーラマクドナルドオメガパナソニックなどが名を連ねている。

TOPの権利

TOPは指定された製品カテゴリ-の中で独占的な世界規模でのマーケティング権利と機会を受ける事ができる。また、IOCや各国オリンピック委員会、オリンピック組織委員会といった関係団体と共に商品開発などをする事も可能である。

なお、TOPはすべての大会の権利使用許可、大会放送での優先的な広告機会、大会への接待機会、便乗商法からの権利保護、大会会場周辺での商業活動、公式スポンサーとしての認知機会が与えられる。

日本との関わり

日本が初めて参加したのは、1912年に開催されたストックホルム夏季大会である。これはオリンピックの普及に腐心したクーベルタン男爵の強い勧めによるものであるが、嘉納治五郎を初めとする日本側関係者の努力も大きかった。最初は男子陸上のみによる参加であったが、1928年アムステルダム大会からは女子選手も参加した。

なお、このストックホルム夏季大会で嘉納治五郎は日本人初のIOC委員として参加し、また男子陸上の選手として参加したのは短距離の三島弥彦と、マラソン選手の金栗四三で、この2名が日本人初のオリンピック選手として大会に参加した。

日本選手のメダル獲得、ベルリン大会から始まったラジオ実況中継[15]、聖火ランナーなどにより、日本での関心が増し、1940年の夏の大会を東京に、1940年の冬の大会を札幌に招致する事に成功したが、これらの大会は日中戦争(支那事変)の激化もあり自ら開催権を返上した[16]。戦後の1948年ロンドン大会には戦争責任からドイツと共に日本は参加を許されず、1952年ヘルシンキ夏季大会より復帰している。

日本国内での開催は、夏季オリンピックを東京、冬季オリンピックを札幌(これらはそれぞれアジア地区で最初の開催でもある)および長野で行っている。ちなみに、夏季大会(東京)と冬季大会(長野)の第18回大会はどちらも日本で開催されている。

オリンピックの開催年は、全国高等学校野球選手権大会の日程が調整されることがある。1992年第74回全国高等学校野球選手権大会ではバルセロナオリンピックの終了を待って8月10日から開催され、逆に2008年第90回全国高等学校野球選手権記念大会では北京オリンピックとの重複を可能な限り避けるために大会史上最早の8月2日から開催された。

脚注

  1. ^ 近代オリンピック開催を提唱したクーベルタン男爵の母語がフランス語であった事に因む。
  2. ^ 1908年・1912年のオリンピックでは、オーストララシアとして参加。
  3. ^ Olympic Games (registration required)”. Encyclopædia Britannica. 2009-04-02閲覧。
  4. ^ 当初、シカゴで開催と決定していたが、セントルイス万国博覧会との共催のため、セントルイスへ譲渡された。
  5. ^ この大会の後、4年ごとに開催された大会だけをオリンピックと呼ぶことになり、国際オリンピック委員会は、この大会を認めていない。特別大会或いは、中間大会と呼ばれる。
  6. ^ 第一次世界大戦のため開催中止。
  7. ^ 支那事変第二次世界大戦のため開催中止。
  8. ^ 第二次世界大戦のため開催中止。
  9. ^ メルボルンオリンピック→馬術競技のみ、検疫の関係で1956年6月10日から6月17日まで、スウェーデンのストックホルムで開催。
  10. ^ 馬術競技のみ、特別行政特区となった香港で開催。
  11. ^ JOCのサイトには「何色が何大陸を指している、ということはありません。」と記述されている。
  12. ^ IOC REVENUE SOURCES AND DISTRIBUTION [1]
  13. ^ REVENUE SOURCES AND DISTRIBUTION [2]
  14. ^ 「黒い輪」 V・シムソン、A・ジェニングス 光文社
  15. ^ ラジオでの報道はその前のロサンゼルス大会からおこなわれたが、このときは権利を持つアメリカの放送局との放送権料の交渉が決裂したため、アナウンサーが会場で見た光景を、放送局のマイクで再現して話す「実感放送」だった。
  16. ^ 代替開催地としてヘルシンキが選定されたが、これも第二次世界大戦の勃発で中止となった。

参考文献

  • オリンピック100年のあゆみ(1994年 日本オリンピック協会監修 ベースボールマガジン社発行)

関連項目

外部リンク