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近衛上奏文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

近衛上奏文(このえじょうそうぶん)は、太平洋戦争末期のTemplate:Safesubst:2月14日に、近衛文麿昭和天皇に対して出した上奏文

目次

概要

近衛は上奏において敗戦必至であるとして、ソビエト連邦共産主義革命への警戒と共に、国体護持のために英米との早期和平を主張した。また、この戦争は軍内の革新派の一味による陰謀だと主張し、和平の妨害、敗戦に伴う共産主義革命を防ぐために、この一味を粛清軍部を立て直すべきだと主張した。そのためには軍の人事を行う必要があったが、昭和天皇は「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」と答え、近衛の提案は実行されなかった。

背景

1945年1月6日、アメリカ軍がルソン島上陸の準備をしているとの報を受けて、昭和天皇は木戸幸一に重臣の意見を聞くことを求めた。木戸は陸海両総長と閣僚の招集を勧め、また、近衛も木戸に斡旋を求めていた。木戸と宮内大臣松平恒雄とが協議し、重臣らが個々に拝謁することになった[1]。準備は木戸が行い、軍部を刺激しないように秘密裏に行われた[2]。表向きは重臣が天機を奉伺するという名目であり、木戸が残した日記にも本来の目的は記されていない。

重臣らは以下の順で昭和天皇に意見を述べた。重臣の内、米内光政(海軍大臣)、阿部信行(朝鮮総督)は現職にあるため召集されていない[3]

上奏の前、近衛は書き上げた「近衛上奏文」を持って吉田茂邸を訪れた。吉田もこれに共感し、牧野伸顕にも見せるために写しをとったが、吉田邸の女中とその親類を名乗る書生はスパイであり、写しが憲兵側に漏れたために吉田は拘引され、その他近衛周辺の人物も次々と、近衛を取り締まる布石も兼ねて取調べを受けることとなる。2人のスパイは、吉田拘引後は近衛邸の床下に入り盗聴を行っていたという。

近衛の上奏と御下問

近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」を奏上し、英米の世論は天皇制廃止にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる「国体護持」には敗戦それ自体よりも敗戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきであるとの問題意識を示した[4]

近衛は欧州においてソビエト連邦が共産主義ないし親ソ容共政権を樹立させていることを説明した。東アジアにおいても同様の工作が行われていることも指摘し、将来的にソ連による内政干渉がありうることを示唆した。一方で、日本でも共産主義革命が起こりうる情勢にあること、国体と共産主義が両立する論があり少壮軍人に共産主義が受け入れやすくなっていることを述べた。「参謀総長の梅津は数日前に拝謁して、ソ連のみが頼るに足るというておったが、それはどういうわけだ」というご質問があったという。

ついで、大東亜戦争(太平洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであるとの陰謀論に触れる。

  1. 一味の目的は共産革命とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有志がこれを支援していること[5]
  2. 一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞であること[6]
  3. 米英撃滅の論が出てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と手を組むことを考えるものもでてきていること[7]

さらに、戦争終結のためにはこの一味が障害となること、一味さえ取り除けば軍部を利用していた共産主義者を抑えることができることを述べ、そして、昭和天皇に軍部の粛清を求めた。

昭和天皇は御下問において、まず、天皇制についてのアメリカの考えを問い、近衛は英米の世論が変化する前に講和することを求めた。次に、軍部の粛清のありかたと軍の人事について問いただした。近衛は粛清の指揮者として、統制派と対立している将校や、山下奉文阿南惟幾などを示した。結局、昭和天皇は「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」と近衛の話には否定的だった。

8月14日に出されたポツダム宣言受諾表明を、東京大空襲から長崎原爆投下などの惨事を招いた「遅過ぎた聖断」として批判する意見は、この一件を根拠の一つとしている。

解説

近衛上奏文で最も着目されているのは、国内情勢の分析である。多くの研究において共産主義革命への恐怖心と、軍部の革新派を主体とする陰謀論とがその特徴として指摘されている。近衛は二・二六事件など1930年代中期のテロやクーデターの観察により軍部内の共産化を憂慮しており、Template:Safesubst:には日中戦争の長期化で革命必至との認識を持っていた。太平洋戦争末期にはこの認識を共有する者が多く現れるようになった。さらに、この認識は軍部の革新派による陰謀論へと転換された。この陰謀論は事実とは異なっていたが、軍部への不信感や殖田俊吉の影響により、近衛は確信を持つに至った。また、Template:Safesubst:9月から翌年4月にかけてリヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織、ゾルゲ機関が摘発されており、近衛内閣のブレーンとして活動した尾崎秀実も逮捕されている。藤田尚徳侍従長(上奏当時)はゾルゲ事件の近衛の対共産党政策への影響を指摘しているが[8]。この事件が陰謀論を生む背景になった可能性も否定できない[9]。陰謀を強調したことに政治的意図を見出す見解もある[10]

なお、ゾルゲ事件で逮捕された、尾崎秀実は、「敗戦革命論」に沿う形で日中戦争を強力に推進する論陣を張った近衛のブレーンでコミンテルンの工作員であり、また、近衛自身も首相として、Template:Safesubst:に中国国民党政府との和平交渉を打切り、「爾後國民政府ヲ對手トセズ」とする第一次近衛声明を国内外に発表するなど、日中戦争の拡大と長期化、日米戦争を導いたことについての重大な責任を負っている。

国際情勢の分析においては、ソ連への警戒を強く打ちだし、ソ連を通じた和平交渉に否定的であった。米英の戦争目的が軍部の解体にあり、国体にはないことを認識していたために、近衛は米英との直接交渉を望んだのであった。こうした分析は当を得ていたと言える[9]

脚注

  1. ^ 岡 (1966)、上巻 三一頁。
  2. ^ 藤田 (1987)、43頁。
  3. ^ 藤田 (1987)、73頁。
  4. ^ 敗戰タケナラハ國體上ハサマテ憂フル要ナシト存候、國體護持ノ建前ヨリ最モ憂フルヘキハ敗戰ヨリモ敗戰ニ伴フテ起ルコトアルヘキ共産革命ニ御座候。
  5. ^ 是等軍部内一味ノ者ノ革新論ノ狙ヒハ必スシモ共産革命ニ非ストスルモ、コレヲ取巻ク一部官僚及民間有志(之ヲ右翼トイフモ可、左翼トイフモ可ナリ、所謂右翼ハ國體ノ衣ヲ着ケタル共産主義者ナリ)ハ意識的ニ共産革命ニマテ引キスラントスル意圖ヲ包藏シ居リ、無知單純ナル軍人之ニ躍ラサレタリト見テ大過ナシト存候。此事ハ過去十年間軍部、官僚、右翼、左翼ノ多方面ニ亙リ交友ヲ有セシ不肖カ最近靜カニ反省シテ到達シタル結論ニシテ此結論ノ鏡ニカケテ過去十年間ノ動キヲ照ラシ見ル時、ソコニ思ヒ當ル節々頗ル多キヲ感スル次第ニ御座候。
  6. ^ 昨今戰局ノ危急ヲ告クルト共ニ一億玉碎ヲ叫フ聲次第ニ勢ヲ加ヘツツアリト存候。カカル主張ヲナス者ハ所謂右翼者流ナルモ背後ヨリ之ヲ煽動シツツアルハ、之ニヨリテ國内ヲ混亂ニ陷レ遂ニ革命ノ目的ヲ達セントスル共産分子ナリト睨ミ居リ候。
  7. ^ 一方ニ於テ徹底的ニ米英撃滅ヲ唱フル反面、親ソ的空氣ハ次第ニ濃厚ニナリツツアル樣ニ御座候。軍部ノ一部ニハイカナル犠牲ヲ拂ヒテモソ聯ト手ヲ握ルヘシトサヘ論スルモノモアリ、又延安トノ提携ヲ考ヘ居ル者モアリトノ事ニ御座候。
  8. ^ 藤田 (1987)、58頁。
  9. ^ a b 庄司 (1995)
  10. ^ 庄司 (1995) 「それでは何故、上奏文のなかで過剰とも思える革命への恐怖と、それによってもたらせる陰謀説が展開されたのだろうか。元来近衛がこのような傾向を持ち、ゾルゲ事件や軍部憎悪により増幅されたことは否定し得ないが、異常とも言える内容が問題である。むしろ近衛の本音というより、殖田らの影響とともに、当時近衛らのグループが模索していた、さらには二・ニ六事件以降の宿願である皇道派の復権・組閣のために、皇道派に冷淡な天皇を説得しようとする政略的な意味があったと推測される。そのためには、誇張された表現が必要であった」

参考文献

  • 共同通信社『近衛日記』共同通信社開発局、1968年 ASIN: B000JA68IO
  • 道越治・松橋雅平・松橋暉男『近衛文麿「六月終戦」のシナリオ』毎日ワンズ 、2006年 ISBN: 4901622153
  • 木戸幸一『木戸幸一日記』上巻、木戸日記研究会校訂、東京大学出版会、1966年。ISBN 9784130300117
    • 岡義武 『解題』1966年、一頁-四十三頁。
  • 『木戸幸一関係文書』、木戸日記研究会編、東京大学出版会、1966年。ISBN 9784130300131
    「時局ニ関スル重臣奉答録」 四九五頁-四九八頁
    近衛上奏文を収録。
  • 藤田尚徳『侍従長の回想』中央公論社〈中公文庫〉、1987年。ISBN 4122014239
    当時、昭和天皇の侍従長を務めていた藤田尚徳から見た上奏の経緯と、上奏文の口語訳とが記述されている。
    • 「天皇の終戦秘密工作」43頁-54頁
    • 「陽の目を見た近衛上奏文」55頁-67頁
    • 「御意思に遠い重臣の奏上」68頁-85頁
  • 庄司潤一郎「『近衛上奏文』の再検討 国際情勢分析の観点から」、『国際政治』109号 終戦外交と戦後構想、日本国際政治学会、1995年5月、54頁―69頁、ISSN 0454-2215

関連項目