郷ひろみ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 郷 ひろみ | |
|---|---|
| ファイル:Replace this image JA.svg | |
| 基本情報 | |
| 出生名 |
原武 裕美 (はらたけ ひろみ) |
| 出生 | 1955年10月18日(56歳) |
| 血液型 | A型 |
| 学歴 |
堀越高等学校卒業 (日本大学 除籍) |
| 出身地 | ファイル:Flag of Japan.svg 日本・福岡県 |
| ジャンル |
歌謡曲 J-POP |
| 職業 |
歌手 俳優 |
| 担当楽器 | 歌 |
| 活動期間 | 1972年 - 現在 |
| 事務所 | バーニングプロダクション |
| 公式サイト | 郷ひろみ スペシャルサイト |
郷 ひろみ(ごう ひろみ、1955年10月18日 - )は、日本の歌手、俳優である。本名、原武 裕美(はらたけ ひろみ)、男性。
福岡県出身。バーニングプロダクション所属。身長178cm。
目次 |
生い立ち
幼少期
- 1955年(昭和30年)10月18日に生まれた。もともとは士族で、「ひろみ」という名前は祖父が付けた。「心が“美しく”、いろんな意味で“裕福”になるように」という意味が込められているという[1]。
- 父は福岡県三潴郡三潴町出身、母は福岡県糟屋郡志免町出身。
- 生後まもなくジフテリアにかかり、3歳で赤痢にかかり、15歳で腹膜炎の一歩手前の状態で盲腸の手術を受けるなど、何度となく病にかかる。
- 子供の頃、福岡の家は牛や馬、鶏などの家畜がいる農家の住まいだった。
- 子供の頃は可愛くて評判だった。「『名犬ラッシー』の子役にそっくり」、「お人形さんみたい」と言われ、外国人と間違われることも多い日本人離れした美少年だった。
- スパルタ教育の母親に厳しく躾けられて育った。「あなたは赤が似合う」という母の薦めで、赤いシャツを着用することが多かった。
- 旧国鉄職員の父親の転勤で4歳[2]の時に福岡から上京し、JR京浜東北線大井町駅に隣接する当時の国鉄大井工場敷地内に建つ社宅へ転居する。その後、父親は山手線新橋駅・同東京駅・南武線尻手駅の助役として勤務した後、定年退職した。
学歴
- JR京浜東北線大井町駅近く、1916年(大正5年)10月18日開校の品川区立山中小学校卒業。
- 品川区立伊藤中学校卒業。中学生時代には友人と、ハーキュリーズ(Hercules)という野球チームを作っていた。
- 1971年(昭和46年)4月、日本大学櫻丘高等学校に入学。野球部に所属するが芸能活動多忙により同年8月、堀越高等学校に転校。
- 1975年(昭和50年)8月、高校を4年半かけて1人で卒業すると、今度は大学進学をめざすことを公表。
- 1977年(昭和52年)3月、一浪後日本大学に合格するが、受講はせず除籍となる。
デビューのきっかけ
- 15歳になって、近所のおばさんが東宝映画『潮騒』(1971年(昭和46年))出演者募集に写真応募した。審査会場の銀座で買い物がしたいという安易な気持ちでオーディションを受けることを決めたが、会場に向かう途中で怖気づき「やっぱりやめる」と言ったら母親から「それでも九州男児か!」と数寄屋橋の交差点で平手打ちされて会場に行く。「体が小さい」ということで不合格になるが、審査員にいたジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川にスカウトされた。
略歴
- 1971年(昭和46年)、ジャニーズ事務所に所属しフォーリーブスのバックに出演して人気を博し、ファンの声援レッツゴーひろみから芸名は郷ひろみに決まる。大阪でファンクラブ発足。
- 1972年(昭和47年)1月、NHK大河ドラマ『新・平家物語』で平清盛の弟、経盛役で俳優デビュー(現在まで合計4作品ものNHK大河ドラマに出演)。
- 8月1日、歌手デビュー。所属レコード会社はCBSソニー(現、ソニー・ミュージックエンタテインメント)。
- 11月、デビュー曲「男の子女の子」がオリコンのベストテン入りを果たし、第14回日本レコード大賞・新人賞を受賞。
- 12月31日、第24回NHK紅白歌合戦に初出場(1985年まで13年連続出場)。
- 1974年(昭和49年)、初主演のテレビドラマ『ちょっとしあわせ』の主題歌「よろしく哀愁」で、自身初のオリコン・ヒットチャート第1位を獲得。
- 1975年(昭和50年)、バーニングプロダクションに移籍。
- 1976年(昭和51年)、『さらば夏の光よ』で映画初主演。
- 第18回日本レコード大賞・大衆賞を受賞し、ノミネート会場で号泣。
- 1977年(昭和52年)、テレビドラマ『ムー』に出演して人気を博す。再びプロマイド年間売上実績No.1となった。
- 1978年(昭和53年)、テレビドラマ『ムー一族』の挿入歌「林檎殺人事件」が『ザ・ベストテン』で自身初の第1位を獲得。
- 1979年(昭和54年)、『明星』「アイドル人気投票」で、7年連続で1位獲得(日本テレビ音楽祭・トップアイドル賞受賞)。
- 1987年(昭和62年)6月12日、二谷友里恵と結婚。霊南坂教会とシドニーのセントメリーズ教会で挙式し、新居をニューヨークに構える。
- 1989年(昭和64年)、ニューヨークの住居を引き払い、日本に帰国。
- 1993年(平成5年)、ハリウッド映画『Samurai Cowboy』に主演。
- 1997年(平成9年)2月、イタリアンレストランSOGNI di SOGNI、大阪ドーム店オープン。
- 1998年(平成10年)4月9日、離婚発表と同時にその経緯を告白本にした『ダディ』を出版。ミリオンセラーとなる。
- 1999年(平成11年)8月、『GOLDFINGER '99』のプロモーションとして、JR渋谷駅前の交差点にトラックを止め、警察に無届けでゲリラライブを敢行。交通渋滞を引き起こし刑事事件に発展した。
- 9月27日、松田聖子とのデュエット曲をリリース。
- 11月9日、NY在住の投資家・大根田勝美の娘でアルマーニショップ店員の大根田名美と再婚。NYフォーシーズンズホテルにて、近親者だけで挙式。
- 2001年(平成13年)12月、『第52回NHK紅白歌合戦』出演を最後に音楽活動を一時休止し、再びニューヨークに移住。
- 2004年(平成16年)12月6日、二谷友里恵に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円を信託銀行に預託するとの取り決めを実行していないことや、郷が娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして訴訟を起こす。
- 2005年(平成17年)3月、芸能活動再開を宣言。
- 11月、ジュエリーブランドRosen Hemdenのプロデュースを始める。利益の一部は寄付されている。
- 5月27日、渋谷で8年ぶりに新曲イベントを行う。
- 2009年(平成21年)9月2日、刑事事件に発展した渋谷の不祥事から10年、大阪・道頓堀のグリコ看板前に船で現れ、ゲリラ風新曲イベントを開いた。
- 2010年(平成22年)4月12日、東京中日スポーツ創刊55周年「スペシャルサポーター」に就任。
エピソード
デビュー - 2004
- デビュー当時、母親は原宿で美容院を経営していた。福岡県糟屋郡志免町の母親の実家の祖父母が「ひろみ」の焼印がされた紅白の「ひろみ饅頭」[3]の製造販売を始め、現在は叔父叔母が「御菓子ひろみ」[4]を営んでいる。
- デビュー前、フォーリーブスのバックに出演し「ひろみです!」と紹介され、会場から「Go! Go! Let's Go Hiromi !」と声援を受け、そのまま芸名が郷ひろみとなる。また「郷」にはフォーリーブスの弟「5人目のフォーリーブス」という意味もかけている。女の子に間違えられる位に甘美で可愛らしいルックスと鼻にかかった独特の歌声が、若い女性の人気を博し、ファンによる親衛隊も誕生した。
- 1974年(昭和49年)10月、ドラマ『ちょっとしあわせ』で、共演の高沢順子とのキスシーンが騒動になる。ファンから局側に脅迫状が殺到。急きょ唇寸前でカット。釈明試写も開いて対応した。
- デビュー当時、週刊誌に自分はマザコンで童貞であることを告白して話題となったが、後に、初体験は20歳だったと告白した。また1980年代に坂本龍一との雑誌対談で、ソープランド初体験の時の事をリアルに告白。人気アイドルの告白だけに話題になった。近年では、アダルトビデオの類は観たことがないと言っている。
- 『アイドル水泳大会』では競泳など多くの競技に出場し、特にフジテレビの番組では『ミスター水泳大会』と呼ばれた。27歳ぐらいの時、水泳のコーチについて泳ぎを教わる。近年「この頃は、ちゃんとした水泳の泳ぎ方を知らずに、気力と負けず嫌いの性格だけで僕は勝っていた!」と当時を振り返り明かしている。2000年(平成12年)、深夜のバラエティ番組『ヤミツキ』水泳大会で10数年ぶりに水着姿を披露した。
- 1976年(昭和51年)、キャンディーズとの決選投票に辛勝し、『あなたがいたから僕がいた』で第18回日本レコード大賞大衆賞の受賞が決定した際、感極まって当時の男性アイドルとしては珍しく歌が歌えないほど大号泣した。(この年は、投票の様子をリアルタイムで中継していた。)
- 1984年(昭和59年)2月25日リリース『2億4千万の瞳』は国鉄のキャンペーンに使われたが、これは郷の父親が国鉄職員であった縁によるとされる。2007年(平成19年)にはこの曲をアレンジしたものがBSデジタル放送3000万台突破記念キャンペーンソングとして用いられている。
- 2000年(平成12年)11月、発表のエッセイ『若気の至り』では裏表紙に自らの女性遍歴[5]を年表風にまとめ「大丈夫かこいつ?」と自虐的コピーをつけ『ダ・ヴィンチ』(2月6日号)で腰巻き大賞に選ばれる。「単に奇をてらう言葉ではなく著者の存在感との合わせ技だ。自虐的なコピーなのに少しも嫌味がないし、かえって好感に繋がってしまうのはヒロミ・ゴーの器量だろう」と選評された。
- 2001年(平成13年)6月にリリースした『獣は裸になりたがる』のジャケット写真は、特殊メイクで自ら「獣」になっている。この新曲キャンペーンで、フジテレビ系バラエティー番組『笑う犬の冒険』の「はっぱ隊」のコーナーに出演。素っ裸で(実際は肌色のパンツを着用)股間にはっぱ一枚、郷特製ゴールデンリーフを付け、YATTA!の歌を踊りながら熱唱した。
事務所移籍
- 1975年(昭和50年)春、ジャニーズ事務所からバーニングプロダクションへ移籍。このジャニーズJr(6人)も伴った移籍騒動で、ジャニー喜多川社長は体調を崩すほどショックを受けたと言われる。フォーリーブスの江木俊夫は著書の中で、「ジャニーズ事務所に最大の利益を与えたのはSMAPだろうが、ジャニー喜多川さんが今でも理想のアイドル像として思い描いているのは郷ひろみだろう。」と述べている。なお、その後は特にジャニーズ事務所との対立もなく歌番組などで共演することも少なくない。
- 1972年(昭和47年)、「小さな体験」で初出演した『夜のヒットスタジオ』は、ジャニーズ事務所の「アイドルを夜の番組にはあまり出演させたくない」という方針から 新御三家の中では出演機会が少なかったが、バーニングプロダクション移籍後は原則として月1回のペースで出演するようになる。1982年(昭和57年)、ランキング番組出演辞退の後もトリをつとめたり、過激かつ派手な演出を用意されるなど厚遇を受けた。1972年(昭和47年) - 1990年(平成2年)6月27日までの総出演回数は175回で、田原俊彦と共に『ミスター夜ヒット』とも呼ばれた。
ランク付拒否
- 1979年(昭和54年)、「くれる物は戴きますが、今後授賞式には参加しない。」と『日本レコード大賞』などの音楽賞への出演を辞退することを公表する。数年後のインタビューで「年々権威が落ちていく音楽賞には興味がない。」と語った。ただし、1990年代に入ると『日本有線大賞』には数回出演し賞を受けているほか、1999年(平成11年)にはレコード大賞・最優秀歌唱賞受賞の打診を受けると、大衆賞を取った1976年(昭和51年)以来23年ぶりに日本レコード大賞のステージに立ち、ヒットメドレーを熱唱した。
- 1982年(昭和57年)8月、「哀愁のカサブランカ」で10か月ぶりに『ザ・ベストテン』にランクインするが、「自分にとっては自分自身の歌は全部1番、他人に自分の歌のランク付けされるのは賛成しかねる。」という理由で、「今後すべてのランキング番組の出演を辞退する」と発表。
- 当時、郷の音楽プロデューサーだった酒井政利は、雑誌『KAMZINE』(2005年6月号)で一連の辞退について触れ「新御三家として括られるのも好きでなかったし、アイドル的な定型から脱皮したいと思っていた。そして「自分は人とは違うんだ!」という差別化戦略を選んだ。」と、戦略・挑戦のひとつだったことを明かしている。
大人の歌手へ脱皮
- 1980年代、洋楽バラードのカヴァーを次々と発売し、アイドル歌手から大人の魅力を持った本格派歌手への脱皮を図る。その洋楽カバー「哀愁のカサブランカ」は初めての本格的スロー・バラードのシングル曲であり、「よろしく哀愁」以来自身2度目の50万枚突破を記録した。また、ニューヨークでボイストレーニングを受け、ブレス使いで力まずに声を出す手法を会得し、スロー・バラードをじっくり聞かせられるまでに歌唱力がアップする。1990年代中頃のバラード3部作のヒットにも繋がった。
ゲリラ・ライブ
- 1999年(平成11年)8月、「GOLDFINGER '99」のプロモーションとして、JR渋谷駅前の交差点にトラックを止め、警察に無届けで白昼ゲリラライブを敢行。マスコミが逆サイドからカメラを構え、野次馬などが交差点に押し寄せ、路線バスなど30分に渡って立ち往生し数本運休するという交通渋滞を引き起こす騒動になり、現場関係者6人が道路交通法違反容疑で書類送検される事件に発展した。レコード会社のプロデューサーは懲役3か月、執行猶予2年の判決を受けた。当事者の郷は「何処でやるのかさえ知らされていなかった。」と、罪には問われなかった。
結婚・破局・女性関連
- 1978年(昭和53年)、ロサンゼルス在住の日系アメリカ人女性と破局。1985年(昭和60年)、祇園の芸妓と浮名を流し、六本木のクラブのNo.1ホステスと『フライデー』される。
- 1985年(昭和60年)1月、交際を公にしていた松田聖子が突然単独で、東宝スタジオの食堂にて涙の破局会見を行った。この会見で松田は「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と語ったが、ここから1ヵ月後に神田正輝と結婚を発表した。また後に郷は、「会見することも知らなかった。あんなセリフも言っていない。僕が生まれ変わって虫だったらどうする気だろう?」とジョークを交じえて否定した。
- 1986年(昭和61年)、六本木のディスコで郷が一目ぼれし声をかけ出会った二谷友里恵と、東京白金台カフェのオープンテラスで写真誌に2ショットを撮られる。
- 1987年(昭和62年)6月、二谷友里恵と結婚。結婚披露宴の模様はフジテレビが中継し、視聴率47.6%を記録(披露宴中継、歴代最高視聴率)。結婚後、2年間ニューヨークに移住するなどし、2女を儲けた。
- 1998年(平成10年)4月、結婚から11年で離婚。養育費として1億5千万円を支払う。離婚の際発表した離婚告白本『ダディ』(幻冬舎)はミリオンセラーとなる。
- 1999年(平成11年)、投資家の大根田勝美が郷ひろみに縁談を持ちかけ、娘の名美がニューヨークのアルマーニでショップ店員をしていたところへ郷が訪れるかたちで出会う。京都の料亭で写真誌に撮られ交際が発覚。
- 2000年(平成12年)8月、郷の再婚が話題になり始めると、二谷友里恵は郷の親友でもあった「家庭教師のトライ」創業者の平田修と一足先に再婚した。二谷は郷と結婚後、二谷の遊び仲間の財界人から平田を紹介され、二谷が平田を郷に紹介したことで夫婦共通の親友となり郷は信用しきって、離婚前から郷の承認で二谷と平田は2人きりで旅行していた。また全国の女性ファンやその子供をターゲットに郷は「家庭教師のトライ」のパンフレットにも登場し、全国ツアーではステージ上で、コンサート開始前に異例の「家庭教師のトライ」スクリーンCMを流すなどして平田の会社PRに協力していた。郷夫婦が離婚の話し合いを始めたのは1996年(平成8年)秋頃からで、平田は1997年(平成9年)に配偶者と離婚、郷と二谷は1998年(平成10年)4月に離婚したが、郷はまさか2人に男女の関係があるとは思ってはいなかった[6]。
- 2000年(平成12年)10月、交際していた大根田名美と11月に結婚すると発表。ファンに対して「一日の23時間55分が郷ひろみであり、残りの5分間だけが原武裕美に戻る時間。原武裕美は結婚しても郷ひろみは結婚しない。」と説明した。
- 2001年(平成13年)3月、年内いっぱいで日本での芸能活動を一時休止し、妻の実家のあるニューヨークに移住することを発表。
- 2001年(平成13年)5月、二谷友里恵は、ダディの続編的告白本『楯』(文藝春秋 )を発売し、離婚後の二方の確執が明らかになった。タイトル『楯(タテ)』は50音順に並べた場合、必ず郷の出版した『ダディ』のすぐ前にくるように意識したとの説がある。内容について郷は、「子供たちのために反論しない」とノーコメントを通した。
- 2004年(平成16年)12月、郷は二谷に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円(各7500万円)を信託銀行に預託するとの取り決めを実行していないことや、郷が娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして2000万円を請求する訴訟を起こした。離婚後、継続して交渉が行われた結果、訴訟という形になった[7]。なおこの訴訟は、2006年5月中旬、「父親とは会いたくない」という娘2人の証言が決め手となり、郷側が訴えを取り下げるかたちで決着した[8]。
- 2005年(平成17年)4月21日、二度目の離婚。慰謝料なし。「郷ひろみを極める。」とコメントした。2人は元々互いに好みではなかったが、父親の大根田勝美がお金は充分に貯えたから今度は娘の結婚相手に一流スターを迎えたいと積極的だったため結婚に至った。父親の大根田は来日して郷の両親宅を訪問し、「ご迷惑をおかけしました。」と謝罪した[9]。
- 2006年(平成18年)9月、日本テレビ系『ザ・ワイド』で特別インタビューを受けた最後に「まだ核心に触れてませんよね?」と、同年4月に新幹線のシートで女性とFLASHされた件を自ら切り出したが、結局核心には触れなかった。
- 2006年(平成18年)12月6日、芸能ネタとなった石原真理子の自伝『ふぞろいな秘密』の中で、1987年(昭和62年)春頃、共演映画『さらば愛しき人よ』のロケ先で郷と肉体関係になったと書かれた。
- 2007年(平成19年)7月、出演したマンダムCMで、松田聖子の曲「青い珊瑚礁」の替え歌を歌う。当初は松田とのデュエットが企画されていたが、松田側が拒否したため、ソロで歌うことになった。CM発表会では、「僕がまさかOKするとはメーカーさんも思っていなかったんじゃない?」と答えた。2008年(平成20年)11月の『ベストヒット歌謡祭』でもメドレー冒頭で、松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌った。
ニューヨーク充電後
- 2005年(平成17年)4月、新曲を発表し日本での芸能活動を再開。同時に2度目の離婚も発表。「僕はこれからもなおいっそう努力して郷ひろみを極める。」
- 2006年(平成18年)5月、埼玉スタジアムで行われたキリンカップ2006「日本VSスコットランド」戦において国歌独唱を行なった。全身ブルーのスーツで登場し歌い終わった後には、お得意のジャケットプレイで、JFAフラッグを用いたスーツ裏地を見せ、スタジアムをどよめかせた。
- 2006年(平成18年)7月、9月6日発売の新曲『LIFE』で、50歳を記念して郷と同じ1955年(昭和30年)生まれの男性を公募し、ミュージック・ビデオで共演する企画に700人以上の応募者があった。
- 2007年(平成19年)5月、国土交通省が展開する「ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)」のテーマソングに「Come On Baby」が決まり、大臣から感謝状を手渡された。歌詞には訪日旅行のアピールに“Yokoso”という言葉を散りばめ、日本語のみでなく英語バージョンもあり、中国語、韓国語、フランス語、ドイツ語、タイ語の「ようこそ、日本」を意味する言葉が間奏に盛り込まれ、CDのパッケージに“Yokoso! Japan”のステッカーを添付した。
- 2007年(平成19年)5月、NHKの『英語でしゃべらナイト』に出演し、ニューヨーク仕込みの流暢な英語を披露した。司会のパックンには「大学生レベルの英語」と評される。番組内では英語で「考える・行動する・継続する」という人生の哲学を語った。同番組内で新曲『Come On Baby』の英語バージョンを披露する。
- 2007年(平成19年)5月、放送の日本テレビ『トシガイ』(自分の年齢の数だけ(51歳×1万円)お金を好きなものに使えるという番組企画)を通じて自身が学校建設に貢献したフィリピンを初めて訪問し、子供たちから歓迎を受ける。51万円でフィリピンの子供たちに文房具、Tシャツなどをプレゼントした。これからもライフワークにしていきたいと語った[10]。
- 2007年(平成19年)5月、日本テレビで中継された藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴で、スペシャルゲストとして「お嫁サンバ」を歌う。中継は高視聴率をマーク。
- 2007年(平成19年)6月、「お嫁サンバ」の歌詞「恋する女はきれいさ〜」の「女」の部分に100種類の女性の名前を入れた「着うた」の配信を開始。かつての交際相手「せいこ」(松田聖子)、元妻「ゆりえ」(二谷友里恵)、前妻の「なみ」(大根田名美)の名前もエントリーされた。披露宴で「恋する紀香は……」と歌ったのが反響を呼び、「着うた要望が殺到したから」と説明された。
- 2009年(平成21年)3月9日、『しゃべくり007』に出演した際、「2人目の子どもができて以来、エッチしていない」、「AVは観たことないし一切持っていない。家に取材に来ても良いよ!」、「今までの5人としか付き合ったことがない。水を飲めば性欲を抑えることができる。」と回答した。
- 2009年(平成21年)12月、カリフォルニア州の最高級ぶどう畑を買い付け、最高級のぶどうで最高級ワインを造り、郷がデザインした「5」ラベルのワイン「マグニフィカファイブ」を歳暮に贈る[11]。
作品
シングル
- 男の子女の子(1972年8月1日)※ デビュー曲がいきなりベストテン入り
- 小さな体験(1972年11月1日)
- 天使の詩(1972年12月21日)
- 愛への出発(1973年3月1日)
- 裸のビーナス(1973年6月21日)
- 魅力のマーチ(1973年9月21日)
- モナリザの秘密(1973年12月5日)
- 花とみつばち(1974年3月21日)
- 君は特別(1974年6月21日)
- よろしく哀愁(1974年9月21日、NETテレビドラマ『ちょっとしあわせ』主題歌)
- わるい誘惑(1974年12月21日)
- 花のように鳥のように(1975年4月21日)※バーニング移籍第一弾
- 誘われてフラメンコ(1975年7月21日)
- 逢えるかもしれない(1975年10月21日)
- バイ・バイ・ベイビー(1975年12月21日、ベイ・シティ・ローラーズの「Bye Bye Baby」のカヴァー)
- 恋の弱味(1976年2月1日)
- 20才の微熱(1976年5月1日)
- あなたがいたから僕がいた(1976年8月1日)
- 寒い夜明け(1976年11月1日、作詞:楳図かずお)
- 真夜中のヒーロー(1977年2月1日)
- 悲しきメモリー(1977年5月1日)
- 洪水の前(1977年7月21日)
- 帰郷/お化けのロック(1977年9月1日、TBSドラマ『ムー』挿入歌、樹木希林とデュエット)
- 禁猟区(1977年12月5日)
- バイブレーション (胸から胸へ)(1978年3月21日)
- ぼくのるすばん(1978年5月21日)
- 林檎殺人事件(1978年6月21日、TBSドラマ『ムー一族』劇中歌、樹木希林とデュエット)
- ハリウッド・スキャンダル(1978年9月21日)
- 地上の恋人(1978年12月21日)
- ナイヨ・ナイヨ・ナイト(1979年3月21日)
- いつも心に太陽を(1979年6月21日)
- マイレディー(1979年9月21日、TBS主演ドラマ『家路』挿入歌)
- セクシー・ユー (モンロー・ウォーク)(1980年1月21日、南佳孝の「モンロー・ウォーク」のカヴァー(歌詞違い))
- タブー (禁じられた愛)(1980年5月1日)
- How many いい顔(1980年7月21日、カネボウ化粧品CMソング)
- 若さのカタルシス(1980年11月1日、TBS主演ドラマ『ミセスと僕とセニョールと』挿入歌)
- 未完成(1981年2月1日)
- お嫁サンバ(1981年5月1日)
- もういちど思春期(1981年8月8日)
- 哀愁ヒーロー Part1/Part2(1981年11月1日)
- 純情(1982年2月1日)
- 女であれ、男であれ(1982年5月2日)
- 哀愁のカサブランカ(1982年7月17日、バーティ・ヒギンズの「カサブランカ」のカヴァー)
- 哀しみの黒い瞳(1982年11月21日、フリオ・イグレシアスの「黒い瞳のナタリー」のカヴァー)
- 美貌の都(1983年3月5日)※ 1985年中島みゆきがセルフカヴァー
- ロマンス(1983年4月21日、フリオ・イグレシアスの「愛のロマンス」のカヴァー)
- 素敵にシンデレラ・コンプレックス(1983年5月12日、トヨタ・カローラ(E80型)CMソング)※ 1984年鈴木康博がセルフカヴァー
- ほっといてくれ(1983年9月1日)
- シャトレ・アモーナ・ホテル(1983年12月1日、フリオ・イグレシアスの「NO TE HE PODIDO OLVIDAR」のカヴァー)
- 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-(1984年2月25日、国鉄のキャンペーン・コマーシャルソング)※2007年、アレンジ曲がBSデジタル放送3000万台突破記念キャンペーンソング ※ 2009年、アレンジ曲が億千米CMソング
- ヤクシニー(1984年6月21日)
- どこまでアバンチュール/ケアレス・ウィスパー(1984年11月10日、ワム!の「Careless Whisper」のカヴァー)
- 愛のエンプティーペイジ(1985年3月6日)
- CHARISMA(1985年5月22日)
- サファイア・ブルー(1985年8月25日、井上陽水の「WINTER WIND」のカヴァー(歌詞違い)、作詞:松本隆)
- Cool/LABYRINTH(1985年10月21日、両面英語詞シングル、12インチアナログ盤)
- 千年の孤独(1987年3月21日)
- 時をかさねたら(1988年6月1日)
- 最終便にまにあえば(1989年6月21日、テレビ朝日系レギュラー番組「郷ひろみの宴ターテイメント」主題歌)
- Wブッキング-LA CHICA DE CUBA-(1990年5月12日、セニョーラ・ラティーナの楽曲のカヴァー)
- もう誰も愛さない(1990年10月21日、日本テレビ主演ドラマ『刑事貴族』主題歌)
- 裸のビーナス/よろしく哀愁(1991年4月25日)
- 迷イズム(1991年5月22日)
- ヴィーナスたちのシエスタ(1992年5月2日、深夜枠ドラマ『アルファベット2/3』主題歌)
- 僕がどんなに君を好きか、君は知らない(1993年1月21日、楠瀬誠志郎の楽曲のカヴァー、フジテレビ『正しい結婚』主題歌)※ バラード3部作
- 言えないよ(1994年5月1日、TBS『お見合いの達人』主題歌)※ バラード3部作
- 逢いたくてしかたない/忘れられないひと(1995年4月21日)朝日生命CMソング)※ バラード3部作
- 泣けばいい(1995年6月14日、TBS『あした家族になあれ!』主題歌)
- なにもかも忘れない(1995年11月22日、ローレックス専門店「青山エバンス」CMソング)
- どんなに君がはなれていたって/裸の夢(1996年2月1日、TBS『ママは大ピンチ!!』主題歌)
- く・せ・に・な・る/甘い束縛(1996年4月12日、朝日生命のCMソング)
- Don't leave you alone/いつもそばに君がいた(1996年4月12日、朝日生命のCMソング/ISUZU「フォワード」CMソング)
- Zeroになれ(1997年4月21日)
- ゆっくり恋しよう(1997年10月1日、日本エアシステム「東京キャンペーン」CMソング)
- KISSが哀しい(1998年4月22日、フジテレビ『白衣のふたり』主題歌)
- 男が恋に出逢うとき(1999年3月25日)
- GOLDFINGER '99(1999年7月23日、リッキー・マーティンの「Livin' La Vida Loca」のカヴァー、TBS日曜劇場『ヤマダ一家の辛抱』主題歌)
- Hallelujah,Burning Love(2000年2月2日)
- なかったコトにして(2000年6月21日、サンヨー食品『NEWカップスター』のCMソング、郷ひろみwith HYPER GO号 名義)
- True Love Story/さよならのKISSを忘れない(2000年9月27日、ワコール『ポイントシェーバー』CMソング、郷ひろみ/松田聖子 名義)
- Only for you-この永遠がある限り-(2001年2月21日、日本テレビ『FACE〜見知らぬ恋人〜』主題歌、作曲:織田哲郎)
- 獣は裸になりたがる(2001年6月20日)
- ワキワキマイフレンド(2001年8月1日、フジテレビ『はるちゃん5』主題歌)
- この世界のどこかに(2001年11月7日、TBSドラマ『ひとりじゃないの』主題歌、プロデュース:ゴスペラーズ)
- 愛より速く(2005年4月20日、高須クリニックCMソング)
- 君が泣ける場所になる(2005年10月19日、雪国まいたけCMソング)
- LIFE(2006年9月6日)
- Boom Boom Boom/Come On Baby(2007年5月23日、ダビッド・ビスバルの「Oye El Boom」のカヴァー)
- Good Times Bad Times(2007年12月5日、パチンコ『CR GO!GO!郷! 2nd Stage』(ニューギン)機種挿入歌)
- 君だけを feat.童子-T(2008年5月14日)
- ありのままでそばにいて/このメロディだけは/君だけを feat.童子-T Remixed by 3rd Productions (2008年10月29日)
- 男願 Groove!/強引 Love!(2009年5月27日)
- Get Real Love ~GOLD FINGER'009(2009年9月2日)
- 僕らのヒーロー(2010年6月9日、NHK『みんなのうた』)
- 愛してる/愛してはいけないひと(2010年10月20日)
- 笑顔にカンパイ!(2011年6月1日)布袋寅泰プロデュース、NHK 「サラリーマンNEO シーズン6」オープニングテーマ曲
オリジナル・アルバム
- 男の子女の子(1972年11月1日) ※ ファーストアルバム
- 愛への出発(1973年5月1日)
- ひろみの部屋(1974年1月1日)
- ひろみの朝・昼・晩(1974年6月11日)
- ひろみの旅(1975年6月21日)
- HIROMIC WORLD(1975年11月21日、全曲作詞:荒井由実(ユーミン))
- さらば夏の光よ(1976年4月21日)
- 街かどの神話(1976年12月5日)
- アイドルNO.1(1977年10月1日)
- ピラミッド ひろみっど(1977年12月21日)
- Narci-rhythm(1978年7月21日)
- アポロンの恋人(1979年4月1日)
- LOOKIN'FOR TOMORROW(1979年8月1日)
- SUPER DRIVE(1979年12月21日)※ ニューヨークレコーディング
- MAGIC(1980年8月21日)
- How manyいい顔(1981年1月1日)
- PLASTIC GENERATION(1981年5月1日)
- アスファルト・ヒーロー(1981年12月21日)
- 哀愁のカサブランカ(1982年9月22日)
- 愛の神話(1982年12月21日)
- 比呂魅卿の犯罪(1983年4月1日、サウンド・プロデュース:坂本龍一)
- TAILORED SONG(1983年12月21日)
- ALLUSION(1984年12月1日、プロデュース:ヘンリー浜口)
- LABYRINTH(1985年10月2日)
- LOVE OF FINERY(1987年4月1日、全曲英語詞)
- DRIVING FORCE(1989年6月1日)
- アメリカかぶれ(1990年6月1日)
- 準備万端〜VINGT ANS〜(1991年4月25日)
- CATALONIAN BLOOD(1992年5月2日)
- LUNA LLENA(1993年5月21日)
- GOrgeous(1994年6月11日)
- I Miss You〜逢いたくてしかたない〜(1995年7月1日)
- く・せ・に・な・る(1996年7月1日)
- 心のカギ(1998年6月20日)
- THE GOLDSINGER(1999年8月21日)
- 恋のハレルヤ大作戦 〜Mission Code is "G"〜(2000年7月5日)
- PERIOD 〜この世界のどこかに〜(2001年11月21日)※以降、芸能活動を一時休止
- Evolution(2005年9月14日)
- Winter Mood(2006年11月22日)※ バラードミニアルバム
- place to be(2008年6月11日)
- one and only...(2010年11月20日)
ベスト・アルバム/コンピレーション/サントラ/他
- 郷ひろみデラックス(1975年6月1日)
- 郷ひろみのすべて(1976年6月1日) ※ LP3枚組
- おとうと(オリジナル・サウンドトラック)(1977年2月25日)
- フォーエバー・シリーズGO(1977年11月1日) ※ LP3枚組
- 金字塔ピラミッド(1981年10月18日) ※ LP5枚組+ピクチャーレコード
- マイ・コレクション(1982年6月21日) ※ シングル20曲メドレー
- 黄金郷(1983年11月1日)
- 黄金郷I 〜2億4千万の瞳〜(1984年6月10日)
- 聖女伝説(映画オリジナル・サウンドトラック)(1985年3月6日)
- 郷ひろみ全集/'72〜'85 DANDYISM(1985年11月21日) ※ CD4枚組
- 郷ひろみベスト・コレクション(1986年5月21日)
- MY SELF(1987年5月31日) ※ CD3枚組
- 準備万端〜VINGT ANS〜SONGLESS(1991年5月22日)
- HIROMIX(1991年11月21日) ※ 藤原ヒロシによるシングル曲のリミックス・アルバム
- 郷ひろみ全集/'86〜'91 DANDYISM(1992年2月21日) ※ CD2枚組
- THE GREATEST HITS OF HIROMI GO(1994年11月2日) ※ CD2枚組
- THE GREATEST HITS OF HIROMI GO VOL.II 〜Ballads〜(1995年11月22日) ※CD2枚組バラードコレクション
- THE GREATEST HITS OF HIROMI GO VOL.III セレクション(1996年11月1日) ※CD2枚組、オリジナル・カラオケ付)
- ALL THE SINGLES 1972-1997(1997年8月1日) ※ デビュー25周年記念
- デビュー曲「男の子女の子」から「Zeroになれ」までのシングル全曲(B面曲、12インチも含む)147曲収録、8枚組CD-BOX
- GOLDFINGER '99◆Re-mix(1999年10月21日)
- MOST LOVED HITS OF HIROMI GO VOL.1 〜Heat〜(2001年7月4日) ※ファンのリクエストによるシングル・アルバム曲のリアレンジ
- MOST LOVED HITS OF HIROMI GO VOL.2 〜Cool〜(2001年7月4日) ※ファンのリクエストによるシングル・アルバム曲のリアレンジ
- With Whom?(2001年3月28日) ※デュエット曲ミニアルバム(樹木希林、松田聖子、鈴木聖美、杏子)
- Single Collection of Early Days vol.1(男の子女の子〜わるい誘惑)(2005年10月5日)
- Single Collection of Early Days vol.2(花のように鳥のように〜洪水の前)(2005年10月19日)
- Single Collection of Early Days vol.3(帰郷・お化けのロック〜セクシー・ユー)(2005年11月2日)
- Single Collection of Early Days vol.4(タブー〜哀しみの黒い瞳)(2005年11月16日)
- Single Collection of Early Days vol.5(美貌の都〜千年の孤独)(2005年11月30日)
- 上記5枚は、シングルレコードを復刻したものをCDにして11枚ずつ各BOXに収納した完全生産限定版(合計55枚)
- SAMBA de GO 〜HIROMI GO Latin Song Collection〜(2007年8月8日)
ライブ・アルバム
- フォーリーブス・郷ひろみ/ジョイント・リサイタル(1974年9月5日) ※ LP2枚組
- HIROMI ON STAGE! -よろしく哀愁(1974年12月10日) ※ 初のソロのライブアルバム
- GO GOES ON! HIROMI IN U.S.A PartI(1976年8月21日)
- GO GOES ON! HIROMI IN U.S.A PartII(1976年9月21日)
- ヒーロー(1977年6月1日)
- フェニックス -HIROMI IN BUDOKAN-(1978年4月1日)
- IDOL OF IDOLS(1978年10月1日)
- MY OWN ROAD(1980年5月21日)
- AT THE STARTING LIVE 〜READY SET GO!〜(1981年9月5日)
- 郷ひろみライブCONCERT TOUR LABYRINTH(1986年3月21日)
VHS・DVD
主な出演
音楽番組
- 紅白歌合戦(NHK)
- NHKのど自慢(NHK)
- ふたりのビッグショー(NHK)
- ミュージックフェア(フジテレビ)
- FNS歌謡祭(フジテレビ)
- ベストヒット歌謡祭(読売テレビ)
- ザ・ベストテン(TBS)
- 夜のヒットスタジオ(1972年 - 1990年6月27日(175回出演)、1981年2月16日は井上順の代役司会、フジテレビ)
- HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP(フジテレビ)
- うたばん(TBS)
- 僕らの音楽 -OUR MUSIC-(2007年5月25日、DJ OZMAと対談、フジテレビ)
- MUSIC JAPAN(NHK総合、2010年10月24日)出演
- MUSIC FAIR(フジテレビ、2010年10月30日)出演
- 僕らの音楽 -OUR MUSIC-(2010年12月10日、浅野温子と対談、フジテレビ)
バラエティ
- カックラキン大放送(1983年、日本テレビ、野口五郎に代わりレギュラー出演)
- 郷ひろみの宴ターテイメント(1989年、テレビ朝日、レギュラー、主題歌「最終便にまにあえば」)
- ヤミツキ(2000年4月 - 2001年3月、中京テレビ)
他多数
ラジオ
- 郷ひろみのセイ!ヤング(文化放送、木曜日担当:1980年10月 - 1981年3月、火曜日担当:1981年4月 - 1981年9月)
- NISSANミッドナイトステーション 水曜「ちょっと乱れてカーニバル」(1982年4月 - 1983年3月、TBSラジオ)
- サウンド・フラッシュ 郷ひろみ・60'Sカンパニー(ニッポン放送)
- HIDEKIとHIROMIのサンデーワイワイ広場(1979年、文化放送)
ドラマ
- 新・平家物語(1972年、NHK「大河ドラマ」、平経盛役)
- 青春をつっ走れ(1972年、フジテレビ、主演:森田健作)
- あしたに駈けろ!(1972年、フジテレビ、主演:森田健作)
- 一姫二太郎(1972年、フジテレビ)
- おやじ山脈(1972年、TBS、主題歌「天使の詩」)
- 銀座わが町(1973年、NHK)
- 肝っ玉博物帳(1973年、フジテレビ)
- ぼくは叔父さん(1974年、日本テレビ、主題歌『夢で会おうね』)
- ちょっとしあわせ(1974年、テレビ朝日、共演:酒井和歌子、主題歌「よろしく哀愁」)
- あこがれ共同隊(1975年、TBS、共演:西城秀樹、桜田淳子)
- 毎日が日曜日(1977年、NHK「銀河テレビ小説」)
- ゆずり葉(1977年、中部日本放送「東芝日曜劇場」)
- ムー(1977年、TBS、共演:樹木希林、挿入歌「お化けのロック」)
- 七人の刑事(1978年、TBS、第22話)
- ムー一族(1978年 - 1979年、TBS、共演:樹木希林、挿入歌「林檎殺人事件」)
- 家路(1979年、TBS、挿入歌「マイレディー」)
- 草燃える(1979年、NHK「大河ドラマ」、源頼家役)
- 婚前時代(1979年、中部日本放送「東芝日曜劇場」)
- 新・座頭市 第3シリーズ(1979年、フジテレビ、第4話「あした斬る」)
- ミセスと僕とセニョールと(1980年、TBS、主演、挿入歌「若さのカタルシス」)
- 峠の群像(1982年、NHK「大河ドラマ」、片岡源五右衛門役)
- 沖田総司 華麗なる暗殺者(1982年、フジテレビ)
- 春雷(1983年、フジテレビ「新春ドラマスペシャル」)
- 聖母たちの行進(1983年、TBS、共演:桃井かおり)
- 流れ星左吉(1983年、関西テレビ、主演、主題歌「暗闇のディーン」)
- 翔んでる警視(1986年、TBS、主演)
- 翔んでる警視2(1987年、TBS、主演)
- 失われた時の流れを(1990年、フジテレビ「サントリードラマスペシャル」)
- 刑事貴族(1990年 - 1991年、日本テレビ)主演、主題歌「もう誰も愛さない」)
- 生前情交痕跡あり(1991年、フジテレビ「金曜ドラマシアター」、主演)
- 信長 KING OF ZIPANGU(1992年、NHK「大河ドラマ」、徳川家康役)
- D坂殺人事件 名探偵明智小五郎誕生 名探偵明智が挑む猟奇殺人の謎!!闇に浮かぶ白い肌…(1992年、フジテレビ、主演)
- 愛する時と裁く時(1992年、フジテレビ、主演)
- 企業病棟(1994年、NHK ドラマ新銀河」、主演)
- 坊っちゃんちゃん(1996年、TBS、主演)
映画
- 『急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS』(1974年、東宝/ジャック・プロ、共演:フォーリーブス)
- 『さらば夏の光よ』(1976年、松竹、共演:秋吉久美子)
- 『おとうと』(1976年、松竹、共演:浅茅陽子)
- 『突然、嵐のように』(1977年、松竹、共演:秋吉久美子)
- 『ワニと鸚鵡とオットセイ』(1977年、松竹、共演:樹木希林、秋吉久美子)
- 『ダブル・クラッチ』(1978年、松竹、共演:松坂慶子)
- 『夢一族 ザ・らいばる』(1979年、東映、共演:森繁久彌)
- 『11ぴきのねこ』(1980年、トラネコ大将役(声の出演))
- 『コールガール』(1982年、松竹、共演:未唯)
- 『瀬戸内少年野球団』(1984年、日本ヘラルド、共演:夏目雅子)
- 『聖女伝説』(1985年、松竹、共演:岩下志麻)
- 『ALLUSION -転生譚-』(1985年、松竹、共演:守山知子)
- 『コミック雑誌なんかいらない!』(1986年、共演:内田裕也)
- 『近松門左衛門 鑓の権三』(1986年、松竹、共演:岩下志麻)
- 『さらば愛しき人よ』(1987年、松竹、共演:石原真理子)
- 『舞姫』(1989年、東宝、共演:リザ・ウォルフ)
- 『Samurai Cowboy』(1993年、監督:Michael Keusch、邦題:『ワイルドハート〜遥かなる荒野へ〜』)※ハリウッド映画主演
舞台
- 『権八小紫』(1994年、新橋演舞場)※初座長を務める
- 『坊ちゃん』(1996年6月4日-28日、原作:夏目漱石、新橋演舞場)
- 『愛・時をこえて ドラキュラ・イン・ジャパン』(1997年2月御園座、1997年3月新歌舞伎座、共演:川島なお美)
イベント
- 1971年(昭和46年)、日劇ウエスタンカーニバル(日本劇場)
- 1973年(昭和48年)5月5日 - 6日、第46回ウエスタン・カーニバル『郷ひろみショー』(日本劇場)
- 1983年(昭和58年)、国鉄新橋駅の一日駅長
- 2000年(平成12年)10月7日、FUNBOWL NIGHT 2000〜史上最大のパラパラ祭り〜「20世紀最後のHALLELUJHA!!」(ツインリンクもてぎ、共演:AVEX ARTISTS…ダンス☆マン、HYPER GO号2、キーヤキッス、PARAPARA ALL STARS、安西ひろこ)
- 2006年(平成18年)5月、キリンカップ2006「日本VSスコットランド」戦、国歌独唱(埼玉スタジアム)
- 2007年(平成19年)5月30日、藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴(ホテルオークラ神戸、中継:日本テレビ)
- 2007年(平成19年)9月、第5回東京ガールズコレクション(さいたまスーパーアリーナ)
- 2008年(平成20年)8月16日、お台場冒険王「めざましライブ」(ファン5000人)
- 2008年(平成20年)5月5日 5時55分、ラクーア「開業5周年記念イベント」ライブ(ファン5000人)
- 2009年(平成21年)5月5日、「コルテオGO!GO!サポーター」就任し「GO外!」を自ら配る
- 2009年(平成21年)5月21日、ヒップホップエクササイズ「Hip Hop Abs」イベントでイメージソングの新曲「男願Groove!」披露(六本木ヒルズ、ファン550人)
- 2009年(平成21年)7月28日、「コルテオ」大阪公演のPRのため、橋下徹大阪府知事を表敬訪問
- 2009年(平成21年)8月6日、神宮外苑花火大会30周年記念の明治神宮野球場ライブ
- 2009年(平成21年)8月22日、お台場合衆国「めざましライブ」(ファン4000人)
キャンペーン
- 1984年(昭和59年)、国鉄:エキゾチック・ジャパン「2億4千万の瞳」
- 2007年(平成19年)、BSデジタル放送3000万台突破記念:「2億4千万の瞳」のアレンジ曲
- 2007年(平成19年)、国土交通省ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)テーマソング:「Come On Baby」
- 2009年(平成21年)、リュック・ベッソン製作・脚本の人気映画シリーズ最新作『トランスポーター3 アンリミテッド』(8月15日公開)の本編先付け映像のナレーターに起用された
CM
- 高須クリニック( - 2008年11月)
- 朝日生命(「人生倶楽部」、「あんしん倶楽部」、「あんしん倶楽部10」、「Vシリーズ」、「My倶楽部」、「My倶楽部ZOOM」(共演:菅野美穂)、「My倶楽部ヤングステージ」、共演:菅野美穂)
- 穴吹工務店「サーパスマンション」、「サーパスフェア」
- 伊勢丹「I カード」
- 大塚食品「ボンカレーゴールド」
- ロッテ「パイの実」、「ガーナミルク」
- JR東日本「東北新幹線」
- 丸八真綿「82 ハッチーニ」、「ファーベッド」(共演:内田有紀)、「ホームショッピング」(共演:浅野ゆう子)
- ロート製薬「新パンシロン」
- カネボウ 男性化粧品「XANAX(ザナックス)フォームコロン」
- 延田グループ「パチンコ・スロット 123」※関西ローカルCM(GAORAでも放映)
- 1972年(昭和47年)
- 1979年(昭和54年)、大日本除虫菊「キンチョール」流行語「ムシムシコロコロ キンチョール」(共演:横山やすし)
- 1980年(昭和55年)、カネボウ化粧品CMソング:「How many いい顔」
- 1980年(昭和55年) - 1986年(昭和61年)、三洋電機「サンヨービデオ・マイコニック」
- 1981年(昭和56年)、大日本除虫菊「キンチョール」流行語「ハエハエカカカ、キンチョール・よろしいんじゃないですか」(共演:柄本明)
- 1982年(昭和57年)、サントリー「赤玉ワイン・赤玉パンチ」
- 1983年(昭和58年) - 1987年(昭和62年)、トヨタ自動車「カローラセダン(E80系)、カローラレビン(AE85/86)」
- 1987年(昭和62年)、大日本除虫菊「キンチョール」流行語「オス!メス!ハイオスキンチョール1本〜!」
- 1989年、サントリー「モルツビール」
- 1995年(平成7年)、トリンプ「天使のブラ」CMソング:「忘れられないひと」
- 1996年(平成8年)、宝酒造「タカラ本みりん てりっこ」
- 2000年(平成12年)
受賞歴
- 1975年(昭和50年) - 1979年(昭和54年)、日本テレビ音楽祭・トップアイドル賞・5年連続受賞(明星アイドル人気投票結果から選出)
- 1976年(昭和51年)、第18回日本レコード大賞・大衆賞「あなたがいたから僕がいた」
- 1977年(昭和52年)、第2回報知映画賞・特別賞(『突然、嵐のように』などで新しい映画スターのイメージを作ったことに対して)[12]
- 1978年(昭和53年)
- 1981年(昭和56年)、第14回日本有線大賞・有線音楽賞「お嫁サンバ」
- 1984年(昭和59年)、第1回ベストジーニスト賞
- 1986年(昭和61年)、ベルリン国際映画祭・銀熊賞『鑓の権三』(篠田正浩監督)※主演映画
- 1994年(平成6年)、第27回日本有線大賞・有線音楽優秀賞(ポップス)「言えないよ」
- 1995年(平成7年)、第28回日本有線大賞・有線音楽優秀賞(ポップス)「逢いたくてしかたない」
- 1999年(平成11年)
- 第41回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞「GOLDFINGER '99」他メドレー
- 第32回日本有線大賞・有線音楽優秀賞(ポップス)「GOLDFINGER '99」
- 第12回ネイルクィーン・協会特別賞
- 国土交通省ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)テーマソングとして楽曲提供により感謝状「Come On Baby」
書籍
著書
- 『たったひとり』(1980年10月、小学館)
- 『郷ひろみの紐育(ニューヨーク)日記』(1989年10月、朝日新聞社)※1991年文庫化
- 『紐育(ニューヨーク)日記』(1991年10月、朝日新聞社)
- 『不惑』(1996年6月、工作舎)
- 『ダディ』(1998年4月、幻冬舎)※ミリオンセラーとなった
- 『若気の至り』(2000年11月、角川書店)
- 『NEXT 明日の僕がいちばん!』(2009年5月25日、講談社)
写真集
- 写真集『ムー一族』(1978年11月、レオ企画)
雑誌・漫画
名前が登場した作品
- 『ブラック・ジャック』
- 『ドラえもん』
- 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』
ビジネス
レストラン
- イタリアンレストランのプロデュース/SOGNI di SOGNI(ソーニ・ディ・ソーニ) ※ 経営・運営は延田グループ
ブランド
- ジュエリーブランドのプロデュース/Rosen Hemden(ローゼン・へムデン) ※ 経営・運営は坂本貴金属
- オリジナルワインのプロデュース/2008 マグニフィカファイブ(ディレクターHIROMI GO) ※ 醸造・販売、クラッシュパッド株式会社
チャリティー活動
- 1995年(平成7年)11月25日、東京赤坂プリンスホテルにおいて、アジアの恵まれない子供のためのチャリティーディナーライブを開催。収益金4,388,983円を特別救済活動カスパルに寄付し、フィリピンの学校建設費用に当てられた[13]。その後もファンクラブサイトやファンクラブイベントでチャリティーオークションを行った売上の一部などを同所に寄付し続けた結果、10年(1995年(平成7年)11月 - 2007年(平成19年)4月)で約1200万円に達し、フィリピンでの4つの学校建設に貢献した[14]。
- 1999年(平成11年)10月、「GO's CLUB PARTY '99」オークションの売上の一部を「郷ひろみファンクラブ」から日本赤十字社を通じ、トルコ及び台湾の「被害をこうむられた方々が、元気を取り戻し、また、子どもたちが今までどおり、勉強したり遊んだりできるように、一日も早い復興を願い」、震災復興義援金に各50万円ずつの計100万円を寄付した。
ファンクラブ
- 名称 - 48th CLUB → GO's CLUB
- 会報 - 『共同体』 → 『ぺんぺん草』 → 『HiromiX』
- イベント - CLUB PARTY
- 特典 - コンサート優先予約、コンサートグッズ通信販売
脚注
- ^ 東京中日スポーツ55周年企画「郷GO!!インタビュー<1>おふくろに平手で殴られた」2010年5月11日
- ^ 2010年(平成22年)10月20日 SONGS
- ^ ひろみ饅頭[1]
- ^ Yahoo!グルメ「御菓子ひろみ」[2]
- ^ 20代の頃、山口百恵に密かな恋心を抱いていたが、無視され続けたという苦い経験を持っている。
- ^ 「二谷友里恵に手玉に取られた郷ひろみの絶句」『FOCUS(フォーカス)』(2000年9月27日号、新潮社)[3]
- ^ 「郷ひろみが二谷友里恵に離婚7年目の「1億7000万円」驚愕訴訟」『週刊ポスト』(2005年2月21日号、小学館)[4]
- ^ 出典:『週刊文春』(2006年6月22日号[5]/関連:2005年2月10日号[6])@その経緯は、上記証言により敗色濃厚となった郷が和解を申し出たが、二谷は判決で是非をはっきりさせることを望み和解を拒否し、郷が訴えの取り下げを決断したというものである。
- ^ 「2度目の破局 なぜ女は郷ひろみのもとを去っていくのか?」『週刊ポスト』(2005年5月6日号、小学館)
- ^ 『トシガイ』(日本テレビ)「第7回郷ひろみ(2007年5月17日)」
- ^ 「郷ひろみ 最高級ぶどう畑購入し、最高級ワイン作る」2009年12月28日、アメーバーニュース[7]
- ^ シネマ報知『報知映画賞ヒストリー』「第2回(1977年(昭和52年)12月28日)@東條会館(東京・半蔵門)」[8]
- ^ 「郷ひろみさんのチャリティーコンサート」『カスパルニュースレター(1996年12月)』
- ^ 「郷ひろみ様に感謝いたします」『特別救済活動カスパル(2007年4月)』
外部リンク
- 郷ひろみスペシャルサイト
- 郷ひろみオフィシャルサイト
- Sony Music Online Japan 郷ひろみ
- SOGNI di SOGNI大阪
- Rosen Hemden
- 大吟醸 原武
- 郷ひろみオリジナル・プレミアム・ワイン マグニフィカ・ファイブ
- 東京中日スポーツ55周年企画「郷GO!!インタビュー<2>人生の転機「お嫁サンバ」」2010年5月18日
- 東京中日スポーツ55周年企画「郷GO!!インタビュー<3>人気沸騰しても渡米の決意変わらず」2010年5月25日
- 東京中日スポーツ55周年企画「郷GO!!インタビュー<4>3年半の米国生活で自分の声見えた」2010年6月1日
- 東京中日スポーツ55周年企画「郷GO!!インタビュー<5>60代になっても進化し続ける あり得ない!域にいきたい」2010年6月8日
| ||||||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||
カテゴリ: 出典を必要とする記事/2011年4月 | 1955年生 | 福岡県出身の人物 | 日本の俳優 | 日本の歌手 | 日本のアイドル | 過去のジャニーズ所属者 | バーニングプロダクション系列所属者 | ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)のアーティスト | NHK紅白歌合戦出演者 | 存命人物




