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関川浩一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関川 浩一
阪神タイガース コーチ #78
ファイル:Sekikawa koichi.jpg
楽天コーチ時代
(2011年8月30日、こまちスタジアム
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
出身地 東京都調布市
生年月日 1969年4月1日(43歳)
身長
体重
179cm
75kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手捕手
プロ入り 1990年 ドラフト2位
初出場 1991年7月31日
最終出場 2007年10月4日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス (2008 - 2009)
  • SKワイバーンズ (2010)
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011)
  • 阪神タイガース (2012 - )

関川 浩一(せきかわ こういち、1969年4月1日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手外野手捕手)。2012年から阪神タイガースのコーチを務める。愛称は「関さん」。

目次

経歴

プロ入り前

小学時代は調布リトル、中学時代は同シニアに所属し、中学3年の夏には全日本選手権にて優勝を果たす。その後桐蔭学園高校に進学し、入学早々の1年時の夏、後に慶應義塾大学のエースとして活躍した志村亮投手らと共に第66回全国高等学校野球選手権大会に出場。6番ライトとしてスタメン出場で活躍。その後は、強肩強打の捕手として活躍した。卒業後は駒澤大学に進学し東都大学リーグ通算50試合出場、161打数42安打、打率.261、3本塁打、13打点。捕手として大学リーグベストナインに2回輝く。また日米大学野球選手権大会にも出場した。

1990年のドラフト会議阪神タイガースより2位指名を受け入団。

阪神・中日時代

俊足巧打の捕手として早い時期から注目を浴び、日本プロ野球では珍しい「一番・捕手」として出場することもあった。しかし1994年にはセ・リーグワースト記録となる盗塁阻止率0.125を記録するなど盗塁阻止に難があり、俊足であることから阪神時代は外野手を兼任した。1997年オフに久慈照嘉と共に大豊泰昭矢野輝弘との2対2の交換トレード中日ドラゴンズに移籍。ナゴヤドームに適応できる野手として外野手専任となり、前年内野手として不本意なシーズンを送った立浪和義、投手として伸び悩んでいた井上一樹と共に外野守備コーチの二宮至の特訓を受けた。当時監督の星野仙一から重用される。

1999年は自身最高の成績となる打率.330・4本塁打・60打点・20盗塁を記録し、リーグ優勝の牽引役を果たした。しかし、日本シリーズ第1戦においてダイエーの先発、工藤公康に弱点を見破られ、そこを徹底的に突かれたことにより、バッティングの感覚に狂いが生じてしまう。翌2000年は成績を落とした。特に巨人に移籍した工藤との対戦では前年の日本シリーズがトラウマになったかのように全くと言っていいほど歯が立たなかった。その後、監督が山田久志に代わり、福留孝介の外野手転向や英智の台頭も有り出番が激減。

2004年、新監督に落合博満が就任しリーグ優勝を果たすが、自身は移籍後最少の12試合出場に留まった。同年オフ、無償トレード小山伸一郎と共に新規参入球団の東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した。

楽天時代

2005年3月26日、ロッテとの開幕戦千葉)に1番左翼手で先発出場。新球団1人目の打者となった(初回表先頭打者として相手先発清水直行の初球を叩き左飛)。4月6日の日本ハム戦で通算1000本安打を達成。同時にこの1000本目の安打は球団史上初の猛打賞、及び球団史上初の三塁打となった。

2006年9月5日、オリックス戦(仙台)に2番で先発出場し、1試合犠牲バント4個の日本プロ野球タイ記録(過去6人)を達成した。またこの年の後半戦から、監督の野村克也が「藤井彰人カツノリが負傷した際に捕手を守らせる」という意向で、捕手守備の練習にも取り組んだが、実際に守備に就くことはなかった。

2007年9月24日、同年限りで現役引退を表明。引退試合の10月4日の対ロッテ23回戦で、1番中堅手としてフル出場し4打数1安打。現役最後の打席は代名詞となったヘッドスライディングを見せるも一塁ゴロ。相手投手は清水直行で、奇しくも楽天初の公式戦で先頭打者として対戦したのと同じ相手だった。試合後の引退セレモニーでは、監督に試合に出してもらえるよう頼んだところ、上記のように1番中堅手で起用されたことに感謝の意を述べ涙した。プロ17年間の思い出について、「(1999年に)星野監督を胴上げすることができたこと。あの年は星野監督の笑顔を見たくて一生懸命やっていた」と話している。11月30日に自由契約公示された。

引退後

2007年秋季キャンプから楽天一軍打撃コーチ補佐に就任し2009年まで務めたが、野村の監督退任と同時に解雇され、2010年韓国プロ野球SKワイバーンズの一軍打撃コーチを務め同年の公式戦優勝、韓国シリーズ優勝に貢献した。

2011年からは星野が監督に就任するにあたり楽天に復帰し、二軍外野守備走塁コーチに就任。同年5月15日、一軍外野守備走塁コーチに配置転換。2011年10月30日、退団が発表された[1]

2012年からは、和田豊が監督に就任する阪神に復帰し、一軍外野守備走塁コーチに就任[2]

人物

2002年に前妻との離婚を経て元テレビ東京アナウンサーの家森幸子と結婚。家森との間には2003年8月に生まれた長男と2009年2月に生まれた次男がいる。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1991 阪神 103028382001000000200110.286.333.357.690
1992 31464315100620000300131.116.174.140.313
1993 892622332265411741925202611613.279.354.318.671
1994 1033202832776812922724922620375.269.328.325.653
1995 12447141762123175215630128724411742.295.362.374.736
1996 1133823443210821221392856243270602.314.368.404.772
1997 95285245287512251062634223482394.306.392.433.825
1998 中日 125449382621091321129361531334724575.285.367.338.705
1999 1355915227417228642246020111184822736.330.383.429.812
2000 12748541950109192314129861344623723.260.335.337.671
2001 65212180204040147833702421340.222.317.261.578
2002 73137118132571034134292810241.212.258.288.546
2003 10728224735781112972334422811392.316.385.393.778
2004 1211111000000000000050.000.000.000.000
2005 楽天 10129425830741620941276622602531.287.354.364.719
2006 812331992657801689731601602455.286.346.342.687
2007 1725244520072000000150.208.240.292.532
通算:17年 140845153953490112917325241424324916510131410292070236.286.353.360.713
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

  • 21 (1991年 - 1996年)
  • 22 (1997年)
  • 23 (1998年 - 2007年)
  • 81 (2008年 - 2009年)
  • 88 (2010年)
  • 75 (2011年)
  • 78 (2012年 - )

脚注

  1. ^ 来季のコーチ契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011-10-30). 2011-10-31閲覧。
  2. ^ 関川浩一氏のコーチ就任について”. 阪神タイガース (2011-10-31). 2011-10-31閲覧。

関連項目