雲龍 (空母)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ファイル:Japanese aircraft carrierUnryu.jpg | |
| 艦歴 | |
|---|---|
| 起工 | 1942年8月1日横須賀工廠 |
| 進水 | 1943年9月25日 |
| 竣工 | 1944年8月6日 |
| 喪失 | 1944年12月9日 |
| 除籍 | 1945年2月20日 |
| 性能諸元 (竣工時) | |
| 排水量 | 基準:17,480t 公試:20,450t |
| 全長 | 227.35m |
| 全幅 | 水線幅:22.00m |
| 吃水 | 7.86m |
| 飛行甲板 | 216.9m x 27.0m エレベーター2基 |
| 主缶 | ロ号艦本式専焼缶8基 |
| 機関 | 艦本式タービン4基4軸 152,000hp |
| 最大速力 | 34.0kt |
| 航続距離 | 8,000nm / 18kt |
| 乗員 | 1,556名 |
| 兵装 | 40口径12.7cm連装高角砲6基 25mm3連装機銃21基 25mm単装機銃30挺 12cm28連装噴進砲6基 |
| 装甲 | 舷側46mm、甲板25mm |
| 搭載機 (計画時、常用+補用) | 一七試艦戦(烈風):18+2機 一七試艦偵(彩雲):6+0機 一六試艦爆(流星):27+0機 合計:51+2機 |
雲龍(うんりゅう)は、大日本帝国海軍の航空母艦。雲龍型航空母艦の一番艦。
目次 |
建造背景
太平洋戦争開戦前
昭和15年に建造が決定されたアメリカ海軍のエセックス級空母三隻に対抗するため、翌年に日本海軍は「昭和十六年度戦時急造計画」として建艦計画をたて、その中で中型空母一隻を緊急建造することとした。これが本艦である。
太平洋戦争開戦後
昭和16年時点で、11隻の建造が決定していた(最終的に32隻の建造が計画された)エセックス級への対抗とミッドウェイ海戦における空母喪失を補うため、昭和十七年度軍備充実計画を改訂し、昭和十七年度戦時艦船建造補充計画として改大鳳級5隻、先の中型空母15隻の追加建造を決定した。
建造
船体の設計は飛龍を基本としたが、
- 左舷中央部配置の艦橋の右舷前部への配置変更。
- 緊急建造の為に中央部エレベータを廃止し2基とした。ただし、各エレベーターは航空機の大型化に対応するために14メートル四方と拡大している。
- ミッドウェー海戦の戦訓から、
- 対空機銃の増設及び12cm28連装噴進砲(ロケット弾)装備(高角砲は同数)。
- 以前は右舷側のみの罐の空気取り入れ口を左右両舷とした。
- 艦内の塗料を不燃性に変更。
- マリアナ沖海戦の戦訓では、
- ガソリンタンクの周囲の防水区画にコンクリートを注入して充填する
などの改良が施されているが、基本的に小改良に留まっており、「大鳳」のエンクローズドバウや翔鶴型のバルバスバウなどは採用されていない。
戦歴
1942年8月1日起工、1943年9月25日進水、1944年8月6日竣工。起工から竣工まで約2年であり、飛龍型航空母艦の3年に比べて1年短縮されている。。
日本海軍は捷一号作戦に敗北したため、組織的艦隊行動が不可能となった。さらに台湾沖航空戦で搭載する航空機を失った為、「雲龍」は姉妹艦の「天城」と第1航空戦隊を編成したものの、空母機動部隊として運用されることはなく、空母として活躍することはなかった。
そのかわり「雲龍」は重量物輸送船として用いられた。1944年12月17日、第五二駆逐隊「時雨」、 松型駆逐艦「檜」、「樅」に護衛されて呉を出港し、「緊急重要物資」を届けるためにマニラへ向かう[1]。12月18日の時点で「雲龍」は米潜水艦と思われる電波を探知し、警戒を強めていた[1]。19日、「雲龍」は悪天候の中を航行し、艦長以下全員が潜水艦を警戒して艦橋につめていた[2]。
19日16時35分、「雲龍」は魚雷発射音を探知[2]。この米潜水艦はバラオ級潜水艦「レッドフィッシュ (SS-395)」だった。「雲龍」は右に舵をとり魚雷3本まで回避したが、右舷中央部(艦橋下部)に魚雷1本が命中した[3]。「雲龍」は高角砲で潜望鏡にむけ射撃したが電源が停止して射撃不能となる。機械室で火災が発生しつつ[3]「雲龍」はなおも右旋回を続けたが、前部予備電源も停止し、後部予備電源で非常用ディーゼル消防ポンプを作動させる[4]。乗組員は輸送中のトラックを投棄して傾斜回復につとめたが、16時45分に2本目の魚雷が右舷前部に命中する[4]。その直後、輸送中の物資が誘爆した。搭載物資は「桜花」や「震洋」などの特攻機材であった[4][5]。「雲龍」は前のめりとなって艦首から波にのみこまれはじめ、艦長は総員退去を命じる。16時57分、海上に出ていた艦尾が水面下に消え、「雲龍」は沈没した[6]。
生存者89名、戦死者1241名、便乗者生存者57名[7]。陸軍兵の乗艦者の総計は不明だが、滑空歩兵第1連隊主力のほとんどが戦死した。「軍艦雲龍戦闘詳報」の戦訓は、沈没時の「雲龍」が1機の航空機も搭載していなかったこと指摘し、対潜哨戒機があればせめて昼間雷撃を受けることななかった…と嘆いている[8]。
追記
日本が太平洋戦争開戦後起工し、完成した大型軍艦は、軽巡阿賀野型4番艦酒匂を足しても4隻である。ほぼ同じ時に計画されたエセックス級は、開戦後起工した物でも14隻完成しており、日本との建造能力の違いを示している。 遠藤昭によると候補艦名として蛟龍があったという[9]。
歴代艦長
艤装員長
- 小西要人 大佐:1944年4月15日 -
艦長
- 小西要人 大佐:1944年8月6日 - 12月19日戦死
脚注
- ^ a b 「昭和19年12月19日 軍艦雲龍戦闘詳報」第3画像
- ^ a b 「昭和19年12月19日 軍艦雲龍戦闘詳報」第4画像
- ^ a b 「昭和19年12月19日 軍艦雲龍戦闘詳報」第5画像
- ^ a b c 「昭和19年12月19日 軍艦雲龍戦闘詳報」第6画像
- ^ 「昭和19年12月19日 軍艦雲龍戦闘詳報」第11画像
- ^ 「昭和19年12月19日 軍艦雲龍戦闘詳報」第7画像
- ^ 「昭和19年12月19日 軍艦雲龍戦闘詳報」第8画像
- ^ 「昭和19年12月19日 軍艦雲龍戦闘詳報」第10画像
- ^ 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9、p78。
参考文献
- アジア歴史資料センター(公式) (防衛省防衛研究所)
- Ref.C08030585900「昭和19年12月19日 軍艦雲龍戦闘詳報」
関連項目
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||




