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高木大成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本来の表記は「髙木大成」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
髙木 大成
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
出身地 東京都八王子市
生年月日 1973年12月7日(38歳)
身長
体重
179cm
79kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手三塁手外野手捕手
プロ入り 1995年 ドラフト1位
初出場 1996年3月31日
最終出場 2005年4月17日
経歴(括弧内は在籍年)

髙木 大成(たかぎ たいせい、1973年12月7日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手内野手外野手)。現在は埼玉西武ライオンズ球団職員。

目次

来歴・人物

少年期から高校時代

両親が福岡県出身で、西鉄ライオンズを引き継いだ西武ライオンズの本拠地西武球場に高木をよく連れて行っていたことからファンとなる。小学2年からリトルリーグで野球を始め、この頃から東京六大学でプレーすることを考えていた。リトルリーグでは投手と捕手を務めていたが、捕手として試合を組み立てることに面白さを感じていたという。桐蔭学園高校では厳しい指導を受けた土屋恵三郎監督から「自分が出会った中で一番の捕手」、横浜商業高校の古屋文雄監督からは「神奈川ナンバー1捕手」との評価を得ていた。2年時には、1学年下の国学院久我山井口忠仁からライバル視されており、関東を代表するスラッガーに成長していた。なお、3年時のチームメイトには、2年生に左翼手副島孔太、1年生に右翼手高橋由伸がいた。

1991年第73回全国高等学校野球選手権大会では土屋の方針で一番打撃の良い高木が1番打者を務め、1回戦の熊本工戦において、試合開始直後に初球本塁打になろうかという特大のセンターフライを放った。続く2回戦の柳ヶ浦高校戦は終盤戦に高木のタイムリー二塁打を皮切りに連打を浴びせた桐蔭が快勝した。3回戦の鹿児島実業戦はサヨナラ負けに終わったものの、相手ベンチの状況からヒットエンドランを察知、また高木の牽制球で2度走者を刺している。終盤のピンチに三塁線の打球を巡って「ファウルではないか」と審判に抗議したことが「高校野球らしくない」と批判を浴びる場面もあった。大会後には高校選抜メンバーに選出され、松井秀喜らとともにアメリカ遠征に参加。代表チームのキャプテン、正捕手として活躍した。

同年のドラフト会議前は、日本ハムファイターズなど数球団がドラフト1位候補として挙げていたが、六大学へ進むため指名を辞退し、慶應義塾大学総合政策学部SFC)にAO入試で入学。このドラフト辞退はマスコミに取り上げられ話題となった。

大学時代

打って走れる捕手の目標としていた古田敦也と同じ背番号27を背負う。1年時は授業を重視しあまり野球に打ち込まなかったが、2年時に外野手として、3、4年時に捕手としてベストナインに選ばれる。3年時には44年ぶりの天覧試合となった春季リーグ対早稲田2回戦の初回[1]に本塁打を打ち、4年時には主将として背番号10をつけた。大学ではリーグ通算95試合で103安打、13本塁打、61打点、打率.286、歴代最多の27二塁打を記録。1994年アジア大会決勝の韓国戦(広島市民球場)では、後に読売ジャイアンツに入団する趙成珉から決勝本塁打を放った。

1995年のドラフトでは複数球団から勧誘されていたが、捕手として評価していた西武ライオンズを逆指名し入団(入団時の単独入団発表及び記者会見は、同球団では清原和博以来)。

プロ時代

入団当時は伊東勤が正捕手として立ちはだかっており、伊東には憧れの気持ちしか沸いてこなかったという。1年目の1996年は主に捕手として起用されたが打撃練習での調子が良い時に限られていたため、捕手として使ってもらえるよう頑張らなければと高木は語っていた。翌1997年、伊東はベストナインとゴールデングラブ賞に選ばれ、打撃でも調子を取り戻す。一方高木は打力を生かすため一塁手への転向を言い渡されるが、打って走れる捕手にこだわりを持つ高木は悩んだ末に捕手を諦め、打撃に専念することを決意した。この年は3番打者として130試合で64打点、打率.295の好成績を挙げ、ゴールデングラブ賞を受賞。4月15日の日本ハム戦では満塁本塁打をランニングホームランで記録している。翌年の春季キャンプでは三塁手にコンバートされたが、一塁手に戻りパ・リーグ連覇に貢献、ゴールデングラブ賞を連続受賞。「レオの貴公子」「プリンス・オブ・レオ」と呼ばれた。

1999年の春季キャンプで右足首靱帯を断裂。翌年以降も左膝や右手首などを故障し、年々出場機会が減少する。この間、三塁手や二塁手コンバートに挑戦したものの、レギュラーを奪うには至らなかった。2001年にはアレックス・カブレラが一塁手に定着したため外野手に転向した(主に左翼手)。2003年には4試合連続本塁打を放って復活の兆しを見せるが、2004年には右腕の手術からの回復が遅れ、とうとうプロ入り初の一軍試合出場なしに終わった。翌2005年もわずか13試合の出場に終わり、10月31日に現役引退を発表。通算56本塁打中、5本の満塁本塁打を放った。引退後は球団職員(営業担当)としてフロント入りし、球団に残る。

第二の人生

高木大成は現在、球団職員として一人でも多くのファンを獲得するためのポストに就いている。彼はそのファンサービス計画の一環として、ライオンズ球団の公式サイト[1]内の「TAISEI LABORATORY(大成ラボ)」に、ファンの声を質問形式で集めている。今後は、そのアンケート結果を基にしてファンサービスの向上計画、また第2第3のテーマを用意し、随時「大成ラボ」でファンの意見を募ることも予定しているという。

「大成ラボ」第1回のアンケートでは、1000人を超えるファンからの回答を集め反響は大きかった。
選手としては、人気を獲たものの最後は故障禍に打ち勝てぬまま若くして現役を去ったが、現在は恩返しを果たすべく、営業マンとして第二の人生を歩み始めている。主催試合の球場でのイベントにもよく顔を出すので、未だにファンからサインを求められることが多く、本人曰く、現役時代よりサインを書く回数が多いとのこと。

なお、NPB12球団ジュニアトーナメント西武ライオンズジュニアの監督も務めている。

ライオンズコメンテーターの中川充四郎の公式サイトによると、2006年12月に結婚した模様である。

NACK5 SATURDAY&SUNDAY LIONS」にも不定期で出演している(主催試合のみ)。2009年4月18日に出演した時は、自ら結婚について語った。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1996 西武 8025123434651104882432311201341.278.315.376.691
1997 130532474751402747196642476447216211.295.357.414.771
1998 13458650470139262172208415137866116812.276.356.437.792
1999 11041336051981537140541355244224310.272.353.389.742
2000 94374316477418291234434904712663.234.337.389.726
2001 6721019222401314671854021501295.208.267.349.616
2002 3672659130021982020500161.200.257.292.549
2003 561361181628326532020031500251.237.316.449.765
2005 1322171210033010140050.118.273.176.449
通算:9年 720259622803255991141456909319673632212556834844.263.336.399.735
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

背番号

  • 10 (1996年 - 2005年)

参考文献

澤宮優『ドラフト1位 九人の光と影』 河出書房新社、2008年

脚注

  1. ^ この時はまだ到着していなかったという。

関連項目