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高橋直樹 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高橋 直樹
基本情報
国籍 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
出身地 大分県佐伯市
生年月日 1945年2月15日(67歳)
身長
体重
183cm
70kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1967年 ドラフト3位
初出場 1969年
最終出場 1986年
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴

高橋 直樹(たかはし なおき、1945年2月15日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手投手)・プロ野球指導者、野球解説者実業家。有限会社ナオキ企画(ひばりプロダクションと業務提携)に所属。

目次

経歴

津久見高校から早稲田大学へ進学。東京六大学リーグでは12試合に登板し、2勝2敗。日本鋼管を経て1967年ドラフト3位で東映フライヤーズに指名され、翌1968年入団。土橋正幸より背番号21を受け継ぐ。ゆったりした動きから手首を返し、握りを見せるフォームから繰り出すサイド気味の下手投げ投手として2年目の1969年よりローテーションに定着、5月までに5勝、その後勝ち星から遠ざかるが、7月後半から8勝し、13勝をマークする。チームのエースとなる。1973年6月16日の近鉄戦で打者27人でのノーヒットノーランを達成する[1][2]。また1974年8月18日には、近鉄戦で史上唯一の「一人で1試合の勝利投手とセーブ投手の両方を記録」を達成している。

1975年には17勝を上げるなど、東映時代末期から永く不動のエースとして活躍。1979年の鳴門キャンプ時からはやさしい表情をカバーするため、口ひげをたくわえるようになり、現在でもメガネと共にトレードマークとなっている。同年4月のパ・リーグ初MVPを獲得、結局シーズン最多無四球試合11のパ・リーグ記録と20勝をマークする。

大沢啓二監督のストッパー補強のチーム改革に沿う形で1981年江夏豊とのトレードで広島東洋カープへ電撃移籍。20勝エースとリリーフエースとのトレードで大型トレードとして話題になる。当時大沢は高橋に投手陣の中心になることを期待しており、広島の松田耕平オーナー・古葉竹識監督に江夏の獲得を申し入れた際、交換条件として高橋の名を挙げられると「高橋だけは出せません」と答えた。しかし広島側は条件を譲らず、迷った末に決めたと後に記している[3]

広島では2年間で2勝。1982年6月、古沢憲司大原徹也との交換トレードで西武ライオンズに移籍。大学の先輩である広岡達朗監督のもと、再び慣れ親しんだパ・リーグで7勝を上げライオンズの所沢移転後初優勝・日本一に貢献。さらに翌年1983年には、13勝3敗で最優秀勝率のタイトルを獲得。1985年オフ、金銭トレードで読売ジャイアンツに移籍し引退。42歳まで現役を続けた。勝利数169のうち167をパ・リーグであげている。

引退後、1987年から1992年まで日本テレビ解説者、1993年から1995年まで横浜ベイスターズ一軍投手コーチを務め、1996年よりNHK・メジャーリーグ中継の解説を務め、1997年MLBカンザスシティ・ロイヤルズにて日本人初の投手コーチに就任する。

1998年より、NHK・メジャーリーグ中継の解説がメインとなる。

2010年より、流通経済大学硬式野球部のコーチにも就任する。

野球以外の活動

  • 2004年、横浜市港北区にて大型整骨院「りりあタウン整骨院」を開業。院内に「高橋直樹スポーツケアオフィス」を設け野球少年の身体のケアの大切さを伝えている。
  • 2006年、米ぬか100%酵素風呂「サロン・ド・酵素」を開業。プロ野球選手や芸能人、各著名人が身体のケアに訪れる事でマスコミにも取り上げられる。
  • その他にも不動産賃貸業務等を行っている。
  • 事業家として成功している野球人として紹介され、講演活動、還暦野球、ソフトボール・野球少年の指導等ボランティアにも励んでいる。

その他

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1969 東映
日拓
日本ハム
413310241313----.500884223.01961731061222181602.421.02
1970 2725402710----.412626153.0138252533660075684.001.07
1971 3330511715----.318728176.1182243523680197834.241.23
1972 231610047----.36439995.292182442541255474.411.21
1973 3525540129----.571692171.1157173138670267633.321.10
1974 35226019113--.450750187.21651834671191176673.211.06
1975 3530172017130--.5671041256.02292165781201194842.951.15
1976 3232192213140--.481922230.021420446101270191833.251.12
1977 3636192417170--.5001101278.2235293951116031106922.970.98
1978 343111439102--.474946234.02301628481071090752.881.10
1979 37282121120114--.6451017254.22572123241181089782.751.10
1980 30239211091--.526643152.2164212455861075694.061.23
1981 広島 168101252--.28627266.07091011420034293.951.21
1982 31000000------153.071000300326.002.33
西武 1713300721--.77836994.28131843360025242.271.05
'82計 2014300721--.77838497.28841843390028262.401.09
1983 25244031330--.813583142.2137152344370154483.031.12
1984 1010100230--.40018643.25213701210135347.011.35
1985 2016503760--.538401101.1104101013350052494.351.13
1986 巨人 41000000------388.1123210300555.401.68
通算:18年 493404141233616915813--.517116132872.22722301473588713911112120410603.321.11
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 東映(東映フライヤーズ)は、1973年に日拓(日拓ホームフライヤーズ)、1974年に日本ハム(日本ハムファイターズ)に球団名を変更

タイトル

表彰

記録

背番号

  • 21 (1969年 - 1980年)
  • 16 (1981年 - 1982年途中)
  • 17 (1982年途中 - 1985年)
  • 19 (1986年)
  • 75 (1993年 - 1995年)

脚注

  1. ^ このほか日本ハム時代に阪急戦で1安打完投を2回達成。
  2. ^ ちなみに、この試合は日拓2安打、近鉄0安打で1試合両チーム合計安打数の最少タイ記録の試合でもある。
  3. ^ 大沢啓二『球道無頼』(集英社、1996年)P157 - 158。

関連項目

外部リンク