鹿島アントラーズ
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| 鹿島アントラーズ | |
|---|---|
| 原語表記 | 鹿島アントラーズ |
| 愛称 | アントラーズ |
| クラブカラー | ディープレッド |
| 創設年 | 1947年 |
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | Jリーグ ディビジョン1 |
| ホームタウン | 茨城県鹿嶋市、神栖市、潮来市、鉾田市、行方市 |
| ホームスタジアム | 茨城県立カシマサッカースタジアム |
| 収容人数 | 40,728 |
| 運営法人 | 株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー |
| 代表者 | 井畑滋 |
| 監督 | ファイル:Flag of Brazil.svg オズワルド・オリヴェイラ |
| 公式サイト | 公式サイト |
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 |
|
| 本社所在地 |
ファイル:Flag of Japan.svg 日本 〒314-0021 茨城県鹿嶋市粟生東山2887 |
| 設立 | 1991年10月1日 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | サッカークラブの運営 |
| 代表者 | 井畑滋(代表取締役社長) |
| 資本金 | 15億7,000万円 |
| 売上高 | 44億6,600万円(2011年1月期) |
| 営業利益 | 1,700万円(2011年1月期) |
| 純利益 | 1,400万円(2011年1月期) |
| 決算期 | 1月期 |
| 主要株主 | 住友金属工業 他 |
| 関係する人物 |
鈴木昌 大東和美 |
| 外部リンク | http://www.so-net.ne.jp/antlers |
鹿島アントラーズ(かしまアントラーズ、Kashima Antlers)は、日本の茨城県鹿嶋市、神栖市、潮来市、鉾田市、行方市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
概要
チーム母体は1947年に創設された住友金属工業蹴球団で、1991年のJリーグ加盟時に鹿島アントラーズに改称した。Jリーグ創設時からの加盟チーム(オリジナル10)の一つである。ホームタウンは茨城県鹿嶋市(合併前は鹿島郡鹿島町と大野村)・潮来市(合併前は行方郡潮来町と牛堀町)・神栖市(合併前は鹿島郡神栖町と波崎町)に2006年からは鉾田市、行方市も加わった。1995年に鹿嶋市が誕生して以後もチーム名は地域名の鹿島のまま。なお当時ホームタウンは原則として1チーム1市区町村だったが、鹿島に限り特例で周辺市町村との広域ホームタウンが認められた。
ホームスタジアムは茨城県立カシマサッカースタジアムで、練習場は鹿島アントラーズクラブハウスグラウンドを使用している。
チーム名の「アントラー(antler)」は英語で鹿の枝角を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。チーム発足時からクラブのアイデンティティとして「FOOTBALL DREAM」を常に掲げている。クラブマスコットは、クラブ創設時より「しかお」。シカをモチーフにしたキャラクターである。さらに1997年3月2日に「しかお」と結婚したと言う設定で、「しかこ」が登場。1999年8月1日にしかおとしかこの間に誕生したと言う設定で「アントン」が登場した。
事業展開
主たる事業はサッカークラブの運営であるが、サッカー以外にもミニバスケットボール大会、テニススクール、剣道教室の開催などJリーグ百年構想の一環として取り組んできた。また、2006年よりホームスタジアムである茨城県立カシマサッカースタジアムの指定管理者となり、指定管理者の利点を活用した事業にも積極的に取り組んでいる。詳細は後述を参照。
クラブの特徴
国内の3大タイトル(Jリーグ年間、天皇杯、ナビスコカップ)において、Jリーグ史上最多の15冠(A3チャンピオンズカップ、スーパーカップを含めると21冠)かつそれぞれのタイトルにおいて最多優勝回数を誇り、2000年シーズンにはJリーグ、ナビスコカップ、天皇杯と国内3大タイトル全てを制し、Jリーグ発足後初の3冠とJリーグ3連覇(2007年 - 2009年)を達成している唯一のクラブでもある。
戦術面では監督の意向や選手の特徴によってシステムを頻繁に変えるチームが多いJリーグにおいて、開幕からDFを4人配置する4バックでほとんどの試合を戦っている。また代行監督を除くと一貫してブラジル人指導者が監督を務め、外国人枠で獲得する選手は、2009年より導入されたアジア枠の選手を除き、すべてブラジル人であることも特徴である。
歴史
住友金属時代
詳細は「住友金属工業蹴球団#鹿島アントラーズ設立の経緯」を参照
1947年創部の住友金属蹴球同好会(1956年に住友金属工業蹴球団へ改称)が前身となり、1973年に日本サッカーリーグ(JSL)2部、1985年にJSL1部へ昇格した。なお、1975年に大阪市から茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)に本拠地を移転した。
1989年にプロサッカーリーグ設立が具体化したのを受けて、1990年に住友金属工業の「2000年ビジョン」の指針が発端となって、茨城県鹿島町長を含めた7名が当時JSL2部に所属していた住友金属工業蹴球団のプロリーグ参加を協会に要望した。
1991年、ブラジル代表で主将を務めたジーコが加入(川淵によると、「当初、紹介した古河電工(現:ジェフユナイテッド千葉)にそのまま加入してもらおうと思っていたが、当の古河電工はジーコ入団に難色を示し、その後断りをいれた。そのため、新たに住友金属を紹介したところ、住友金属のアピールもあって、ジーコの入団が実現した」と話している)。当時チームは2部リーグであったが、ジーコのスーパープレーは他チームの選手を翻弄した。
結果、日本初の本格的サッカー専用スタジアムとして建設された茨城県立カシマサッカースタジアムをホームスタジアムとして、念願だったJリーグ加盟をJリーグ発足初年度に果たし、チーム名を「鹿島アントラーズ」と改称、プロクラブとして新たなスタートを切った。
なお、Jリーグ最初の公式戦、1992年のJリーグカップは、鹿島主管試合は笠松運動公園陸上競技場を主として国立霞ヶ丘陸上競技場、西京極球技場(西京極での試合はガンバ大阪が相手であった)で行っている。
1993年 - 1999年
初代監督には本田技研サッカー部前監督・宮本征勝が就任。長谷川祥之や本田泰人など本田技研の選手、ジーコ、アルシンドなどブラジル人選手を中心にJリーグ開幕を迎えた。
1993年5月16日の開幕戦はカシマサッカースタジアムに名古屋グランパスエイトを迎えたホームゲームで「ジーコとゲーリー・リネカーの対決」が注目されたが、ジーコのハットトリックとアルシンドの2ゴールで5-0で圧勝した。旧本田勢に加えて大卒新人の秋田豊がレギュラーを獲得した。開幕シリーズである1993年1stステージを制覇したが、1994年1月に国立霞ヶ丘陸上競技場で行われたJリーグチャンピオンシップにヴェルディ川崎に敗れ(1分1敗)、初代年間王者は獲得できなかった。第2戦ではジーコが三浦知良のPKの際にボールへつばを吐く非紳士的行為で退場(この日2枚目の警告)となり、大きな話題となった。また、開幕戦の圧勝から1stステージ優勝に至る快進撃により、鹿島町は「サッカーの町」として全国的に認知され、周辺人口の少なさから低調な観客動員が危惧されていたカシマサッカースタジアムは毎試合超満員となり、チケット入手が非常に困難なスタジアムとして知られるようになった。
1994年のサントリーステージ(1stステージ)終了後にジーコが現役を引退したが、その後もテクニカル・アドバイザーとしてチームに関わり、実兄のエドゥーが宮本の後任監督として指揮を執った。また、この年にアメリカW杯にサッカーブラジル代表として出場したレオナルドやジョルジーニョが加入し、彼らの活躍で鹿島は強豪としての地位を築いていった。これ以後も鹿島にはジーコの人脈を生かした優秀なブラジル人選手が加入し、チームを勝利へ導いた。これは、J1に在籍経験のあるJリーグクラブの中で、鹿島が2009年まで唯一ブラジル国籍以外の外国籍選手を獲得した事がない歴史につながっている。1994年シーズンのリーグ戦でアルシンドが、鹿島でシーズン最多の28得点を記録。
1シーズン制で行われた1996年にはジョアン・カルロス監督の指揮により初めての年間王者となったが、チャンピオンズファイナルでは決勝で名古屋に敗れ、シーズン完全優勝は逃した。
1997年は、ヴェルディ川崎からビスマルク、ベルマーレ平塚から名良橋晃を獲得。ゼロックススーパーカップで初優勝を果たした。国内3大タイトルのうち、リーグ戦はサントリーステージ(1stステージ)で優勝。チャンピオンシップでは2ndステージ優勝のジュビロ磐田に2連敗でタイトルはならなかった。しかし、ヤマザキナビスコカップと天皇杯を初制覇して「カップ・ダブル」を達成した。
1998年は、ゼロックス・スーパーカップで2年連続優勝を果たす。シーズン中断中にジョアン・カルロスとジョルジーニョとの意見が合わず、ジョアン・カルロスをシーズン途中に監督解任、中断明けの1stステージの残りを関塚隆が監督代行として指揮をとる。2ndステージ開始前にゼ・マリオを監督に招聘。9月23日に長谷川が清水戦で、クラブ初の在籍通算100得点目を達成。チャンピオンシップで磐田を下して、2度目のリーグ年間優勝を果たした。この年のリーグ戦で柳沢敦が、22得点を記録。また、同年のフランスW杯では日本代表に鹿島から秋田・名良橋・相馬直樹の3人が選ばれ、いずれも日本が戦った全3試合に出場した。この年の2ndステージ第5節の福岡戦から翌1999年第3節広島戦まで16連勝した。
1999年には2002 FIFAワールドカップ開催へ向けたカシマサッカースタジアムの改修工事が始まり、1stステージの主催試合は国立霞ヶ丘陸上競技場で開催。1998-99年シーズンのアジアカップウィナーズカップで3位に入賞。ただし、この年はゼロックス・スーパーカップで3連覇を達成したに留まった。クラブはゼ・マリオを監督から解任し、2ndステージ途中からジーコが総監督として指揮を執った。なお、9月23日のジェフユナイテッド市原戦で、Jリーグクラブ最速のリーグ戦通算500得点を達成した。
2000年 - 2002年
2000年、ジーコと共に「黄金のカルテット」をブラジル代表で構成したトニーニョ・セレーゾが監督に就任。この年にナビスコ杯、Jリーグ年間王者、天皇杯を制覇し、Jリーグ発足以来初の三冠を達成した。
2001年、2000年シーズンの三冠達成を称えて茨城県から県民栄誉賞を受賞。リーグ戦の1stステージは前年の天皇杯で負傷した相馬直樹など主力選手の怪我が相次ぎ11位と低迷するものの、2ndステージは相馬の穴を埋めるべく加入したアウグストの活躍で優勝。チャンピオンシップで磐田を破り、2年連続のリーグ年間優勝を果たす。
2002年、リーグ戦は絶好調の磐田を止められず3連覇を逃したが、ヤマザキナビスコカップは決勝で初タイトルを狙った浦和レッドダイヤモンズを1-0で下し優勝。なお、2002 FIFAワールドカップで鹿島から日本代表に秋田豊・鈴木隆行・柳沢敦・中田浩二・小笠原満男・曽ヶ端準の6人(クラブ別では最多)が選出された。鈴木は初戦のベルギー戦でゴールを決め、鹿島所属として初のW杯得点者となった。大会終了後にはジーコが日本代表監督に就任し、テクニカルディレクターを辞任した。また、鈴木はKRCヘンク(ベルギー1部リーグ)へ移籍するなど話題性は高まったが、その一方で観客動員数が前年度を下回り、Jリーグ観戦の「地元離れ」問題がクローズアップされ始めた。
2003年 - 2006年
2003年ではA3チャンピオンズカップ初代王者を獲得。柳沢敦がイタリアのサンプドリアへ期限付きで移籍(2005年にFCメッシーナへ完全移籍)した。ヤマザキナビスコカップは決勝で浦和に0-4で敗退、連覇はならなかった。
2004年は1stステージ5位、2ndステージ4位に終わった。J1が1ステージ制に移行した2005年は開幕ダッシュに成功。一時は2位に勝ち点差10以上をつけたが、中盤に入るとガンバ大阪や浦和、ジェフ千葉、セレッソ大阪に追いつかれ、優勝の可能性が残っていた最終節では勝利したものの、結局3位でシーズンを終えた。なお、2004年・2005年ともにヤマザキナビスコカップや天皇杯も獲得できず。中田浩二がフランスのマルセイユに移籍した。2005年シーズンの終了後、6年に渡り監督を務めたトニーニョ・セレーゾが勇退した。
2006年は、サンパウロFC元監督のパウロ・アウトゥオリが監督に就任。更に柳沢敦が復帰、高卒ルーキーのサイドバック内田篤人の活躍などがあったが、シーズン途中に大黒柱だった小笠原満男がFCメッシーナ(イタリア)へ翌年6月までの期限付きで移籍、リーグ戦での成績は伸び悩んだ。一方でヤマザキナビスコカップでは3年ぶりに決勝に進出したが、10冠がかかった決勝で千葉に敗戦した。天皇杯では、同年限りで引退を表明した本田泰人を優勝で送り出そうとするも準決勝で浦和に敗れた。結局、パウロ・アウトゥオリは1年で監督を退任した。なお、2006 FIFAワールドカップの日本代表に小笠原満男と柳沢敦が選出された。
2007年
2007年は、コリンチャンスやサンパウロFCなどで監督を歴任したオズワルド・オリヴェイラ(ブラジル)が監督に就任。プレシーズンマッチでチームの司令塔を務める野沢拓也が負傷し、リーグ戦開幕から5試合勝ち星がなく第6節(4月14日、横浜FC戦)でリーグ戦シーズン初勝利とスタートダッシュに失敗したがその後は復調し、5月12日の磐田戦でJリーグ史上最速の公式戦通算400勝、6月16日のサンフレッチェ広島戦でホームゲーム通算500得点、8月12日のヴァンフォーレ甲府戦でJリーグチーム史上最速のリーグ戦通算900得点、11月24日の浦和戦でJリーグ史上最速となるリーグ戦通算300勝を達成。7月3日には期限付き移籍が終了した小笠原満男が復帰。
リーグ戦は最大で首位との勝点差が11まで離れていたが、33節で「勝てば優勝」の首位浦和を相手にしてアウェイで1-0で勝利し勝ち点1差の2位に肉薄。最終節で清水を3-0で下すと同時に浦和が横浜FCに敗れたため、6年ぶりのリーグ優勝を獲得した。またこの同時にクラブの悲願だった「10冠」を達成した。25節から34節までVゴール廃止後J史上最多となる9連勝、最終節まで1度も首位に立たなかったチームが最終節で逆転優勝したのもJリーグ史上初めての記録である。1シーズン制でのリーグ戦通算22勝はチーム最多勝となった。
ヤマザキナビスコカップは準決勝でG大阪に1勝1敗ながらアウェーゴール数の差で敗退した。
天皇杯は、決勝でサンフレッチェ広島と対戦し2-0で勝利。自身2度目となるリーグ戦との2冠を達成した[1]。1月9日、鹿嶋市から11冠達成を称え、特別功労賞を贈られ、2月1日には茨城県から県民栄誉賞(2000年度以来2度目)を授与された。
なお、7月29日には前年に引退した本田泰人の引退試合が、1993年のJリーグチャンピオンシップの出場メンバーを中心にした「鹿島アントラーズ1993対ヴェルディ1993」としてカシマサッカースタジアムで開催され、鹿島アントラーズ1993が4-2で勝利した。
2008年
2008年、ゼロックス・スーパーカップはJ2チームとしては初出場の広島と対戦し、2点をリードするも終了間際に追いつかれ、PK戦の末に敗れた。リーグ戦は開幕から連勝を重ね、5月17日、カシマサッカースタジアムでの柏レイソルとのリーグ戦で、公式戦最多の21試合無敗記録を達成。6月25日、大分トリニータ戦でダニーロの得点で、カシマサッカースタジアムでのリーグ通算500得点を記録。7月13日、スイスのFCバーゼルでプレーしていた中田浩二がFC東京戦で復帰。10月1日、大宮アルディージャ戦でマルキーニョスが、チーム最多のリーグ戦7試合連続得点達成。12月6日にコンサドーレ札幌を1-0で下し、1シーズン制導入後初めてとなるJリーグ2連覇を達成。この年のリーグ戦でマルキーニョスが、鹿島初のJリーグ得点王を獲得(21得点)。
AFCチャンピオンズリーグ2008では、日本のクラブチームでACLグループリーグ最多得点となる6戦合計28得点をあげてクラブ初の決勝トーナメント進出を決め、ベスト8。
9月20日のアウェー・柏レイソル戦(日立柏サッカー場)において、フリーキックにそなえるアレックスに鹿島サポーターが巨大フラッグで威嚇し、その旗竿がぶつかるという事件が発生した。Jリーグは「鹿島サポーターに禁止行為である最前列での大旗の使用を制止する措置を講ずることができず、選手等の安全を確保できなかった」として、主催クラブの柏に制裁金200万円を科した。また鹿島側にも、主幹クラブへの協力が不足していたことを理由として100万円の制裁金が科された。[2]
2009年
2009年は、第87回全国高等学校サッカー選手権大会で大会新記録の10ゴールを挙げた鹿児島城西高等学校の大迫勇也、鹿島では史上初となるブラジル人以外の外国籍選手である、韓国人のパク・チュホを獲得した。 また、2月1日にクラブへ貢献した選手などに対する殿堂として第1回アントラーズ功労賞が発表された。また同日に功労者である秋田の引退試合が行われた。同月28日に富士ゼロックス・スーパーカップのタイトルをかけてG大阪と対戦、3-0で勝利し10年ぶり4回目の優勝を果たした。
3月7日にホームのカシマサッカースタジアムで浦和との開幕戦に2-0で勝利し、ホームでは6年ぶりの勝利を飾り3連覇への好スタートを切ったが、夏場から秋口にかけての後半戦序盤は90分以内では初の5連敗を喫するも、終盤戦に野沢らの活躍で、Jリーグ発足史上初の3連覇を達成した。
尚、2009年リーグ戦での出来事や達成された記録などは以下の通り。
- 4月29日 - ヴィッセル神戸戦での岩政大樹の得点で、Jリーグ史上最速のリーグ通算1000得点と、クラブ歴代DF最多リーグ戦通算得点(21得点)達成。
- 5月2日 - 小笠原満男が千葉戦で、鹿島最多のリーグシーズン最多連続得点(11シーズン)を記録。
- 7月25日 - 柏レイソルとのリーグ戦で、Jリーグ最多のリーグ無敗記録(17試合)達成。
- 9月12日 - 川崎フロンターレとのリーグ戦で、カシマサッカースタジアムでは試合中のピッチコンディション不良でサスペンデッドゲームとなり、後日(10月6日)に同所で再試合が開催された(試合は2-3で川崎フロンターレが勝利)。
- 10月17日 - 小澤英明が磐田戦で、J1リーグ最多ベンチ登録記録(252試合)を達成。
- 11月8日 - モンテディオ山形とのリーグ戦で、J1,J2通じて史上初めて相手チームのシュートを0本に押さえる。
AFCチャンピオンズリーグ2009は2年連続決勝トーナメント進出を決めたが、ラウンド16で韓国のFCソウルにPK戦の末敗れ、ベスト16での敗退となった。
2010年
補強としては、広島から佐藤昭大、新潟でプレーしたジウトンをポルト・アレグレからレンタル移籍で、京都からイ・ジョンス、ブラジル2部リーグのポルトゲーザからフェリペ・ガブリエルを完全移籍で獲得し、ユースから八木直生が昇格、レンタル移籍で移籍していた鈴木修人(湘南)、船山祐二(C大阪)が復帰した。
2月27日、富士ゼロックス・スーパーカップ史上初同一クラブ2度目の2連覇を目指してG大阪と対戦し、PK戦による勝利で5度目の優勝となった。
開幕戦(3月6日)はカシマスタジアムで前年度と同じく浦和と対戦し、昨季と同スコアで勝利した。失点数や敗戦はリーグで最少だったものの、引き分けが12と勝ち切れない試合の多さが響きリーグ4連覇を逃し、順位もACL獲得圏外の4位で終了した。尚、2010年シーズンのリーグ戦で記録されたのは以下のとおり。
- 4月24日 - マルキーニョスが横浜F・マリノス戦で、史上5人目となるリーグ通算100得点を達成。
- 7月27日 - マルキーニョスが新潟戦で、クラブ歴代外国人選手リーグ戦最多通算得点(53得点)達成。
- 9月18日 - マルキーニョスが大宮アルディージャ戦で、自身のリーグ戦初ハットトリックを達成。
6月に行われた2010 FIFAワールドカップの日本代表に内田篤人と岩政大樹、韓国代表にイ・ジョンスが選出され、イ・ジョンスは本大会で2得点を記録。7月には、内田篤人がドイツのシャルケ04、イ・ジョンスがカタールのアル・サッドに移籍した。
AFCチャンピオンズリーグ2010は日本クラブ史上初となるグループリーグ6戦全勝で最多の勝ち点18(それまでは2007年に川崎の勝ち点16)を挙げて3年連続の決勝トーナメント進出をするも、ラウンド16で前回王者の浦項スティーラースに敗れ、2年連続ベスト16での敗退となった。
天皇杯では清水を2-1で破り、3大会ぶり4度目の優勝。この優勝により、Jリーグ発足後史上初の4季連続国内三大タイトル獲得を成し遂げ、リーグ戦では獲得できなかった、ACL出場権も獲得した。 このシーズンをもって長年、鹿島のDFを支えた大岩剛が現役を引退した。
2011年
クラブ創立20周年を迎える2011年は、青森山田高校から柴崎岳、米子北高校から昌子源、関西大第一高校から梅鉢貴秀を獲得。鹿島ユースから土居聖真が昇格。補強として札幌から昨年新潟にレンタル移籍していた西大伍を、ウニオン・レイリアからカルロンを、千葉からアレックスを、清水から本田拓也を完全移籍で、山形にレンタル移籍していた田代有三、増田誓志が復帰、レンタル移籍だった佐藤昭大が完全移籍、クラブ初となるアマチュアからの選手でブラジルのCFZ・ド・リオから父親がチームOBのアルシンドであるイゴールをC契約で獲得した。一方で、笠井健太、ジウトンと契約を結ばず、マルキーニョス、船山祐二(山形)、大道広幸(岡山)が完全移籍、川俣慎一郎(仙台)、川島大地(山形)、宮崎智彦(横浜FC)、鈴木修人(栃木SC)、佐々木竜太(湘南)がレンタル移籍で放出するなど選手の入れ替わりがあった。
また、7月に伊野波雅彦がクロアチアのハイデュク・スプリトに完全移籍、カルロンがヌーシャテル・ザマックスにレンタル移籍(その後SCブラガへレンタル移籍)したが、フルミネンセFCからタルタをレンタル移籍で獲得した。
2月26日の富士ゼロックス・スーパーカップで名古屋と対戦。PK戦の末、準優勝に終わり、同大会2度目の3連覇とはならなかった[3]。
2011年シーズンのリーグ戦では、8月13日の仙台戦で曽ヶ端準がリーグ戦個人通算100完封。同月28日の福岡戦で岩政大樹の得点がJ1、J2クラブ史上初の本拠地リーグ戦通算600得点。9月24日の浦和戦で、カシマサッカースタジアムにおけるリーグ戦通算100完封達成。
3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響でリーグ戦の第2節から第6節が延期となり、4月23日の第7節から再開された。また、スタジアムやクラブハウスなどの施設が被害を受けたことなどもあり[4]、3月15日から27日までチームの活動を休止していた[5]。その後、東日本大震災復興支援として水戸ホーリーホックや茨城県サッカー協会と共同で「WITH HOPEプロジェクト」を立ち上げ、茨城県の復興支援活動を開始。6月4日にはカシマサッカースタジアムで「震災復興チャリティーイベント SMILE AGAIN〜YELL FROM KASHIMA〜」が開催された。
4年連続で出場となったAFCチャンピオンズリーグ2011は、グループリーグ無敗で3年連続ラウンド16進出をするもFCソウルに敗れ、3年連続ベスト16での敗退となった。
ヤマザキナビスコカップでは史上最多の7度目の決勝進出。決勝での同チーム同士では大会最多タイの3度目となる浦和レッズと対戦、延長に大迫勇也の得点で、1-0で勝利し、9年ぶり4度目の優勝を飾り、国内三大タイトルを5年続けて獲得したのは史上初。
12月5日、国内3大大会でクラブ最多となる6タイトルをもたらしたオズワルド・オリヴェイラ監督の退任を発表。また杉山哲が退団した。
所属選手
詳細は「鹿島アントラーズの選手一覧」を参照
ジーコが所属していたこともあり、ブラジルのサッカー界とも強いパイプを持つ。Jリーグが開幕した1993年以降、所属した外国籍選手は「アジア人枠」を利用して獲得した韓国のパク・チュホ(2009年)、イ・ジョンス(2010年)以外は全員ブラジル人選手である。ジョルジーニョやレオナルド、ベベットなど、サッカー王国ブラジルでも代表をして活躍するなど一線級に値する選手たちが過去に鹿島でプレーした。
一方で、他のJリーグクラブからの日本人移籍獲得選手数(復帰を除く)が極端に少ない。
代表選手
これまで数多くの日本代表選手を輩出している。
アントラーズ功労賞
クラブの発展に貢献した選手、監督を顕彰するために設けられた賞である。カシマサッカーミュージアムの中にある「THE HALL OF LEGEND」にて記念される。現役選手および鹿島で在任中のスタッフは選考から外される。
| Pos. | 受賞年 | 受賞者 |
|---|---|---|
| 監督 | 2009年 | 宮本征勝、トニーニョ・セレーゾ |
| 2011年 | オズワルド・オリヴェイラ | |
| DF | 2009年 | 秋田豊、相馬直樹、名良橋晃 |
| MF | 2009年 | ジーコ、ジョルジーニョ、ビスマルク、本田泰人 |
| FW | 2009年 | 長谷川祥之、黒崎久志 |
成績と歴代監督
詳細は「鹿島アントラーズの年度別成績一覧」を参照
国内3大タイトル(Jリーグ年間、ナビスコカップ、天皇杯)とスーパーカップの獲得回数は全て最多である。リーグ戦においては、二桁順位でシーズンを終えたことがない唯一のクラブである。
| 国内3大大会成績 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| Jリーグ ディビジョン1 | Jリーグカップ | 天皇杯全日本サッカー選手権大会 | ||||||||
| 順位 | 回数 | 年度 | 成績 | 回数 | 年度 | 成績 | 回数 | 年度 | ||
| 優勝 | 7 | 1996, 1998, 2000, 2001, 2007, 2008, 2009 | 優勝 | 4 | 1997, 2000, 2002, 2011 | 優勝 | 4 | 1997, 2000, 2007, 2010 | ||
| 2位 | 2 | 1993, 1997 | 準優勝 | 3 | 1999, 2003, 2006 | 準優勝 | 2 | 1993, 2002 | ||
| 3位 | 2 | 1994, 2005 | ベスト4 | 4 | 1992, 1998, 2001, 2007 | ベスト4 | 4 | 1995, 1998, 2003, 2006 | ||
| 4位 | 2 | 2002, 2010 | ベスト8 | 4 | 2004, 2008, 2009, 2010 | ベスト8 | 6 | 1992, 1996, 2001, 2004, 2005, 2009 | ||
| 5位 | 1 | 2003 | 1回戦敗退 | 1 | 1994 | ベスト16 | 3 | 1999, 2008, 2011 | ||
| 6位 | 3 | 2004, 2006, 2011 | 予選敗退 | 3 | 1993, 1996, 2005 | 1回戦敗退 | 1 | 1994 | ||
| 7位 | 1 | 1995 | ||||||||
| 9位 | 1 | 1999 | ||||||||
監督
前述の外国籍選手と同様、外国籍監督もブラジル人監督であり、ジーコの兄であるエドゥーや、ジーコと共にブラジル代表の「黄金の中盤(黄金のカルテット)」として活躍した一人であるトニーニョ・セレーゾなど、ブラジル国内でも実績を上げた名将監督が数々このチームを指揮を執っている。また初代の監督である宮本征勝が1994年監督退任後、このチームで指揮した日本人正監督は一人もおらず、すべてブラジル人監督を招聘している。
| 鹿島アントラーズ歴代監督 | ||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 監督 | 期間 | J / J1 | ナ ビ 杯 | 天 皇 杯 | X S C | 国 内 | C W C | A C L | A 3 C | 国 際 | 合 計 | 備考 |
| ファイル:Flag of Japan.svg 宮本征勝 | 1992年 - 1994年6月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| ファイル:Flag of Brazil.svg エドゥー | 1994年6月 - 1995年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| ファイル:Flag of Brazil.svg ジョアン・カルロス | 1996年 - 1998年7月 | 1 | 1 | 1 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | |
| ファイル:Flag of Japan.svg 関塚隆 | 1998年7月、1999年8月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 監督代行 |
| ファイル:Flag of Brazil.svg ゼ・マリオ | 1998年8月 - 1999年8月 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | |
| ファイル:Flag of Brazil.svg ジーコ | 1999年8月 - 12月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 監督代行 |
| ファイル:Flag of Brazil.svg トニーニョ・セレーゾ | 2000年 - 2005年 | 2 | 2 | 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1 | 1 | 6 | |
| ファイル:Flag of Brazil.svg パウロ・アウトゥオリ | 2006年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| ファイル:Flag of Brazil.svg オズワルド・オリヴェイラ | 2007年 - 2011年 | 3 | 1 | 2 | 2 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | |
国際試合
2011年現在AFCチャンピオンズリーグ(ACL)に5回出場(アジアクラブ選手権とアジアカップウィナーズ選手権を含めると9回出場)し、最高成績は2008年のベスト8である。これまでに国際大会で獲得したタイトルは2003年のA3チャンピオンズカップのみで、ACLでは4年連続トーナメント1回戦(2008年はベスト8、2009年以降はベスト16)で敗退するなど、国内での実績に比べると国際大会の成績は芳しくないのが現状である。
対戦通算成績と得失点
| 国際大会対戦通算成績と得失点(ACL2011 ラウンド16終了時) | |||||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 対戦チーム加盟国 | ACL | CWC | ACC[6] | ACWC[6] | A3C | ||||||||||||||||||||||||
| 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | |||||
| ファイル:Flag of Japan.svg 日本 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | - | - | - | - | - | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | ||||
| ファイル:Flag of South Korea.svg 韓国 | 3 | 3 | 4 | 12 | 15 | - | - | - | - | - | 1 | 3 | 2 | 9 | 8 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | ||||
| ファイル:Flag of the People's Republic of China.svg 中国 | 5 | 2 | 2 | 11 | 6 | - | - | - | - | - | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 | - | - | - | - | - | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | ||||
| ファイル:Flag of Australia.svg オーストラリア | 2 | 1 | 1 | 6 | 3 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | |||||||||
| ファイル:Flag of Thailand.svg タイ | 2 | 1 | 0 | 19 | 4 | - | - | - | - | - | 3 | 0 | 1 | 9 | 1 | 2 | 0 | 0 | 11 | 1 | |||||||||
| ファイル:Flag of Malaysia.svg マレーシア | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 2 | 0 | 0 | 14 | 2 | |||||||||
| ファイル:Flag of Singapore.svg シンガポール | 2 | 0 | 0 | 9 | 1 | - | - | - | - | - | 2 | 0 | 0 | 8 | 2 | - | - | - | - | - | |||||||||
| ファイル:Flag of Vietnam.svg ベトナム | 2 | 0 | 0 | 10 | 0 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | |||||||||
| ファイル:Flag of Indonesia.svg インドネシア | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 | - | - | - | - | - | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | - | - | - | - | - | |||||||||
| ファイル:Flag of Maldives.svg モルディブ | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 1 | 0 | 0 | 16 | 0 | - | - | - | - | - | |||||||||
| ファイル:Flag of Iraq.svg イラク | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | |||||||||
| 合計 | 18 | 7 | 7 | 75 | 30 | - | - | - | - | - | 9 | 4 | 4 | 48 | 14 | 5 | 0 | 1 | 27 | 7 | 2 | 1 | 0 | 5 | 1 | ||||
| 出場回数 | 5回 | 0回 | 3回 | 1回 | 1回 | ||||||||||||||||||||||||
| 最高成績 | ベスト8 - 2008年 | - | GL敗退 - 98,00,02 | 3位 - 1999年 | 優勝- 2003年 | ||||||||||||||||||||||||
国際試合一覧
- ACL決勝トーナメントでPK戦となった試合は引き分け扱い。
ダービーマッチ
- 茨城ダービー
- 鹿島アントラーズvs水戸ホーリーホック
- 茨城県のJリーグチーム同士の対戦。初の公式戦は2004年11月13日(茨城県民の日)の天皇杯4回戦で、水戸のホームである笠松陸上競技場で対戦し、13393人が来場したことがきっかけで開催されることになった。また、2005年に提携を結び、いばらきサッカーフェスティバル(プレシーズンマッチ)としてシーズン開幕前に対戦した。
- 鹿島アントラーズvs水戸ホーリーホック
タイトル
国内タイトル
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会 : 4回
- リーグカップ : 4回
- スーパーカップ : 5回
- 1997年, 1998年, 1999年, 2009年, 2010年
国際タイトル
- A3チャンピオンズカップ : 1回
表彰
- 最優秀選手賞 (MVP)
- 1996年 ファイル:Flag of Brazil.svg ジョルジーニョ
- 2008年 ファイル:Flag of Brazil.svg マルキーニョス
- 2009年 ファイル:Flag of Japan.svg 小笠原満男
- 得点王
- 2008年 ファイル:Flag of Brazil.svg マルキーニョス
- ベストヤングプレーヤー賞
- 1997年 ファイル:Flag of Japan.svg 柳沢敦
- ベストイレブン
- 1993年 ファイル:Flag of Japan.svg 大野俊三、ファイル:Flag of Brazil.svg サントス、ファイル:Flag of Japan.svg 本田泰人
- 1995年 ファイル:Flag of Japan.svg 相馬直樹
- 1996年 ファイル:Flag of Japan.svg 相馬直樹、ファイル:Flag of Brazil.svg ジョルジーニョ
- 1997年 ファイル:Flag of Japan.svg 相馬直樹、ファイル:Flag of Japan.svg 秋田豊、ファイル:Flag of Brazil.svg ビスマルク
- 1998年 ファイル:Flag of Japan.svg 相馬直樹、ファイル:Flag of Japan.svg 秋田豊、ファイル:Flag of Japan.svg 柳沢敦
- 2000年 ファイル:Flag of Japan.svg 高桑大二朗、ファイル:Flag of Japan.svg 秋田豊
- 2001年 ファイル:Flag of Japan.svg 秋田豊、ファイル:Flag of Japan.svg 名良橋晃、小笠原満男、ファイル:Flag of Japan.svg 中田浩二、ファイル:Flag of Japan.svg 柳沢敦
- 2002年 ファイル:Flag of Japan.svg 曽ヶ端準、ファイル:Flag of Japan.svg 小笠原満男
- 2003年 ファイル:Flag of Japan.svg 小笠原満男
- 2004年 ファイル:Flag of Japan.svg 小笠原満男
- 2005年 ファイル:Flag of Japan.svg 小笠原満男
- 2007年 ファイル:Flag of Japan.svg 岩政大樹
- 2008年 ファイル:Flag of Japan.svg 内田篤人、ファイル:Flag of Japan.svg 岩政大樹、ファイル:Flag of Brazil.svg マルキーニョス
- 2009年 ファイル:Flag of Japan.svg 岩政大樹、ファイル:Flag of Japan.svg 内田篤人、ファイル:Flag of Japan.svg 小笠原満男
- 最優秀監督賞
- 1997年 ファイル:Flag of Brazil.svg ジョアン・カルロス
- 2007年 ファイル:Flag of Brazil.svg オリヴェイラ
- 2008年 ファイル:Flag of Brazil.svg オリヴェイラ
- 2009年 ファイル:Flag of Brazil.svg オリヴェイラ
- フェアプレー個人賞
- 1998年 ファイル:Flag of Japan.svg 相馬直樹
- 2003年 ファイル:Flag of Japan.svg 曽ヶ端準
- 功労選手賞
- 2002年 ファイル:Flag of Brazil.svg サントス
- 2005年 ファイル:Flag of Brazil.svg ビスマルク
- 2006年 ファイル:Flag of Japan.svg 相馬直樹
- 2007年 ファイル:Flag of Japan.svg 本田泰人
- 2008年 ファイル:Flag of Japan.svg 秋田豊、ファイル:Flag of Japan.svg 名良橋晃、ファイル:Flag of Japan.svg 黒崎久志
- 2009年 ファイル:Flag of Japan.svg 森岡隆三
- ベストピッチ賞
- 2003年 カシマサッカースタジアム
- 優勝監督賞(1995-2003)
- 1996年 ファイル:Flag of Brazil.svg ジョアン・カルロス
- 1998年 ファイル:Flag of Brazil.svg ゼ・マリオ
- 2000年 ファイル:Flag of Brazil.svg トニーニョ・セレーゾ
- 2001年 ファイル:Flag of Brazil.svg トニーニョ・セレーゾ
- チェアマン感謝状(1994-1995)
- 1994年 ファイル:Flag of Brazil.svg ジーコ
- ニューヒーロー賞
- 2000年 ファイル:Flag of Japan.svg 鈴木隆行
- 2001年 ファイル:Flag of Japan.svg 曽ヶ端準
- 最優秀選手(MVP)
- 1997年 ファイル:Flag of Brazil.svg ジョルジーニョ
- 2000年 ファイル:Flag of Japan.svg 中田浩二
- 2002年 ファイル:Flag of Japan.svg 小笠原満男
- 2011年 ファイル:Flag of Japan.svg 大迫勇也
その他受賞
- 内閣総理大臣顕彰
- 1994年 ファイル:Flag of Brazil.svg ジーコ
- 日本年間最優秀選手賞
- 2001年 ファイル:Flag of Japan.svg 柳沢敦
- 2009年 ファイル:Flag of Japan.svg 小笠原満男
- 茨城県県民栄誉賞
- 2001年
- 2008年
- 茨城県特別功労賞
- 1994年
- 2010年 ファイル:Flag of Japan.svg 大東和美
- いばらきイメージアップ大賞
- 2009年
- 鹿嶋市特別功労賞
- 2008年
- クールビズ・オブ・ザ・イヤー
- 2009年
- 日本プロスポーツ大賞特別賞
- 2009年
- 報知プロスポーツ大賞
- 1999年 ファイル:Flag of Japan.svg 平瀬智行
- 2001年 ファイル:Flag of Japan.svg 柳沢敦
クラブ記録
クラブ通算記録
| 公式戦通算勝利数 | ||
|---|---|---|
| 通算勝利 | 試合 | 備考 |
| 初勝利 | 1992年9月5日 ナビスコカップ第1節 対横浜フリューゲルス(笠松) | |
| 400勝 | 2007年5月12日 J1第11節 対ジュビロ磐田(カシマ) | リーグ最速達成 |
| リーグ戦通算勝利数 | ||
| 通算勝利 | 試合 | 備考 |
| 初勝利 | 1993年5月16日 サントリー第1節 対名古屋グランパスエイト(カシマ) | |
| 100勝 | 1997年4月12日 1st第1節 対ヴィッセル神戸(カシマ) | |
| 200勝 | 2001年11月17日 1st第14節 対東京ヴェルディ1969(カシマ) | リーグ最速達成 |
| 300勝 | 2007年11月24日 第33節 対浦和レッドダイヤモンズ(埼玉) | リーグ最速達成 |
| リーグ戦通算得点 | |||
|---|---|---|---|
| 通算得点 | 試合 | 得点者 | 備考 |
| 初得点 | 1993年5月16日 サントリー第1節 対名古屋グランパスエイト(カシマ) | ファイル:Flag of Brazil.svg ジーコ | |
| 100得点 | 1994年5月18日 サントリー第17節 対名古屋グランパスエイト(カシマ) | ファイル:Flag of Brazil.svg サントス | |
| 200得点 | 1995年8月16日 ニコス第2節 対ジュビロ磐田(磐田) | ファイル:Flag of Japan.svg 黒崎比差支 | |
| 300得点 | 1996年10月30日 第27節 対ジュビロ磐田(カシマ) | ファイル:Flag of Brazil.svg マジーニョ | |
| 400得点 | 1998年4月11日 1st第5節 対柏レイソル(国立) | ファイル:Flag of Japan.svg 眞中靖夫 | |
| 500得点 | 1999年9月23日 2nd第10節 対ジェフユナイテッド市原(国立) | ファイル:Flag of Japan.svg 長谷川祥之 | リーグ最速達成 |
| 600得点 | 2001年9月29日 2nd第7節 対名古屋グランパスエイト(カシマ) | ファイル:Flag of Japan.svg 中田浩二 | リーグ最速達成 |
| 700得点 | 2003年10月18日 2nd第10節 対清水エスパルス(カシマ) | ファイル:Flag of Japan.svg 相馬直樹 | リーグ最速達成 |
| 800得点 | 2005年10月1日 第26節 対ジェフユナイテッド千葉(カシマ) | ファイル:Flag of Brazil.svg アレックス・ミネイロ | リーグ最速達成 |
| 900得点 | 2007年8月12日 第19節 対ヴァンフォーレ甲府(小瀬) | ファイル:Flag of Japan.svg 野沢拓也 | リーグ最速達成 |
| 1000得点 | 2009年4月29日 第8節 対ヴィッセル神戸(カシマ) | ファイル:Flag of Japan.svg 岩政大樹 | リーグ最速達成 |
| 1100得点 | 2011年5月21日 第12節 対浦和レッドダイヤモンズ(埼玉) | ファイル:Flag of Japan.svg 増田誓志 | リーグ最速達成 |
連勝記録
- リーグ戦連勝記録
| 1993年 - 2002年(延長戦およびPK戦による勝利を含む) | ||
|---|---|---|
| 連勝 | 期間 | 備考 |
| 16連勝 | 1998年 2nd第5節 対アビスパ福岡(博多球) - 1999年 1st第3節 対サンフレッチェ広島(カシマ) | リーグ最高記録(2010年時点) |
| 2003年 - (延長Vゴール方式廃止以降) | ||
| 連勝 | 期間 | 備考 |
| 14連勝 | 2007年 第26節 対アルビレックス新潟(カシマ) - 2008年 第5節 対ジェフユナイテッド千葉(カシマ) | リーグ最高記録(2010年時点) |
- リーグ戦年間連勝記録
| 1993年 - 2002年(延長戦およびPK戦による勝利を含む) | |||
|---|---|---|---|
| 連勝 | 年 | 期間 | |
| 13連勝 | 1998年 | 2nd第5節 対アビスパ福岡(博多球) - 第17節 対ヴィッセル神戸(カシマ) | |
| 2003年 - (延長Vゴール方式廃止以降) | |||
| 連勝 | 年 | 期間 | |
| 9連勝 | 2007年 | 第26節 対アルビレックス新潟(カシマ) - 第34節 対清水エスパルス(カシマ) | |
無敗記録
| リーグ戦無敗記録 | ||
|---|---|---|
| 無敗 | 期間 | 備考 |
| 17試合 | 2009年 J1第3節 サンフレッチェ広島(カシマ) - 2009年 J1第19節 対柏レイソル(カシマ) | リーグ最高記録(2010年時点) |
無連敗記録
| 公式戦無連敗記録 | |
|---|---|
| 無連敗 | 期間 |
| 75試合 | 2007年3月17日 J1第3節 対ジェフユナイテッド千葉(フクアリ) - 2009年3月11日 ACL2009第1節 対水原三星ブルーウィングス(水原) |
最多得点試合
| リーグ戦最多得点試合 | |
|---|---|
| スコア | 試合 |
| 7 - 2 | 2005年8月24日 第20節 対アルビレックス新潟(カシマ) |
| 7 - 0 | 1997年8月9日 2nd第4節 対名古屋グランパスエイト(カシマ) |
| 公式戦最多得点試合 | |
| スコア | 試合 |
| 16 - 0 | 1999年10月23日 アジアクラブ選手権2回戦 対バレンシア(ひたちなか) |
最多失点試合
| リーグ戦・公式戦最多失点試合 | |
|---|---|
| スコア | 試合 |
| 0 - 7 | 1995年5月3日 1st第13節 対ベルマーレ平塚(平塚) |
最少被シュート数
| リーグ戦最多得点試合 | |||
|---|---|---|---|
| 被シュート数 | スコア | 試合 | 備考 |
| 0本 | 2 - 0 | 2009年11月8日 第31節 対モンテディオ山形(カシマ) | リーグ初記録 |
個人記録
ハットトリック
- 4得点
- ファイル:Flag of Japan.svg 柳沢敦【1998年4月4日 1st第4節 対京都パープルサンガ】
- 3得点
- ファイル:Flag of Brazil.svg ジーコ【1993年5月16日 サントリー第1節 対名古屋グランパスエイト】 - リーグ初記録
- ファイル:Flag of Brazil.svg アルシンド【1993年6月19日 サントリー第11節 対名古屋グランパスエイト】
- ファイル:Flag of Japan.svg 長谷川祥之【1995年8月26日 NICOS第5節 対ガンバ大阪】
- ファイル:Flag of Brazil.svg マジーニョ【1997年4月12日 1st第1節 対ヴィッセル神戸】
- ファイル:Flag of Japan.svg 長谷川祥之【1997年9月20日 2nd第13節 対ベルマーレ平塚】
- ファイル:Flag of Japan.svg 柳沢敦【1998年5月5日 1st第11節 対ジュビロ磐田】
- ファイル:Flag of Japan.svg 平瀬智行【2000年4月29日 1st第9節 対ヴィッセル神戸】
- ファイル:Flag of Japan.svg 鈴木隆行【2004年9月18日 2nd第5節 対ジュビロ磐田】
- ファイル:Flag of Japan.svg 柳沢敦【2006年3月5日 第1節 対サンフレッチェ広島】
- ファイル:Flag of Brazil.svg フェルナンド【2006年9月24日 第24節 対FC東京】
- ファイル:Flag of Japan.svg 野沢拓也【2006年12月2日 第34節 対ジュビロ磐田】
- ファイル:Flag of Brazil.svg マルキーニョス【2010年9月18日 第23節 対大宮アルディージャ】
リーグ戦最年少得点
- ファイル:Flag of Japan.svg 内田篤人 - 17歳11ヵ月22日【2006年 J1第4節 対ヴァンフォーレ甲府】
リーグ戦連続得点
- ファイル:Flag of Brazil.svg マルキーニョス - 7試合【2008年8月16日 J1第21節 対東京ヴェルディ - 10月1日 第26節 対大宮アルディージャ】
リーグ戦シーズン連続得点
- ファイル:Flag of Japan.svg 小笠原満男 - 13シーズン連続(1999年 - 2011年)
リーグ戦シーズン最多得点
- ファイル:Flag of Brazil.svg アルシンド - 28得点(1994年)
出場記録
2011年12月3日時点。他チームでの出場やユース登録時の出場を含む。
- 公式戦通算最多出場
- ファイル:Flag of Japan.svg 本田泰人 (1992年-2006年) - 472試合
- リーグ戦
- 300試合出場
- ファイル:Flag of Japan.svg 大岩剛 386試合(引退)
- ファイル:Flag of Japan.svg 新井場徹 371試合
- ファイル:Flag of Japan.svg 小笠原満男 338試合
- ファイル:Flag of Japan.svg 曽ヶ端準 338試合
- ファイル:Flag of Japan.svg 本田泰人 328試合(引退)
- ファイル:Flag of Japan.svg 本山雅志 306試合
- 200試合出場
- ファイル:Flag of Japan.svg 青木剛 274試合
- ファイル:Flag of Japan.svg 長谷川祥之 261試合(引退)
- ファイル:Flag of Japan.svg 野沢拓也 254試合
- ファイル:Flag of Japan.svg 岩政大樹 240試合
- ファイル:Flag of Japan.svg 中田浩二 233試合
- 100試合出場
- ファイル:Flag of Japan.svg 増田誓志 167試合
- ファイル:Flag of Japan.svg 興梠慎三 162試合
- ファイル:Flag of Japan.svg 田代有三 154試合
- ファイル:Flag of Japan.svg 西大伍 132試合
- ファイル:Flag of Brazil.svg アレックス 110試合
最多得点
- 公式戦
- ファイル:Flag of Japan.svg 長谷川祥之 - 130得点
- リーグ戦
- ファイル:Flag of Japan.svg 長谷川祥之 - 89得点
- ナビスコ杯
- ファイル:Flag of Japan.svg 長谷川祥之 - 23得点
- 天皇杯
- ファイル:Flag of Brazil.svg マジーニョ - 13得点
- スーパーカップ
- ファイル:Flag of Japan.svg 柳沢敦 - 4得点
- 国際大会
- ファイル:Flag of Brazil.svg マルキーニョス - 11得点
観客動員記録
- 最多観客動員試合(ホーム)
- 茨城県立カシマサッカースタジアム
- 39,684人 - 2003年7月5日 1stステージ第11節 対ジュビロ磐田(2002年 一部改修後)
- 40,115人 - 2001年12月8日 チャンピオンシップ第2戦 対ジュビロ磐田(2001年 改修後)
- 16,944人 - 1998年11月14日 2nd第17節 対ヴィッセル神戸(2001年 改修前)
- 39,684人 - 2003年7月5日 1stステージ第11節 対ジュビロ磐田(2002年 一部改修後)
- 国立霞ヶ丘競技場
- 51,575人 - 1999年5月5日 1stステージ第11節 対ジュビロ磐田
- 通算観客動員記録(リーグ戦ホームゲーム)
- 500万人達成 - 2009年7月25日 第19節 対柏レイソル
- 年度別観客動員記録(リーグ戦ホームゲーム)
| 年度 | 合計 動員数 | 最多動員数 | 最少動員数 | 平均 動員数 | 試合数 | ホーム試合会場 | |||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 動員数 | 試合日 | 対戦 | 会場 | 動員数 | 試合日 | 対戦 | 会場 | ||||||||
| 1993 | 252,291 | 15,777 | 6月23日(水) | V川崎 | カシマ | 9,403 | 5月19日(水) | 横浜F | カシマ | 14,016 | 18 | カシマ:18 | |||
| 1994 | 369,862 | 50,724 | 8月20日(土) | 清水 | 国立 | 13,734 | 4月9日(土) | G大阪 | 16,812 | 22 | カシマ:21, 国立:1 | ||||
| 1995 | 497,665 | 50,093 | 10月14日(土) | 名古屋 | 15,144 | 3月25日(土) | 広島 | 19,141 | 26 | カシマ:22, 国立:3, 金沢:1 | |||||
| 1996 | 230,789 | 16,234 | 11月6日(水) | 名古屋 | カシマ | 10,643 | 4月20日(土) | 浦和 | 秋田 | 15,386 | 15 | カシマ:14, 秋田:1 | |||
| 1997 | 271,765 | 31,083 | 5月3日(土) | 柏 | 国立 | 15,176 | 9月24日(水) | 市原 | カシマ | 16,985 | 16 | カシマ:15, 国立:1 | |||
| 1998 | 260,866 | 16,944 | 11月14日(土) | 神戸 | カシマ | 13,824 | 4月15日(水) | G大阪 | 15,345 | 17 | カシマ:17 | ||||
| 1999 | 255,741 | 51,575 | 5月5日(水) | 磐田 | 国立 | 6,994 | 5月19日(水) | 柏 | 国立 | 17,049 | 15 | カシマ:7, 国立:6, 富山:1, 金沢:1 | |||
| 2000 | 262,603 | 50,399 | 11月26日(日) | 柏 | 7,024 | 11月18日(土) | 広島 | 鳥取 | 17,507 | 15 | カシマ:8, 国立:4, 富山:1, 福井:1, 鳥取:1 | ||||
| 2001 | 336,377 | 43,637 | 4月29日(日) | 浦和 | 6,037 | 10月17日(水) | C大阪 | カシマ | 22,425 | 15 | カシマ:11, 国立:4 | ||||
| 2002 | 323,855 | 34,011 | 9月7日(土) | 磐田 | カシマ | 11,857 | 9月18日(水) | 京都 | 21,590 | 15 | カシマ:15 | ||||
| 2003 | 318,064 | 39,684 | 7月5日(土) | 磐田 | 14,045 | 8月30日(土) | 大分 | 21,204 | 15 | カシマ:15 | |||||
| 2004 | 263,777 | 31,965 | 10月23日(土) | 浦和 | 8,474 | 4月14日(水) | 新潟 | 17,585 | 15 | カシマ:15 | |||||
| 2005 | 316,897 | 35,467 | 9月3日(土) | 浦和 | 7,076 | 4月13日(水) | 大宮 | 18,641 | 17 | カシマ:17 | |||||
| 2006 | 262,365 | 34,236 | 8月19日(土) | 浦和 | 7,427 | 7月19日(水) | 川崎 | 15,433 | 17 | カシマ:17 | |||||
| 2007 | 276,058 | 36,146 | 4月29日(日) | 浦和 | 8,036 | 10月27日(土) | 大分 | 16,239 | 17 | カシマ:17 | |||||
| 2008 | 335,140 | 36,412 | 7月27日(土) | 浦和 | 6,725 | 10月1日(水) | 大宮 | 19,714 | 17 | カシマ:17 | |||||
| 2009 | 367,486 | 37,878 | 3月7日(土) | 浦和 | 14,473 | 4月29日(水) | 神戸 | 21,617 | 17 | カシマ:17 | |||||
| 2010 | 356,430 | 35,251 | 3月6日(土) | 浦和 | 9,472 | 7月14日(水) | 湘南 | 20,966 | 17 | カシマ:17 | |||||
| 2011 | 274,655 | 25,061 | 9月24日(土) | 浦和 | 7,810 | 6月15日(水) | 甲府 | 16,156 | 17 | カシマ:16, 国立:1 | |||||
| 合計 | 5,832,686 | 18,095 | 323 | カシマ:296 / 国立:20 / 地方:7 | |||||||||||
ユニフォーム
| ||||||||||||||||||||||||
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| ||||||||||||||||||||||||
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| ||||||||||||||||||||||||
ユニフォームカラー
- ディープレッド
- 紺
- 白
- グレー
ユニフォームデザイン
- ユニフォームデザインは基本的に2年に1回変更している(翌年が創立記念の場合、1年でデザイン変更)。
- 2011年は創立20周年モデルとして、1stモデルはチームの象徴でもある鹿が戦う際に枝角を下す姿と鹿島灘の波形を表現している。パンツの色もこれまでの紺からディープレッドに変更した。2ndモデルは白を基本にグレーを配色している。
- ユニフォームの右袖には、ホームタウン5市をあしらったホームタウンマークをつけ、背番号の下に名前が入る。
- エンブレムの裏側とネック裏には、ジーコが強く説いてきた「TRABALHO(献身)」「LEALDADE(誠実)」「RESPEITO(尊重)」の文字が入っている。
ユニフォームについて
- 1995年のリーグ戦用2ndモデルには、シャツ・シルバー、パンツ・紺、ストッキング・シルバーを採用したが、諸事情により数戦使用しただけで、シャツ・パンツ・ストッキングをすべて白に変更している。(変更後しばらくは、1993・1994年に使用した2ndモデルを使用していた。)
- 2006年から2007年は、2ndモデルはグレーを使用していた。
- 2008年から2009年は、リーグ初となった横縞(ディープレッドと紺)を使用した。
- 2009年はゴールド色の3rdユニフォームをACL、ナビスコ杯、リーグ戦の対川崎フロンターレ戦(アウェイ戦)で使用した。
ユニフォームの星
- 2007シーズンに10冠(国内3大大会のタイトル数)を達成し、2008年シーズンより、左胸のエンブレム上に大きな星1つ(10タイトル分)がついた。11冠目以降の星は、従来の左袖につく。
チャンピオンエンブレム
- リーグチャンピオンエンブレム
- 前年度のリーグチャンピオンチームには、日本サッカー協会のシンボルであるヤタガラスにJのマークがついたエンブレムを右袖につける。
- 2009シーズンからヤタガラスのエンブレムに代わり、金色のJマークをつけている。
- 天皇杯チャンピオンエンブレム
- 天皇杯を制したチームにはEのマークがついたエンブレムをつける。
- 2009年大会からリーグチャンピオン同様ヤタガラスのエンブレムを辞め、天皇杯のみ天皇杯エンブレムをつけている。
- 2冠チャンピオンエンブレム
- リーグと天皇杯の2冠を制したチーム[1]には、☆マークがついたエンブレムをつける(Jリーグ発足後初は2000年度に達成した鹿島)。
ユニフォームスポンサー
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | LIXIL | LIXIL | 2011年 - | 2010年まではトステム |
| 背中 | イエローハット | Yellow Hat | 1999年 - | 1995年 - 1998年までは袖 |
| 袖 | 住友金属工業 | SUMITOMO METALS | 2000年 - | |
| パンツ | 商船三井 | 商船三井 | 2009年 - |
ユニフォームサプライの遍歴
歴代ユニフォームスポンサー年表
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 1992 | - | - | - | - | ennerre |
| 1993 | - | - | - | - | Mizuno/ennerre |
| 1994 | - | - | TOSTEM | - | |
| 1995 | - | Yellow Hat | - | ||
| 1996 | TOSTEM | - | - | ||
| 1997 | - | - | UMBRO/ennerre | ||
| 1998 | - | - | ennerre | ||
| 1999 | - | Yellow Hat | - | ||
| 2000 | SUMITOMO METALS | - | |||
| 2001 | - | ||||
| 2002 | - | NIKE | |||
| 2003 | - | ||||
| 2004 | - | ||||
| 2005 | プロミス | ||||
| 2006 | |||||
| 2007 | |||||
| 2008 | - | ||||
| 2009 | 商船三井 | ||||
| 2010 | |||||
| 2011 | LIXIL |
- AFCチャンピオンズリーグでは規定によりスポンサーが1社のみなので、2010年までは胸スポンサーの「TOSTEM」、2011年からは「LIXIL」のみになる。
- 胸スポンサーのトステムが2011年4月にLIXILに統合されるため、2011年より「TOSTEM」から「LIXIL」に変更。
- 1992年から1995年まで、胸にはスポンサーの代わりに「Antlers」のロゴが入る。
スポンサー
オフィシャルスポンサー
アドボードスポンサー
- 筑波都市整備
- 斉丸土地
- アイデックス
- ミナト
- サン・トックス
- ワコースチール
- 鹿島都市開発
サプライヤー
- 石上ファーム
- セキネネオン
- エア・テクノロジーズ
- AVIX
- ポラール
- ケーイージー
- PROTEA JAPAN
カシマサッカースタジアム
詳細は「茨城県立カシマサッカースタジアム」を参照
スタジアムDJ・選手入場曲
- SUCESSO(スセッソ)はポルトガル語で「成功」。米米CLUBのシングル「俺色にそまれ」のカップリング曲。
広告看板
- ホームゲームにおける広告看板(ゴール裏)は1995年以後、部分的に回転ロール盤を使用している。当初はゴール裏の内側部分だけだったが、1999年以後は外側(スタンドとピッチの中間。カシマサッカースタジアム開催分は客席の最前列)の部分にも使用している。試合時間帯に応じてアントラーズのスポンサーの広告を切り替えて表示している。
LED帯状映像装置
- 日本のサッカースタジアムでは初となる、アジアでは最長(全長500m)のLED帯状映像装置が2階スタンド最前部の壁面にほぼ1周設置されている[7][8]。
- カラー広告の表示やスタメン発表、他会場の途中経過、緊急時の避難誘導などに使用される。
アカデミー
地域人口の少なさという非常に大きなハンデがあり、ユース・ジュニアユースとも強豪とは言えず、曽ヶ端準や野沢拓也以降はトップチームに定着する選手を輩出出来ていない。しかし、鹿島学園との提携やつくばジュニアユースの新設など、大きな経営努力が払われている。
アカデミー構成
| 年代 | カテゴリ | ||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第2種 (高校生) | ユース | ||||||||||||
| 鹿島アントラーズユース (鹿嶋) | |||||||||||||
| 第3種 (中学生) | ジュニアユース | ||||||||||||
| 鹿島アントラーズつくばジュニアユース (つくば) | 鹿島アントラーズジュニアユース (鹿嶋) | 鹿島アントラーズノルテジュニアユース (日立) | |||||||||||
| 第4種 (小学生) | ジュニア | ||||||||||||
| 鹿島アントラーズジュニア (鹿嶋) | 鹿島アントラーズつくばジュニア (つくば) | ||||||||||||
| クリニック スペシャルコース | |||||||||||||
| 水海道校 (常総) | つくば校 (つくば) | 玉造校 (行方) | 内原校 (水戸) | 鹿島校 (鹿嶋) | 神栖校 (神栖) | ひたちなか校 (ひたちなか) | 日立校 (日立) | 高萩校 (高萩) | |||||
| 第4種 以下 | |||||||||||||
| クリニックコース | |||||||||||||
| 下妻校 (下妻) | 水海道校 (常総) | つくば校 (つくば) | 美浦校 (美浦) | 玉造校 (行方) | 常陸大宮校 (常陸大宮) | 鹿島校 (鹿嶋) | 神栖校 (神栖) | 内原校 (水戸) | 東庄校 (東庄) | ひたちなか校 (ひたちなか) | 日立校 (日立) | 高萩校 (高萩) | |
つくばアカデミーセンター
つくば市につくばジュニアユース、つくばジュニア、クリニックコースの練習場としてつくばアカデミーセンターがある。
ユース
1992年に活動を開始した。練習場はアントラーズクラブハウスグラウンドや住友金属総合グラウンド。鹿島学園と提携するなど力を入れている。曽ヶ端準や野沢拓也らはユース出身である。ユース出身の選手は、鹿島アントラーズの選手一覧の下部組織出身者を参考のこと。熊谷浩二や市川友也などがコーチを努めている。高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグに所属している。
| 鹿島アントラーズユース 年度別成績と歴代監督 | ||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | その他公式戦 | 監督 | |||||||
| 勝点 | 勝 | 敗 | 分 | 順位 | クラブユース選手権 | 高円宮杯 | Jユース杯 | |||||
| 1992 | - | |||||||||||
| 1993 | ファイル:Flag of Japan.svg 藤代伸世 | |||||||||||
| 1994 | ||||||||||||
| 1995 | ファイル:Flag of Japan.svg 山崎勇次 | |||||||||||
| 1996 | ||||||||||||
| 1997 | 準優勝 | |||||||||||
| 1998 | 優勝 | |||||||||||
| 1999 | 関東予選敗退 | 予選敗退 | ベスト8 | |||||||||
| 2000 | ベスト8 | 予選敗退 | ベスト8 | |||||||||
| 2001 | ベスト8 | 予選敗退 | 1回戦敗退 | |||||||||
| 2002 | 関東スーパーリーグ | 14 | 4 | 3 | 2 | 9位 | 関東予選敗退 | 予選敗退 | 1回戦敗退 | |||
| 2003 | ベスト8 | 予選敗退 | 1回戦敗退 | ファイル:Flag of Japan.svg 河崎淳一 | ||||||||
| 2004 | 県リーグ 1部 | 20 | 7 | 0 | 0 | 優勝 | 3位 | 予選敗退 | 優勝 | |||
| 2005 | プリンスリーグ関東 | 15 | 5 | 4 | 0 | 5位 | 予選敗退 | 予選敗退 | ベスト16 | |||
| 2006 | 17 | 5 | 2 | 2 | 3位 | GL敗退 | ベスト8 | ベスト8 | ||||
| 2007 | 3 | 1 | 8 | 0 | 9位 | GL敗退 | 予選敗退 | 1回戦敗退 | ||||
| 2008 | プリンスリーグ関東2部 | 12 | 4 | 1 | 0 | 優勝 | GL敗退 | 予選敗退 | ベスト8 | ファイル:Flag of Japan.svg 古賀聡 | ||
| 2009 | プリンスリーグ関東1部 | 10 | 3 | 7 | 1 | 10位 | GL敗退 | 予選敗退 | 1回戦敗退 | |||
| 2010 | プリンスリーグ関東2部 | 24 | 7 | 1 | 3 | 2位 | GL敗退 | 予選敗退 | 予選敗退 | JリーグU-16 優勝 | ファイル:Flag of Japan.svg 土田哲也 | |
| 2011 | プリンスリーグ関東1部 | 39 | 12 | 3 | 3 | 優勝 | ベスト8 | - | ベスト8 | ファイル:Flag of Brazil.svg キッカ | ||
ジュニアユース
鹿島、ノルテ、つくばの3チームで構成されている。ノルテは茨城県の県北地域を中心に、つくばは県南地域を中心に活動を展開している。Jリーグ U-13とJリーグ U-14には、鹿島、ノルテ、つくばの全チームが参加している。
鹿島ジュニアユース
1992年に活動を開始した。練習場はアントラーズクラブハウスグラウンドや住友金属総合グラウンド。関東ユース (U-15)サッカーリーグの1部リーグに所属している。
| 鹿島アントラーズジュニアユース 年度別成績と歴代監督 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | その他公式戦 | 監督 | ||||||
| 勝点 | 勝 | 敗 | 分 | 順位 | クラブユース選手権 | 高円宮杯 | |||||
| 1992 | |||||||||||
| 1993 | |||||||||||
| 1994 | |||||||||||
| 1995 | |||||||||||
| 1996 | |||||||||||
| 1997 | |||||||||||
| 1998 | 関東予選敗退 | ||||||||||
| 1999 | 関東予選敗退 | 1回戦敗退 | ファイル:Flag of Japan.svg 河崎淳一 | ||||||||
| 2000 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | |||||||||
| 2001 | 3位 | 関東予選敗退 | |||||||||
| 2002 | 関東予選敗退 | 優勝 | |||||||||
| 2003 | ベスト8 | 関東予選敗退 | ファイル:Flag of Japan.svg 森島修 | ||||||||
| 2004 | 県予選敗退 | 関東予選敗退 | |||||||||
| 2005 | 一回戦敗退 | 県予選敗退 | |||||||||
| 2006 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | |||||||||
| 2007 | 関東ユースサッカーリーグ | 2 | 0 | 3 | 2 | 12位 | GL敗退 | 関東予選敗退 | ファイル:Flag of Japan.svg 土田哲也 | ||
| 2008 | 19 | 6 | 4 | 1 | 4位 | ベスト8 | 関東予選敗退 | ||||
| 2009 | 7 | 2 | 8 | 1 | 10位 | ベスト16 | 関東予選敗退 | ||||
| 2010 | 関東ユースサッカーリーグ 1部 | 15 | 4 | 4 | 3 | 8位 | ベスト8 | 関東予選敗退 | ファイル:Flag of Japan.svg 森島修 | ||
| 2011 | 13 | 3 | 4 | 4 | 9位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | ||||
ノルテジュニアユース
1999年に日立市を中心拠点として活動を開始した。茨城県の県北地域の生徒で構成されている。関東ユース (U-15)サッカーリーグの1部リーグに所属している。
| 鹿島アントラーズノルテジュニアユース 年度別成績と歴代監督 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | その他公式戦 | 監督 | ||||||
| 勝点 | 勝 | 敗 | 分 | 順位 | クラブユース選手権 | 高円宮杯 | |||||
| 1999 | |||||||||||
| 2000 | ファイル:Flag of Japan.svg 土田哲也 | ||||||||||
| 2001 | |||||||||||
| 2002 | 関東予選敗退 | ||||||||||
| 2003 | 県予選敗退 | ||||||||||
| 2004 | 県予選敗退 | ||||||||||
| 2005 | 県予選敗退 | ||||||||||
| 2006 | 関東予選敗退 | ||||||||||
| 2007 | 関東予選敗退 | 県予選敗退 | ファイル:Flag of Japan.svg 亀谷誠 | ||||||||
| 2008 | IFAリーグ1部08-09 前期 | 16 | 5 | 1 | 1 | 2位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | |||
| 2009 | IFAリーグ1部08-09 後期 | 16 | 5 | 1 | 1 | 優勝 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | ファイル:Flag of Japan.svg 小笠原賢二 | ||
| 2010 | 関東ユースサッカーリーグ 2部 | 16 | 5 | 1 | 1 | 優勝 | 1次ラウンド敗退 | 関東予選敗退 | ファイル:Flag of Japan.svg 賀谷英司 | ||
| 2011 | 関東ユースサッカーリーグ 1部 | 15 | 4 | 4 | 3 | 5位 | ベスト16 | 関東予選敗退 | |||
つくばジュニアユース
2008年につくば市を中心拠点として活動を開始した。練習場はつくばアカデミーセンター。茨城県の県南地域の生徒で構成されている。IFA (U-15)リーグ(県リーグ)の1部リーグに所属している。
| 鹿島アントラーズつくばジュニアユース 年度別成績と歴代監督 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | その他公式戦 | 監督 | ||||||
| 勝点 | 勝 | 敗 | 分 | 順位 | クラブユース選手権 | 高円宮杯 | |||||
| 2008 | - | - | - | - | - | - | - | 県予選敗退 | ファイル:Flag of Japan.svg 木村匡志 | ||
| 2009 | IFAリーグ2部09-10 前期 | 19 | 6 | 0 | 1 | 優勝 | 県予選敗退 | 県予選敗退 | |||
| 2010 | IFAリーグ1部09-10 後期 | 14 | 4 | 1 | 2 | 2位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | |||
| 2011 | IFAリーグ1部2011 | 50 | 16 | 0 | 2 | 優勝 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | ファイル:Flag of Japan.svg 土田哲也 | ||
ジュニア
鹿島とつくばの2チームで構成されている。近年は、海外遠征なども積極的に実施している。
鹿島ジュニア
監督は中村幸聖が努めている。練習場はアントラーズクラブハウスグラウンドや住友金属総合グラウンド。近年は全日本少年サッカー大会や全日本少年フットサル大会といった全国大会でも好成績を挙げている。
- 主な大会成績
- 2007年 第31回全日本少年サッカー大会 準優勝
- 2008年 第32回全日本少年サッカー大会 ベスト8
- 2009年 第19回全日本少年フットサル大会 3位
- 2010年 第20回全日本少年フットサル大会 ベスト8
つくばジュニア
2007年につくば市を中心拠点として活動を開始した。練習場はつくばアカデミーセンター。茨城県の県南地域の生徒で構成されている。
クリニックコース
幼稚園生・小学生・中学生・女子を対象としたサッカースクール(クリニックコース)を茨城県内に12校、千葉県に2校開校している。
地域貢献活動
ノンフットボールビジネス
2006年、カシマサッカースタジアムの指定管理者になり、健康事業を目的としたスポーツプラザ「カシマウェルネスプラザ」の運営や茨城大学との提携などによるスタジアムの利活用の推進にも取り組んでいる。
フレンドリータウン
ホームタウンの5市(鹿嶋、神栖、潮来、鉾田、行方)のほかにクラブ独自でフレンドリータウンとして、ホームタウン周辺の市町村を対象に年1回ホームゲームへの市民招待やスタジアムでのイベントの開催、クリニックコース(サッカースクール)を開校するなど活動を展開している。
地域交流
- 2007年から2008年にかけて、ホームタウンの5市(鹿嶋、神栖、潮来、鉾田、行方)にある小学校全校を選手が訪問した。
- 毎年10月に鹿嶋市で開催される「鹿嶋まつり」や鹿島神宮での節分祭など、地域イベントに選手やチームスタッフらが参加している。
環境活動
- 2006年12月2日のジュビロ磐田戦では、カシマサッカースタジアムで使用する電力にグリーン電力(風力発電、太陽光発電)を利用して開催された[9]。
- 2009年5月10日の清水エスパルス戦で、来場客から回収した食用油を精製し、チームトラックの燃料に活用する取り組みが行われた。また、この取り組みが第3回クールビズ・オブ・ザ・イヤーで「クールビズ・アース2009」を受賞した[10]。
メディア
試合中継
- テレビ中継
- NHK水戸放送局
- スカパー!
- 2010年からリーグ戦のホームゲームを鹿島が自主制作で配信(2009年まではNHKグローバルメディアサービスが委託製作)
- ラジオ中継
- エフエムかしま
- FM KASHIMA EXCITING SPORTS(試合開始30分前 - 試合終了後)
- 茨城放送
- 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
- LIVEアントラーズ - カシマサッカースタジアムで開催されるホームゲームの音声実況中継をインターネット配信
公式番組
応援番組
- NHK水戸放送局
- とれたてワイドいばらき、ニュースワイド茨城、茨城ニュース845などの番組内で随時放送される。
- エフエムかしま
- アントラーズスピリッツ 毎週金曜 18:00 - 19:00
- アントラーズ10min(ひるどき767内コーナー) 毎週金曜 12:35 - 12:45
- 茨城放送
- がんばれ!!鹿島アントラーズ 毎週月曜 18:15 - 18:45
その他
- 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
- メンバーズルーム - 有料会員制
- アントラーズモバイル
- あんとランド - 動画配信
- 新聞・情報誌
- 茨城新聞
- 月刊アントラーズフリークス(オフィシャルショップ、オンラインショップ、茨城県内のココストアにて販売)
- ヴァモス Antlers(マッチデープログラム。試合日にスタジアムで配布)
その他
提携クラブ
- 水戸ホーリーホック
- 詳細はダービーマッチを参照。
- 浦項スティーラース(ファイル:Flag of South Korea.svg Kリーグ) - 2004年締結
- 締結した2004年にプレシーズンマッチが開催されたほか、それまでにも数回開催されている。
キャンプ地
春季キャンプは1998年より宮崎県宮崎市の宮崎県総合運動公園陸上競技場で行われている。また、1993年はイタリア、1994年は沖縄県、1995年から1997年まではブラジルで行われた。夏季キャンプは福島県双葉郡楢葉町のJヴィレッジを使用して行われる。
クラブショップ
- クラブハウス店(茨城県鹿嶋市・アントラーズクラブハウス1階)
- 水戸店(茨城県水戸市・水戸丸井1階)
- カシマサッカースタジアムオフィシャルグッズショップ(茨城県鹿嶋市・カシマサッカースタジアムコンコース数箇所 試合開催日のみ)
クラブマスコット
- しかお
- しかこ
- アントン
スローガン
| 年度 | スローガン |
|---|---|
| 1998 | CHALLENGE |
| 1999 | NEXT |
| 2000 | Glory Again - 原点からの挑戦 - |
| 2001 | - 勝利主義 Antlersism - FOR NEXT 10 YEARS |
| 2002 | - 進化 Antlersism - STAIRWAY TO THE WORLD |
| 2003 | OVER'03 - カシマからアジア、そして世界へ - |
| 2004 | FOOTBALL DREAM 2004 - 奪冠10 - |
| 2005 | FOOTBALL DREAM 2005 - 反撃宣言 - |
| 2006 | FOOTBALL DREAM 2006 - 一新制覇 - |
| 2007 | FOOTBALL DREAM'07 - 魂 Spirits - |
| 2008 | FOOTBALL DREAM 2008 - DESAFIO 挑戦 - |
| 2009 | FOOTBALL DREAM 2009 - PROGRESSO 飛躍 - |
| 2010 | FOOTBALL DREAM 2010 - Evolucao 新化 - |
| 2011 | FOOTBALL DREAM NEXT |
サポーター・ファンクラブ
ファンクラブ
「SOCIOメンバー」、「MEGAメンバー」、「フリークスメンバー」、「ファミリーメンバー」の4種類がある。その中でも「フリークスメンバー」が一般的な会員カテゴリで、会員数が最も多い。特典として月刊アントラーズフリークスの送付やホームゲームチケットの先行割引販売、グッズの割引販売、グッズ・チケットの購入時やホームゲーム来場時などに付与されるポイントシステムなどがある。
サポーター
IN.FIGHTという1991年の創設から鹿島サポーターの中心として活動を続けているサポーター集団がある。浦和レッドダイヤモンズのサポーター集団などと並んで熱狂的な応援を続けていることで知られる[13]。2000年代以降、ゴール裏では世代交代が進み、応援に対する意識も変化を見せていると言われるが、「ゴール裏から発信される声援で選手や監督を後押しし、試合全体の流れを変えるくらいの気迫で応援する」との基本的な姿勢は変わらないという。
脚注
- ^ a b 現在、リーグと天皇杯の2冠を達成したのは鹿島(2000年、2007年)と浦和(2006年)のみ。
- ^ 鹿島サポーターの危険行為で柏に制裁金 2011年2月27日閲覧。
- ^ Jリーグ公式記録
- ^ 3カ月程度かかる 鹿島 メド立たないスタジアム修復 スポーツニッポン 2011年3月16日
- ^ トップチームの活動休止に関して 鹿島アントラーズオフィシャルサイト 2011年3月15日
- ^ a b 2002-03年度にアジアクラブ選手権、アジアカップウィナーズカップ、アジアスーパーカップが統合され、AFCチャンピオンズリーグとなった。
- ^ カシマサッカースタジアム・LED帯状映像装置 - 鹿島アントラーズオフィシャルサイト(動画で実際に使用されている様子が見ることができる)
- ^ ホームタウンレポート〔鹿島〕アジア初の約500メートル帯状映像装置お披露目 - Jリーグ公式サイト 百年構想
- ^ 日本初グリーン電力100%で開催されるJ1マッチのお知らせ 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
- ^ アントラーズ・エコプログラムがクールビズ・アース2009を受賞 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
- ^ 厳密に言えば、佐藤昭大が鹿島移籍前にブログを開設しており現在も存在するが、鹿島移籍後は更新を休止している。
- ^ 鹿島アントラーズ携帯公式サイト「毎日更新ミニ情報」2010年12月27日掲載「完全移籍しました」2011年1月26日閲覧
- ^ 清尾淳『浦和レッズの快感 すきにならずにいられない』あすとろ出版、1998年、22頁
関連項目
- 鹿島アントラーズの選手一覧
- 鹿島アントラーズの年度別成績一覧
- 茨城県立カシマサッカースタジアム
- カシマサッカーミュージアム
- 鹿島アントラーズクラブハウスグラウンド
- 鹿島アントラーズつくばアカデミーセンター
- IN.FIGHT
- 鹿嶋市
- 日本のダービーマッチ
- 茨城ダービー
- いばらきサッカーフェスティバル
外部リンク
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