1. TOP
  2. Kiraku辞典
  3. メインページ

鹿島アントラーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鹿島アントラーズ
原語表記 鹿島アントラーズ
愛称 アントラーズ
クラブカラー      ディープレッド
創設年 1947年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン1
ホームタウン 茨城県鹿嶋市神栖市潮来市鉾田市行方市
ホームスタジアム 茨城県立カシマサッカースタジアム
収容人数 40,728
運営法人 株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー
代表者 井畑滋
監督 ファイル:Flag of Brazil.svg オズワルド・オリヴェイラ
公式サイト 公式サイト
テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ
株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー
Kashima Antlers F.C. Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 ファイル:Flag of Japan.svg 日本
〒314-0021
茨城県鹿嶋市粟生東山2887
設立 1991年10月1日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 井畑滋(代表取締役社長
資本金 15億7,000万円
売上高 44億6,600万円(2011年1月期)
営業利益 1,700万円(2011年1月期)
純利益 1,400万円(2011年1月期)
決算期 1月期
主要株主 住友金属工業
関係する人物 鈴木昌
大東和美
外部リンク http://www.so-net.ne.jp/antlers
テンプレートを表示

鹿島アントラーズ(かしまアントラーズ、Kashima Antlers)は、日本茨城県鹿嶋市神栖市潮来市鉾田市行方市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

概要

チーム母体は1947年に創設された住友金属工業蹴球団で、1991年のJリーグ加盟時に鹿島アントラーズに改称した。Jリーグ創設時からの加盟チーム(オリジナル10)の一つである。ホームタウン茨城県鹿嶋市(合併前は鹿島郡鹿島町と大野村)・潮来市(合併前は行方郡潮来町と牛堀町)・神栖市(合併前は鹿島郡神栖町と波崎町)に2006年からは鉾田市行方市も加わった。1995年鹿嶋市が誕生して以後もチーム名は地域名の鹿島のまま。なお当時ホームタウンは原則として1チーム1市区町村だったが、鹿島に限り特例で周辺市町村との広域ホームタウンが認められた。

ホームスタジアムは茨城県立カシマサッカースタジアムで、練習場は鹿島アントラーズクラブハウスグラウンドを使用している。

チーム名の「アントラー(antler)」は英語鹿の枝角を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。チーム発足時からクラブのアイデンティティとして「FOOTBALL DREAM」を常に掲げている。クラブマスコットは、クラブ創設時より「しかお」。シカをモチーフにしたキャラクターである。さらに1997年3月2日に「しかお」と結婚したと言う設定で、「しかこ」が登場。1999年8月1日にしかおとしかこの間に誕生したと言う設定で「アントン」が登場した。

事業展開

主たる事業はサッカークラブの運営であるが、サッカー以外にもミニバスケットボール大会、テニススクール、剣道教室の開催などJリーグ百年構想の一環として取り組んできた。また、2006年よりホームスタジアムである茨城県立カシマサッカースタジアム指定管理者となり、指定管理者の利点を活用した事業にも積極的に取り組んでいる。詳細は後述を参照。

クラブの特徴

国内の3大タイトル(Jリーグ年間天皇杯ナビスコカップ)において、Jリーグ史上最多の15冠(A3チャンピオンズカップスーパーカップを含めると21冠)かつそれぞれのタイトルにおいて最多優勝回数を誇り、2000年シーズンにはJリーグ、ナビスコカップ、天皇杯と国内3大タイトル全てを制し、Jリーグ発足後初の3冠とJリーグ3連覇(2007年 - 2009年)を達成している唯一のクラブでもある。

戦術面では監督の意向や選手の特徴によってシステムを頻繁に変えるチームが多いJリーグにおいて、開幕からDFを4人配置する4バックでほとんどの試合を戦っている。また代行監督を除くと一貫してブラジル人指導者が監督を務め、外国人枠で獲得する選手は、2009年より導入されたアジア枠の選手を除き、すべてブラジル人であることも特徴である。

歴史

住友金属時代

1947年創部の住友金属蹴球同好会(1956年住友金属工業蹴球団へ改称)が前身となり、1973年日本サッカーリーグ(JSL)2部、1985年にJSL1部へ昇格した。なお、1975年大阪市から茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)に本拠地を移転した。

1989年にプロサッカーリーグ設立が具体化したのを受けて、1990年住友金属工業の「2000年ビジョン」の指針が発端となって、茨城県鹿島町長を含めた7名が当時JSL2部に所属していた住友金属工業蹴球団のプロリーグ参加を協会に要望した。

1991年ブラジル代表主将を務めたジーコが加入(川淵によると、「当初、紹介した古河電工(現:ジェフユナイテッド千葉)にそのまま加入してもらおうと思っていたが、当の古河電工はジーコ入団に難色を示し、その後断りをいれた。そのため、新たに住友金属を紹介したところ、住友金属のアピールもあって、ジーコの入団が実現した」と話している)。当時チームは2部リーグであったが、ジーコのスーパープレーは他チームの選手を翻弄した。

結果、日本初の本格的サッカー専用スタジアムとして建設された茨城県立カシマサッカースタジアムをホームスタジアムとして、念願だったJリーグ加盟をJリーグ発足初年度に果たし、チーム名を「鹿島アントラーズ」と改称、プロクラブとして新たなスタートを切った。

なお、Jリーグ最初の公式戦、1992年のJリーグカップは、鹿島主管試合は笠松運動公園陸上競技場を主として国立霞ヶ丘陸上競技場西京極球技場(西京極での試合はガンバ大阪が相手であった)で行っている。

1993年 - 1999年

初代監督には本田技研サッカー部前監督・宮本征勝が就任。長谷川祥之本田泰人など本田技研の選手、ジーコ、アルシンドなどブラジル人選手を中心にJリーグ開幕を迎えた。

1993年5月16日の開幕戦はカシマサッカースタジアムに名古屋グランパスエイトを迎えたホームゲームで「ジーコとゲーリー・リネカーの対決」が注目されたが、ジーコのハットトリックとアルシンドの2ゴールで5-0で圧勝した。旧本田勢に加えて大卒新人の秋田豊がレギュラーを獲得した。開幕シリーズである1993年1stステージを制覇したが、1994年1月に国立霞ヶ丘陸上競技場で行われたJリーグチャンピオンシップヴェルディ川崎に敗れ(1分1敗)、初代年間王者は獲得できなかった。第2戦ではジーコが三浦知良のPKの際にボールへつばを吐く非紳士的行為で退場(この日2枚目の警告)となり、大きな話題となった。また、開幕戦の圧勝から1stステージ優勝に至る快進撃により、鹿島町は「サッカーの町」として全国的に認知され、周辺人口の少なさから低調な観客動員が危惧されていたカシマサッカースタジアムは毎試合超満員となり、チケット入手が非常に困難なスタジアムとして知られるようになった。

1994年のサントリーステージ(1stステージ)終了後にジーコが現役を引退したが、その後もテクニカル・アドバイザーとしてチームに関わり、実兄のエドゥーが宮本の後任監督として指揮を執った。また、この年にアメリカW杯サッカーブラジル代表として出場したレオナルドジョルジーニョが加入し、彼らの活躍で鹿島は強豪としての地位を築いていった。これ以後も鹿島にはジーコの人脈を生かした優秀なブラジル人選手が加入し、チームを勝利へ導いた。これは、J1に在籍経験のあるJリーグクラブの中で、鹿島が2009年まで唯一ブラジル国籍以外の外国籍選手を獲得した事がない歴史につながっている。1994年シーズンのリーグ戦でアルシンドが、鹿島でシーズン最多の28得点を記録。

1シーズン制で行われた1996年にはジョアン・カルロス監督の指揮により初めての年間王者となったが、チャンピオンズファイナルでは決勝で名古屋に敗れ、シーズン完全優勝は逃した。

1997年は、ヴェルディ川崎からビスマルクベルマーレ平塚から名良橋晃を獲得。ゼロックススーパーカップで初優勝を果たした。国内3大タイトルのうち、リーグ戦はサントリーステージ(1stステージ)で優勝。チャンピオンシップでは2ndステージ優勝のジュビロ磐田に2連敗でタイトルはならなかった。しかし、ヤマザキナビスコカップ天皇杯を初制覇して「カップ・ダブル」を達成した。

1998年は、ゼロックス・スーパーカップで2年連続優勝を果たす。シーズン中断中にジョアン・カルロスとジョルジーニョとの意見が合わず、ジョアン・カルロスをシーズン途中に監督解任、中断明けの1stステージの残りを関塚隆が監督代行として指揮をとる。2ndステージ開始前にゼ・マリオを監督に招聘。9月23日に長谷川が清水戦で、クラブ初の在籍通算100得点目を達成。チャンピオンシップで磐田を下して、2度目のリーグ年間優勝を果たした。この年のリーグ戦で柳沢敦が、22得点を記録。また、同年のフランスW杯では日本代表に鹿島から秋田・名良橋・相馬直樹の3人が選ばれ、いずれも日本が戦った全3試合に出場した。この年の2ndステージ第5節の福岡戦から翌1999年第3節広島戦まで16連勝した。

1999年には2002 FIFAワールドカップ開催へ向けたカシマサッカースタジアムの改修工事が始まり、1stステージの主催試合は国立霞ヶ丘陸上競技場で開催。1998-99年シーズンのアジアカップウィナーズカップで3位に入賞。ただし、この年はゼロックス・スーパーカップで3連覇を達成したに留まった。クラブはゼ・マリオを監督から解任し、2ndステージ途中からジーコが総監督として指揮を執った。なお、9月23日のジェフユナイテッド市原戦で、Jリーグクラブ最速のリーグ戦通算500得点を達成した。

2000年 - 2002年

2000年、ジーコと共に「黄金のカルテット」をブラジル代表で構成したトニーニョ・セレーゾが監督に就任。この年にナビスコ杯、Jリーグ年間王者、天皇杯を制覇し、Jリーグ発足以来初の三冠を達成した。

2001年、2000年シーズンの三冠達成を称えて茨城県から県民栄誉賞を受賞。リーグ戦の1stステージは前年の天皇杯で負傷した相馬直樹など主力選手の怪我が相次ぎ11位と低迷するものの、2ndステージは相馬の穴を埋めるべく加入したアウグストの活躍で優勝。チャンピオンシップで磐田を破り、2年連続のリーグ年間優勝を果たす。

2002年、リーグ戦は絶好調の磐田を止められず3連覇を逃したが、ヤマザキナビスコカップは決勝で初タイトルを狙った浦和レッドダイヤモンズを1-0で下し優勝。なお、2002 FIFAワールドカップで鹿島から日本代表に秋田豊・鈴木隆行・柳沢敦・中田浩二小笠原満男曽ヶ端準の6人(クラブ別では最多)が選出された。鈴木は初戦のベルギー戦でゴールを決め、鹿島所属として初のW杯得点者となった。大会終了後にはジーコが日本代表監督に就任し、テクニカルディレクターを辞任した。また、鈴木はKRCヘンクベルギー1部リーグ)へ移籍するなど話題性は高まったが、その一方で観客動員数が前年度を下回り、Jリーグ観戦の「地元離れ」問題がクローズアップされ始めた。

2003年 - 2006年

2003年ではA3チャンピオンズカップ初代王者を獲得。柳沢敦イタリアサンプドリアへ期限付きで移籍(2005年にFCメッシーナへ完全移籍)した。ヤマザキナビスコカップは決勝で浦和に0-4で敗退、連覇はならなかった。

2004年は1stステージ5位、2ndステージ4位に終わった。J1が1ステージ制に移行した2005年は開幕ダッシュに成功。一時は2位に勝ち点差10以上をつけたが、中盤に入るとガンバ大阪や浦和、ジェフ千葉、セレッソ大阪に追いつかれ、優勝の可能性が残っていた最終節では勝利したものの、結局3位でシーズンを終えた。なお、2004年・2005年ともにヤマザキナビスコカップや天皇杯も獲得できず。中田浩二フランスマルセイユに移籍した。2005年シーズンの終了後、6年に渡り監督を務めたトニーニョ・セレーゾが勇退した。

2006年は、サンパウロFC元監督のパウロ・アウトゥオリが監督に就任。更に柳沢敦が復帰、高卒ルーキーのサイドバック内田篤人の活躍などがあったが、シーズン途中に大黒柱だった小笠原満男FCメッシーナイタリア)へ翌年6月までの期限付きで移籍、リーグ戦での成績は伸び悩んだ。一方でヤマザキナビスコカップでは3年ぶりに決勝に進出したが、10冠がかかった決勝で千葉に敗戦した。天皇杯では、同年限りで引退を表明した本田泰人を優勝で送り出そうとするも準決勝で浦和に敗れた。結局、パウロ・アウトゥオリは1年で監督を退任した。なお、2006 FIFAワールドカップ日本代表に小笠原満男と柳沢敦が選出された。

2007年

2007年は、コリンチャンスやサンパウロFCなどで監督を歴任したオズワルド・オリヴェイラ(ブラジル)が監督に就任。プレシーズンマッチでチームの司令塔を務める野沢拓也が負傷し、リーグ戦開幕から5試合勝ち星がなく第6節(4月14日、横浜FC戦)でリーグ戦シーズン初勝利とスタートダッシュに失敗したがその後は復調し、5月12日の磐田戦でJリーグ史上最速の公式戦通算400勝、6月16日のサンフレッチェ広島戦でホームゲーム通算500得点、8月12日のヴァンフォーレ甲府戦でJリーグチーム史上最速のリーグ戦通算900得点、11月24日の浦和戦でJリーグ史上最速となるリーグ戦通算300勝を達成。7月3日には期限付き移籍が終了した小笠原満男が復帰。

リーグ戦は最大で首位との勝点差が11まで離れていたが、33節で「勝てば優勝」の首位浦和を相手にしてアウェイで1-0で勝利し勝ち点1差の2位に肉薄。最終節で清水を3-0で下すと同時に浦和が横浜FCに敗れたため、6年ぶりのリーグ優勝を獲得した。またこの同時にクラブの悲願だった「10冠」を達成した。25節から34節までVゴール廃止後J史上最多となる9連勝、最終節まで1度も首位に立たなかったチームが最終節で逆転優勝したのもJリーグ史上初めての記録である。1シーズン制でのリーグ戦通算22勝はチーム最多勝となった。

ヤマザキナビスコカップは準決勝でG大阪に1勝1敗ながらアウェーゴール数の差で敗退した。

天皇杯は、決勝でサンフレッチェ広島と対戦し2-0で勝利。自身2度目となるリーグ戦との2冠を達成した[1]。1月9日、鹿嶋市から11冠達成を称え、特別功労賞を贈られ、2月1日には茨城県から県民栄誉賞(2000年度以来2度目)を授与された。

なお、7月29日には前年に引退した本田泰人の引退試合が、1993年のJリーグチャンピオンシップの出場メンバーを中心にした「鹿島アントラーズ1993対ヴェルディ1993」としてカシマサッカースタジアムで開催され、鹿島アントラーズ1993が4-2で勝利した。

2008年

2008年、ゼロックス・スーパーカップはJ2チームとしては初出場の広島と対戦し、2点をリードするも終了間際に追いつかれ、PK戦の末に敗れた。リーグ戦は開幕から連勝を重ね、5月17日、カシマサッカースタジアムでの柏レイソルとのリーグ戦で、公式戦最多の21試合無敗記録を達成。6月25日、大分トリニータ戦でダニーロの得点で、カシマサッカースタジアムでのリーグ通算500得点を記録。7月13日、スイスFCバーゼルでプレーしていた中田浩二FC東京戦で復帰。10月1日、大宮アルディージャ戦でマルキーニョスが、チーム最多のリーグ戦7試合連続得点達成。12月6日コンサドーレ札幌を1-0で下し、1シーズン制導入後初めてとなるJリーグ2連覇を達成。この年のリーグ戦でマルキーニョスが、鹿島初のJリーグ得点王を獲得(21得点)。

AFCチャンピオンズリーグ2008では、日本のクラブチームでACLグループリーグ最多得点となる6戦合計28得点をあげてクラブ初の決勝トーナメント進出を決め、ベスト8。

9月20日のアウェー・柏レイソル戦(日立柏サッカー場)において、フリーキックにそなえるアレックスに鹿島サポーターが巨大フラッグで威嚇し、その旗竿がぶつかるという事件が発生した。Jリーグは「鹿島サポーターに禁止行為である最前列での大旗の使用を制止する措置を講ずることができず、選手等の安全を確保できなかった」として、主催クラブの柏に制裁金200万円を科した。また鹿島側にも、主幹クラブへの協力が不足していたことを理由として100万円の制裁金が科された。[2]

2009年

2009年は、第87回全国高等学校サッカー選手権大会で大会新記録の10ゴールを挙げた鹿児島城西高等学校大迫勇也、鹿島では史上初となるブラジル人以外の外国籍選手である、韓国人のパク・チュホを獲得した。 また、2月1日にクラブへ貢献した選手などに対する殿堂として第1回アントラーズ功労賞が発表された。また同日に功労者である秋田の引退試合が行われた。同月28日に富士ゼロックス・スーパーカップのタイトルをかけてG大阪と対戦、3-0で勝利し10年ぶり4回目の優勝を果たした。

3月7日にホームのカシマサッカースタジアムで浦和との開幕戦に2-0で勝利し、ホームでは6年ぶりの勝利を飾り3連覇への好スタートを切ったが、夏場から秋口にかけての後半戦序盤は90分以内では初の5連敗を喫するも、終盤戦に野沢らの活躍で、Jリーグ発足史上初の3連覇を達成した。

尚、2009年リーグ戦での出来事や達成された記録などは以下の通り。

  • 4月29日 - ヴィッセル神戸戦での岩政大樹の得点で、Jリーグ史上最速のリーグ通算1000得点と、クラブ歴代DF最多リーグ戦通算得点(21得点)達成。
  • 5月2日 - 小笠原満男が千葉戦で、鹿島最多のリーグシーズン最多連続得点(11シーズン)を記録。
  • 7月25日 - 柏レイソルとのリーグ戦で、Jリーグ最多のリーグ無敗記録(17試合)達成。
  • 9月12日 - 川崎フロンターレとのリーグ戦で、カシマサッカースタジアムでは試合中のピッチコンディション不良でサスペンデッドゲームとなり、後日(10月6日)に同所で再試合が開催された(試合は2-3で川崎フロンターレが勝利)。
  • 10月17日 - 小澤英明が磐田戦で、J1リーグ最多ベンチ登録記録(252試合)を達成。
  • 11月8日 - モンテディオ山形とのリーグ戦で、J1,J2通じて史上初めて相手チームのシュートを0本に押さえる。

AFCチャンピオンズリーグ2009は2年連続決勝トーナメント進出を決めたが、ラウンド16で韓国のFCソウルにPK戦の末敗れ、ベスト16での敗退となった。

2010年

補強としては、広島から佐藤昭大新潟でプレーしたジウトンポルト・アレグレからレンタル移籍で、京都からイ・ジョンスブラジル2部リーグポルトゲーザからフェリペ・ガブリエルを完全移籍で獲得し、ユースから八木直生が昇格、レンタル移籍で移籍していた鈴木修人湘南)、船山祐二C大阪)が復帰した。

2月27日、富士ゼロックス・スーパーカップ史上初同一クラブ2度目の2連覇を目指してG大阪と対戦し、PK戦による勝利で5度目の優勝となった。

開幕戦(3月6日)はカシマスタジアムで前年度と同じく浦和と対戦し、昨季と同スコアで勝利した。失点数や敗戦はリーグで最少だったものの、引き分けが12と勝ち切れない試合の多さが響きリーグ4連覇を逃し、順位もACL獲得圏外の4位で終了した。尚、2010年シーズンのリーグ戦で記録されたのは以下のとおり。

  • 4月24日 - マルキーニョス横浜F・マリノス戦で、史上5人目となるリーグ通算100得点を達成。
  • 7月27日 - マルキーニョスが新潟戦で、クラブ歴代外国人選手リーグ戦最多通算得点(53得点)達成。
  • 9月18日 - マルキーニョスが大宮アルディージャ戦で、自身のリーグ戦初ハットトリックを達成。

6月に行われた2010 FIFAワールドカップの日本代表に内田篤人岩政大樹韓国代表にイ・ジョンスが選出され、イ・ジョンスは本大会で2得点を記録。7月には、内田篤人ドイツシャルケ04イ・ジョンスカタールアル・サッドに移籍した。

AFCチャンピオンズリーグ2010は日本クラブ史上初となるグループリーグ6戦全勝で最多の勝ち点18(それまでは2007年に川崎の勝ち点16)を挙げて3年連続の決勝トーナメント進出をするも、ラウンド16で前回王者の浦項スティーラースに敗れ、2年連続ベスト16での敗退となった。

天皇杯では清水を2-1で破り、3大会ぶり4度目の優勝。この優勝により、Jリーグ発足後史上初の4季連続国内三大タイトル獲得を成し遂げ、リーグ戦では獲得できなかった、ACL出場権も獲得した。 このシーズンをもって長年、鹿島のDFを支えた大岩剛が現役を引退した。

2011年

クラブ創立20周年を迎える2011年は、青森山田高校から柴崎岳米子北高校から昌子源関西大第一高校から梅鉢貴秀を獲得。鹿島ユースから土居聖真が昇格。補強として札幌から昨年新潟にレンタル移籍していた西大伍を、ウニオン・レイリアからカルロンを、千葉からアレックスを、清水から本田拓也を完全移籍で、山形にレンタル移籍していた田代有三増田誓志が復帰、レンタル移籍だった佐藤昭大が完全移籍、クラブ初となるアマチュアからの選手でブラジルのCFZ・ド・リオから父親がチームOBのアルシンドであるイゴールをC契約で獲得した。一方で、笠井健太ジウトンと契約を結ばず、マルキーニョス船山祐二(山形)、大道広幸岡山)が完全移籍、川俣慎一郎仙台)、川島大地(山形)、宮崎智彦横浜FC)、鈴木修人栃木SC)、佐々木竜太湘南)がレンタル移籍で放出するなど選手の入れ替わりがあった。

また、7月に伊野波雅彦クロアチアハイデュク・スプリトに完全移籍、カルロンがヌーシャテル・ザマックスにレンタル移籍(その後SCブラガへレンタル移籍)したが、フルミネンセFCからタルタをレンタル移籍で獲得した。

2月26日の富士ゼロックス・スーパーカップで名古屋と対戦。PK戦の末、準優勝に終わり、同大会2度目の3連覇とはならなかった[3]

2011年シーズンのリーグ戦では、8月13日の仙台戦で曽ヶ端準がリーグ戦個人通算100完封。同月28日の福岡戦で岩政大樹の得点がJ1、J2クラブ史上初の本拠地リーグ戦通算600得点。9月24日の浦和戦で、カシマサッカースタジアムにおけるリーグ戦通算100完封達成。

3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響でリーグ戦の第2節から第6節が延期となり、4月23日の第7節から再開された。また、スタジアムやクラブハウスなどの施設が被害を受けたことなどもあり[4]、3月15日から27日までチームの活動を休止していた[5]。その後、東日本大震災復興支援として水戸ホーリーホックや茨城県サッカー協会と共同で「WITH HOPEプロジェクト」を立ち上げ、茨城県の復興支援活動を開始。6月4日にはカシマサッカースタジアムで「震災復興チャリティーイベント SMILE AGAIN〜YELL FROM KASHIMA〜」が開催された。

4年連続で出場となったAFCチャンピオンズリーグ2011は、グループリーグ無敗で3年連続ラウンド16進出をするもFCソウルに敗れ、3年連続ベスト16での敗退となった。

ヤマザキナビスコカップでは史上最多の7度目の決勝進出。決勝での同チーム同士では大会最多タイの3度目となる浦和レッズと対戦、延長に大迫勇也の得点で、1-0で勝利し、9年ぶり4度目の優勝を飾り、国内三大タイトルを5年続けて獲得したのは史上初。

12月5日、国内3大大会でクラブ最多となる6タイトルをもたらしたオズワルド・オリヴェイラ監督の退任を発表。また杉山哲が退団した。

所属選手

ジーコが所属していたこともあり、ブラジルのサッカー界とも強いパイプを持つ。Jリーグが開幕した1993年以降、所属した外国籍選手は「アジア人枠」を利用して獲得した韓国パク・チュホ(2009年)、イ・ジョンス(2010年)以外は全員ブラジル人選手である。ジョルジーニョレオナルドベベットなど、サッカー王国ブラジルでも代表をして活躍するなど一線級に値する選手たちが過去に鹿島でプレーした。

一方で、他のJリーグクラブからの日本人移籍獲得選手数(復帰を除く)が極端に少ない。

代表選手

これまで数多くの日本代表選手を輩出している。

アントラーズ功労賞

クラブの発展に貢献した選手、監督を顕彰するために設けられた賞である。カシマサッカーミュージアムの中にある「THE HALL OF LEGEND」にて記念される。現役選手および鹿島で在任中のスタッフは選考から外される。

Pos.受賞年受賞者
監督 2009年宮本征勝トニーニョ・セレーゾ
2011年 オズワルド・オリヴェイラ
DF 2009年秋田豊相馬直樹名良橋晃
MF 2009年ジーコジョルジーニョビスマルク本田泰人
FW 2009年長谷川祥之黒崎久志

成績と歴代監督

国内3大タイトル(Jリーグ年間ナビスコカップ天皇杯)とスーパーカップの獲得回数は全て最多である。リーグ戦においては、二桁順位でシーズンを終えたことがない唯一のクラブである。

国内3大大会成績
Jリーグ ディビジョン1 Jリーグカップ 天皇杯全日本サッカー選手権大会
順位回数年度成績回数年度成績回数年度
優勝71996, 1998, 2000, 2001, 2007, 2008, 2009 優勝41997, 2000, 2002, 2011 優勝41997, 2000, 2007, 2010
2位21993, 1997 準優勝31999, 2003, 2006 準優勝21993, 2002
3位21994, 2005 ベスト4 41992, 1998, 2001, 2007 ベスト4 41995, 1998, 2003, 2006
4位 22002, 2010 ベスト8 42004, 2008, 2009, 2010 ベスト8 61992, 1996, 2001, 2004, 2005, 2009
5位 12003 1回戦敗退 11994 ベスト16 31999, 2008, 2011
6位 32004, 2006, 2011 予選敗退 31993, 1996, 2005 1回戦敗退 11994
7位 11995
9位 11999

監督

前述の外国籍選手と同様、外国籍監督もブラジル人監督であり、ジーコの兄であるエドゥーや、ジーコと共にブラジル代表の「黄金の中盤(黄金のカルテット)」として活躍した一人であるトニーニョ・セレーゾなど、ブラジル国内でも実績を上げた名将監督が数々このチームを指揮を執っている。また初代の監督である宮本征勝が1994年監督退任後、このチームで指揮した日本人正監督は一人もおらず、すべてブラジル人監督を招聘している。

鹿島アントラーズ歴代監督
監督 期間 J
/
J1




X
S
C

C
W
C
A
C
L
A
3
C


備考
ファイル:Flag of Japan.svg 宮本征勝1992年 - 1994年6月0000000000
ファイル:Flag of Brazil.svg エドゥー1994年6月 - 1995年0000000000
ファイル:Flag of Brazil.svg ジョアン・カルロス1996年 - 1998年7月1112500005
ファイル:Flag of Japan.svg 関塚隆1998年7月、1999年8月0000000000監督代行
ファイル:Flag of Brazil.svg ゼ・マリオ1998年8月 - 1999年8月0001100001
ファイル:Flag of Brazil.svg ジーコ1999年8月 - 12月0000000000監督代行
ファイル:Flag of Brazil.svg トニーニョ・セレーゾ2000年 - 2005年2210500116
ファイル:Flag of Brazil.svg パウロ・アウトゥオリ2006年0000000000
ファイル:Flag of Brazil.svg オズワルド・オリヴェイラ2007年 - 2011年 3122800008

国際試合

2011年現在AFCチャンピオンズリーグ(ACL)に5回出場(アジアクラブ選手権アジアカップウィナーズ選手権を含めると9回出場)し、最高成績は2008年のベスト8である。これまでに国際大会で獲得したタイトルは2003年のA3チャンピオンズカップのみで、ACLでは4年連続トーナメント1回戦(2008年はベスト8、2009年以降はベスト16)で敗退するなど、国内での実績に比べると国際大会の成績は芳しくないのが現状である。

対戦通算成績と得失点

国際試合一覧

  • ACL決勝トーナメントでPK戦となった試合は引き分け扱い。

ダービーマッチ

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

表彰

Jリーグ
ナビスコ杯

その他受賞

クラブ記録

クラブ通算記録

公式戦通算勝利数
通算勝利試合備考
初勝利 1992年9月5日 ナビスコカップ第1節 対横浜フリューゲルス(笠松)
400勝 2007年5月12日 J1第11節 対ジュビロ磐田(カシマ)リーグ最速達成
リーグ戦通算勝利数
通算勝利試合備考
初勝利 1993年5月16日 サントリー第1節 対名古屋グランパスエイト(カシマ)
100勝 1997年4月12日 1st第1節 対ヴィッセル神戸(カシマ)
200勝 2001年11月17日 1st第14節 対東京ヴェルディ1969(カシマ)リーグ最速達成
300勝 2007年11月24日 第33節 対浦和レッドダイヤモンズ(埼玉)リーグ最速達成
リーグ戦通算得点
通算得点試合得点者備考
初得点 1993年5月16日 サントリー第1節 対名古屋グランパスエイト(カシマ)ファイル:Flag of Brazil.svg ジーコ
100得点 1994年5月18日 サントリー第17節 対名古屋グランパスエイト(カシマ)ファイル:Flag of Brazil.svg サントス
200得点 1995年8月16日 ニコス第2節 対ジュビロ磐田(磐田)ファイル:Flag of Japan.svg 黒崎比差支
300得点 1996年10月30日 第27節 対ジュビロ磐田(カシマ)ファイル:Flag of Brazil.svg マジーニョ
400得点 1998年4月11日 1st第5節 対柏レイソル(国立)ファイル:Flag of Japan.svg 眞中靖夫
500得点 1999年9月23日 2nd第10節 対ジェフユナイテッド市原(国立)ファイル:Flag of Japan.svg 長谷川祥之リーグ最速達成
600得点 2001年9月29日 2nd第7節 対名古屋グランパスエイト(カシマ)ファイル:Flag of Japan.svg 中田浩二リーグ最速達成
700得点 2003年10月18日 2nd第10節 対清水エスパルス(カシマ)ファイル:Flag of Japan.svg 相馬直樹リーグ最速達成
800得点 2005年10月1日 第26節 対ジェフユナイテッド千葉(カシマ)ファイル:Flag of Brazil.svg アレックス・ミネイロリーグ最速達成
900得点 2007年8月12日 第19節 対ヴァンフォーレ甲府(小瀬)ファイル:Flag of Japan.svg 野沢拓也リーグ最速達成
1000得点 2009年4月29日 第8節 対ヴィッセル神戸(カシマ)ファイル:Flag of Japan.svg 岩政大樹リーグ最速達成
1100得点 2011年5月21日 第12節 対浦和レッドダイヤモンズ(埼玉)ファイル:Flag of Japan.svg 増田誓志リーグ最速達成

連勝記録

リーグ戦連勝記録
1993年 - 2002年(延長戦およびPK戦による勝利を含む)
連勝期間備考
16連勝 1998年 2nd第5節 対アビスパ福岡(博多球) - 1999年 1st第3節 対サンフレッチェ広島(カシマ)リーグ最高記録(2010年時点)
2003年 - (延長Vゴール方式廃止以降)
連勝期間備考
14連勝 2007年 第26節 対アルビレックス新潟(カシマ) - 2008年 第5節 対ジェフユナイテッド千葉(カシマ)リーグ最高記録(2010年時点)
リーグ戦年間連勝記録
1993年 - 2002年(延長戦およびPK戦による勝利を含む)
連勝期間
13連勝 1998年2nd第5節 対アビスパ福岡(博多球) - 第17節 対ヴィッセル神戸(カシマ)
2003年 - (延長Vゴール方式廃止以降)
連勝期間
9連勝 2007年第26節 対アルビレックス新潟(カシマ) - 第34節 対清水エスパルス(カシマ)

無敗記録

リーグ戦無敗記録
無敗期間備考
17試合 2009年 J1第3節 サンフレッチェ広島(カシマ) - 2009年 J1第19節 対柏レイソル(カシマ)リーグ最高記録(2010年時点)

無連敗記録

公式戦無連敗記録
無連敗期間
75試合 2007年3月17日 J1第3節 対ジェフユナイテッド千葉(フクアリ) - 2009年3月11日 ACL2009第1節 対水原三星ブルーウィングス(水原)

最多得点試合

リーグ戦最多得点試合
スコア試合
7 - 2 2005年8月24日 第20節 対アルビレックス新潟(カシマ)
7 - 0 1997年8月9日 2nd第4節 対名古屋グランパスエイト(カシマ)
公式戦最多得点試合
スコア試合
16 - 0 1999年10月23日 アジアクラブ選手権2回戦 対バレンシア(ひたちなか)

最多失点試合

リーグ戦・公式戦最多失点試合
スコア試合
0 - 7 1995年5月3日 1st第13節 対ベルマーレ平塚(平塚)

最少被シュート数

リーグ戦最多得点試合
被シュート数スコア試合備考
0本 2 - 02009年11月8日 第31節 対モンテディオ山形(カシマ)リーグ初記録

個人記録

ハットトリック

4得点
3得点

リーグ戦最年少得点

リーグ戦連続得点

リーグ戦シーズン連続得点

リーグ戦シーズン最多得点

出場記録

2011年12月3日時点。他チームでの出場やユース登録時の出場を含む。

公式戦通算最多出場
リーグ戦

最多得点

公式戦
リーグ戦
ナビスコ杯
天皇杯
スーパーカップ
国際大会

観客動員記録

ファイル:Kashima Soccer Stadium 3.jpg
カシマサッカースタジアム
最多観客動員試合(ホーム)
  • 茨城県立カシマサッカースタジアム
    • 39,684人 - 2003年7月5日 1stステージ第11節 対ジュビロ磐田(2002年 一部改修後)
      • 40,115人 - 2001年12月8日 チャンピオンシップ第2戦 対ジュビロ磐田(2001年 改修後)
      • 16,944人 - 1998年11月14日 2nd第17節 対ヴィッセル神戸(2001年 改修前)
  • 国立霞ヶ丘競技場
    • 51,575人 - 1999年5月5日 1stステージ第11節 対ジュビロ磐田
通算観客動員記録(リーグ戦ホームゲーム)
  • 500万人達成 - 2009年7月25日 第19節 対柏レイソル
年度別観客動員記録(リーグ戦ホームゲーム)
年度合計
動員数
最多動員数 最少動員数 平均
動員数
試合数ホーム試合会場
動員数試合日対戦会場動員数試合日対戦会場
1993252,291 15,7776月23日(水)V川崎カシマ 9,4035月19日(水)横浜Fカシマ 14,01618カシマ:18
1994369,86250,7248月20日(土)清水国立13,7344月9日(土)G大阪16,81222カシマ:21, 国立:1
1995497,66550,09310月14日(土)名古屋15,1443月25日(土)広島19,14126カシマ:22, 国立:3, 金沢:1
1996230,78916,23411月6日(水)名古屋カシマ10,6434月20日(土)浦和秋田15,38615カシマ:14, 秋田:1
1997271,76531,0835月3日(土)国立15,1769月24日(水)市原カシマ16,98516カシマ:15, 国立:1
1998260,86616,94411月14日(土)神戸カシマ13,8244月15日(水)G大阪15,34517カシマ:17
1999255,74151,5755月5日(水)磐田国立6,9945月19日(水)国立17,04915カシマ:7, 国立:6, 富山:1, 金沢:1
2000262,60350,39911月26日(日)7,02411月18日(土)広島鳥取17,50715カシマ:8, 国立:4, 富山:1, 福井:1, 鳥取:1
2001336,37743,6374月29日(日)浦和6,03710月17日(水)C大阪カシマ22,42515カシマ:11, 国立:4
2002323,85534,0119月7日(土)磐田カシマ11,8579月18日(水)京都21,59015カシマ:15
2003318,06439,6847月5日(土)磐田14,0458月30日(土)大分21,20415カシマ:15
2004263,77731,96510月23日(土)浦和8,4744月14日(水)新潟17,58515カシマ:15
2005316,89735,4679月3日(土)浦和7,0764月13日(水)大宮18,64117カシマ:17
2006262,36534,2368月19日(土)浦和7,4277月19日(水)川崎15,43317カシマ:17
2007276,05836,1464月29日(日)浦和8,03610月27日(土)大分16,23917カシマ:17
2008335,14036,4127月27日(土)浦和6,72510月1日(水)大宮19,71417カシマ:17
2009367,48637,8783月7日(土)浦和14,4734月29日(水)神戸21,61717カシマ:17
2010356,43035,2513月6日(土)浦和9,4727月14日(水)湘南20,96617カシマ:17
2011274,65525,0619月24日(土)浦和7,8106月15日(水)甲府16,15617カシマ:16, 国立:1
合計5,832,686 18,095323カシマ:296 / 国立:20 / 地方:7

ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd) 白×グレー グレー
GK(1st) 銀×黒
GK(2nd)
GK(3rd) 深緑 深緑 深緑

ユニフォームカラー

  • ディープレッド
  • グレー

ユニフォームデザイン

  • ユニフォームデザインは基本的に2年に1回変更している(翌年が創立記念の場合、1年でデザイン変更)。
  • 2011年は創立20周年モデルとして、1stモデルはチームの象徴でもある鹿が戦う際に枝角を下す姿と鹿島灘の波形を表現している。パンツの色もこれまでの紺からディープレッドに変更した。2ndモデルは白を基本にグレーを配色している。
    • ユニフォームの右袖には、ホームタウン5市をあしらったホームタウンマークをつけ、背番号の下に名前が入る。
    • エンブレムの裏側とネック裏には、ジーコが強く説いてきた「TRABALHO(献身)」「LEALDADE(誠実)」「RESPEITO(尊重)」の文字が入っている。

ユニフォームについて

  • 1995年のリーグ戦用2ndモデルには、シャツ・シルバー、パンツ・紺、ストッキング・シルバーを採用したが、諸事情により数戦使用しただけで、シャツ・パンツ・ストッキングをすべて白に変更している。(変更後しばらくは、1993・1994年に使用した2ndモデルを使用していた。)
  • 2006年から2007年は、2ndモデルはグレーを使用していた。
  • 2008年から2009年は、リーグ初となった横縞(ディープレッドと紺)を使用した。
  • 2009年はゴールド色の3rdユニフォームをACLナビスコ杯、リーグ戦の対川崎フロンターレ戦(アウェイ戦)で使用した。

ユニフォームの星

  • 2007シーズンに10冠(国内3大大会のタイトル数)を達成し、2008年シーズンより、左胸のエンブレム上に大きな星1つ(10タイトル分)がついた。11冠目以降の星は、従来の左袖につく。

チャンピオンエンブレム

リーグチャンピオンエンブレム
  • 前年度のリーグチャンピオンチームには、日本サッカー協会のシンボルであるヤタガラスにJのマークがついたエンブレムを右袖につける。
  • 2009シーズンからヤタガラスのエンブレムに代わり、金色のJマークをつけている。
天皇杯チャンピオンエンブレム
  • 天皇杯を制したチームにはEのマークがついたエンブレムをつける。
  • 2009年大会からリーグチャンピオン同様ヤタガラスのエンブレムを辞め、天皇杯のみ天皇杯エンブレムをつけている。
2冠チャンピオンエンブレム
  • リーグと天皇杯の2冠を制したチーム[1]には、☆マークがついたエンブレムをつける(Jリーグ発足後初は2000年度に達成した鹿島)。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所スポンサー名表記掲出年備考
LIXILLIXIL2011年 - 2010年まではトステム
背中イエローハットYellow Hat1999年 - 1995年 - 1998年までは袖
住友金属工業SUMITOMO METALS2000年 -
パンツ商船三井商船三井2009年 -

ユニフォームサプライの遍歴

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1992----ennerre
1993----Mizuno/ennerre
1994--TOSTEM-
1995-Yellow Hat-
1996TOSTEM--
1997--UMBRO/ennerre
1998--ennerre
1999-Yellow Hat-
2000SUMITOMO
METALS
-
2001-
2002-NIKE
2003-
2004-
2005プロミス
2006
2007
2008-
2009商船三井
2010
2011LIXIL
  • AFCチャンピオンズリーグでは規定によりスポンサーが1社のみなので、2010年までは胸スポンサーの「TOSTEM」、2011年からは「LIXIL」のみになる。
  • 胸スポンサーのトステムが2011年4月にLIXILに統合されるため、2011年より「TOSTEM」から「LIXIL」に変更。
  • 1992年から1995年まで、胸にはスポンサーの代わりに「Antlers」のロゴが入る。

スポンサー

オフィシャルスポンサー

企業 本社 備考
ファイル:Flag of Japan.svg LIXIL 東京都江東区
ファイル:Flag of Japan.svg イエローハット 東京都中央区
ファイル:Flag of Japan.svg 商船三井 東京都港区
ファイル:Flag of Japan.svg ナイキ 東京都品川区 日本ではナイキジャパン
ファイル:Flag of Japan.svg サントリー 大阪府大阪市
ファイル:Flag of Japan.svg 昭和産業 東京都千代田区
ファイル:Flag of Japan.svg 常陽銀行 茨城県水戸市
ファイル:Flag of Japan.svg 関包スチール 大阪府大阪市
ファイル:Flag of Japan.svg 常総開発工業 茨城県神栖市
ファイル:Flag of Japan.svg 茨城トヨペット 茨城県水戸市
ファイル:Flag of Japan.svg 住友商事 東京都中央区
ファイル:Flag of Japan.svg 住友金属工業 大阪府大阪市

アドボードスポンサー

  • 筑波都市整備
  • 斉丸土地
  • アイデックス
  • ミナト
  • サン・トックス
  • ワコースチール
  • 鹿島都市開発

サプライヤー

  • 石上ファーム
  • セキネネオン
  • エア・テクノロジーズ
  • AVIX
  • ポラール
  • ケーイージー
  • PROTEA JAPAN

カシマサッカースタジアム

スタジアムDJ・選手入場曲

SUCESSO(スセッソ)はポルトガル語で「成功」。米米CLUBのシングル「俺色にそまれ」のカップリング曲。

広告看板

  • ホームゲームにおける広告看板(ゴール裏)は1995年以後、部分的に回転ロール盤を使用している。当初はゴール裏の内側部分だけだったが、1999年以後は外側(スタンドとピッチの中間。カシマサッカースタジアム開催分は客席の最前列)の部分にも使用している。試合時間帯に応じてアントラーズのスポンサーの広告を切り替えて表示している。

LED帯状映像装置

  • 日本のサッカースタジアムでは初となる、アジアでは最長(全長500m)のLED帯状映像装置が2階スタンド最前部の壁面にほぼ1周設置されている[7][8]
  • カラー広告の表示やスタメン発表、他会場の途中経過、緊急時の避難誘導などに使用される。

アカデミー

地域人口の少なさという非常に大きなハンデがあり、ユース・ジュニアユースとも強豪とは言えず、曽ヶ端準野沢拓也以降はトップチームに定着する選手を輩出出来ていない。しかし、鹿島学園との提携やつくばジュニアユースの新設など、大きな経営努力が払われている。

アカデミー構成

年代カテゴリ
第2種
(高校生)
ユース
鹿島アントラーズユース
鹿嶋
第3種
(中学生)
ジュニアユース
鹿島アントラーズつくばジュニアユース
つくば
鹿島アントラーズジュニアユース
(鹿嶋)
鹿島アントラーズノルテジュニアユース
日立
第4種
(小学生)
ジュニア
鹿島アントラーズジュニア
(鹿嶋)
鹿島アントラーズつくばジュニア
(つくば)
クリニック スペシャルコース
水海道校
常総
つくば校
(つくば)
玉造校
行方
内原校
水戸
鹿島校
(鹿嶋)
神栖校
神栖
ひたちなか校
ひたちなか
日立校
(日立)
高萩校
高萩
第4種
以下
クリニックコース
下妻校
下妻
水海道校
(常総)
つくば校
(つくば)
美浦校
美浦
玉造校
(行方)
常陸大宮校
常陸大宮
鹿島校
(鹿嶋)
神栖校
(神栖)
内原校
(水戸)
東庄校
東庄
ひたちなか校
(ひたちなか)
日立校
(日立)
高萩校
(高萩)

つくばアカデミーセンター

つくば市につくばジュニアユース、つくばジュニア、クリニックコースの練習場としてつくばアカデミーセンターがある。

ユース

1992年に活動を開始した。練習場はアントラーズクラブハウスグラウンド住友金属総合グラウンド鹿島学園と提携するなど力を入れている。曽ヶ端準野沢拓也らはユース出身である。ユース出身の選手は、鹿島アントラーズの選手一覧の下部組織出身者を参考のこと。熊谷浩二市川友也などがコーチを努めている。高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグに所属している。

ジュニアユース

鹿島、ノルテ、つくばの3チームで構成されている。ノルテは茨城県の県北地域を中心に、つくばは県南地域を中心に活動を展開している。Jリーグ U-13Jリーグ U-14には、鹿島、ノルテ、つくばの全チームが参加している。

鹿島ジュニアユース

1992年に活動を開始した。練習場はアントラーズクラブハウスグラウンド住友金属総合グラウンド関東ユース (U-15)サッカーリーグの1部リーグに所属している。

ノルテジュニアユース

1999年に日立市を中心拠点として活動を開始した。茨城県の県北地域の生徒で構成されている。関東ユース (U-15)サッカーリーグの1部リーグに所属している。

つくばジュニアユース

2008年につくば市を中心拠点として活動を開始した。練習場はつくばアカデミーセンター。茨城県の県南地域の生徒で構成されている。IFA (U-15)リーグ(県リーグ)の1部リーグに所属している。

ジュニア

鹿島とつくばの2チームで構成されている。近年は、海外遠征なども積極的に実施している。

鹿島ジュニア

監督は中村幸聖が努めている。練習場はアントラーズクラブハウスグラウンド住友金属総合グラウンド。近年は全日本少年サッカー大会全日本少年フットサル大会といった全国大会でも好成績を挙げている。

主な大会成績

つくばジュニア

2007年につくば市を中心拠点として活動を開始した。練習場はつくばアカデミーセンター。茨城県の県南地域の生徒で構成されている。

クリニックコース

幼稚園生・小学生・中学生・女子を対象としたサッカースクール(クリニックコース)を茨城県内に12校、千葉県に2校開校している。

地域貢献活動

ノンフットボールビジネス

2006年、カシマサッカースタジアムの指定管理者になり、健康事業を目的としたスポーツプラザ「カシマウェルネスプラザ」の運営や茨城大学との提携などによるスタジアムの利活用の推進にも取り組んでいる。

フレンドリータウン

ホームタウンの5市(鹿嶋神栖潮来鉾田行方)のほかにクラブ独自でフレンドリータウンとして、ホームタウン周辺の市町村を対象に年1回ホームゲームへの市民招待やスタジアムでのイベントの開催、クリニックコース(サッカースクール)を開校するなど活動を展開している。

地域交流

  • 2007年から2008年にかけて、ホームタウンの5市(鹿嶋神栖潮来鉾田行方)にある小学校全校を選手が訪問した。
  • 毎年10月に鹿嶋市で開催される「鹿嶋まつり」や鹿島神宮での節分祭など、地域イベントに選手やチームスタッフらが参加している。

環境活動

  • 2006年12月2日のジュビロ磐田戦では、カシマサッカースタジアムで使用する電力にグリーン電力(風力発電太陽光発電)を利用して開催された[9]
  • 2009年5月10日の清水エスパルス戦で、来場客から回収した食用油を精製し、チームトラックの燃料に活用する取り組みが行われた。また、この取り組みが第3回クールビズ・オブ・ザ・イヤーで「クールビズ・アース2009」を受賞した[10]

メディア

試合中継

テレビ中継
ラジオ中継
  • エフエムかしま
    • FM KASHIMA EXCITING SPORTS(試合開始30分前 - 試合終了後)
  • 茨城放送
  • 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
    • LIVEアントラーズ - カシマサッカースタジアムで開催されるホームゲームの音声実況中継をインターネット配信

公式番組

テレビ

応援番組

テレビ
ラジオ

その他

インターネット
  • 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
    • メンバーズルーム - 有料会員制
  • アントラーズモバイル
    • あんとランド - 動画配信
インターネットでのメディア展開はオフィシャルサイトのみで、チーム公式および選手個人の公式ブログTwitterなどは運営されていない[11]
クラブとしてブログなどの開設を禁止しているわけではないが、開設に当たり、個人情報の扱い方に関して、また、用字・用語の書き方などの講習を受け、最低限の知識を得てからでないと開設ができないという決まりを設けている[12]
新聞・情報誌

その他

提携クラブ

キャンプ地

春季キャンプは1998年より宮崎県宮崎市宮崎県総合運動公園陸上競技場で行われている。また、1993年はイタリア、1994年は沖縄県1995年から1997年まではブラジルで行われた。夏季キャンプは福島県双葉郡楢葉町Jヴィレッジを使用して行われる。

クラブショップ

クラブマスコット

スローガン

年度スローガン
1998CHALLENGE
1999NEXT
2000Glory Again - 原点からの挑戦 -
2001- 勝利主義 Antlersism - FOR NEXT 10 YEARS
2002- 進化 Antlersism - STAIRWAY TO THE WORLD
2003OVER'03 - カシマからアジア、そして世界へ -
2004FOOTBALL DREAM 2004 - 奪冠10 -
2005FOOTBALL DREAM 2005 - 反撃宣言 -
2006FOOTBALL DREAM 2006 - 一新制覇 -
2007FOOTBALL DREAM'07 - 魂 Spirits -
2008FOOTBALL DREAM 2008 - DESAFIO 挑戦 -
2009FOOTBALL DREAM 2009 - PROGRESSO 飛躍 -
2010FOOTBALL DREAM 2010 - Evolucao 新化 -
2011FOOTBALL DREAM NEXT

サポーター・ファンクラブ

ファンクラブ

「SOCIOメンバー」、「MEGAメンバー」、「フリークスメンバー」、「ファミリーメンバー」の4種類がある。その中でも「フリークスメンバー」が一般的な会員カテゴリで、会員数が最も多い。特典として月刊アントラーズフリークスの送付やホームゲームチケットの先行割引販売、グッズの割引販売、グッズ・チケットの購入時やホームゲーム来場時などに付与されるポイントシステムなどがある。

サポーター

IN.FIGHTという1991年の創設から鹿島サポーターの中心として活動を続けているサポーター集団がある。浦和レッドダイヤモンズのサポーター集団などと並んで熱狂的な応援を続けていることで知られる[13]。2000年代以降、ゴール裏では世代交代が進み、応援に対する意識も変化を見せていると言われるが、「ゴール裏から発信される声援で選手や監督を後押しし、試合全体の流れを変えるくらいの気迫で応援する」との基本的な姿勢は変わらないという。

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b 現在、リーグと天皇杯の2冠を達成したのは鹿島(2000年、2007年)と浦和(2006年)のみ。
  2. ^ 鹿島サポーターの危険行為で柏に制裁金 2011年2月27日閲覧。
  3. ^ Jリーグ公式記録
  4. ^ 3カ月程度かかる 鹿島 メド立たないスタジアム修復 スポーツニッポン 2011年3月16日
  5. ^ トップチームの活動休止に関して 鹿島アントラーズオフィシャルサイト 2011年3月15日
  6. ^ a b 2002-03年度にアジアクラブ選手権、アジアカップウィナーズカップ、アジアスーパーカップが統合され、AFCチャンピオンズリーグとなった。
  7. ^ カシマサッカースタジアム・LED帯状映像装置 - 鹿島アントラーズオフィシャルサイト(動画で実際に使用されている様子が見ることができる)
  8. ^ ホームタウンレポート〔鹿島〕アジア初の約500メートル帯状映像装置お披露目 - Jリーグ公式サイト 百年構想
  9. ^ 日本初グリーン電力100%で開催されるJ1マッチのお知らせ 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
  10. ^ アントラーズ・エコプログラムがクールビズ・アース2009を受賞 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
  11. ^ 厳密に言えば、佐藤昭大が鹿島移籍前にブログを開設しており現在も存在するが、鹿島移籍後は更新を休止している。
  12. ^ 鹿島アントラーズ携帯公式サイト「毎日更新ミニ情報」2010年12月27日掲載「完全移籍しました」2011年1月26日閲覧
  13. ^ 清尾淳『浦和レッズの快感 すきにならずにいられない』あすとろ出版、1998年、22頁

関連項目

外部リンク