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黒い霧事件 (日本プロ野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本プロ野球における黒い霧事件(くろいきりじけん)は、1969年から1971年にかけて発生した八百長を巡る騒動である。

目次

概要

日本野球連盟は八百長に関与したとされた選手たちに対して、野球協約第355条が規定する敗退行為に該当するとして、永久出場停止(追放)や長期間の出場停止、年俸減額などの処分を下した。

選手の一部はオートレースの八百長事件にも関与しており、こちらではオートレース選手19名が逮捕されている。また、広瀬登喜夫冤罪によって逮捕された。

事件の経緯

  • 1969年 報知新聞西鉄ライオンズ担当記者が、西鉄野手のカール・ボレスから「チームメイトにわざと失策する選手がいる」という話を聞き、調査を開始。その結果報知が八百長の疑惑を抱く。報知は読売新聞の社会部と組んでさらに調査を開始する[1]
  • 1970年
    • 4月1日 永易と週刊ポスト記者による独占インタビューの録音テープがフジテレビの深夜番組「テレビナイトショー」で放送される。その中で永易は「他にも敗退行為(八百長)をした選手がいる」と暴露し、それを行ったのではないかと疑われた西鉄の6人の選手を公表。投手の池永正明与田順欣益田昭雄捕手村上公康内野手船田和英基満男がそれであり、後日コミッショナー委員会は永易を含む7人に事情聴取を実施。
    • 4月22日 オートレース競走(レース)中の違反で送検されたオートレース選手が「プロ野球選手がオートレースの八百長に参加した疑いがある」と自供。
    • 4月23日 小型自動車競走法違反の容疑で前年、中日ドラゴンズを引退した元西鉄投手の田中勉、元大洋ホエールズ投手の高山勲、元・暴力団森岡組準組員の藤縄洋孝が逮捕される。
    • 5月6日 オートレースの八百長に参加した罪で中日のエース・小川健太郎が逮捕される。
    • 5月9日 敗退行為に関わった疑いのある選手として東映フライヤーズ田中調森安敏明の両投手の名前が公表される。
    • 5月14日 近鉄バファローズ球団職員の山崎晃が、1967年のシーズンに八百長を強要されたことが報道される。
    • 5月19日 阪神タイガース内野手の葛城隆雄がオートレースの八百長容疑で逮捕。
    • 5月25日 コミッショナー委員会は西鉄の6人の当該選手について以下の処分を下す。
      • 池永、与田、益田の3人の投手は永久追放処分。理由は、与田と益田については敗退行為を認めたため。池永については本人が否定したものの、敗退行為の勧誘に際して受け取った100万円の返却を怠り、また野球機構に通報しなかった事がプロ野球協約第179条違反となった。
      • 村上と船田は1970年11月30日まで、試合を含む完全野球活動禁止処分。
      • 基は厳重注意処分。
    • 6月から7月にかけて、コミッショナー委員会裁定が発表される。
      • 6月3日 中日・小川を永久追放。
      • 6月15日 近鉄球団職員・山崎を永久追放。
      • 6月18日 阪神・葛城に出場停止3ヶ月。
      • 7月30日 東映・森安を永久追放、田中に厳重戒告。
    • 同時期に、次の不祥事とその処分がある。
      • 6月17日 ヤクルトアトムズの捕手・加藤俊夫が自動車の無免許運転で逮捕される。翌6月18日、ヤクルトは無期限出場停止の処分を課す(後に自由契約となり1年のブランクの後東映で現役復帰)。
      • 7月1日 近鉄外野手土井正博が賭博の疑いで書類送検され、後日パ・リーグ会長より出場停止1ヶ月の処分が課される。
    • 9月8日 ヤクルト内野手・桑田武がオートレース八百長の疑いで逮捕され、後日コミッショナー委員会は出場停止3ヶ月を決定する(永久追放にはならなかったがこれが致命傷となりその年現役を引退)。
    • 11月30日 阪神投手・江夏豊が「野球賭博の常習者との交流をしていた」という理由で、セ・リーグ会長から戒告処分を受ける。
  • 1971年
    • 1月11日 南海ホークス投手・三浦清弘がチームメイトの投手・佐藤公博から敗退行為の誘いを受けてその報告を怠ったとして戒告処分とする。
    • 1月29日 大洋コーチ・鈴木隆、投手・坂井勝二が暴力団とのかかわりを持った疑惑が持たれていたことから球団から同日付で1軍の出場無期限禁止と減俸処分を課される。
    • 2月15日 ロッテ投手・成田文男が野球賭博の常習者である暴力団と交流していた疑いで、球団から1ヶ月間の謹慎を言い渡される。
    • また、上記以外にも巨人コーチ・藤田元司1969年の総選挙において暴力団と共に選挙応援を行っていた事、当時副業として経営していた会社で発生した人事トラブルを解決するために暴力団員を雇っていた事等が問題となり、球団から1ヶ月間の謹慎を言い渡されている[2]

関係者の処分

名前球団位置罪状処分備考
永易将之西鉄投手敗退行為の実行永久追放処分 
池永正明西鉄投手敗退行為の依頼を受け現金受理永久追放処分35年後の2005年に処分解除、球界復帰。
与田順欣西鉄投手敗退行為の実行と勧誘永久追放処分 
益田昭雄西鉄投手敗退行為の実行と勧誘永久追放処分 
小川健太郎中日投手オートレース八百長に参加永久追放処分 
森安敏明東映投手敗退行為の依頼を受け現金受理永久追放処分 
村上公康西鉄捕手敗退行為の勧誘を受け、報告せず1年間の野球活動禁止これが決定打となりトレード。
船田和英西鉄内野手敗退行為の勧誘を受け、報告せず1年間の野球活動禁止これが決定打となりトレード。
葛城隆雄阪神内野手オートレース八百長に参加3ヶ月の出場停止これが決定打となり引退。
桑田武ヤクルト内野手オートレース八百長に参加3ヶ月の出場停止これが決定打となり引退。
土井正博近鉄外野手単純賭博(八百長とは無関係)1ヶ月の出場停止 
成田文男ロッテ投手野球賭博疑惑のある暴力団と交流1ヶ月の謹慎処分 
坂井勝二大洋投手暴力団と交流無期限出場停止と減給処分処分を受けた1971年中に復帰し、同年のセ・リーグ最高勝率投手に。
江夏豊阪神投手野球賭博疑惑のある暴力団と交流戒告処分 
三浦清弘南海投手敗退行為の勧誘を受け報告せず戒告処分 
田中調東映投手敗退行為の勧誘を受け報告せず厳重戒告処分 
基満男西鉄内野手敗退行為の勧誘を受け報告せず厳重注意処分 
高山勲大洋投手オートレース八百長に参加、勧誘(事実上の永久追放処分)引退後に逮捕。これにより事実上の永久追放処分。
田中勉中日投手オートレース八百長に参加、勧誘(事実上の永久追放処分)引退後に逮捕。これにより事実上の永久追放処分。
佐藤公博南海投手オートレース八百長に参加、勧誘(事実上の永久追放処分)暴力団が送り込んだヒットマンによって殺されたと噂されたが、生存が確認された。
しかし事実上の永久追放処分に。

事件の影響

永久追放者を出した西鉄・中日は戦力の低下が見られた。特に西鉄のそれは著しく、1970年から72年と3年連続最下位、観客動員も激減して球団経営が完全に行き詰まり、1972年シーズン終了後に身売りされることになった。同時にパ・リーグの人気も下降することになった[1][3]

黒い霧事件の余波で甚大な被害を被った人物に、オートレース選手の広瀬登喜夫がいる。当時オート界随一のスター選手として全盛期であった1970年10月に逮捕され、その事でオートレース界を追われ、30代前半という選手として最も充実する筈の時期を4年半以上に渡って裁判闘争に費やす羽目になった。冤罪であったとして控訴審で無罪判決を得てこれが確定し、オートレース選手としてようやく復帰がかなったのは1975年10月、逮捕から実に丸々5年を費やした。

1980年代に入ると青田昇が野球賭博に関与していたと報道されている。

処分解除の動き

池永らの永久追放処分解除を求める運動は、稲尾和久豊田泰光尾崎将司ら西鉄の関係者や池永の親族が中心となって処分直後から継続して行われてきた。池永は2001年にはプロ野球マスターズリーグにも参加するなど、元選手たちは池永を受け入れていたが、処分は解除されないまま、30年を超える長い年月が過ぎた。

ようやく2005年3月1日のコミッショナー実行委員会および同年3月16日のオーナー会議の席で、不正行為とその処分について定めたプロ野球協約第177条の改正が提案・承認され、復帰申請による球界復帰の道が開かれた。

永久追放者は処分発効から15年、また無期限出場停止者に対しても5年を経過した選手について、本人からの申請があり、かつ善行を保持して改悛の情が顕著な者とコミッショナーが判断した場合に球界復帰を認める

日本プロ野球協約 改正第177条第2項(本項を追加)

これにより池永は復帰申請を行い、2005年4月25日に復権を果たした。

池永が八百長行為自体を行った可能性は極めて低いこともあり、黒い霧の選手に対する一連の処分、特に池永に対する処分に疑問を呈する声も多く、復権した池永は今日において、「幻の300勝投手」ともよばれている[4]

脚注

  1. ^ a b c これらの経緯から、事件が読売によって仕組まれた陰謀とする見方が存在する。「純パの会」会長の宮田親平は1990年代に『週刊ベースボール』のコーナー「熱球フリークお立ち台」で「私は(プロ野球)黒い霧事件は今でも読売の陰謀だと思っている」と発言している。また、高校時代に巨人のスカウトを断って敢えて西鉄に入団した池永への処分が過剰に重く、池永の処分解除も、読売巨人軍オーナー・渡邉恒雄の「機構はいつまで彼(池永)を永久追放にしてるんだ」という問題提起によってやっと現実味を帯びてきたこともこの見方を強める根拠となる。さらには、当時パ・リーグ球団に在籍しその後巨人に移籍した某選手(彼も八百長の疑いをかけられていたにもかかわらず何ら処分が下されなかった)が、池永の処分解除に対して猛烈に反対していたことは、「巨人の威を借り生き延びた者が、自らのスケープゴードの復権に過剰な拒絶反応をしている」ような印象を与える。なお、某選手の前所属球団の同僚は無実を主張したまま復権できずに他界している。また、某選手は公の場では復権に反対していた一方、個人的には池永の経営していたスナックに客として度々訪れ、交友を持っていたという。
  2. ^ 藤田はこの後、2軍コーチ、球団スカウトを経て1974年に巨人を退団した。
  3. ^ また、この事件が東映の身売り(その後日拓→日本ハム)やロッテの本拠地である東京スタジアムの閉鎖(宮城球場を暫定的な本拠地とした後、1978年川崎球場へ移転)へとつながったという人もいる
  4. ^ 「幻の300勝投手・池永正明~永久追放は正しかったか~/蕪木和夫」(銀星出版社)

関連項目

外部リンク