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ACミラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ACミラン
原語表記 Associazione Calcio Milan s.p.a
愛称 Rossoneri
クラブカラー 赤と黒
創設年 1899年
所属リーグ セリエA
ホームタウン ミラノ
ホームスタジアム サン・シーロ
収容人数 85,847
代表者 (空位)[1]
監督 ファイル:Flag of Italy.svg マッシミリアーノ・アッレグリ
公式サイト 公式サイト
テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ

ACミランAssociazione Calcio Milan s.p.a)は、イタリアミラノを本拠地とするサッカークラブチーム。

目次

概要

イタリアのみならず世界でも有数のビッグクラブである。クラブカラーからロッソ・ネロイタリア語で「赤と黒」、複数形でロッソ・ネリとも)またはディアボロ(イタリア語で「悪魔」)の愛称で呼ばれる。サポーターのことをミラニスタという。

同じ街の同じスタジアムを本拠地とするインテルとは永遠のライバル関係にあり、ミラノダービーと呼ばれる対戦は街を二分する盛り上がりを見せる。インテルのファンがブルジョワ階級と呼ばれる富裕層であるのと比較して、ACミランのファン層は労働者階級を中心であるとされていたが、現在では特別に隔たった支持層は無く、お互いに広い層から支持を集めている。

UEFAチャンピオンズリーグでは過去7度の優勝を果たしており、これはレアル・マドリードの9度に次ぐ歴代2位の記録である。また、この記録はイタリア国内でUEFAチャンピオンズリーグを制覇した経験のある他の2チームの記録(インテルは3度、ユヴェントスは2度)を大きく引き離している。なお、チャンピオンズリーグで5度の優勝、或いは3連覇を達成したクラブにはビッグイヤー(優勝杯)の永久保持が認められているが、同時にビッグイヤーのロゴと優勝回数が書かれたワッペンをユニフォーム左袖につけることが許される。このワッペンをつけているのはACミランの他に、レアル・マドリードリヴァプールFCアヤックス・アムステルダムバイエルン・ミュンヘンの4クラブのみである。2010年、アメリカの経済誌『フォーブス』が算定したACミランの資産価値は8億ドル(約700億円)であり、イタリアのクラブでは第1位、世界では第7位となっている[2]

歴史

1899年12月16日にミラノ在住のイギリス人アルフレッド・エドワーズが中心となって、「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」(Milan Cricket and Football Club)を創設し、その後上記の通り「ミラン・アッソチアツィオーネ・カルチョ」と名称は変更されたがMilanだけは英語のまま残った。(イタリア語ではMilanoである)。クラブ名のうちアッソチアツィオーネAssociazioneは英語のAssociationつまり協会ではなく、法人という意味で、Associazione Calcioはサッカー法人となる。つまり全体では「ミランサッカー法人」が正しい訳語となる。Milanが英語であるため、ACの部分がAthletic Clubだと誤解される場合が多い。

ファイル:Gre-No-Li.jpg
グレ・ノ・リトリオ

1950年代〜1960年代

1907年のスクデット獲得以来目立ったタイトルを得ることができなかったミランであるが、1949年にロンドンオリンピック優勝メンバーであるグンナー・グレングンナー・ノルダールニルス・リードホルムを獲得。この3人はそれぞれの名前から「グレ・ノ・リ」トリオと称された。1951年にスクデット、ラテン・カップで優勝すると、1955年、1957年、1959年にもリーグ優勝し、1956年には再びラテンカップを獲得した。

1961年にネレオ・ロッコが監督に就任すると、初シーズンからスクデットを獲得。ジャンニ・リベラジョゼ・アルタフィーニらを擁したチームを率いて1963年にはUEFAチャンピオンズカップ初優勝を果たした。しかし、エレニオ・エレーラ率いるインテルの好調などもあって、次にタイトルを獲得するのは1967年のコッパ・イタリア初優勝まで待たなければならなかった。

低迷期

1979-80シーズンのホームでのラツィオ戦が八百長の疑いで調査が行われ、セリエBへ降格処分となった。当時クラブ会長であったフェリーチェ・コロンボは永久追放となった。この処分により1980-81シーズンはセリエBでのシーズンとなったが、優勝して1年でセリエAに復帰した。しかし、セリエAに復帰した翌1981-82シーズンはわずか7勝という成績で再びセリエBへ降格となった。 再びセリエBでプレーすることとなったが、1982-83シーズンは優勝してまたも1年でセリエAに復帰した。

ベルルスコーニの登場

その後、後にイタリア首相を務めるシルヴィオ・ベルルスコーニが1986年にクラブを買収して会長に就任した。ベルルスコーニは有力選手を大補強し、クラブを立て直した。当時はほぼ無名だったが、後にこのチームでサッカーに革命を起こすことになるアリゴ・サッキパルマから監督として招き入れた。そして、ベルルスコーニが会長に就任して2シーズン目、サッキが指揮を執って1シーズン目の1987-88シーズンには2敗という成績でスクデットを獲得した。また、ベルルスコーニは1987年には当時の史上最高額移籍金でルート・フリットPSVから獲得、マルコ・ファン・バステンアヤックスから獲得し、1988年にはフランク・ライカールトサラゴサから獲得した。

黄金期

サッキが採用した高い位置でプレッシャーをかけてボールを奪うというプレッシングサッカー戦術とキャプテンのフランコ・バレージや、ルート・フリットマルコ・ファン・バステンフランク・ライカールトオランダトリオなどの選手の活躍もあり、1988-1989シーズン、1989-1990シーズンにかけてUEFAチャンピオンズカップを2連覇した。1990-1991年のUEFAチャンピオンズカップ準々決勝のオリンピック・マルセイユ戦で、マルセイユが1-0でリードしていた88分にスタジアムの照明が消灯し、照明復帰後もACミランが試合の続行を拒否したため没収試合となった。この結果ACミランは1年間ヨーロッパの大会から締め出されることとなった。

1990年代になると、バレージの他にもパオロ・マルディーニアレッサンドロ・コスタクルタデメトリオ・アルベルティーニの3人が中心になり、1991年から監督となったファビオ・カペッロのもとで、無敗優勝を含む1991-1992シーズンから1993-1994シーズンにかけてのセリエA3連覇や1992-1993シーズンから1994-1995シーズンにかけてのUEFAチャンピオンズリーグ3季連続決勝進出(1993-1994シーズンは優勝)などの成績を残し、「グランデ・ミラン」(偉大なミラン)や「リ・インヴィンチービリ」(無敵のミラン)と呼ばれる黄金期を築いた。バレージを含めたこの4人は、ミラン栄光のバンディエラ(イタリア語で「旗印」の意。そのクラブで長くキャリアを送ったシンボル的なプレーヤーを指す)ともいわれる。

最強神話崩壊と過渡期

ファビオ・カペッロレアル・マドリードへ去ると、1996-1997シーズンは優勝争いから脱落し、その責任を取るかたちでオスカル・ワシントン・タバレスが解任され、かつて栄光を築いたアリゴ・サッキが監督に復帰した。このシーズンは、主力選手の高齢化が顕著で、特にバレージの衰えは象徴的といえるものであった。そこにサッキの監督就任が追い打ちをかける形となり、この低迷から抜け出せなかった。1997-1998シーズンには1年でレアル・マドリードの監督を解任されたカペッロを連れ戻すが、大きな効果は得られなかった。1998-1999シーズンは、監督にウディネーゼで旋風を起こしたアルベルト・ザッケローニを招聘し、1997-1998シーズンのセリエA得点王であるオリバー・ビアホフトーマス・ヘルヴェグを獲得。序盤こそ苦戦していたが、アルベルティーニ、コスタクルタ、マルディーニ、ボランら栄光を知る主力選手がチームを牽引して、終盤に勝ち点でSSラツィオを逆転して悲願のスクデットを獲得した。しかし、その後は1999年夏の移籍市場でアンドリー・シェフチェンコの獲得に成功した以外は目立った出来事はなく、2000-2001シーズン途中でザッケローニは解任された。

アンチェロッティ監督時代

2001-02シーズンも中位に低迷していたが、シーズン途中でカルロ・アンチェロッティが監督に就任し、最終的にはセリエAを4位で終える。2002-03シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグ優勝とコッパ・イタリア優勝の2冠を達成。2003年夏の移籍市場ではカカカフーらを獲得し、シーズン開幕前にはUEFAスーパーカップを制覇。2003年12月のインターコンチネンタルカップでは南米代表のボカ・ジュニアーズにPK戦の末敗れたものの、最終的に2003-04シーズンは2位のASローマに勝ち点11の大差をつけてのセリエA優勝を果たした。

2004-05シーズンは開幕前にスーペルコッパ・イタリアーナを制したものの、セリエAでは2位に終わり、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でリヴァプールFCと対戦し敗れた。この敗戦はイスタンブールの悲劇とも呼ばれる。2005-06シーズンは4季ぶりの無冠に終わったばかりか、シーズン終了後に発覚したカルチョ・スキャンダルによって、「2005-06シーズンのリーグ戦での勝ち点-44」、「2006-07シーズンのセリエAを勝ち点-15からの開始」という処分がイタリアサッカー協会のスポーツ裁判所によって下された。控訴審では処分が軽減され、最終的に2005-06シーズンの勝ち点は58となり、3位扱いとしてUEFAチャンピオンズリーグ出場が決まったほか、2006-07シーズンのセリエAは勝ち点-8からの開始となった。

ファイル:Milan - Chievo 04-2006 1.jpg
ミランのサポーター

2006-07シーズンは当初は低迷するも、2007年冬の移籍市場でレアル・マドリードからロナウドを獲得し、最終的にセリエAでは4位、UEFAチャンピオンズリーグでは優勝を果たした。2007-08シーズンはシーズン開幕前にUEFAスーパーカップを制覇し、2007年12月にはFIFAクラブワールドカップ2007に出場。決勝戦で南米代表のボカ・ジュニアーズを破り欧州代表としては初の同大会優勝を成し遂げた。しかし、UEFAチャンピオンズリーグではベスト16、セリエAでも5位に終わり、7季振りにUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃した。2008年夏の移籍市場ではマチュー・フラミニジャンルカ・ザンブロッタロナウジーニョらを獲得。更に、2009年冬の移籍市場ではロサンゼルス・ギャラクシーからデビッド・ベッカムをシーズン終了(当初は同年3月9日)までの期限付き移籍で獲得した。しかし、2008-09シーズンはセリエAでは3位、UEFAカップはラウンド32に終わった。シーズン終了後、主将のパオロ・マルディーニが現役を引退。また、2009年6月1日にアンチェロッティは監督を辞任した。

レオナルド/アッレグリ監督時代

2009-10シーズンはレオナルドが監督に就任。しかし、2009年夏の移籍市場ではカカレアル・マドリードに放出した。シーズン開幕後、しばらくは低迷するが、「4-2-ファンタジー」とも称される攻撃的な4-3-3の布陣を採用し最終的にはセリエAで3位に終わるも、シーズン終了と共にレオナルドは監督を退任した。

2010年6月、前カリアリ・カルチョ監督のマッシミリアーノ・アッレグリが監督に就任。同年夏の移籍市場ではズラタン・イブラヒモビッチロビーニョらを獲得。2011年冬の移籍市場ではアントニオ・カッサーノマルク・ファン・ボメルらを獲得し、ロナウジーニョCRフラメンゴへ放出した。2010-11シーズンは7季振りとなるセリエA優勝を果たした。

ユニフォーム

ホームユニフォームは赤黒の縦じま。ただしUEFAチャンピオンズリーグインターコンチネンタルカップ等の決勝では上下白のセカンドを希望して着用することが多い。チャンピオンズリーグ7回の優勝のうち6回を白のセカンドユニフォームで勝ち取っている。また、選手支給スーツはドルチェ・ガッバーナから提供される。

胸スポンサー

  • オペル (1990年代-2000年頃)- ドイツの自動車メーカー。ユニフォーム表記は「OPEL」
  • オペル・ザフィーラ(1994~96頃)- オペル社の車名。ユニフォーム表記は「オペル社のロゴの下にZAFIRA」
  • Bwin (2000年頃~09-10シーズン)- オーストリアのオンラインサービス提供企業。ミランのユニフォームの代名詞でもあった。
  • エミレーツ航空(10-11シーズン~)- アラブ首長国連邦の航空会社。契約金は5年総額約6000万ユーロ[3]。ユニフォーム表記は「Fly Emirates」

タイトル

国内タイトル

1901, 1906, 1907, 1950-51, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1967-68, 1978-79,
1987-88, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04, 2010-11
1980-81, 1982-83
1966-67, 1971-72, 1972-73, 1976-77, 2002-03
1988, 1992, 1993, 1994, 2004, 2011

国際タイトル

2007
1969, 1989, 1990
1962-63, 1968-69, 1988-89, 1989-90, 1993-94, 2002-03, 2006-07
1967-68, 1972-73
1989, 1990, 1994, 2003, 2007
1951, 1956
1982

過去の成績

シーズン セリエA コッパ UEFACL EL
(旧UEFAカップ
CWC
(旧トヨタカップ
1987-1988 1位 30 17 11 2 43 14 ベスト16 2回戦
1988-1989 3位 34 16 14 4 61 25 ベスト16 優勝
1989-1990 2位 34 22 5 7 56 27 準優勝 優勝 優勝
1990-1991 2位 34 18 10 6 46 19 ベスト8 ベスト8 優勝
1991-1992 1位 34 22 12 0 74 21 ベスト4
1992-1993 1位 34 18 14 2 65 32 ベスト4 準優勝
1993-1994 1位 34 19 12 3 36 15 ベスト32 優勝 準優勝
1994-1995 4位 34 17 9 8 53 32 ベスト16 準優勝 準優勝
1995-1996 1位 34 21 10 3 60 24 ベスト8 ベスト8
1996-1997 11位 34 11 10 13 43 45 ベスト8 グループリーグ
1997-1998 10位 34 11 11 12 37 43 準優勝
1998-1999 1位 34 20 10 4 59 34 ベスト16
1999-2000 3位 34 16 13 5 65 40 ベスト8 1次リーグ
2000-2001 6位 34 12 13 9 56 46 ベスト4 2次リーグ
2001-2002 4位 34 14 13 7 47 33 ベスト4 ベスト4
2002-2003 3位 34 18 7 9 55 30 優勝 優勝
2003-2004 1位 34 25 7 2 65 24 ベスト4 ベスト8 準優勝
2004-2005 2位 38 23 10 5 63 28 ベスト8 準優勝
2005-2006 2位→3位[4] 38 28 4 6 81 31 ベスト8 ベスト4
2006-2007 4位 38 19 12 7 57 36 ベスト4 優勝
2007-2008 5位 38 18 10 10 66 38 ベスト16 ベスト16 優勝
2008-2009 3位 38 22 8 8 70 35 ベスト16 ベスト32
2009-2010 3位 38 20 10 8 60 39 ベスト8 ベスト16
2010-2011 1位 38 24 10 4 65 24 ベスト4 ベスト16

現所属メンバー

フォーメーション

<4-3-1-2> 2011-12シーズン 基本スターティングメンバー

No. Pos. 選手名
1 ファイル:Flag of Italy.svg GK マルコ・アメリア
2 ファイル:Flag of Nigeria.svg DF タイエ・タイウォ
4 ファイル:Flag of the Netherlands.svg MF マルク・ファン・ボメル
5 ファイル:Flag of France.svg DF フィリップ・メクセス
7 ファイル:Flag of Brazil.svg FW アレシャンドレ・パト
8 ファイル:Flag of Italy.svg MF ジェンナーロ・ガットゥーゾ副主将
9 ファイル:Flag of Italy.svg FW フィリッポ・インザーギ
10 ファイル:Flag of the Netherlands.svg MF クラレンス・セードルフ
11 ファイル:Flag of Sweden.svg FW ズラタン・イブラヒモビッチ (ファイル:Flag of Bosnia and Herzegovina.svg)
13 ファイル:Flag of Italy.svg DF アレッサンドロ・ネスタ
16 ファイル:Flag of France.svg MF マチュー・フラミニ
18 ファイル:Flag of Italy.svg MF アルベルト・アクイラーニ
19 ファイル:Flag of Italy.svg DF ジャンルカ・ザンブロッタ
20 ファイル:Flag of Italy.svg DF イグナツィオ・アバテ
22 ファイル:Flag of Italy.svg MF アントニオ・ノチェリーノ
No. Pos. 選手名
23 ファイル:Flag of Italy.svg MF マッシモ・アンブロジーニ主将 ファイル:Captain sports.svg
25 ファイル:Flag of Italy.svg DF ダニエレ・ボネーラ
27 ファイル:Flag of Ghana.svg MF ケヴィン=プリンス・ボアテング (ファイル:Flag of Germany.svg)
28 ファイル:Flag of the Netherlands.svg DF ウルビー・エマヌエルソン (ファイル:Flag of Suriname.svg)
30 ファイル:Flag of Italy.svg GK フラヴィオ・ローマ
32 ファイル:Flag of Italy.svg GK クリスティアン・アッビアーティ
33 ファイル:Flag of Brazil.svg DF チアゴ・シウヴァ
52 ファイル:Flag of Italy.svg DF マッティア・デ・シリオ
57 ファイル:Flag of Italy.svg MF マッティア・ヴァローティ
70 ファイル:Flag of Brazil.svg FW ロビーニョ (ファイル:Flag of Spain.svg)
76 ファイル:Flag of Colombia.svg DF マリオ・ジェペス (ファイル:Flag of France.svg)
77 ファイル:Flag of Italy.svg DF ルカ・アントニーニ
92 ファイル:Flag of Italy.svg FW ステファン・エル・シャーラウィ (ファイル:Flag of Egypt.svg)
99 ファイル:Flag of Italy.svg FW アントニオ・カッサーノ

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

ローン移籍選手

in
No. Pos. 選手名
out
No. Pos. 選手名
ファイル:Flag of Italy.svg GK フェルディナンド・コッポラ (トリノ、2012年6月まで)
ファイル:Flag of Spain.svg DF ディダク・ビラ (エスパニョール、2012年6月まで)
ファイル:Flag of Italy.svg DF ミケランジェロ・アルベルタッツィ (ヘタフェ、2012年6月まで)
ファイル:Flag of Sierra Leone.svg MF ロドニー・ストラッサー (レッチェ、2012年6月まで)
ファイル:Flag of Italy.svg MF ダヴィデ・ディ・ジェンナーロ (モデナ、2012年6月まで)
ファイル:Flag of Nigeria.svg FW キングスレー・ウムネグム (レナーテ、2011年6月まで)
ファイル:Flag of Gabon.svg FW ピエール=エメリク・オーバメヤン (サンテティエンヌ、2012年6月まで)
No. Pos. 選手名
ファイル:Flag of Ghana.svg FW ドミニク・アディアー (カルシュヤカSK、2011年6月まで)
ファイル:Flag of Nigeria.svg FW ナムディ・オドゥアマディ (トリノ、2012年6月まで)
ファイル:Flag of Italy.svg DF マッシモ・オッド (レッチェ、2012年6月まで)

11/12移籍

プリマヴェーラ

No. Pos. 選手名
ファイル:Flag of Italy.svg GK リカルド・ピシテッリ
ファイル:Flag of Brazil.svg MF ロドリゴ・エリー
ファイル:Flag of Italy.svg MF シモーネ・カルヴァーノ
ファイル:Flag of Portugal.svg DF リカルド・フェレイラ
ファイル:Flag of Italy.svg MF マルコ・フォッサーティ
ファイル:Flag of Italy.svg FW ジャンマリオ・コーミ
ファイル:Flag of Italy.svg GK アルベルト・パレアリ
ファイル:Flag of Italy.svg DF ルーカ・ギリンゲッリ
ファイル:Flag of Italy.svg DF マッティア・デソーレ
No. Pos. 選手名
ファイル:Flag of Italy.svg DF ヴァレリオ・ピロヴァーノ
ファイル:Flag of Italy.svg MF マッテオ・バルビーニ
ファイル:Flag of Italy.svg MF フィリッポ・ローラ
ファイル:Flag of Italy.svg MF ルーカ・ベルトーニ
ファイル:Flag of Ghana.svg MF エドムンド・ホッター
ファイル:Flag of Italy.svg FW レオナルド・マンクーソ
ファイル:Flag of Spain.svg FW アドリア・カルモナ
ファイル:Flag of Italy.svg FW ピエトロ・コリアーティ
ファイル:Flag of Italy.svg FW シモーネ・アンドレア・ガンツ

歴代監督

氏名 国籍 期間
ハーバート・キルピン ファイル:Flag of England.svg イングランド
エンゲルバート・クーニッヒ ファイル:Flag of Austria.svg オーストリア 1928-1931
ヨージェフ・バーナーシュ ファイル:Flag of Hungary.svg ハンガリー 1931-1933
ヨージェフ・ヴィオラ ファイル:Flag of Hungary.svg ハンガリー 1933-1934
アドルフォ・バロンチェーリ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1935-1937
ヨージェフ・バーナーシュ ファイル:Flag of Hungary.svg ハンガリー 1937-1941
マリオ・マグノッティ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1941-1943
ジュゼッペ・サンタゴスティーノ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1943-1945
アドルフォ・バロンチェーリ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1945-1946
ジュゼッペ・ビゴーノ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1946-1949
ラヨス・セズラー ファイル:Flag of Sweden.svg スウェーデン 1949-1952
ベーラ・グットマン ファイル:Flag of Hungary.svg ハンガリー 1953-1955
エクトル・プリチェッリ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1955-1956
ジュゼッペ・ヴィアーニ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1956-1958
ルイジ・ボニッツォーニ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1958-1960
パオロ・トデスキーニ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1960-1961
ネレオ・ロッコ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1961-1963
ルイス・カルニグリア ファイル:Flag of Argentina.svg アルゼンチン 1963-1964
ニルス・リードホルム ファイル:Flag of Sweden.svg スウェーデン 1964-1966
アルトゥーロ・シルベストリ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1966-1967
ネレオ・ロッコ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1967-1974
ジョバンニ・トラパットーニ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1974
グスタボ・ジアニョーニ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1974-1975
ジョバンニ・トラパットーニ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1975-1976
ジュゼッペ・マルキオーロ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1976-1977
ネレオ・ロッコ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1977
ニルス・リードホルム ファイル:Flag of Sweden.svg スウェーデン 1977-1979
マッシモ・ジャコミーニ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1979-1981
ルイジ・ラディーチェ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1981-1982
エリオ・ガルビアーティ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1982
イラリオ・カスタニェル ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1982-1984
エリオ・ガルビアーティ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1984
ニルス・リードホルム ファイル:Flag of Sweden.svg スウェーデン 1984-1987
ファビオ・カペッロ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1987
アリゴ・サッキ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1987-1991
ファビオ・カペッロ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1991-1996
オスカル・タバレス ファイル:Flag of Uruguay.svg ウルグアイ 1996
アリゴ・サッキ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1996-1997
ファビオ・カペッロ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1997-1998
アルベルト・ザッケローニ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 1998-2001
チェーザレ・マルディーニ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 2001
ファティ・テリム ファイル:Flag of Turkey.svg トルコ 2001
カルロ・アンチェロッティ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 2001-2009
レオナルド ファイル:Flag of Brazil.svg ブラジル 2009-2010
マッシミリアーノ・アッレグリ ファイル:Flag of Italy.svg イタリア 2010-

永久欠番

歴代所属選手

太字は現所属選手

GK

DF

MF

FW

関連項目

脚注

  1. ^ 組織図 | AC  Milan
  2. ^ フォーブスの算定によるとACミランの資産価値は8億ドル (2010年4月)
  3. ^ - スポーツマネジメント
  4. ^ 審判指名操作の不正行為により勝点を30減点されたため、最終順位が変更されている。カルチョ・スキャンダルを参照。

外部リンク