DHC COUNTDOWN jp
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| DHC COUNTDOWN jp | |
|---|---|
| ジャンル | 音楽 (J-POP) |
| 放送方式 | 生放送 |
| 放送期間 | 1974年4月 - |
| 放送時間 | 土曜13:00 - 13:55 |
| 放送局 | TOKYO FM |
| ネットワーク | JFN |
| パーソナリティ |
荘口彰久 にしおかすみこ (一覧も参照) |
| 出演 | AKB48(2006年) |
| 提供 | DHC |
| 公式サイト | 公式サイト |
『DHC COUNTDOWN jp』(ディーエイチシー・カウントダウン・ジェイピー)は、TOKYO FMをキーステーションに38局ネットで放送しているランキング形式の音楽番組。2010年4月3日より現在のタイトルに改題された。DHCの一社提供である。
目次 |
概要
邦楽(J-POP)のベスト10を発表する番組。東京・渋谷にあるTOKYO FMスペイン坂スタジオから公開生放送している。
『COUNTDOWN JAPAN』時代の1994年4月から2010年3月まで、土曜日午後1 - 4時のカウントダウン番組集合枠レーベル「カウントダウンステーション」の第1部として放送していた。
番組の歴史
- 1971年(昭和46年)11月 - 『ステレオ歌謡バラエティ』の1コーナーとして、『歌謡&ポップス・ワイド・ベストテン』(かようアンドポップス・ワイド・ベスト・テン)が放送開始。パーソナリティは歌謡曲が宿谷このみ、ポップスがシリア・ポール。これがこの番組の原点である。
- 1974年(昭和49年)4月 - ステレオ歌謡バラエティから独立して、土曜日の午後1時枠に、シャッターの三和シヤッターが冠スポンサーとなり、『三和シヤッター 歌謡曲ベスト・テン』(さんわシャッター かようきょくベスト・テン)として放送開始。パーソナリティは『歌謡&ポップス・ワイド・ベストテン』から山崎唯と宿谷このみが引き継いだ。
- 1975年(昭和50年)4月 - 提供が三和シヤッターから化粧品メーカーの小林コーセー(現:コーセー)に変わり、『コーセー化粧品 歌謡ベスト10』(コーセーけしょうひん かようベストテン)にタイトルを変更。2代目パーソナリティとして作曲家の宮川泰が登場。宮川のパートナーは丸木陽子(FM東京アナウンサー、当時)が担当。
- 1985年(昭和60年)6月 - アシスタントの丸木が急逝。このため、田中美登里(当時FM東京アナウンサー)が代役を務める。
- 1985年(昭和60年)10月5日 - 宮川の新パートナーとして、タレントの相本久美子が登場。
- 1987年(昭和62年)10月3日 - 宮川のパートナーが相本から河野多紀に交代。
- 1989年(平成元年)9月30日 - 宮川がパーソナリティを引退。同じく宮川時代の最後のパートナーだった河野も卒業した。
- 1989年(平成元年)10月7日 - タイトルを『KOSE 歌謡ベスト10』(コーセー かようベストテン)に改題(冠を「コーセー化粧品」から「KOSE」に改め、番組内ジングルなど若干変更)。3代目パーソナリティとして深野義和が登場、パートナーは早坂あきよが務める。
- 1990年(平成2年)10月6日 - 深野のパートナーが早坂あきよから麻木久仁子に交代。
- 1991年(平成3年)9月 - 提供社の小林コーセーが社名を「株式会社コーセー」に変更。
- 1991年(平成3年)10月5日 - 音楽シーンの移り変わりとともに、これまでの『歌謡ベスト10』のタイトルを『KOSE カウントダウン・ジャパン』(コーセー カウントダウン・ジャパン)に改題する。コーセーがスポンサーの時はコーセー製品(化粧品など)のプレゼントコーナーもあったが、ライバルの化粧品メーカーのCMソングはランクインされなかったこともある。
- 1993年(平成5年)6月 - 渋谷にTOKYO FMスペイン坂スタジオがオープン、同スタジオに放送拠点を移行。
- 1994年(平成6年)11月 - 麻木が産休のため降板。新パートナーとして松本ともこ(当時TOKYO FMアナウンサー)が登場。
- 1996年(平成8年)10月5日 - 21年間提供してきたコーセーからコンビニエンスストアのローソンに提供スポンサーが交代、『LAWSON カウントダウン・ジャパン』(ローソン カウントダウン・ジャパン)にタイトルを変更。ローソンの店内放送『LAWSON CSほっとステーション』でも放送されたことがあった。JFN共通ジングルが取り入れられた頃からは店内でも放送。ただし「Your listening to your favorite」のみ流れた。
- 2002年(平成14年)4月6日 - 提供が自動車メーカーのダイハツ工業(トヨタグループ)に変わり、『DAIHATSU カウントダウン・ジャパン』(ダイハツ カウントダウン・ジャパン)となる。[1]なお、ダイハツのスポンサー降板とともに深野、松本が番組を卒業。
- 2003年(平成15年)10月4日 - 4代目パーソナリティとして落合隼亮が登場、パートナーに水木ゆうなを据え、提供社も携帯電話会社のボーダフォン(現: ソフトバンクモバイル)に変わり『Vodafone カウントダウン・ジャパン』(ボーダフォン カウントダウン・ジャパン)に改め、番組内容を大幅にリニューアルするとともに、落合らがミニドラマ仕立てで送るオリジナルCMも番組内で放送されるようになる。またボーダフォン時代は放送終了後に同社のカメラ付き携帯電話で撮った写真が番組公式ホームページに載っていた。
- 2005年(平成17年)4月2日 - 落合のパートナーが水木から遠藤久美子に交代、2006年(平成18年)3月25日まで1年間担当。なお、この日をもって落合も番組を卒業し、ボーダフォンもスポンサーから降板した。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 冠が外れ、『カウントダウン・ジャパン』を統一タイトルとする。5代目パーソナリティとして荘口彰久(元ニッポン放送アナウンサー)と河辺千恵子のコンビが担当。「カウントダウンサポーター」としてAKB48が週替りで3人出演(その後は1 - 2人の週もあった)。4月1日から9月30日までの半年間はスポンサードがなかったため、番組内ではAKB48のCMを放送していた。
- 2006年(平成18年)10月7日 - ランキング集計がこれまでのリクエストに加え、JFN各局のオンエア回数、携帯電話による着メロのダウンロード回数、さらにCDの売り上げポイント、といった4要素からなる集計方式となった。また、AKB48のサポーター出演もそのまま継続しており、新コーナーとしてAKB48のメンバーが今後ランクインが予想される楽曲を紹介する「COUNT DOWN JAPAN NEXT」が新設された。この日から半年間は複数の提供スポンサーがつき、提供交代が続いた。
- 2007年(平成19年)3月31日 - AKB48が番組レギュラーを卒業。「COUNT DOWN JAPAN NEXT」は河辺が紹介することになる。
- 2007年(平成19年)4月7日 - スキンケア事業のDHCが冠スポンサーにつき、1年ぶりに冠スポンサー番組となり、タイトルも『DHC カウントダウン・ジャパン』(ディーエイチシー カウントダウン・ジャパン)となった。
- 2008年(平成20年)4月5日 - 荘口のアシスタントが河辺からタレントの高樹千佳子に交代。その初日の放送で荘口が高樹を紹介する前に高樹が挨拶をする一幕があった。 2008年4月から2010年1月まで出演していたアシスタントの高樹千佳子は“一種独特”のセンスの持ち主であったために、メインの荘口が「高樹千佳子の伝わらないファッションチェック(もしくは伝わりにくい、何を言ってるのか分からないファッションチェックなど、“発案人”である荘口によって毎度名称が変わる)」というコーナーを、ある日突然誕生させた。これは読んで字の如く、ゲストの着ている衣装をリスナーに向けて高樹がピントのずれた“本当に分かりにくい”リポートで伝えるという番組の名物コーナーであった。当初は毎週必ずオンエアされていたが、後にそのゲストや荘口のトークの流れによってオンエアされたりされなかったりとしていた。
- 2009年(平成21年)12月5日 - アシスタントの高樹が椎間板ヘルニアを患い、病気療養のために芸能活動を一時休止すると発表。そのため5日と12日の放送は代役を起用せず荘口のみで番組を進行した。19日より高樹が芸能活動を再開し、当番組にて復帰した。しかしながら翌2010年(平成22年)1月9日には高樹の椎間板ヘルニアが再発、再び出演を見合わせたため荘口のみで番組を進行した。なお、高樹は1月30日の放送をもって番組を降板している。
- 2010年(平成22年)2月6日~3月27日 - アシスタントの高樹千佳子の降板により、2月は高樹の後輩にあたるタレントの皆藤愛子、翌3月は高樹と同じ事務所のフリーアナウンサーである中田有紀がそれぞれ1ヶ月間ずつ担当した。
- 2010年(平成22年)4月3日 - 番組タイトルを『DHC COUNTDOWN jp』に改称。また、荘口の新パートナーに女優の鈴木杏が起用されるなど、番組内容もやや一新されている。なお、5月8日から6月5日までは鈴木が舞台長期公演の為、お笑い芸人のにしおかすみこが代理を担当。
- 2011年3月12日の放送は、前日に発生した東日本大震災の報道特番の為に休止された。3月19日より再開している。また、3月26日を以て鈴木杏が卒業し、4月よりにしおかすみこが担当している。
傾向
「三和シヤッター 歌謡曲ベスト・テン」時代からの特徴として、他のFMのランキング番組と異なり、アイドル歌謡曲が上位にランキングされる傾向がある。第10 - 4位のランクイン曲はフラッシュで紹介されるが、コーナー等の関係で10 - 8、7 - 4位等といった割合で紹介されている(ゲストアーティストの曲のランクインなどによる)。また、以前は全曲ワンコーラスのみを流していたが、近年はゲストトークのコーナーに時間を割くため、その中から注目曲のみをピックアップして流している。
スペイン坂スタジオ以外での公開生放送(番組では「出張公開生放送」と呼んでいる)では、CM中や曲間にフリートークが行われる時がある。ゲストはもちろん、以前のパーソナリティであった荘口と高樹の2人の“オフレコ”トークでも観客を楽しませていた。
1974年の放送開始(三和シヤッター)から2006年3月(ボーダフォン(現ソフトバンクモバイル))、現在のDHC(2007年4月~)まで6社のスポンサーが交代しているが、これらのスポンサーの関係でランクインまたはオンエア出来ない楽曲も出てくるという問題点もある。
特に、化粧品大手のコーセー(歌謡ベスト10→カウントダウン・ジャパン)提供時代は競合化粧品メーカーのCM曲(例: 堀内孝雄「君の瞳は10000ボルト」=資生堂、工藤静香「MUGO・ん…色っぽい」=カネボウ等多数)がランクインすることが出来なかった[2][3]。
また、ボーダフォン提供時代は競合する携帯電話会社のauのCM曲である仲間由紀恵withダウンローズ「恋のダウンロード」等がランクインすることが不可能となっていた[4]。
プレゼント
コーセーがスポンサーだった頃は、同社の化粧品がリクエストはがきの中から抽選でプレゼントされていた。また、現在ではDHCのスキンケア製品の紹介とプレゼントも行われている。1992年に日産・マーチのプレゼントを行ったことがあった[5]が、ダイハツ時代は自動車のプレゼントは行っていなかった。
ジングル
『コーセー歌謡ベストテン』時代のテーマ曲はパーソナリティである宮川泰が作・編曲したが、一部分演奏が失敗した所があると宮川本人が語っていた。『KOSE カウントダウンジャパン』のテーマはかの香織が歌い、『Vodafone カウントダウンジャパン』はLISA(元m-flo)が歌っている(ちなみに現在の番組メインMCである荘口は、このことを2009年10月にLISAが番組ゲストとして出演した際に初めて知ったという)。これまではスポンサーが替わるとジングルもリニューアルされていたが、2006年4月以降ボーダフォンがスポンサーから撤退した後も同じテーマを使用している。但し「ボーダフォン」と歌う部分はカットされていて、DHCが冠スポンサーについてからは、その部分はメロディに乗せずそのまま「DHC」と読み上げる。これは『カウントダウンジャパン』末期まで続いた。
歴代パーソナリティ
男性
- 山崎唯: 1974年4月 - 1975年3月
- 宮川泰: 1975年4月 - 1989年9月
- 深野義和: 1989年10月 - 2003年9月
- 落合隼亮: 2003年10月 - 2006年3月
- 荘口彰久: 2006年4月 - 現在
女性
- 宿谷このみ: 1974年4月 - 1975年3月
- 丸木陽子: 不明 - 1985年5月(本人急逝による)
- 相本久美子: 1985年10月 - 1987年9月
- 河野多紀: 1987年10月 - 1989年9月
- 早坂あきよ: 1989年10月 - 1990年9月
- 麻木久仁子: 1990年10月 - 1994年11月(産休の為降板)
- 松本ともこ: 1994年11月 - 2003年9月
- 水木ゆうな: 2003年10月 - 2005年3月
- 遠藤久美子: 2005年4月 - 2006年3月
- 河辺千恵子: 2006年4月 - 2008年3月
- 高樹千佳子: 2008年4月 - 2010年1月
- 鈴木杏: 2010年4月 - 2011年3月
- にしおかすみこ: 2011年4月 - 現在
ピンチヒッター
- 田中美登里: 1985年6月 - 9月(当時FM東京アナウンサー。丸木陽子の急逝に伴う)
- 中井美穂: 不明(松本ともこ担当時に代打)
- 皆藤愛子: 2010年2月(高樹千佳子降板後の月間パーソナリティ)
- 中田有紀: 2010年3月(カウントダウンジャパン・カウントダウンステーション最末期の月間パーソナリティ)
- にしおかすみこ: 2010年5月8日 - 6月5日、7月10日、11月1日 - 11月13日(鈴木杏の欠席(舞台公演の為)に伴う代打)
- 秋元才加(AKB48)2011年4月2日
年間邦楽チャート第1位獲得曲
毎年の年末恒例として「SUPER GRAND COUNTDOWN」と題し、本番組と午後2時からの洋楽専門番組「コスモ ポップス ベスト10」、そして日曜正午の「au ONAIR MUSIC CHART」と合同で6時間程度の特別番組を放送する(放送日は毎年12月26日~29日等)。本番組では、年間の邦楽チャートをゲストやパーソナリティの2人のトークとともに振り返る。
また、2010年5月3日には「TOKYO FM 40th Anniversary COUNTDOWN jp Special」(トウキョウ エフエム フォーティース アニバーサリー カウンドダウン・ジェイピー スペシャル)と題した特番(11:30~14:55、パーソナリティ:荘口彰久、望月理恵)を放送し、40年間の年間チャート第1位を振り返った。
ここでは「三和シヤッター 歌謡曲ベスト・テン」時代からの年間チャート1位獲得曲を列挙する。
ネット局
全国38局ネット(2011年7月現在)。
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TFM、FM AICHI、FM OSAKA、FM FUKUOKAは1974年の番組開始時からネット。FM沖縄、Air-Radio FM88、Kiss FM KOBEはJFN加盟とともにネット開始された。その他の局は開局時からネットされている。
その他
- 『コーセー化粧品歌謡ベスト10』時代の1985年6月に丸木陽子が急逝した際は、宮川泰が番組内で彼女の訃報を号泣しながら伝えた。
- 『KOSE カウントダウン・ジャパン』時代の1993年12月25日の放送において、第10位(DEEN『永遠をあずけてくれ』) - 第8位(TOSHI『My Treasure』)まで発表した後、麻木久仁子が、逸見政孝死去のニュースを1分程度伝えた。[10]
- 落合隼亮・遠藤久美子のコンビ最終日となった2006年3月25日[11]の放送では、番組冒頭で、4日前に死去した2代目パーソナリティ、宮川泰が出演した在りし日の『歌謡ベスト10』の音声の一部とともに、宮川を追悼するコメントが放送された。
脚注
- ^ ダイハツ工業はそれ以前に金曜夜10時枠で放送されていた『スーパーフライデー DAIHATSUオールジャパンベスト20』(1996年4月-1997年3月)のスポンサーだった(1997年4月以降はVictoriaがスポンサー、1998年10月より『スーパーフライデー DAIHATSUオールジャパンベストコレクション』で再びダイハツがスポンサーとなり、2000年3月終了まで提供)。
- ^ ただし、B'z『LADY NAVIGATION』(カネボウ)など例外もある
- ^ なお、これについては、フジテレビで1990年10月15日深夜に放送された『カノッサの屈辱』第23回「大和化粧品国家の成長と里程」にて取り上げられていた。ちなみに同局系で放送されていた『夜のヒットスタジオ』でも資生堂が提供に入っていた関係で、コーセーを含む競合化粧品メーカーのCM曲を歌わせないことが多かった。
- ^ 当時日曜日に放送していた『au DOWNLOAD MUSIC CHART』にはランクインしていた。
- ^ このときはコーセーの他、日産自動車のCMも流れていた
- ^ a b 元は独立局。
- ^ Kiss FM KOBEは2010年4月付でJFN除名されたが、2010年11月4日に再加盟。
- ^ ちなみにこの日はKiss-FM KOBEのスタジオからの生放送だった。
- ^ 元はAM局の極東放送(本社・浦添市)。
- ^ ちなみにこの日、麻木が司会の生放送番組『TVおじゃマンボウ』(日本テレビ系)でもエンディングで逸見の訃報を伝えている。
- ^ ちなみにこの日はボーダフォン提供の最終日でもあった。
関連項目
- カウントダウンステーション
- コスモ ポップス ベスト10
- TOYOTA WEEKLY ALBUM TOP10
- TOYOTA SUPER WORLD COUNTDOWN
- au DOWNLOAD MUSIC CHART
- au ONAIR MUSIC CHART
- JP TOP20 - ミュージックバードで放送している番組。本番組でランクされた上位20曲をおくる。
外部リンク
| TOKYO FM系 土曜日午後1時(カウントダウンステーション1部) | ||
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| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
不明
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歌謡ベスト10
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