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K-1

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

K-1(ケイワン)は、1993年より開催されているヘビー級を中心としたキックボクシングのイベントである。正道会館石井和義がプロデュースして、「キックボクシング」の名を使わずショーアップしてテレビの電波に乗せ、格闘技イベントとして人気を博した。商標権は石井が所有している。

目次

名称の由来

Kは「空手」、「キックボクシング」、「カンフー」、「拳法」、などの立ち技格闘技、あるいは「格闘技」そのもの、そして「KING」の頭文字を意味し、1はナンバーワンを意味する[1]K-1という名称は、創始者の石井和義新日本プロレスの『G1 CLIMAX』に感動し、それにあやかって付けられたとされるが、当時大人気だったフジテレビF-1中継に対し、「車の最高峰がF-1なら空手(格闘技)の最高峰でK-1にしよう」という、当時格闘技通信編集長だった谷川貞治(現K-1イベントプロデューサー)の提案が通ったという説もある。いずれにせよ、空手やキックボクシングなどの打撃系立ち技格闘技の世界一の最強の格闘者を決める大会を行うというのが設立のコンセプトである。このK-1がイベントとしてヒットしたことにあやかって、2000年代以降、M-1R-1S-1B-1、L-1など、多種多様なジャンルで、○-1と称する競技会が多数開かれるようになった。

歴史

1990年代

正道会館1991年から、前田日明率いる格闘技団体『リングス』に参戦し、格闘技興行のノウハウを得る。

1992年10月4日、『格闘技オリンピックIII 〜カラテワールドカップ '92〜』で、石井和義が「"10万ドル争奪世界最強決定トーナメント"を来年開催する」と発表。後のK-1となる大会が初めて発表された。

1993年4月30日に第1回大会『K-1 GRAND PRIX '93 〜10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント〜』が開催され、8選手による無差別級トーナメントが行われた。興行的に成功を収め、以降、無差別級トーナメントは毎年開催されている。

また、1993年12月には軽重量級を主軸とした『K-2』が、1995年には軽量級の『Kリーグ(K-3)』が開催されるが、いずれも興行的に失敗に終わり、一度きりの開催となった。

1995年にはアンディ・フグをメインイベンターに据えてK-1初の海外大会をアンディの母国スイスチューリッヒのハレンスタジオンで開催。以後、2000年まで毎年同スタジアムで大会を開催し、同スタジアムの最多観客動員記録を更新している。

1996年にはフジテレビの全国ネットとゴールデンタイム放送に進出。

1997年にはK-1の人気が急上昇してきたこともあって、「三大ドームツアー」と称してナゴヤドーム大阪ドーム東京ドームで大会を開催。特に東京ドームで開催されたK-1 GRAND PRIX '97 決勝戦は満員となる54,500人の観客を動員し、平均視聴率20.7%、瞬間最高視聴率27.3%を記録した。また、同年には日本人選手を主軸とする『K-1 JAPAN GP』シリーズを立ち上げた。

2000年代

2000年には、『K-1 GRAND PRIX』シリーズを『K-1 WORLD GP』シリーズと改称し、北米ヨーロッパ豪州などで地区予選大会を開催するなど本格的に世界進出を開始。

同年8月24日、「不屈の鉄人」「蒼い瞳の侍」「Mr.K-1」と呼ばれたアンディ・フグ急性前骨髄球性白血病(APL)により35歳で死去。

2002年にはミドル級(-70kg)部門の『K-1 WORLD MAX』シリーズを立ち上げる。また、2008年にはライト級(-60kg)もMAX内にて新設された。

2002年にはジェロム・レ・バンナマーク・ハントアーネスト・ホーストミルコ・クロコップら多くの主力選手が好調期を迎え、さらに実力的に全盛期だったボブ・サップが派手なパフォーマンスと親しみやすいキャラクターで一般層への知名度も爆発的に急上昇したこともあって、同年12月7日に東京ドームで開催されたK-1 WORLD GP 2002 決勝戦ではチケット完売となる74,500人の超満員の観客動員した。一般的にはこの2002年までがK-1 WORLD GPシリーズの全盛期とされている。

時を同じくしてプロレスにも進出し、2002年に全日本プロレスの全面協力を得て『WRESTLE-1』を立ち上げたものの、興行面で失敗し廃止となる。

2002年12月、興行会社である株式会社ケイ・ワンが法人税法違反で摘発され、これまでK-1を取り仕切っていた石井和義がK-1の全役職を辞任し、2003年からは谷川貞治が設立したFEGが主催、谷川がイベントプロデューサーを、この年に引退した角田信朗が競技統括プロデューサーに就任、新体制が発足した。また、同時期には新日本プロレスと提携し、相互に選手を派遣していた。

2003年12月31日、単独では初の大晦日興行となる『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』を開催、大相撲の元横綱曙太郎ボブ・サップの対戦で世間の注目を集めた。曙がKOされたシーンの視聴率は同時刻の第54回NHK紅白歌合戦の35.5%を上回る43%だった[2]

2003年、当時K-1と契約していたミルコ・クロコップの引き抜き問題を巡ってこれまで協力体制を築いていた『PRIDE』と決別し、2004年には単独で総合格闘技にも進出、『K-1 ROMANEX』を立ち上げるが、単発のイベントに終わる。

2005年、前年の『K-1 ROMANEX』を引き継いだ新たな総合格闘技イベント『HERO'S』を立ち上げる。さらに2008年3月からは、旧PRIDEの出場選手が合流し、『DREAM』にリニューアルされた。

2003年に谷川貞治がK-1プロデューサーに就任して以来、曙太郎などの身体が大きくて実力よりも話題性のある選手やボビー・オロゴンなどのタレントを参戦させるなど、K-1をスポーツ競技として発展させることよりも目先の視聴率を優先して、実力よりもキャラクター先行の色物選手を優先した『谷川モンスター路線』が始まったことによって、コアな格闘技ファンから大きな不評を買い(詳細は谷川貞治の「谷川モンスター路線」の項を参照)、同時期に地上波ゴールデンタイム放送に進出してきたPRIDEにファンを奪われていくこととなる。また、モンスター路線開始当初は一般層への話題性もあって高視聴率を獲得していたが、次第に飽きられるようになり、その後の低迷へと繋がっていく。

2000年代後半あたりから徐々にモンスター路線から脱却していき、2008年には色物選手は完全にいなくなった。

2007年からは、スター不在とされる日本人ヘビー級選手の発掘を目的としたトライアウト『K-1 JAPAN TRYOUT』を実施、このトライアウトからは元プロ野球選手の立川隆史らを輩出した。また、漫才コンビ・オードリー春日俊彰も芸人として売れる前にこのトライアウトに参加、試合も経験している。

2008年より若年部門『K-1 YOUTHシリーズ』を新設。以降、『K-1甲子園』と題し、現役高校生を主軸としたトーナメントを実施している。

2009年より女子部門の新設を表明。3月20日の『K-1 AWARD & MAX KOREA 2009』にて、イム・スジョン vs. レーナ戦が組まれ、以降もイベントを開催する予定である。ただ、女子の試合は過去に『K-2 Grand Prix '93』にて、後にテコンドーのオリンピック銅メダリストとなる岡本依子と後に国際式ボクシング4階級世界チャンピオンとなるルシア・ライカの試合が組まれたことがある。

2010年代

2010年にはライト級(-63kgに変更)が本格的に始動、5月2日に初の単独興行を開催した。

2010年7月16日、上海の投資銀行『PUJI Capital』と提携することを発表し、アジアや欧米での市場拡大のために資金調達をしていくことを表明した[3]

しかし、2010年以降K-1の主催会社であるFEGが深刻な財政難に陥り、多くの選手へのファイトマネー不払い(少なくとも1000万ドル以上とされる)が明るみに出たほか、2011年のK-1 GRAND PRIX開催が事実上不可能になるなど、興行開催に支障をきたすようになった(詳細はFEGを参照)。このため創設者の石井は2011年11月にK-1の新たな主催団体として国際K-1連盟(FIKA)を設立し、2012年よりFIKA主体でK-1の興行体制を再構築する方針を明らかにしている[4]

基本的なルール

  • 6メートル以上四方のリングで試合を行う。ロープは4本
  • パンチ、キック、膝蹴りなどの打撃技のみ使用が許される一方、肘打ち頭突きなどは反則となる。また、バックハンドブローにも制約がある。もちろん投げ技寝技も反則である
    • 首相撲からの膝蹴りは禁止(2009年までは1回のみ認められた)。ただし、片手のみで相手を押さえての膝蹴りは1回のみ可。
  • 通常のワンマッチは、当初は3分5ラウンド最大延長2Rだったが、2004年以降は3分3ラウンド延長2R。トーナメントは決勝戦を除き3分3ラウンドで延長1R
  • 勝敗は以下の要素で決定する
    • ダウンして10カウント以内に立ち上がれない、もしくは立ち上がれても続行が不能である(ノックアウト
    • 1ラウンド内に2回ダウンした場合(「2ノックダウンシステム」、トーナメント戦の決勝以外で採用される)、もしくは3回ダウンした場合(「3ノックダウンシステム」、ワンマッチやトーナメント戦の決勝試合)はKO決着で試合終了となる
    • レフェリー、医師が続行不能と判断した、もしくはセコンドによってタオルが投げ入れられた場合(テクニカルノックアウト)
    • 決着がつかずに試合が終了した場合は、ジャッジ3名による判定(ラウンドマストシステムは延長戦最終ラウンドを除き不採用)
    • 悪質な反則行為(失格)
  • 偶然のバッティングにより試合続行が不可能となった場合、1R終了前は引き分け(無判定)、2R以降なら負傷判定に入る。ただし、トーナメントまたはトーナメント開幕戦においては負傷していない選手のTKO勝ちとなる
  • リングシューズの着用は許可されているが、代わりに(膝から下を使う)足技の使用が禁止される(着用例としては、ボクシング出身の西島洋介

これらはあくまでK-1のオフィシャルルールに過ぎず、実際の興行では、異なるルール、例えば総合格闘技ルールやそれとの折衷ルールの試合も行われている。

ルール・判定を巡る議論、騒動

ワンデイトーナメント制度への批判

2006年までK-1の全ての王座は1日で準々決勝・準決勝・決勝の3試合を行うトーナメント(ワンデイトーナメント)によって決められていた。このことについては危険視されている。K-1オフィシャルルールでは、トーナメントを勝ち上がった選手が怪我によるドクターストップで準決勝以降に出場できない場合、一度負けた選手が敗者復活という形で繰り上がる規定がある。例えば2002年の『K-1 WORLD GP』シリーズにおいて、10月のWGP1回戦でアーネスト・ホーストボブ・サップに敗退したが、同年12月の決勝大会準々決勝でサップと対戦予定だったセーム・シュルトが怪我で欠場したことによって代役でホーストが出場。結果的にホーストは開幕戦で勝とうが負けようが準々決勝に進出できたことになった。その準々決勝でホーストは再びサップに敗れたが、サップが拳を骨折した疑いがあった為ドクターストップで準決勝を欠場し、負けたホーストが敗者復活で準決勝に進出。準決勝でレイ・セフォーと対戦したが、セフォーは準々決勝のピーター・アーツ戦で明らかに劣勢だったにもかかわらず不可解な判定によって勝利していた。そしてその準決勝ではセフォーが自ら蹴ったローキックで自分の脛を怪我する自滅によってホーストはノーダメージで決勝進出。決勝では準決勝までの激闘で左腕に大ダメージを蓄積していたジェロム・レ・バンナがホーストの蹴りとレフェリーの角田信朗の不可解なレフェリング(後述)によって左腕を粉砕骨折させられ、ホーストが前代未聞のラッキーな形で優勝を果たした。このように、選手の実力以外の運などの面が優勝に左右される要素が大きく、選手が受けるダメージも大きく選手の命が必要以上に危険に晒されるという側面がある。

こういった批判を踏まえてか、2007年からはトーナメントと併行してプロボクシングなどと同じワンマッチのタイトルマッチ制を導入。始めに100kgを境界としてヘビー級を分け、スーパーヘビー級とヘビー級の世界王座を創設し、今後はK-1 MAXシリーズで行われている70kg以下のミドル級、63kg以下のライト級、85kg以下のライトヘビー級のワンマッチの王座も創設予定である。また、世界王座だけでなく、地域王座、国内王座なども創設し、世界ランキングを作ってランキング上位の選手が世界王座に挑戦していくシステムを作っていく予定である。さらには、これらの階級・王座を認定していくことによって2011年を目標に世界各国5階級5選手による国別対抗戦『K-1 WORLD CUP』の開催を目指すことを表明している。

レフェリー・ストップの遅さ

K-1において、一方の選手が大きなダメージを受けている際のレフェリーストップの遅さがたびたび問題になり、特に角田信朗の危険なレフェリングが批判を浴びることが多い。そのためネバダ州アスレチック・コミッションは角田に対してレフェリー・ライセンスの発行停止処分を下している[5]

K-1 WORLD GP 2002決勝戦のアーネスト・ホースト対ジェロム・レ・バンナ戦において、ホーストのキックを受けたバンナの左腕が粉砕骨折し、1度目のダウンの時点で砕けた骨が身体の外部に突き出ている状態だったにもかかわらず、レフェリーの角田信朗はレフェリーストップもせず、バンナにドクターチェックも受けさせないまま、根性でファイティングポーズをとったバンナが3ノックダウン制によって強制終了するまで試合を続行させた。この角田のレフェリングが原因でバンナは左腕粉砕骨折の重傷を負い、その後の5年間は左腕の中に金属のボルトを埋め込んだまま試合に出場したことで最大の武器だった左パンチの威力が激減した。この危険なレフェリングに対してファンや専門家からも大きな批判が起きたが、角田本人からは謝罪のコメントは無い。

2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINALにて、武田幸三の引退試合となる武田幸三対アルバート・クラウス戦において、クラウスの猛攻をくらった武田が序盤から何度もダウンし、立ち上がった後も白目を剥いた状態であり、テレビ解説していた魔裟斗と谷川貞治も「今のはダウンだ」と指摘しているにもかかわらず、レフェリーの角田信朗はダウンをとらずにスリップと裁定して試合を続行させた。1ラウンド終了後のインターバルにおいて対戦相手のクラウスはセコンドに対して「これ以上、武田の顔面を殴ったら彼は死んでしまうからもう殴れない」と語っており、2ラウンドからはローキックを多用する戦い方へと変更[6]し、ローキックで何度もダウンを奪ったがそれでも角田はなかなかダウンと裁定せず、最終的にドクターストップでようやく試合が終了した。この角田のレフェリングに対してファンや関係者から批判の声が殺到し、専門誌でも特集が組まれ批判の声が集まった。11月13日、「レフェリーの判断と一般の視聴者の方、観客の方が考えるダメージに大きく隔たりがあり、混乱をきたした」として自らが業務自粛を申し出て、11月11日付けで3か月の業務停止処分を受けた[7]。しかし、同日の角田のブログにおいて「僕はあれをミスレフェリングだなどとはこれっぽっちも思っていません」「今後K-1における試合のストップは驚くほど早くなる事でしょう。ご了承下さい」と皮肉を交え、全く反省していないことを表明した(後に最後の文は削除されている)。

特定の選手に偏った判定

近年は試合の判定結果などにおいて、大会運営者の中立性・公平性への疑問が呈されている。中でも武蔵魔裟斗レミー・ボンヤスキーらに対して有利な判定結果やルール変更については度々「疑惑の判定」が指摘されている。

  • 魔裟斗2004年7月7日の対ブアカーオ・ポー.プラムック戦や、2008年10月1日の対佐藤嘉洋戦およびアルトゥール・キシェンコ戦の2試合において、不可解な判定があったとされる(詳細は魔裟斗#来歴および佐藤嘉洋#来歴を参照)。また、2008年から、『K-1 WORLD MAX』の世界トーナメント決勝大会が、従来の1日3試合のトーナメントから1日2試合(準々決勝は別日に行い、準決勝・決勝を1日で行う形式)へと実験的に変更された。
  • 魔裟斗などのいわゆる大会運営者が「売り出したい選手」は、トーナメント第1試合に組み込まれることが顕著である。これは例えば1回戦が4試合ある場合、残りの3試合が行われている間に休息を取れるためである。逆に言えば、第4試合の選手は非常に不利である。
  • 2004年の『K-1 WORLD GP』決勝トーナメントにおいて、武蔵レミー・ボンヤスキーの両選手が不可解な判定によって決勝戦まで勝ち上がったことで、選手・関係者・ファンから批判の声が殺到した。準々決勝で武蔵に敗れたレイ・セフォーはインタビューで「努力だけでは報われない何か別の力が働いてしまったとしか思えない」と発言し、準々決勝でボンヤスキーに敗れたアーネスト・ホースト、準決勝でボンヤスキーに敗れたフランソワ・ボタも判定に対して怒りを露にした。この大会から翌年3月のK-1 WORLD GP韓国大会までの採点形式が0.5ポイントの差は本戦判定の場合はドロー、延長判定の場合は優劣がつくルールとなっていた。大会後、武蔵とボンヤスキーの両者に対する贔屓判定に対して、大会主催者のFEGフジテレビに抗議の電話とメールが殺到した。大会から数日後、K-1公式サイトにて再審議の結果が発表されたが、判定は覆らなかった。また、決勝ではレミーが武蔵からダウンを奪い、手数でも武蔵を圧倒していたにもかかわらず、判定はドローであった(解説をしていた谷川貞治は「(相手に与えた)ダメージで武蔵にポイントが付いた」と解説していた)。延長戦でもレミーが一方的に攻めたにもかかわらずドロー、再延長の末にレミーが優勝を果たした。大会後、レミーは雑誌sabraの取材に対し、「あれはないだろう」とコメントした[8]。大会後、K-1公式サイトのBBSに判定に対する批判が殺到したが、翌1月にBBSは突然閉鎖された。
  • 2005年のK-1 WORLD GP準々決勝において、武蔵に判定負けしたルスラン・カラエフは試合後のインタビューで、「武蔵選手にはノックダウン、もしくはノックアウトしないと勝てないことは知っていました。それができなかったことが、私の間違いでした。」と発言している。
  • 2004年と2005年のK-1 WORLD GPにおいて、レミー・ボンヤスキーが「前年度王者であるため」という理由でシード扱いとなり、WGPトーナメント1回戦を免除された。しかし、K-1において前年度王者が1回戦をシードされたのはWGP、MAX、ジャパンの全シリーズの歴史上でもこの時のボンヤスキーのみであり、日本人選手以上に露骨に優遇されていた。
  • 2004年12月31日、大阪ドームで行われた『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』、シリル・アビディフランス) vs. ボビー・オロゴンナイジェリア/現:日本)戦は、終始シリル・アビディが攻め続け、ボビー・オロゴンも1点の減点を与えられており、内容ではアビディが有利だったのにもかかわらず、判定で3-0でオロゴンが勝利した。
  • 2006年5月13日、オランダアムステルダムで行われたジェロム・レ・バンナフランス) vs. レミー・ボンヤスキーオランダ)戦は、明らかにバンナ優勢の試合内容であったにもかかわらず、オランダ人ジャッジ3人の判定2-0でボンヤスキーが勝利した。バンナ陣営から判定結果に強い抗議を受けた結果、日本にてビデオでの再ジャッジが行われた。6月30日に正式に結果が出され、日本人6名、アメリカ人2名で構成された検証審判員によるビデオ検証の結果、3-0でバンナの判定勝利に変更された為[9]、この試合は選手の人気や国籍が試合結果に影響しているのではないかというファンの疑念を深めてしまった。
  • 2005年2月23日、K-1 WORLD MAX 2005 〜日本代表決定トーナメント〜の1回戦で、安廣一哉小比類巻貴之と対戦した際、安廣が小比類巻を追い詰めるも、2-1のスプリットで判定負けを喫した。これに関して、会場内からブーイングが起こり、「疑惑の判定」として問題になった。
  • 2009年9月26日、インド人のシング・心・ジャディブ極真会館所属のブラジル人であるエヴェルトン・テイシェイラと対戦した際、ジャディブが膝蹴りなどを的確に当て有利な状況だったにも関わらず、本戦ドローで延長戦になり、延長戦でも膝蹴りでテイシェイラをぐらつかせるもドローで再延長になり、再延長戦でジャディブが判定負けを喫した。

反則の見逃し

2001年12月8日、K-1 WORLD GP 2001決勝大会のジェロム・レ・バンナマーク・ハント戦において、序盤からバンナが優勢だったが、2ラウンドにハントが反則の肘打ちを連打し、それにレフェリーが気付かないまま追撃のパンチの連打でハントがKO勝ちを収めた。ハントが反則の肘打ちを打った場面の証拠写真がSRS-DXNo.60の巻頭記事に掲載されたが、試合の裁定に変更は無かった。

2008年6月29日、K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKAでのK-1世界スーパーヘビー級タイトルマッチのセーム・シュルト対ジェロム・レ・バンナ戦において、第2ラウンド終了時までのジャッジの採点はドローであったが、3ラウンドにシュルトが首相撲からの膝蹴りを2回打つ反則を犯してバンナが大きなダメージを負ったにもかかわらず、レフェリーの角田信朗はシュルトに対して減点をとらず、反則を受けたバンナに対してもダメージ回復のためのインターバルをとることもなく試合を続行させ、この反則以降に一気に流れを掴んだシュルトが圧倒して勝利した。

2009年9月26日、K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16でのピーター・アーツ vs. アリスター・オーフレイム戦にてアリスターが試合中に何度も反則の投げ技を連発したことに批判が起き、同年12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINALの大会開始前に石井和義が「アリスターの投げは反則です」と明言した。さらに同大会でのアリスター対エヴェルトン・テイシェイラ戦において、アリスターが膝蹴りでKO勝ちを収めたが、掴んでから膝蹴りを2回繰り出しKOしたことについてテイシェイラ陣営から「首相撲からの膝蹴りを2回やったのだからアリスターの反則負けだ」という抗議を受けたことについて、「反則ギリギリだと思います。掴んだまま二回の攻撃はダメなんで、微妙です。」とコメントした[10]

2010年4月3日、K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMAでのアリスター・オーフレイム対ジャバット・ポトラック戦で、アリスターが膝蹴りの連打でKO勝ちしたが、またしても首相撲からの膝蹴りだという抗議がポトラック陣営から寄せられたが、結果は覆らなかった。

ボクシング選手の扱い

2010年現在、日本ボクシングコミッション(JBC)が加盟・公認している世界王座認定団体は、WBAWBCのみで、この他に、JBC非加盟・未公認のIBFWBOを加えたものが、ボクシングにおける「世界4大タイトル」と称されている。しかし、マイク・ベルナルドWBF)やヴァージル・カラコダIBC)、マイケル・ラーマWBB)のように、世界4大タイトルよりはるかに権威の低いマイナー団体で王座を獲得した者が「ボクシング世界王者」と呼ばれ喧伝されることに対し、違和感を覚えるボクシング関係者は少なくない。代表的な批判者に、元WBA世界スーパーフライ級王者の名城信男がおり、フジテレビ系列スポーツニュース番組『すぽると!』(2006年7月放送)のインタビューにおいて上記を指摘し、また、世界4大タイトル元王者の場合であっても、フランソワ・ボタヴィンス・フィリップス(いずれもIBF元王者)といった、既にピークを過ぎた(彼曰く)「ロートルボクサー」をかませ犬としてあてがい、K-1選手がこれらの選手に勝利すると、「K-1はボクシングより強い」などと殊更に喧伝する姿勢にも不快感を示していた。

2005年10月、ボクシング元日本王者の鈴木悟大東旭がK-1 WORLD MAXに参戦、いきなり初代世界王者のアルバート・クラウスや強豪のマイク・ザンビディスとそれぞれ対戦し、いずれもボクシングにはないローキックで脚を執拗に攻められ完敗した。また、この敗戦後の翌11月に西日本ボクシング協会は、引き抜きやボクシングのイメージ低下を防ぐことを理由として、「K-1や総合格闘技等に出場するボクサーは、引退後のセコンドトレーナーライセンス、ボクシングジム設立の許可を一切剥奪する」という、事実上の追放宣言をした。

他団体との関係

前述のように総合格闘技団体PRIDEとは友好関係だったが、2003年にミルコ引き抜き問題で対立。しかし、選手の引き抜きやファイトマネーの高騰などで互いに苦しい状況へと繋がっていったこともあり、再び友好関係を取り戻す。その後は基本的に他団体とは対立せずに友好関係を結ぶようになっている。

海外大会を開催する際も現地のプロモーターと共同開催することが多く、IT'S SHOWTIMEはK-1との共催を経て飛躍していった。日本国内のほぼ全てのキックボクシング団体と友好関係にある。

R.I.S.E.とは早くから協力体制を築いており、TATSUJIをはじめ、尾崎圭司龍二などは、K-1 MAXへの出場権が懸かった70kg級トーナメントで優勝し、翌年の日本代表決定トーナメントで活躍した。2009年からは中軽量級の充実を図るべく協力体制を強化している。

2008年には全日本キックボクシング連盟によるイベント『Krush』の立ち上げにも協力した。

前出のPRIDE消滅後は、同元スタッフ及びDEEPなどとともにDREAMに参加し、FEGが主催に当たっている。

テレビ放送

K-1 WORLD GPシリーズ

ナレーター(テレビ放送)
VHS・DVD版

K-1 WORLD MAXシリーズ

  • ミドル級(70kg契約)およびライト級(-63kg契約)のトーナメントおよびワンマッチの大会。
  • 2002年の第1回からTBS系列で放送されており、2月の日本代表決定トーナメントを皮切りに、年4回開催された。地上波放送から数週間後以降にTBSチャンネルBS-TBS(旧BS-i)でも放送、試合をピックアップしてJ SPORTSでも放送されていたが、2010年5月のライト級トーナメントからはスカチャンのPPVにてMAXでは初となる生中継を行った。
  • 放送はいわゆる撮って出しが多く、開催日の放送となっていた。また、TBSによる編成上の都合からか、平日と祝日に開催された。当初は土曜日のゴールデンタイムで、2004年から2005年までは同局の単発特別番組枠水曜プレミア』で、その後は『月曜ゴールデン』の枠に放送されていた。2009年以降は、内藤大助亀田興毅大毅のボクシング世界タイトルマッチとセットで中継される機会が多くなった(ボクシング中継が1時間程度、K-1が2時間程度)。
  • 司会は、モデル佐々木希と俳優の佐藤隆太。解説は魔裟斗と前田憲作。ナレーターは田子千尋(2005年から2006年の一時期には根岸朗が担当した)。

K-1 甲子園・K-1 WORLD YOUTHシリーズ

  • 2007年よりTBS系列で放送。
  • 2007年2月、『K-1 WORLD MAX日本代表決定トーナメント』にて、ヘッドギア着用の特別試合として現役中学生だったHIROYAがK-1史上最年少デビューを果たして3RKO勝利を収め、翌日のスポーツ新聞の一面を飾るなど話題となったことをきっかけにスタートした。
  • K-1甲子園は年齢18歳以下の現役高校生ファイターによるイベント。同年12月31日の『K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!』でスタートし、2008年までは62kg以下級のみで行われていたが、2009年からは70kg級も行われることになった。名称の由来は全国高等学校野球選手権大会が行われている阪神甲子園球場から。新空手との全面協力で行われている。2008年はK-1甲子園の地区予選トーナメントが各地区ごとに「K-1甲子園 予選トーナメント試合ルール[11]」に則って行われ、予選優勝者がK-1甲子園トーナメントに進出し、決勝大会は同年大晦日のDynamite!!で行われる形式だった。2009年からは地区代表決定戦もリングの上で試合を行うこととなった。
  • K-1 WORLD YOUTHシリーズはK-1甲子園の反響の大きさを受けて2008年にスタート。20歳以下のK-1選手育成・強化を目的とする世界的プロジェクトである。世界各国においてU-20のトライアウトを実施し、強化選手を選抜しナショナル・チームを編成して国別対抗戦を行っている。K-1 WORLD MAXシリーズの大会で対抗戦を行うこともある。WORLD YOUTHの日本代表チームの監督は前田憲作が務めている。

Dynamite!!

  • 2003年よりTBS系列で放送。
  • 2001年・2002年の大晦日にTBS系列で放送していた『INOKI BOM-BA-YE(猪木祭)』が2003年は日本テレビに移り、代わって登場したイベント。これによって、2003年の大晦日は日テレ系=猪木祭、TBS系=K-1、フジ系=PRIDEと、3局で格闘技イベントが放送された。
  • 司会はMAX・DREAMと同じく佐々木希と佐藤隆太。2003年はフジテレビでの中継の司会であった藤原紀香と長谷川京子が、2004年は井上和香田丸麻紀が務め、井上は2008年まで担当した。K-1 WORLD MAXシリーズ・DREAMと同様に、フジテレビが主に扱うヘビー級選手の出場もある。
  • 開催地は、2003年のみナゴヤドーム、2004年からは大阪ドーム、2008年からはさいたまスーパーアリーナ

K-1 JAPAN シリーズ

  • 1997年から日本テレビ系列で放送開始。2004年の6月の大会を最後に打ち切り。
  • 日本人ファイター育成を目的に立ち上げられたシリーズだが、日本人ファイターと規格外の体格を持った、いわゆる「モンスター系」のファイターとを対戦させ、総合格闘技ルールの試合も行うなど、実験的要素の多いシリーズでもあった。このシリーズでブレイクしたモンスター系ファイターのひとりにボブ・サップがおり、サップは後に新日本プロレスIWGPヘビー級王座を獲得するなどK-1の枠を越えた活躍を見せている。
  • また、新たなK-1ファン掘り起こしのため、系列局などのタイアップによる地方興行も積極的に行っていた。
  • 現在は独立したシリーズとなっているK-1 MAXシリーズも元々このシリーズの中で『K-1 J MAX』として実施しており、魔裟斗小比類巻太信もここでK-1デビュー、ムラッド・サリラモン・デッカーといった当時の強豪ファイターに勝利した。
  • 協栄ボクシングジムシュートボクシング初代全日本カーディナル級王者・大村勝巳を専属コーチに迎え、「K-1キョウエイジム」の看板を掲げて参戦したことも有った。
  • テレビ放送のナレーターは垂木勉。VHSやDVD版は基本的にナレーターなし。マスコットガールは優香

K-1 ROMANEX・HERO'S

  • 共にTBS系列で放送。また、地上波の放送から数週間後以降にBS-iやCS放送・TBSチャンネルでも放送される(K-1 WORLD MAXシリーズも含む)。J SPORTS ESPNでもメインの試合をピックアップして放送された。
  • DREAM』への移行に伴い終了。

テーマ曲

  • K-1 WORLD GPシリーズ(フジテレビ中継)のテーマ曲はプリンス(Prince)(当時はジ・アーティスト・フォーマリー・ノウン・アズ・プリンス(The Artist Formerly Known As Prince))のアルバム「ゴールド・エクスペリエンス(Gold Experience)」収録曲の「エンドルフィンマシーン(Endorphinmachine)」。エンディング曲は同じくプリンスの同アルバムの収録曲の「ゴールド(Gold)」。
  • K-1 JAPAN GPシリーズ(日本テレビ中継)のテーマ曲はB'zのボーカリストである稲葉浩志の「AKATSUKI」。
  • K-1 WORLD MAXシリーズ(TBS中継)のテーマ曲はガンマ・レイ(GAMMA RAY)のアルバム「ノー・ワールド・オーダー(No World Order)」収録曲の「インダクション(Induction)」。オープニングテーマはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の「レクイエム ニ短調 K.626 第3曲 セクエンツィア」。

開催履歴

歴代優勝/準優勝者/3位

K-1 WORLD GPシリーズ

開催日付 優勝 準優勝 3位
1 1993年4月30日 ファイル:Flag of Croatia.svg ブランコ・シカティック ファイル:Flag of the Netherlands.svg アーネスト・ホースト ファイル:Flag of Japan.svg 佐竹雅昭
ファイル:Flag of the United States.svg モーリス・スミス
2 1994年4月30日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg ピーター・アーツ ファイル:Flag of Japan.svg 佐竹雅昭 ファイル:Flag of the United States.svg パトリック・スミス
ファイル:Flag of Croatia.svg ブランコ・シカティック
3 1995年5月4日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg ピーター・アーツ (2) ファイル:Flag of France.svg ジェロム・レ・バンナ ファイル:Flag of the Netherlands.svg アーネスト・ホースト
ファイル:Flag of South Africa.svg マイク・ベルナルド
4 1996年5月6日 ファイル:Flag of Switzerland.svg アンディ・フグ ファイル:Flag of South Africa.svg マイク・ベルナルド ファイル:Flag of the Netherlands.svg アーネスト・ホースト
ファイル:Flag of Japan.svg ムサシ
5 1997年11月9日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg アーネスト・ホースト ファイル:Flag of Switzerland.svg アンディ・フグ ファイル:Flag of Brazil.svg フランシスコ・フィリォ
ファイル:Flag of the Netherlands.svg ピーター・アーツ
6 1998年12月13日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg ピーター・アーツ (3) ファイル:Flag of Switzerland.svg アンディ・フグ ファイル:Flag of South Africa.svg マイク・ベルナルド
ファイル:Flag of Australia.svg サム・グレコ
7 1999年12月5日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg アーネスト・ホースト (2) ファイル:Flag of Croatia.svg ミルコ・"クロコップ"・フィリポビッチ ファイル:Flag of France.svg ジェロム・レ・バンナ
ファイル:Flag of Australia.svg サム・グレコ
8 2000年12月10日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg アーネスト・ホースト (3) ファイル:Flag of New Zealand.svg レイ・セフォー ファイル:Flag of Brazil.svg フランシスコ・フィリォ
ファイル:Flag of France.svg シリル・アビディ
9 2001年12月8日 ファイル:Flag of New Zealand.svg マーク・ハント ファイル:Flag of Brazil.svg フランシスコ・フィリォ ファイル:Flag of Germany.svg ステファン・レコ
ファイル:Flag of Belarus.svg アレクセイ・イグナショフ
10 2002年12月7日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg アーネスト・ホースト (4) ファイル:Flag of France.svg ジェロム・レ・バンナ ファイル:Flag of New Zealand.svg レイ・セフォー
ファイル:Flag of New Zealand.svg マーク・ハント
11 2003年12月6日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg レミー・ボンヤスキー ファイル:Flag of Japan.svg 武蔵 ファイル:Flag of France.svg シリル・アビディ
ファイル:Flag of the Netherlands.svg ピーター・アーツ
12 2004年12月4日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg レミー・ボンヤスキー (2) ファイル:Flag of Japan.svg 武蔵 ファイル:Flag of South Africa.svg フランソワ・ボタ
ファイル:Flag of Thailand.svg ガオグライ・ゲーンノラシン
13 2005年11月19日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg セーム・シュルト ファイル:Flag of Brazil.svg グラウベ・フェイトーザ ファイル:Flag of the Netherlands.svg レミー・ボンヤスキー
ファイル:Flag of Japan.svg 武蔵
14 2006年12月2日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg セーム・シュルト (2) ファイル:Flag of the Netherlands.svg ピーター・アーツ ファイル:Flag of the Netherlands.svg アーネスト・ホースト
ファイル:Flag of Brazil.svg グラウベ・フェイトーザ
15 2007年12月8日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg セーム・シュルト (3) ファイル:Flag of the Netherlands.svg ピーター・アーツ ファイル:Flag of France.svg ジェロム・レ・バンナ
ファイル:Flag of the Netherlands.svg レミー・ボンヤスキー
16 2008年12月6日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg レミー・ボンヤスキー (3) 空位 ファイル:Flag of Turkey.svg グーカン・サキ
ファイル:Flag of Curaçao.svg エロール・ジマーマン
17 2009年12月5日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg セーム・シュルト (4) ファイル:Flag of Morocco.svg バダ・ハリ ファイル:Flag of the Netherlands.svg レミー・ボンヤスキー
ファイル:Flag of the Netherlands.svg アリスター・オーフレイム
18 2010年12月11日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg アリスター・オーフレイム ファイル:Flag of the Netherlands.svg ピーター・アーツ ファイル:Flag of Turkey.svg グーカン・サキ
ファイル:Flag of the Netherlands.svg セーム・シュルト

K-1スーパーヘビー級王座 (100kg以上)

在位期間王者防衛回数
2007年3月4日 - 現在 ファイル:Flag of the Netherlands.svg セーム・シュルト 4

K-1ヘビー級王座 (100kg未満)

在位期間王者防衛回数
2007年4月28日 - 2008年12月17日(剥奪) ファイル:Flag of Morocco.svg バダ・ハリ 1
2 2009年3月28日 - 2011年10月21日(返上) ファイル:Flag of Japan.svg 京太郎 1

K-1 WORLD MAXシリーズ

開催日付 優勝 準優勝 3位
1 2002年5月11日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg アルバート・クラウス ファイル:Flag of Thailand.svg ガオラン・カウイチット ファイル:Flag of Japan.svg 魔裟斗
ファイル:Flag of Japan.svg 小比類巻貴之
2 2003年7月5日 ファイル:Flag of Japan.svg 魔裟斗 ファイル:Flag of the Netherlands.svg アルバート・クラウス ファイル:Flag of Thailand.svg サゲッダーオ・ギャットプートン
ファイル:Flag of the United States.svg ドゥエイン・ラドウィック
3 2004年7月7日 ファイル:Flag of Thailand.svg ブアカーオ・ポー.プラムック ファイル:Flag of Japan.svg 魔裟斗 ファイル:Flag of Japan.svg 小比類巻貴之
ファイル:Flag of the Netherlands.svg アルバート・クラウス
4 2005年7月20日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg アンディ・サワー ファイル:Flag of Thailand.svg ブアカーオ・ポー.プラムック ファイル:Flag of Japan.svg 安廣一哉
ファイル:Flag of the Netherlands.svg アルバート・クラウス
5 2006年6月30日 ファイル:Flag of Thailand.svg ブアカーオ・ポー.プラムック (2) ファイル:Flag of the Netherlands.svg アンディ・サワー ファイル:Flag of Armenia.svg ドラゴ
ファイル:Flag of Japan.svg 魔裟斗
6 2007年10月3日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg アンディ・サワー (2) ファイル:Flag of Japan.svg 魔裟斗 ファイル:Flag of the Netherlands.svg アルバート・クラウス
ファイル:Flag of Ukraine.svg アルトゥール・キシェンコ
7 2008年10月1日 ファイル:Flag of Japan.svg 魔裟斗 (2) ファイル:Flag of Ukraine.svg アルトゥール・キシェンコ ファイル:Flag of Japan.svg 佐藤嘉洋
ファイル:Flag of the Netherlands.svg アンディ・サワー
8 2009年10月26日 ファイル:Flag of Italy.svg ジョルジオ・ペトロシアン ファイル:Flag of the Netherlands.svg アンディ・サワー ファイル:Flag of Japan.svg 山本優弥
ファイル:Flag of Thailand.svg ブアカーオ・ポー.プラムック
9 2010年11月8日 ファイル:Flag of Italy.svg ジョルジオ・ペトロシアン (2) ファイル:Flag of Japan.svg 佐藤嘉洋 ファイル:Flag of Greece.svg マイク・ザンビディス
ファイル:Flag of Armenia.svg ドラゴ

K-1 甲子園シリーズ

開催日付 優勝 準優勝 3位
1 2007年12月31日 ファイル:Flag of Japan.svg 雄大 ファイル:Flag of Japan.svg HIROYA ファイル:Flag of Japan.svg 久保賢司
ファイル:Flag of Japan.svg 才賀紀左衛門
2 2008年12月31日 ファイル:Flag of Japan.svg HIROYA ファイル:Flag of Japan.svg 卜部功也 ファイル:Flag of Japan.svg 嶋田翔太
ファイル:Flag of Japan.svg 日下部竜也
3 2009年12月31日 ファイル:Flag of Japan.svg 野杁正明 ファイル:Flag of Japan.svg 嶋田翔太 ファイル:Flag of Japan.svg HIROYA
ファイル:Flag of Japan.svg 石田勝希
4 2010年11月20日 ファイル:Flag of Japan.svg 翔栄 ファイル:Flag of Japan.svg 秋元晧貴 ファイル:Flag of Japan.svg 佐々木涼助
ファイル:Flag of Japan.svg 石田圭吾

K-2 GP

開催日付 優勝 準優勝 3位
1 1993年12月19日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg アーネスト・ホースト ファイル:Flag of Thailand.svg チャンプア・ゲッソンリット ファイル:Flag of Australia.svg アダム・ワット
ファイル:Flag of Australia.svg タシス"トスカ"ペトリディス

K-3 GP

開催日付 優勝 準優勝 3位
1 1995年7月16日 ファイル:Flag of the Netherlands.svg イワン・ヒポリット ファイル:Flag of Japan.svg 金泰泳 ファイル:Flag of Japan.svg 後川聡之
ファイル:Flag of France.svg オーランド・ウィット

各種記録等

連動番組

日本テレビ系列
TBS系列
フジテレビ系列

脚注

  1. ^ K-1とは? K-1公式サイト
  2. ^ [大みそか視聴率] サップ×曙、紅白上回る43%。PRIDEも健闘”. バウトレビュー (2004-1-5). 2010年5月4日閲覧。
  3. ^ 上海の投資銀行Pujiと提携。年内に中国進出へ”. バウトレビュー (2010-7-16). 2010年9月12日閲覧。
  4. ^ 石井氏 国際K1連盟を設立 北京で会見”. 日刊スポーツ (2011-11-03). 2011年11月4日閲覧。
  5. ^ kamipro No.135
  6. ^ 格闘技通信 2010年1月号
  7. ^ 【K-1】角田レフェリーが業務停止処分「レフェリーと視聴者の考えるダメージに隔たりがあったため」 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年11月13日
  8. ^ 『sabra』2005年1月号
  9. ^ バンナ選手側からの判定に対する異議申し立てについての回答”. K-1 OFFICIAL WEBSITE (2006-6-30). 2010年5月4日閲覧。
  10. ^ K-1 WORLD GP 2009 FINAL 谷川貞治イベントプロデューサーのコメント K-1公式サイト 2009年12月5日
  11. ^ K-1甲子園 予選トーナメント試合ルール

関連項目

外部リンク